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26日に初めて、無断欠勤をしました。
初めてでした。小学校以来、ずる休みをすることはいけないことだと思っていました。
ずる休みするのは、勇気の要ることだと思っていました。
小学校・中学校は学校にいくことが楽しかったので、学校に行くのがいやだと思ったことは
ありませんでした。それは友達がいたからです。そのときにできた友達はすべて、自分から
声をかけてできたのではなくて、声をかけてくれたので、そのときは友達に悩むことは
ありませんでした。
中学校は途中で転校したので、転校先では珍しがって声をかけてくれたので
やはり悩むことはありませんでした。
しかし、高校生になって同じ高校になった人は少なくなって、
しかも自分から声をかけて友達をつくったことがないので、声がかかるまで待っていました。
結果、ひとりだけ友達ができました。それまで、ひとりだったので学校にいくのが嫌だなと
感じました。行きたくないけど、我慢して行っていました。
だから、修学旅行はずっとひとりでいました。
楽しいはずの旅行も早く終わらないかなとそればかり思っていました。
高校生まではその友達しかいませんでした。
そして、大学生になりました。大学は、高校までのように集団行動を要求するような
行事はなくて、自分が好きな時間に好きな勉強をするところだったので、
ひとりで過ごせるので気楽でした。
図書館に行くのも、教室で講義を受けるのも、ひとりでした。
1年生の時はすぐに学籍番号ごとにクラス会というような親睦を深めるための集まりがあって
そこで、ひとりのひとに声をかけられました。
彼は栃木出身でした。その足利市に住んでいるとのことでたまに実家に帰っているそうです。
彼は旅行にいくサークルに入りました。人が好きそうではなかった感じですが、
彼は私といるよりはそのサークルでは生き生きしていました。
かなり楽しそうで、旅行に行かないかと私を誘ったぐらいでした。
1年間は昼飯を一緒に食べたり、一緒に授業をうけたりしました。
でも2年からは別々になり、卒業式まで会うことはありませんでした。
テニス同好会に入ろうと担当に電話までしましたが、人に会うのが怖くて結局やめました。
気楽に一人で好きな時間に勉強ができる環境なのに、面倒くさければ講義なんて
サボればいいのに、そうせずまじめに通っていました。
だから、それをひきずって会社もやはり体調が悪くなければ、休んではいけないんだと
行きたくない日もあったけど、我慢して行っていました。
そして26日に、我慢ができなくなって会社の正門まで行ったけど、そこから会社の中に
入れなくて、そのままマンションから飛び降りて死のうとしました。
マンションの階段を一番上まで登って、そして下を覗きました。結構、高いものでした。
怖くなったのと、家族の顔が浮かんだのでいったん止めることにしました。
そして、今度は前回の家出でも行った青木ヶ原樹海に行こうとしました。
田園都市線を中央林間で降りて、そして小田原までロマンスカーに乗りました。
ロマンスカーは行楽特急にふさわしく、そしてここにひとりこれから樹海で死のうとしている
人が乗っていることなど知らずにまわりの子供たちが楽しそうにはしゃいだり、笑っていたりして
結構賑やかでした。
小田原からは東海道線で富士まで乗り、そして最後は身延線で下部温泉まで行きました。
下部温泉からは交通機関がないので、国道300号線をまっすぐに樹海に向けて歩きました。
しかしやっと梅雨が明けたのか、太陽が顔を出して、その暑さで汗でシャツはぐっしょりでした。
また、道の途中で写真に取りに来たという40~50くらいのおじさんがワゴン車の運転席から
私に道を尋ねました。おじさんは私が地元の人でないとわかると走り去りました。
そして、延々と暑い中を休むことなく歩き続けました。
また、先ほどのおじさんの乗っている車が見えました。
誰かほかの人にさっきとおなじように道を尋ねているようでした。
そこを通り過ぎて、また歩き続けました。
しばらくしておじさんの車は追い越して去っていきました。
また、歩き続けました。
あのおじさんの車に会うことはないと思っていましたが、またとまっている車が見えました。
おじさんは私にまた、話しかけてきました。
「写真は撮れました?」
「なかなかいいのが撮れなくて、もう少し行ってみたい思います」
「どんな写真を撮りにきたんですか?」
「木とか森とかです。」
「私は虫の写真を撮りに来たんです」
もちろん、私は写真を撮りに来たわけではありません。
おじさんがそのときの私の格好を見て、私の話したことを信じたかどうかわかりません。
そして、またそのおじさんと別れて歩き続けました。
例の車はしばらくして、追い越して行きました。
そして、しばらく歩くと50メートル先におじさんの車が止まっているのが
見えました。さすがにこれ以上、話しかけられるのも嫌だし、
写真を撮りに来たのではないのではと疑われるのが怖くて、
来た道を引き返すことにしました。
そして、下部温泉駅について身延線に乗りました。
前回の家出では、このまま戻って、自宅の最寄り駅で心配して待ってくれた両親がいました。
でも、今回は戻らずにさっきのマンションから飛び降りて死のうと考えていました。
結局、樹海に入ってそのまま飢えか首吊りかで死のうとしましたが、できずに引き返しました。
最後の小田急線で自宅の最寄り駅に近づく間に家族の心配している顔、特に前回の
改札で心配して待っていた両親のことが浮かんで来ました。
「やはり、心配しているよな?。帰って正直に話したほうがいいか」
降りる駅が近づくまで、迷っていました。
ドアが開いて、私は降りました。やはり帰ることにしました。
前回と同じように両親は待っていました。でも前回とちがってそれはわざとだったのは
見え見えでしたが、やさしく出迎えてくれました。
正直に顛末を話ました。そして死のうとしたことも。
上司から何度も家に電話がありました。
心配して何度も電話があったと親から聞きました。
そして、上司にすぐに電話しました。そして、翌日会社で上司に会って
今回のことで話をしました。今回のことになってしまったいきさつを正直に話しました。
優しい上司でした。すぐにでも仕事に復帰しろと言われるかと思いましたが、
30日からでいいからゆっくり休みなさいと言ってくれました。
そして、その足で母親と一緒に埼玉へ行きました。
そこの親戚にも親が電話をしていて、心配をかけてしまい、また
ずっと顔も見せていなかったので行くことにしました。
向かう電車内は普段とちがって、ゆったりと時間が流れているように感じました。
親戚のおばあちゃんは相変わらず元気でした。なんかこっちが元気をもらった感じでした。
30日からまた、職場へ復帰する予定です。
それと会社に送る始末書は書かなくてもいいことになりました。(ラッキーだ!)
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