2011年2月8日火曜日

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これもまたまた古い話。

小田急恒例の終夜運転。
今回は年に一度だけ、参宮橋に停車するロマンスカーに乗ってみた。
始発は本厚木からだが、発車時間の関係で「ゆく年くる年」をテレビで見る代わりに
浅草寺で除夜の鐘を聞きつつ、年明けを迎え、そのままロマンスカーで江ノ島へ。
江ノ島で初の日を拝んだら、そのまま家に帰る予定であった。

ニューイヤーエクスプレス2号から参宮橋に降り立つ。
参拝客の便利のために設定された列車だが、参宮橋も普段は見られない紅白の
鯨幕が飾られている。この日だけ、この駅は本来の姿に戻るという感じが正確なところか。

そのまま次の普通列車で新宿へ。
新宿から都営新宿線、馬喰横山から東日本橋乗換えで都営浅草線と乗り継ぎ、
年明け20分くらい前に浅草に到着。浅草通りから雷門、そして仲見世の奥へ続くのは
途方もない数の参拝客の行列。雷門前の交差点では車ならぬ、人の交通整で体を張る警察官。
年明け前からすでに仕事をしているのである。お疲れ様と言いたい。

仲見世をずっと人の行列が埋まっているのに唖然とし、ひとまず家族に頼まれた
東京名物とされている梅園のあんみつを購入する。
一つ400円強。高いけれども、老舗だけに味はしっかりしている。
ヨックモックのバターシガーロール、虎屋の羊羹、ユーハイムのバウムクーヘン、
六花亭の美冬とマルセイバターサンド・・そしてあんみつは梅園。まだまだ知らない名物が
たくさんありそうだ。

梅園も年明け前から商売に精を出していたのは恐れ入る。というより、梅園以外でこの時間帯に
浅草らしい銘菓は手に入らないような気がした。

除夜の鐘を探しまわる内に年明けを迎えてしまったようだ。
浅草寺の裏手の通りでは、にわかにあつまった地元同士が臨時で営業している居酒屋では
道端に出された椅子に肩を寄せ合うように集まり、すでに出来上がっていた。

再び浅草寺へ戻るべく、境内の露店を冷やかしながら見上げるとライトアップされている
東京スカイツリー。前に見たときより確実に成長している。私も成長しなくてはならない。

北千住から発車するメトロニューイヤー19号まで時間があるので、北千住駅近くのネットカフェで
少々時間をつぶす。同じように考えている若者が後から入店が続いているようだ。

私の隣の席には女性2人だったが、どうやら夫婦と娘さんらしい。
旦那さんはすぐ後ろの席のようなので、席を前後を変わってあげた。
変わる前から分かってはいたが、両隣の客の質が良くなかった。右隣の窓側に座る若い男性。
なにやら呪文を唱えている。きっと魔法使いだろう。それを声をひそめて笑っているのが
通路を挟んだじいさんばあさんコンビ。列車旅をしていると色んな客を目にしてきてはいるので
これくらいでは特に気にならない。それよりも眠いのでひとまず寝ておく。

今年も去年同様に初日の出は拝めそうだ。今年は寒波の影響で、天候が良くないため
ここ関東地方と他の一部の地域しか、見ることはできないという。
そのためか空を見上げると、テレビ局と思われるヘリコプターの姿が確認できた。

初の日出をしばらく眺める。やはり江ノ島丼を食べてから帰ろう。

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これも古い話。
2010年11月27日。藤沢市が市制施行70周年を記念して打ち上げられた花火。

お昼ご飯を食べながら、ぶらぶらしようと思い、入った店が鵠沼海岸駅前にある
「カブトスカフェ」。ここで「鵠沼バーガー」という名の個人的高級バーガーを注文。
見た目はどの辺りが鵠沼なのかはさっぱりだが、中々美味しい。
飲み物に「NewTon」という名の青りんごビールを飲む。青りんご味はなんとも新鮮だ。

ところで、メキシコの「コロナ」はビールなのか。wikiなんたらだとビールだそうだが、
飲み口に櫛型切りされたライムが突っ込まれているが、正しい飲み方がわからない。


【カブトスカフェ】http://www.kabutos.jp/cafe/menu/index.html


場所柄、「江ノ島花火大会」の方が個人的には名称としてはしっくり来る様な気がするが
駅に貼られた開催のポスターを見たとき、鉄道オタク的に考えたのは一つだけ。
江ノ電は2011年の2月まで一部の駅でイルミネーションを実施中だ。

鎌倉高校前はその実施駅の一つ。

家族へのお土産に展望塔へ向かう参道の途中にある土産屋で買ったたこせんべいの袋をぶら提げ
これから始まる花火大会を見ようといつも以上に混雑する弁天橋を何とか脱出。
何とか花火が始まる前には鎌倉高校前に到着すると、すぐさま線路脇の歩道に向かう。

同じ事を考えている人だらけかと思ったが、それほどではなかった。
45分という短い時間ではあったが、一時寒さも忘れてしまうほど・・ではなかった。

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ふと乗ってみようと思ったのだ。

内房線で五井を通り過ぎる度に、「黄色い列車」という応援ソングの存在を知って以来
房総半島を横断する形でつながっている2つの鉄道がずっと気になっていた。

思いつき故に昼過ぎに出発では、日の明るいうちに乗りとおすことはできない。
外房線の途中にある茂原で一泊する。駅周辺を歩き回ったが、飲食店は充実していない。
仕方ないので、ホテルの食堂で夕食を摂る。久々に旅行先でまともなご飯を食べた気がした。

大原まではステンレスに青と黄色の帯が入った列車に乗っていく。
いすみ鉄道の次の発車は10:39発。ホームに停車している一両の気動車には、
「楽しいムーミン一家」に登場するキャラクターが施されている。車体の側面だけでなく、
窓ガラスににも貼られている。正面にも貫通扉の腹にヘッドマークのごとく、
キャラクターが配された丸いシールもあり、いすみ鉄道とどんな経緯があるのは不明だが
別名「ムーミン列車」は千葉のムーミン谷を走るという。

いすみ鉄道といえば、詳しいところはwikiなんたらを参照してもらうとして
日々、ブログを更新する社長は公募で選ばれた元海外の航空会社勤務だった人である。
社長のブログは一読する価値がある。一通り読んだが、鉄道を観光ツールとしていく考え方は
巧みな文章もさることながら、思わず頷いてしまう説得力がある。

「人が乗らないから赤字になるのではなく、魅力を引き出さないから赤字になる」
赤字を脱するための策として、鉄道を観光ツールとして活用していこう、というのが
この社長のいわば、経営方針ともいえる。


【いすみ鉄道 社長ブログ】:http://isumi.rail.shop-pro.jp/


ぬれ煎餅で車両の検査費用を賄った事で一躍、全国的に有名になった銚子電鉄とは
もちろん歴史は異なるが、鉄道を観光資源にという考えは共通しているように思える。

始発駅である大原で一日乗車券を購入。お土産屋を兼ねた観光案内のスタッフに
降りるのにお勧めの駅を教えてもらったが、途中下車はどこか一駅にしないと、小湊鉄道に
乗り継ぐ予定としている身としては時間的に厳しそうだ。

途中の大多喜で途中下車しよう。正確にはデンタルサポート大多喜という駅名だ。
歩いて15分のところに大多喜城があるため、ホームには兜姿の武士と忍者姿の人形が
2体が出迎えてくれる。雨が降っているためか、他に観光客の姿は見かけない。

大多喜城。お城の中は資料館になっているが、正直なところ地味な城という印象だ。
小田原城や大坂城のような大抵の人が知っている城とは言い難い。

展示されている昔の町並みを再現した模型や資料を見る限りではもっと東京のように
栄えていてもおかしくないと思えるのだが、なぜか発展せずに今に至っている。
大多喜駅周辺も商店が並んで、ちょっとした商店街を形成していた歴史があるようだが、
当時の賑わいは続くことはなかった。だが何かの契機で機運が高まれば、第二の首都圏として
栄える可能性はありそうな気はする。

お昼ご飯は駅へ向かう下り坂の途中にあった店で鹿なんばんそばを注文。

店を出てから雨の中を駅へ戻るが、まだ時間があるので、駅前の「番所」という名の
カフェで食後のコーヒーとアイスクリームを食べる。

次の列車で終点の上総中野へ。すぐに14:00発の小湊鉄道に接続しているが、
あえてこの列車を見送る。次の列車は3時間後であり、この日の最終列車になる。
小湊鉄道は五井~上総牛久までは1時間に1本の頻度で運転されているが、
上総牛久から運転本数が激減する。始発から終点まで通しで運転されるのは4往復だけ。
次の17:15発が出てしまうと、ここから発車する列車はなくなってしまう。

3時間もどうするかいうと、ウォーキングがてら旅館の立ち寄り温泉に入ろうという目論見だ。
距離は6kmばかり。往復2時間なので、向こうでゆっくりと温泉に入れる計算である。
雨が降っているので傘を差しながらとなってしまうが、日ごろの運動不足を解消するためにも
こういう機会は無駄にする手はない。

当然ながら、歩いている人など皆無。通り過ぎるのは車ばかりだ。
路線バスも走っているが、残念ながら今日は運転日ではなかったらしい。

ひたすら歩く。雨なので周りの景色を楽しむ気分はあまりない。というより、楽しむ景色ではない。
ここは車なり、バスなりで通り過ぎた方が正解のような気がする。

1時間ほどして目的の旅館郡が見えてくる。もうすぐ15時なのできわどい時間帯だったが
最初の2,3軒ではすでに終わっていると断られ、次の旅館でどうにかお湯にありつける。
歩いた後に湯船に浸かるのは気持ちいい。だが帰りの列車のことも考えると、それほど
ゆっくりとはしていられない。湯上りに缶のカフェオレを飲み干すと、来た道を引き返す。

結局駅近くには列車が発車する1時間も前に到着してしまったので、近くの喫茶店に立ち寄る。
看板があるので喫茶店に違いないが、店構えがもろ普通の住宅だったので営業しているのかと
開いている玄関を恐る恐る覗いたが、奥から店員のおばさんが出てきた。

コーヒーとケーキを注文するが、他に客はいない。
黙って座っているのも何だか間が持たないので、店員のおばちゃんと時間まで雑談する。
おばちゃん曰く、晴れていれば客足がもっとあるそうだ。この喫茶店に訪れる客もあるという。
どんな流れでそうなったのかは覚えていないが、年に一度だけ海外旅行に行くことがあって、
トルコの日本人に対する親切ぶりにはたいそう感動したという。日本人が旅行して大変
居心地のよい国だと何度も力説していた。こちらは残念ながら海外旅行にはまだ興味がない。

このままだと列車の発車時間になるので、店を後にする。
5分ほどで駅に到着すると、すでに2両編成の気動車が扉を開けて待っていた。
無人駅故に、きっぷは発車してからやってくる車掌さんから購入する。昔ながらの細長の紙には
金額と駅名が並んで印字されており、専用の鋏で丸く穴を開ける。

列車はしばらく霧に出ている闇夜の線路を走っていく。車内はオールロングシートだが、
車両のレトロ感故に、東北本線の701系のような露骨さを感じないのが何だか心地よい。
ただし701系と違って車内にトイレがないので、今日のような車内でも肌寒い日は飲食には
気をつけないとトイレを我慢する羽目になる。

トイレは近いほうなのでやはり尿意を覚えるのだが、上総牛久でどうやら少々停車する
様子なので、急いでホーム端のトイレに駆け込む。なんとか無事に同じ列車に乗り込めた。

このあたりからいつの間にか市街地という雰囲気になる。
それまでガラガラだった車内も各駅で乗降客があり、車内は賑やかになる。
街中を走っていると先ほどまでの不安感はもう消えている。霧の中を走っている間は
全然違うところに連れて行かれるのではという変な妄想をしていたが、もちろんなかった。

帰ってから、購入したいすみ鉄道が販売している「い鉄揚げ」を食べたが、
これは大変おいしい。銚子電鉄のぬれ煎餅も良いが、こちらも双璧の一品だ。
量の割りに600円はちょっと高いが、これならあと3袋ぐらい買っても良かった。

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アキハバラではすでに市民権を得た感のあるメイドカフェに行ってみた。

【公式サイト】:http://maidreamin.com/shop.html

当初はアキハバラで昼ごはんを食べようと夜勤明けに出かけたのだが、
空腹故に頭の回転が鈍くなったのか、歩道でのメイドの客寄せに乗ってしまった。
案内されたのは夢の国につながるドリームシャトルという単なるエレベーター。

エレベータの扉が開くと、夢の国もといテーブルと椅子が並んでいるだけの空間。
そこに結構なご主人様が座っており、その周りをメイドが給仕もとい注文を聞きに来る。

まず、体験して一言。こちらがご主人様になった気分はあまりない。
我々は彼女達メイドのノリに乗りながら、注文した料理をひたすら食べるという拷問。

メイドは 風俗営業法という名の法律上、お客と一緒に食事をすることは禁止されている。
具体的には風俗営業法で「風俗営業」と解釈される行為が禁止とされている。

【引用元URL】:http://www.animeanime.jp/law/moe.html

たとえば、

■ 特定少数の客の近くにはべり、継続して、談笑の相手となったり、酒等の飲食物を提供したりする行為
(客の注文に応じて酒類を提供し、これらに付随して社交儀礼上の挨拶を交わしたり、若干の世間話をしたりする程度の行為は除く)

→ そのため、特定のメイドを独占して談笑することはできないそうだ。
   というより、最初に名前を聞かれるときか、注文した料理を持ってくるときのしばしの時間
   会話にならないやりとりがあるのみである。


■ 客とともに、遊戯、ゲーム、競技等を行う行為

→ メイドカフェが登場した当初はどの店もあったようだが、
   今回の夢の国も例外ではなく、メニューにはなかった。遊戯はないが、特定の料理を
   注文すると、ステージでメイドと写真撮影できるサービスはあった。
  

■ 客の口許まで飲食物を差し出し、客に飲食させる行為等の行為が風俗営業に該当すること

→ とういうことで、夢の国ではこのサービスはありませんでした。


と、書いてしまうと夢の国のメイドから営業妨害ですよ、ご主人様!とか訴えられかねないので
このあたりにしておくが、これらを知らずに3人前のギガントスパゲティ ぼろねぇ~ぜを注文。
朝から何も食べていないので何とか完食したが、メイドも一緒に食べてくれるものと思っていた
ので、メイドたちが、「おいしそう~♪」とか、「食べたいな~♪」と萌え声?で言いつつ、
メイドが通り過ぎる光景は何とも不思議で、残すなんて許さないからね!ご主人様!と
言われているような気がしたが、気のせいだ。

メイドの中にはリーダーもとい、夢の国の女王と位置づけられるメイドがいて
このメイドさんからマヨネーズによる「がんばれ」応援をされてはますます食べ残す訳には・・

というわけで食事をしながらメイドにいじめられてるような感覚が好きなドM男性諸君なら
ご来店をお勧めしよう(笑)

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最近、ほとんど歩いていない。
体力をつけるためにも近場のルートとして選んだのだが、実は初めての道かと思ったが
以前にも歩いたことのある道だった。

歩いて丁度2時間、浅間神社の境内で一休み。
子供達の大切な遊び場になっており、集会場として使われている建物から子供達が出てきた。

伊勢原に住んでいた頃は、こうした神社や公園、集会場は子供達や近所の人たちが集う場で
道灌まつりや公園での盆踊りに向けて、決まった時間に集会場で太鼓の練習をした小学校時代がなつかしい。十数人が集まるので、乾いた竹を太鼓代わりに叩いて練習
した記憶がある。その「子ども会」と呼ばれる集まりも、今の地に引っ越したのに前後して
無くなってしまった。集会場があった場所は公衆トイレになって、昔の面影はほとんどない。

体力が回復してきたので、先に進もう。
歩いて3時間くらいが経過したところで、住宅の数は減っていき山間に入っていく。
右にカーブしながら、上り坂になり、トンネルになっている光景を見て、前にも通った事があると
思い出す。記憶力も体力とともに落ちているのかもしれない。

ならば、ウォーキングをして体力とともに記憶力も維持するように心がけるようにしたい。

このトンネルを抜けて、さらにしばらく歩いていくと、トンネルが連続する区間に続く。
ここまで来ると、宮ヶ瀬は近い。最後のトンネルを抜ける手前の橋から右手を見下ろすと
宮ヶ瀬ダムのコンクリート壁を見下ろす事ができる。

せっかくなので、休憩しつつ宮ヶ瀬ダムを観光することにした。
アトラクションの如く、2つの乗り物が楽しめる。ダム湖を往復する遊覧船とインクラインだ。
インクラインはダム建設時やダムの堤体外部を点検するために使用されるものだが、
ケーブルカーみたいなもので乗車券を購入すれば、誰でも乗れる。

宮ヶ瀬ダムに関する資料館があり、中は食事もできる食堂がある。
時間があれば、ゆっくりと食事してから遊覧船にでもと思ったが、食事をしている時間はない。
遊覧船で往復して戻っても、閉店時間ギリギリなので、慌しいので今回は断念。

遊覧船に乗り込む。鉄道で旅をしている癖で、一番前の席に座ってしまう。
それよりもカップルや家族連れが多い中、若い男が1人は妙に浮いている。
最前席で視線をあまり意識しなくて済んだのは、結果オーライだった。

やまびこ大橋が見える直前で、遊覧船はエンジンを切ってゆっくりと停まる。
近くの崖によく見るとシカの姿。小田急線がシカで遅れた事があったが、北海道だけでなく
こちらにもシカがいるのはどうやら本当だった。

湖畔エリアに近づくと、正面には「水の郷大つり橋」と名づけられたつり橋が出迎える。
結構な高さがあって、渡ってみると遊覧船で横断してきたダム湖を一望に見下ろす事が出来る。

つり橋だけなく、夏の厚い日なら水遊びが出来る池や噴水があるのでちょっとした避暑スポット
として賑わっている事だろう。「ミーヤ号」という名の機関車が線路もないのに走っている。
鉄道オタクとしては是非とも線路を敷いて走っていただきたい所存です。

奥の幅が広い階段は足を踏み外したら、下まで落ちて助からない気がして少々怖い。
階段の途中から振り返ると、中央の芝生では主に家族連れが思い思いに遊んでいる。
観光スポットであり、運動公園のような使い方もされている。

階段を上ったところには食事が出来る店が並んでいる。味については期待しない。
しかし何も食べていないので、遊覧船の出発時刻までラーメンを食べることにした。
ラーメンは無難な味だった。若い男が1人でやってくるような場所ではなさそうだ。

遊覧船で再びダムサイトへ。どうやらバス停まで向かう行程でインクラインが使えそうだ。
乗車券を購入して最終便のひとつ前の便に乗り込む。私が乗り込むと扉が閉められ
ケーブルカーのようにゆっくりと急な線路を降りていく。これは鉄道と呼べるのか。

下まで降りたら、後はバス停に向かうだけだ。
振り返ると先ほどは国道から見下ろしたダムのコンクリート壁を今度は見上げる形になる。
新石小屋橋を渡ってまたしばらく歩くと、右手の中津川に沿って歩く形になる。
さらに歩いていくと、宮ヶ瀬ダムの出入り口となっている門を通り過ぎる。

そしてそのまま道なりに出ると、大きな通りに出る。国道412号線だ。
すぐそばに中津川を跨ぐ愛川大橋がかかり、バス停もその名前になっている。

残念ながら、帰りも4時間かけて歩いていく体力はさすがに無かった。
無理をして、途中で歩けなくなるよりはここは素直にやって来るバスを待つことにする。

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【北海道&東日本パスの旅 12日目】さらば東北本線 (下)






いよいよ新幹線ばかり客が流れるばかりで、鈍行列車を潰そうとしているようにしか
私には見えない。地元利用者は不便を強いるばかりなら、新幹線など造る必要はないように
思うときがある。新幹線に乗って移動時間は短縮したが、人は急かされるようになった。
旅行者も新幹線の停車駅まで一気に乗ってしまうから、途中でふらっと寄り道するという
考えは無くなる。観光客の流れが固定されてしまって、有名な観光地以外には金を落とす
ことがないので、安定して栄えている街とそうでない街の格差がどんどん広がっていく。

11:06発の一ノ関行きは2両編成。IGRいわて銀河鉄道が遅れても接続はしないだろう。
新幹線の客だったら遅れても接続するに違いない。観光客と地元客が混じった車内はすでに
席は埋まっており、揺れる車内で立っているのは少々憂鬱な気分になる。

JRとしてはこの東北本線も宇都宮まで第3セクター化したいに違いない。
最低限の車両を走らせて、利用者が減少すればそれで自然消滅していく。
国鉄からの経営方針のまま、今もどこかで線路は消えようとしている。

都市をつなぐ幹線なのに、ロングシートだけの無粋なステンレス車両に乗っていると
景色もあまり楽しめないこともあってか、どうしてもプラスの思考に向かなくなる。
それでも来る列車が乗れるかどうかが不安だった時代に乗っていた宮脇俊三氏から見たら
いつでも乗れるだけ贅沢だ、とお叱りを受けるかもしれない。だが、当の宮脇氏も作品中で
ロングシート車両に乗ったときの景色の楽しみ方に苦労されていた事が書かれている。
座って首をひねるのはしんどいので、仕方なく立って景色を楽しむという按配である。

各駅で地元利用客が降りて行く。車内を見渡す限り、地元の若い人は少ない。若い人を
見かけたらそれはおそらく私と同じく旅行者であろう。
手ぶらでポーチを着けている人、スポーツ新聞を広げている帽子をかぶったおじいさん、
見た目は行儀が良さそうな老人の方々。そしてトイレ付近には若者の2人組。
2人組は旅行の途中か、帰るところだろうか、暇を持て余している様子である。

先頭から2つ目のドア付近にももう一組の若者が立っていた。席が空くとすかさず座った。
また例のメルトダウンが発生しそうな予感なので、トイレにこもる。

村崎野を過ぎると学生さんの白いシャツが目だって混雑するが、次の北上で大半が下車。
このロングシート車両に乗るのも今回が最後になるだろう。
すぐ向かいで居眠りをしている若い女性の足元にはアスパム物産の青い袋。青森駅から
少し歩いたところにある三角形が特徴的な建物が描かれている。ずっと乗っているように
記憶しているが、もしや同業の士なのだろうか。鉄道ブームに沸いてきているそうだが、
若い女性が土産袋を携えて鈍行列車に乗っているのは、正直まだ違和感がある。

若い女性はもう1人の女性と2人組の様だが、彼女達の今日の日記には東北本線の車内で
ほとんど居眠り(笑)、という内容になるのだろうか。

水沢で降りていったカップル。黄色いチェック柄のスカートから出ていた足は異様に細く
見えた。女の子は無理にダイエットでもしているのか。変に心配になってしまう。
風に揺られてホームの風鈴が響く。ドアが閉まるとともに聞こえなくなった。
こうしてロングシートに座っていると、鉄道で旅をしようというキハ、じゃなかった気は
起きないだろうと思っていたが、しばらくして再び禁断症状が発生するから困った事だ。

この10日間ほどの旅で原生花園や止別の食堂や北浜の喫茶店で雨に降られた日を除いて
幸運にも天候には恵まれた。天気予報によれば、今月一杯は暑さが続くだろうという。
入道雲を見る限り、確かに暑さはまだまだ続きそうだ。
乗り潰しと北海道を満喫するべく避暑の目的も兼ねた旅だったのだが、北海道の予想外の
暑さに避暑の目的は全く果たせなった。しかし予想以上に自分としては夏の北海道を
腰を据えて満喫できたことに大変満足している。今後は足を向けることはあるだろうか。

青森を早朝に出発して鈍行を乗り継ぐと、一ノ関で昼飯の時間帯になる。
以前の旅では駅弁を買ったのだが、ロングシート車両で食べる気分も勇気もなく、
結局仙台のベンチでもそもそと食べた思い出が蘇ってきた。
仙台では駅弁以外の選択肢として、30分の間に改札付近で食べられる店に入らないと
いけない。どうしたものだろうか。

一ノ関では再びロングシート車両の仙台行きに乗り込むことにする。
客車時代のボックスシートならまだしも、ロングシートで背中を丸めてコンビニで買った
おにぎりをほおばる光景は何だか滑稽に見えてしまう。しかし特急列車もない東北本線
では選択肢は他にないのだ。

もちろん常磐線から特急列車で上野までという選択肢はある。
新幹線ほど金をかけたくないけれど、少しなら時間を掛けて旅をしたい人たち向けにも
せめて盛岡から仙台まで特急列車を走らせることはできないのだろうか。

ロングシートの埋まり様を見れば、シーズンならクロスシートの需要はありそう。
583系のようにとは行かないが、臨時の快速列車でクロスシートなら景色は単調でも少々
旅情を感じることが出来るかもしれない。鉄道旅では車両は結構影響していると思う。

ロングシートが停車するホームでは駅弁を売っている。特急列車でなくても我々の一部が
ロングシートで食べる需要が少なからずあるからだろう。そばやうどんのスタンドもある。
だが、立ちながら食事はしたくない。座ってゆっくりと味わって食事をしたいのだ。

発車間際になると、ロングシートは地元客と観光客でほぼ埋まる車内。
相変わらず、先ほどの鉄道地図帳の女性は立ちっ放しで前面展望を楽しんでいる。
もしかして東京まで一緒の列車かもしれない。もう1人前面展望を楽しんでいるのは帽子を
被った少年。ハーフパンツにTシャツの格好だが、どうやら荷物が置けそうなスペースを
有効活用して食事をしながら前面展望をしているようだ。次回乗る機会があれば、この
アイデアを活用させて頂くとしよう。

先ほど乗ってきた列車とは違い、こちらはそれほどの混雑ではない。
席が埋まり、少々の立ち客が端に寄って立っているという状況である。

花泉。おばあさん2人がゆっくりと慌てる様子もなく降りていく。反対側のホームには
制服姿の女の子2人が列車を待っている。RED BEAR率いるコンテナ列車が視界を遮る。
油島。待ち人はおらず。静かにホームを離れていく。小田急よりも静かに。
先ほどの帽子の少年はすぐ隣に座ったが、よく見ると肌が荒れている。アトピーだろうか。
向かいの中年男性はTシャツにジーパンという格好だが、どこかへふらりと散歩なのか
小さな鏡を見ながらあごの下あたりの毛抜きに勤しむ。トイレでやれよ、と心で呟く。

貨物列車とは何度かすれ違うけれど、RED BEARのコンテナ列車しか見かけない。
それだけコンテナ車両で輸送する需要があるから、JR的には喜ばしいこともしれないが。
510形と呼ばれるこのタイプの機関車はどこでも良く見かけるようになった。勢力範囲は
拡大しているらしい。最近、JR東日本が初めて開発した510形をベースにした北斗星色と
カシオペヤ色も運行についており、撮影してみたいと思う今日この頃だ。
EF81形の置き換えとして開発されたが、初めはあまり好きにはなれないかなと思ってたが、写真や実車を見ているうちになかなか良いデザインではないかと思える様になってきた。
しばらくすれば、この付近も彩り豊かな510形が牽引する貨物列車が走るようになるだろう。
小牛田。一ノ関同様に離れたホームに停車している4両編成。一ノ関や盛岡と同じように
乗換え時間はあまりない。この列車も立ち客は少ない。席も所々で空いている。
向かいに座る中年女性の3人組は東北旅行の帰りらしいが、旅行の話は聞こえてこない。
女性は年齢に関わらず、旅行よりも同性の他人の話題に強い関心があるらしい。
男性同士のグループと女性同士のグループでは後者の団結力は圧倒的だ。時間の使い方も、生き方も実に合理的だと感じる。合理的に生きる人種なのだと私は思っている。
おしゃべりに夢中に見える女性陣もさりげなく周囲は観察している。たとえば向かいの
3人組のように。だからこれが若い女性のグループだと、まるでこちらが会話を盗聴して
いるような変な罪悪感というか、気まずさがある。途中で下車してくれると安心する。

松島を出るとトンネルとトンネルの間から左手に海が広がっているはずなのだが、
曇っていて見えなかった。晴れていればわずかな区間ではあるが、景勝を楽しめる。
地元利用者は高齢者が多い。男性諸氏は3タイプに大別できるかもしれない。
サンダルと帽子とスポーツ新聞のぶらぶら系、リュックやトランクケースで出かける
ハツラツ系、そして少数派の品の良い紳士である。どのタイプに属するかは育った環境、
人間関係で分かれていそうだ。

仙台。ここでは次の列車まで30分ばかり時間が空く。S-PALの地下レストランでカレー南蛮
を注文した。旅の最後をケチケチしても仕方ないので、生ビールもついでに注文。
15:02発に乗っていく予定だったが、15:18発の原ノ町行きに乗ることにした。
少し帰りが遅くなってしまうが、ゆっくりと常磐線で帰ることにしたのだ。

発車間際に乗り込むと分かってはいたが、席は埋まっていて少々混雑している。
大半は地元利用者だろう、車内は生活臭で満ちている。
館腰。白きシャツの学生さん4人、車内前方にはあずき色のジャージ軍団。中学生か。
場所と列車は違えど、学生さんの雰囲気に大差はない。亘理。学生さんが大勢下車する。
台風の影響を心配したが、雨は降っているが、これなら今日中に帰れそうである。

新地。先ほどの白いシャツの4人はまだ立っている。原ノ町まで行くのだろうか。
別の学校の学生さんが乗って来る。トイレそばのロングシートでは行儀悪く中年の
サラリーマン風が座席の上に足を伸ばしてくつろいでしまっている。常磐線らしい光景。

駒ヶ嶺。先ほどの4人とともに他の学生諸君も降りていく。
ようやく空いたボックスシートに座ると、隣のボックスシートでは1人、制服の女の子が
口を開けたまま上を向いて気持ち良さそうに居眠りをしている。

相馬。学生さんの団体が乗り込んでくる。ボックスシートは女の子4人で埋まるだろう。
彼ら地元利用者に譲るというより、ロングシートからなら会話が聞こえてきても
変に気まずい思いをせずに済む。お互いにボックスシートの背凭れで見えないからだ。

女子高の教室は今乗っているような車内のような状態なのだろうか。
乗客の大半は学生さんで占められる。放課後の教室のような雰囲気の列車は相馬を発車。
単線故に下り列車とすれ違いのために、途中4分ほど停車する。以前乗ったときも同じ
列車だと思ったが、これほどまでに学生さんの姿があっただろうか。前に乗ったときは
たまたま夏休みに入っていて学生さんが少なかっただけに違いない。

北海道と比較する意味はないのだが、やはりこちらは人が多い。稚内でキヨスク店員の
おばちゃんの話を思い出す。娘さんが一旦東京に働きに出たが、結局は稚内に戻って
しまう気持ちが何となく分かる。人が多いとどうしてもストレスを感じてしまうだろう。
北海道にとって本州を「内地」と呼ぶように、東京は内地の中の内地、異国という目で
見ているのかもしれない。前方に目を向けると大胆にも床に足を伸ばして座り込む女の子、
人の目を気にする様子もなく携帯電話を弄っている。お行儀の悪さはどこも同じらしい。
山陰本線の旅で、出雲大社へ向かうバスから見掛けたが、横断歩道を会釈しながら
渡っていく小学生の女の子達の姿が幻に思えて来る。蟹田でも地元の男の子が顔を知らない
私にきちんと目を見て挨拶してくれたのも幻だったのだろうか。

床に座り込んだままの女の子はそのまま居眠りをしている。これくらい図太くないと今後
生き残れないのかなと変に考え込んでしまった。いや、ここ注意するところだろうが・・。

鹿島。大半の学生さんが降りていくが、まだ大半が車内に残っている。
結局、終点の原ノ町まで「常磐線放課後の動物園号」に乗り合わせてしまった具合だ。
「旭山動物園号」という易しいものではない。あちらは特に動物園へむかうこども達が
車内でも楽しめるように企画されたイベント列車だが、こちらは普段の生活路線だ。
彼ら以外の地元利用者で混んでいればまだ良いが、若い女性陣のおしゃべりを聞かぬ振り
をするのと同等の気まずさというか、見てみぬ振りをするのは精神的に疲れるものだ。

原ノ町。ここでいわき行きに乗り換える。引き続き学生さんの姿があるが、先ほどのような
動物園状態では無くなった。集団でなくなるとその静かさのギャップが激しい。
白い制服の女の子も携帯電話を弄っている分には大変静かにしている。

小高。学生さんが何人か降りていく。双葉で数十人の学生さんが乗り込む。
学校帰りの時間帯らしい。学生さんばかりが目立つ。よくみると改札付近にも同じ制服が
集団で群がっている。ここで動物園号は再び運行復活した模様だ。

常磐線は徐々に首都圏に近づいている。現実の世界に戻っていく。何だか淋しい気分だ。
夜ノ森。学生さんがまとまって吐き出されていく。園長格が降りたようで車内は再び
静かになる。富岡。雨が降っている。ここではまた別の動物が乗り込んでくる。
終点のいわきまでこの動物園号は運行される見通しらしい。
木戸を出るとわずかな区間だが海が見える。慌てていたら水戸と間違えるかもしれない?
だが、すぐに木々によって視界は遮られる。もう少し海に寄ってくれると奥羽本線の車窓
と同じような風景が楽しめそうだ。末続。常磐線で海の見える唯一の駅だろうか。
晴れていれば、青い海に誘われて一旦下車するのも良いだろう。四ツ倉までは海が見える
景勝ポイントだと覚えておくことにしよう。

いわき。水戸行きに乗換え。見慣れた車両に乗り換えるころにはすっかりと夜。
動物園号は水戸までの長い長い距離を毎日運行されている。これもよく覚えておこう。
単に学校帰りの時間帯に乗り合わせてしまっただけだが、夏休みなどの長期休暇であれば
もう少し快適に乗り通すことが出来るだろう。
仙台からずっと学生さんで混んでいる地元の小田急線に乗っているような気分だった。

湯本。学生さんの乗り降りしかない。しばらくこの光景は続きそうだ。
泉。ここでも学生さんがまとまって降りていくが、すぐそばに立っていた女の子2人組は
男子諸君が階段までホームを歩いていくのを確認してからドアを出て行った。後ろから
声を掛けられることを警戒しているのか。
向かいに座っている男性は時刻表を開いているが、同業者かもしれない。

勿来。ここで動物園号は運行終了。水戸まで続くと思っていたが、客は我々のような
乗り通しの客と新たに乗り込んできた客を足してもガラガラの静かな車内。
高萩。車庫には懐かしい京浜東北線の209系が留置されている。
時刻表を開いていたメガネの青年は、「こち亀」を読んでいる。
車窓にBOOKOFFの看板が見えると、何だか都会まで戻ってきたという実感が沸いてくる。

日立。ここで急に混みだす車内。大半が仕事帰りの地元客だろう。仕事が終わった安堵感
のような空気が満ちている。ガラガラだった車内は静かに混んでいる。
もう首都圏に入ったなと嫌でも感じてくる。旅の終わりも近いことを感じてくる。
佐和。どっさりと人が降りていく。仕事帰りと学校帰りが混じっている。沿線には
学校が多いのだろう、ほとんどの駅で学生さんの姿を見かけた。

水戸。上野行きに乗換え。いわきで駅員に尋ねたとおり、台風による影響を受けている。
それでも20:15発は3分遅れで発車した。遅れを取り戻そうと列車は出来る限り、スピードを
上げていくだろう。見慣れたステンレス車両に妙な安心感を覚える。

友部。上を向いて歩こうの発車メロディーとともにドアが閉まる。
この分だと小田急もダイヤ乱れが酷いことになっているかもしれない。

石岡。特急列車の通過待ち。3分ほど停車。土浦でも数分ばかり停車する。
ドア上の電光案内には他線の運休や遅延情報が流れているが、珍しく小田急はない。
ここ最近は遅延への回復には柔軟な対応をしている印象を受けるが、今回はどうやら
頑張っている様子だ。

ひたち野うしく。ここでも5分停車。遅れている特急列車の通過を待ち、4分遅れで発車。
しかし途中から快速運転になるので、遅れは取り戻せるかもしれない。ようやく取手。
ここから快速運転となり、日暮里で下車する予定だったが、南千住で足止めを食らった。

車掌の車内アナウンスによれば、三河島で線路内に人の立ち入りがあったためという。
飛び込みだろうか。旅の帰り道、小田急に乗っているか、小田急に乗り換える前に
時々遭遇しているような気がする。甚だ迷惑な話である。しかしこのままでは小田急の
終電に間に合わなくなる。そうなると、新宿あたりでもう一泊せざるを得なくなる。

仕方ないので、つくばエクスプレスで秋葉原に出る。
秋葉原から総武線で御茶ノ水、そして中央線の乗り換えて新宿というルート。
どうにか終電に間に合い、最後は何だか慌しい帰宅になってしまった。

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【北海道&東日本パスの旅 12日目】さらば東北本線 (上)

青森
6:10発

↓ 1524D 東北本線

8:16着
八戸
8:52発

↓ 4522M 青い森鉄道~IGRいわて銀河鉄道

10:54着
盛岡
11:06発

↓ 1536M 東北本線

12:35着
一ノ関
12:46発

↓ 534M 東北本線

13:33着
小牛田
13:38発

↓ 1564M 東北本線

14:24着
仙台
15:18発

↓ 248M 東北本線~常磐線

16:40着
原ノ町
16:50発

↓ 676M 常磐線

18:10着
いわき
18:30発

↓ 586M 常磐線

20:06着
水戸
20:15発

↓ 1464M 常磐線

22:19着(※線路立ち入りで足止め)
南千住
22:35発

↓ 5364 つくばエクスプレス

22:43着
秋葉原
22:49発

↓ 2113B 総武本線

23:53着
御茶ノ水
23:56発

↓ 2221T 中央本線
  中央特別快速

23:06着
新宿






とうとう帰る日がやってきた。当初計画した行程では10日間だったのだが、朝寝坊やら、
出発時間を勘違いしたやらというハプニングがあったために2日間延長となったが、
結果としていつも通過点だった青森にゆっくりと滞在することが出来た。

「あおもり駅」と大きく文字が掲げられた国鉄の雰囲気を残す駅舎も工事の真っ只中。
次回訪問した時には北海道の稚内駅のように、昔の面影を残っていないことだろう。
つい最近新幹線開業で沸いた新青森だが、青森駅周辺の街並みも変わるかもしれない。

その意味で新幹線開業前の青森の町に結果としてお別れすることが出来た。
次回青森に来たときにはいつかの寝台特急「あけぼの」で出会った中年女性が
教えてくれた黄色いりんごを見に行きながら、東北の未乗路線を乗りつぶしながら
戻ってくるという旅も悪くないだろう。今後実施する余裕があるかはわからないが・・

帰る日だったので昨日は早めに寝たのだが、すぐには起きることはできなかった。
もそもそと起きだして、身支度をしてチャックアウト。今日も晴れている。
しんまちアーケードを振り返り、そして駅舎へ向かう。

朝6時前のホームはさながら現役の(一部を除いて)国鉄博物館のようで面白い。
今まで意識していなかったが、よく見るとこれは貴重なシーンだ。
急行はまなすの青い客車、特急いなほの485系、特急つがるで使われるE751系による
普通列車運用、ロングシートでおなじみの701系、そして白地に赤帯のキハ40系。

他にも同じように考えている若い人や中年男性がカメラを持って歩き回っていた。
いつものように通り過ぎていたら、こうしたことにも気づかないところだった。
そして新幹線開業によるダイヤ改正で、一部の車両は青森でお目にかける機会は
無くなってしまうに違いない。

急行はまなすは青い客車から赤いディーゼル機関車を切り離しているところだった。
切り離されたところで、蟹田方面から、蟹田行きのキハ40系がホームに入線する。

東北本線を南下する普通列車で唯一のキハ40系。八戸までの送り込み回送を兼ねている。
急行はまなすからの乗り換え客で座れないと予想していたが、ボックスシートに
それぞれ一人埋まるか埋まらない程度で余裕で座ることが出来た。

進行方向右側の席に座ると、これも八戸からの送り込み回送を兼ねて客扱いする
キハ40系とのすれ違いを見ることができる。
3両編成は東青森で数人拾っていく。記憶が確かなら、これから学生さんの団体で
一気に賑やかな車内になるはずだ。

小柳。11人乗車。通勤客、観光客が混じる車内。駅前には団地が見える。
あちらは終点と途中以外は山の谷間をゆっくりと走る。谷間を走る間はともかく、
駅前にも民家が見当たらなかったから、本当に利用者がいるのかと疑ってしまう。
こちらは対照的に各駅で客が乗り込んでくるから、徐々に車内は混んでくる。

右手から朝日が昇ってくる。水墨画のような山と手前に広がる田んぼ。
太陽が右手にあるから一瞬方向感覚がわからなくなるが、これから左へと移動するはずだ。

野内。中年男性が一人乗車。昔の客車長編成の名残だろう、ホームは不釣合いに長い。
トンネルを抜けると左手には海が広がってくる。波は静かに穏やか。これが夏だったら
砂浜にはテントやビーチパラソルが点在して、海水浴客で賑やかな様子が見られるだろう。

浅虫温泉を発車してから貨物列車とすれ違い。小湊。ホームには学生さんが待つ姿が見えた。
2人ほど下車して向かいのホームにある改札口へ階段を降りていくのが見えた。
向かいのホームには地元のおばあさんが3人ばかり列車を待っている。

清水川。2人ほど下車。後方車両に学生さんが乗り込んでいる様子だ。
周りのボックスシートをそれとなく見回すと、外国人と日本人で2人組の女の子の
座り方に違いがあるようだ。前者は同じ席に並んで、後者は互い違いに座るらしい。

北海道で見た入道雲はこちら側では一足先に秋空が広がる。
うろこ雲を見上げていると北海道との別れとは違った淋しい気持ちになる。
何だか空しい気持ちが正確なところか。

野辺地。学校や職場があるのか、大湊線への乗り換えか、特急列車へ乗換えだろうか
大半の客がこの駅に降りていく。先に特急列車が発車していく。
発車直前になって、白いシャツの学生さんが乗り込んでくる。学生さんで混む後方車両を
避けて前寄りの車両に乗ったのだが、どの車両でもあまり変わらないようだ。

野辺地にはリュックを車内に置き忘れた時にはお世話になった駅だが、ああした機会が
ないと降り立つ事もないだろう。今は青い森鉄道の駅になっているはずだ。
こちらも結果的に東北本線のうちに降り立つ機会があって良かったのかもしれない。

すぐ後ろのロングシートまで学生さんのお喋りで賑やかな車内。しばらくはご当地BGMが
流れていることだろう

千曳。制服姿の女の子2人がホームで待っている。一見森の中にあるような駅にも利用者は
いる。北海道では駅前にコンビニもTSUTAYAも何もない背の高い草の間に出来たた道の奥へ
消えていく制服姿の女の子の風景を見てきているから、驚きはしない。
千曳を出てしばらくすると、記憶したとおり青森方面に走るキハ40系の4両編成とすれ違い。

乙供。この車両もいよいよ学生さんの団体で混んできた。
キハ40系で3両編成なのは、もちろんこうした大口のお客さんが利用するからだ。
ただし、そのお客さんも年々減少してきている。青い森鉄道になって運賃は値上がりしており
今後の利用状況は明るいものとはいえないだろう。こうした車内風景もあと数十年先には
昔話のようになっているかもしれない。

ボックスシートが相席になるのも知っているので、驚くことはない。
すぐ隣で聞こえてくる男子諸君の会話は麻薬だの、覚せい剤の話で青春らしい話題ではない。
他に話すことはないのか?告白しようとして女の子の話とか、時刻表の話(?)とか。
せめてオ●ニーとか、セッ●スの・・・いや、何でもない。

私も「麻薬」の常習犯ではあるけれど。もちろん列車の旅という麻薬だけど。
手を出すと足を洗うのが難しい意味では、麻薬だと最近思うようになった。

上北町も学生服。前回も同じ列車に乗ったときには思わず、次の小川原で降りてしまったが
降りて次の列車に乗っても、八戸では同じ列車に乗り継ぐ事になるので行程に影響しない。
青海川を撮影したときのように、一駅だけ降りるのであれば朝の通勤・通学時間帯であれば
けっこう容易に行程を組める場合が多い。他の路線でもあるかもしれない。

相変わらず学生さんが発するご当地BGMで賑やかな車内。八戸までかと思ったが
三沢でそのBGMは打ち切りとなった。つまり一斉に下車していったのである。
小湊~三沢が通学圏ということになるのだろう。向山で701系青森行きと同時に発車する。

前方のロングシートでは若そうなメガネの女性が本を広げている。鉄道旅行の地図帳だろう。
乗りつぶしの道中と思われるが、女性の参入が増えてくれば明るいイメージで鉄道ブームの
息はまだまだ続くかもしれない。

下田。高校生と思しき女の子が一人降りていく。何だか不機嫌そうに。そう見えるだけか。

終点の八戸。座って食事が信条としては使うことはないが、他になさそうなので仕方なしに
立ち食いそばで朝ごはんとする。めかぶそばを食べたためか、腸が動き出す。(食事中失礼)
乗り換え列車まで間に合わずにメルトダウン・・・列車内のトイレでパンツを替える。
替えのパンツを持っていて良かった・・どうも旅慣れるとこうした事故に遭遇してしまう・・

第三セクターのロゴが入ったどう見ても701系を塗り替えただけという無聊な車両だが、
オールロングシートではなく、うまくすればクロスシートに座ることも出来る。
トイレに入っている間に列車は動き出したが、これを書いている今はこの車両が盛岡まで
足を伸ばして毎日運行されていることだろう。

苫米地。おばあさんが1人下車。剣吉では学生さんが2人下車。
先ほどのメガネの女性は前面展望を楽しんでいる様子だ。
金田一温泉。「きんだいち」と読みたいが、「きんたいち」と読むんだとか。2人下車。

斗米。遠足だろうか、赤い帽子を被った園児の団体さんが乗り込んでくる。
二戸で13分停車する。ここで貨物列車を待つはずだ。元々はJR路線だったのだが、そこを
JR貨物に待たされるのは何かの皮肉なのだろうか。

途中の陸橋ではおばあちゃんに抱かれた女の子が手を振っていた。
貨物列車以外にはこのセミロングシートの車両しか走らない面白味のない路線である。
車両は旅情に影響すると思う。だからこの路線は途中下車などしたくない。
すれ違う貨物列車はRED BEARが先頭を率いるコンテナ車ばかり目にする。

一戸。地元らしき人が何人か乗り込んでくる。小鳥谷でも何人か降りていく。
小繋。駅名版はIGRいわて銀河鉄道のものになっているが、行灯型の駅名看板があったりと
JRだった頃の名残が残っている。奥中山高原。何人か乗り込んでくる。
朝早く起きた為か、いつの間にか意識がなくなっていた。気づくと盛岡に着く直前。
目の間に立ち客がいる程、車内は混雑していた。乗り換え時間はあまりない。
鈍行乗り継ぎの客は想定されていない。新幹線からの乗り換え客だけを想定している。
JRから経営分離しても設備は今までのものをそっくり使うのだから、運賃を値上げした
ところで利用客が増加するとは思えない。乗り換えも誤乗を防ぐためか、わざわざJRとは
距離を離しているのは鈍行の利用客にとっては乗り換えに時間がかかって不便なだけだ。


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【北海道&東日本パスの旅 11日目】江差線とともに

青森
7:30発

↓ 4041M 津軽線~海峡線
  特急 白鳥41号

8:38着
知内
9:39発

↓ 4014M 海峡線~津軽線
  特急 スーパー白鳥14号
  
10:23着
蟹田
10:25発

↓ 4095M 津軽線~海峡線~江差線
  特急 スーパー白鳥95号

11:19着
木古内
11:27発

↓ 122D 江差線

12:34着
江差
13:13発

↓ 125D 江差線

14:19着
木古内
14:31発

↓ 4026M 江差線~海峡線~津軽線
  特急 スーパー白鳥26号

15:17着
蟹田
16:28発

↓ 340D 津軽線

17:13着
青森






朝5時に目が覚める。窓のないカプセルホテルにしては目覚めは悪くない。
昨夜は早く寝たからだろう。窓から工事中の青森駅が見える。
路面が濡れているのは、昨夜から雨が降っていたらしい。

乗る列車の発車時間を勘違いして急いでホームに下りたのだが、特急列車がいる。
しかし発車してからこれが乗る予定だった普通列車だと気づいた。特急つがるに
使われる車両だが、車両運用の関係で蟹田まで回送を兼ねて客扱いしているのだ。
その事を頭の片隅に入れてあったはずだが、慌てているとどうしても見た目だけ
判断になるから、車体の色やデザインにかなり影響される。

仕方居ないので、乗り換える筈の特急列車に別途980円を払って乗るしかない。
本日の計画では再び知内駅に降り立ち、一旦蟹田に戻って今度は木古内へ。
そこから江差線を往復して再び、青森へ戻ろうというものだ。
蟹田での乗り換えが上手くいくのが少し心配ではある。

特急列車の自由席は2号車と3号車だが、2号車にはぽつぽつと座っている程度。
後方の4号車~7号車の指定席には函館まので修学旅行だろうか、小学生だが
中学生だがの団体さんで埋まっている。車内から窓越しには蟹田からの普通列車が
485系でやってきた。こちらも回送を兼ねて客扱いしているのだろう。
発車数分前にも、701系が弘前行きとしてホームに到着。白いシャツ軍団の男女は
これから学校に向かう学生さん達と思われる。また、別の学校と思われる修学旅行の
団体も歩いている。

発車すると青い客車や赤い電気機関車が一仕事終えて休んでいる。
これら回送列車を見て、後方車両の一部が騒がしくしているに違いない。
さらに進むと向こうに新幹線の高架が見える。新青森まで開業する新幹線はこの
高架を伸ばして北海道は札幌まで乗り入れる予定を立てている。
青函トンネルを越えて、新函館までは乗り入れが確実視されているが果たして?

大雨が降ったためにローカル線の急勾配を登るようなゆっくりとしたスピードで
特急車両は走っていく。安全確認のためらしいが、蟹田や知内で待っている人は
列車が来ないことを不安になりながら待っていることだろう。
蟹田でも修学旅行の団体さんが乗り込むようだ。JRにとってはお得意さんである
彼らによって後方はさらに騒がしい車内となっているに違いない。

蟹田は青春18きっぷなどの特例乗車の乗り換え駅なので、さすがにこの自由席も
混んでくるのかなと思ったが、大半は指定席利用の地元利用客という様子である。
新中小国信号場を通り過ぎて津軽線を左手に見た辺りで、少しスピードが上がる。

トンネルに入ってしまえば雨は関係ないためか、ぐんぐんとスピードを上げる。
8:26。津軽今別に到着。何人かの利用客が乗り込み発車する。こちらの駅は知内と
違って、数人の利用客が見られる分、新幹線開業後も残るものと思われる。

車掌に尋ねると、知内には8時56分頃に到着するとのこと。
8:30。青函トンネルに突入。その5分後にはおそらく安全上ギリギリの最高速度で
竜飛海底駅を通過している。19分の遅れを少しでも時間を稼げるトンネル内で
取り戻そうというJRの意地のようなものを感じるのは私だけかもしれない。

8:41。トンネル最深部を通過。白い蛍光灯が等間隔にものすごい勢いで後方へと
流れていく。新幹線だとこれが一本の白い棒になったりするのだろうか。
そして北海道まで新幹線が走っているのが当たり前の世代からすれば、
急行「はまなす」や寝台特急「北斗星」で青函トンネルを行き来していた事は
青函連絡船のように昔話となってしまうことだろう。

8:45。吉岡海底を通過。あと5分ばかりでトンネルを出るだろう。
知内に到着。私以外に降りる客はいなかった。本当に廃止されそうな気がする。

昨日はあわただしく列車に乗り込んで青森に戻ることになった知内駅。
青森方面の列車が来るまで一通りの撮影をする。木古内方面のホームに続く
階段を降りた際に大きな黒い蜘蛛がぶら下って、通りすぎた後に見えなくなった
ので、一瞬後ろのリュックにへばり付いたのかと焦ったが、見上げると階段の
屋根付近まですばやく回避していた。

昨日は夕方だったから利用客もいないのだろうと思ったがこの時間でもいない。
9:44。5分遅れでやって来た青森方面の特急列車。私一人を乗り込むと、列車は
ホームをゆっくりと離れていく。人一人が立つのがやっとの狭いホームと
必要最低限の設備に地元の要請で仕方なく造ってやったという印象である。
新幹線開業で吉岡海底駅とともにこっそり同じ運命をたどるに違いない。

9:46。再び青函トンネルへ。前方車両に乗っていたと思われる学生さん2人が
後方の1号車へと通り過ぎていったが、後方展望も見られずにがっかりして
また戻ってくるだろう。案の定、照れ笑いの顔でまた戻ってきた。

9:54。吉岡海底駅を通過。ワゴンの販売員は先ほどと同じお姉さん。
この列車は先ほど降りた列車と同じらしい。函館からそのまま折り返して
きたのだろう。黒縁メガネをかけたその人は再び私の姿を見て、オタクで
あると判断したに違いない。覚えていればの話だけれど。

9:58。再びトンネル最深部を通過。10:04。竜飛海底を通過。
10:13。津軽今別を通過。もうすぐ蟹田に着くが、無事に乗り換えが出来るか。
ここまですでに遅れは取り戻したようで、こちらの発車を待ってからの
発車らしいが、階段付近のドアでないと間に合いそうにないだろう。
ドアが開くと同時に跨線橋を渡り、反対側ホームへと階段を駆け下りる。
函館行きは私が乗り込むとすぐにドアが閉まる。間一髪で間に合った。

もう心配ない。あとは木古内から江差線に乗り換えるだけ。
階段付近から駆け込み乗車したので、最語尾車両から自由席のある車両へと移動する。
指定席車両は中学生らしき団体さんで埋まっている。修学旅行シーズンなのだろう。
JRとしては大口のお客さんだが、年々人口が減っているので、将来的には違う学校同士で
ようやく席が埋まるという状況も笑い話ではなくなるだろう。

先ほど北海道入りしたばかりだが、再び蟹田に戻って再度の北海道入り。
鉄道好きでも余程の「乗り鉄」で時間が確保できなければやる人はいないに違いない。
蟹田を出て10:38。今回見かけるのが3度目となる津軽今別を通過する。

津軽今別から津軽線の津軽二股に乗り換えることができる事を知っている人は限られる。
乗換え案内を一切しないので、知る人知る裏技的な乗換え駅という扱いになっている
ような気がしないでもないが、特急列車の停車本数が少ないとはいえ、同じ場所ならせめて
同じ駅名に出来なかったのだろうかといつも疑問に思えるポイントである。
津軽線にも津軽今別より距離にして6kmのところに、今別という駅があるので紛らわしい。
津軽二股、津軽今別という駅名を見ると、「二股したから今は別れている」と想像して
しまうのは私だけなのだろうか。

10:43。青函トンネルへ。10:49。竜飛海底を通過。10:59。トンネル最深部へ。
11時丁度に吉岡海底を通過。11:11。トンネルを出て先ほど降りたばかりの知内を通過して
知内から約20km離れた木古内まではわずか10分で到達してしまう。この付近を特急列車は
時速100km超で飛ばしていることになるだろう。京急なら川崎~横浜がずっと続いている
ような感覚か。(マニアの視点で語るとこうなってしまう)

木古内では隣のホームに江差行きが待っていた。
同じホームには函館行きも待っており、しばらくキハ40系同士が対面する。
これから乗る江差行きは函館からの直通列車なので、予想したとおり席は埋まっていた。
この列車で終点の江差まで乗っていけば、北海道内の路線については全線完乗となる。

今日もよく晴れている。盲腸線なので来た線路を折り返すしかない。
だから景色は帰りに楽しむことにしよう。ロングシートでは私のような観光客と通勤者風な
客が混じっている。渡島鶴岡。誰も乗らず。吉堀。黄色く塗られた貨車駅が出迎える。
周囲は山と稲穂の田園風景。誰も乗客がいないホームを列車はゆっくりと発車。

勾配があるのか、列車はゆっくりと走っていく。
次の神明までは結構長い。箱根登山鉄道に乗っているような気分になる。ゆっくりと進む
から余計に長く感じるのかもしれない。トンネルの途中でスピードを上げたと思ったら
再びゆっくりと進んでいく。川が蛇行して渓谷を縫う形で列車は進んでいる。
民家がひとつも見当たらない。よく見たわけではないが、家らしき建物は見つけれらない。
谷を出て、神明に近づくころにようやく家が一つ。周囲に家が見当たらないところは
この家の住人のために設けられているのか。乗客は一向に増えない。これでは江差線が
海峡線の一部でなかったら、当の昔の廃止になってもおかしくないと思わざるを得ない。

新幹線が通れば、間違いなく木古内から江差の線路に列車が走らなくなる日はやって来る。
その意味では今回が最初で最後の機会になるだろう。

湯ノ岱。地元の老人が一人下車。ここで久留里線のようにタブレット交換の光景。
現役のものを間近で見るのは何とも新鮮である。桂岡。湯ノ岱の同じ規模で民家がある。
江差線がなくなれば、沿線住民は唯一の足を失うため、バス路線に転換するのだろう。
陸の孤島の危機に反して、客は乗ってこない。

終点に近づくにつれて民家も多くなってくる。中須田。地元のおじさんが一人乗ってくる。
上ノ国で青春18きっぷの老夫婦が降り、制服姿の女の子3人と男の子が1人乗って来る。
風景はそれまで山の中から開けてきて、市街地らしい雰囲気になっている。

制服姿と今乗っている地元の高齢者がいなくなると、この江差線も時刻表の索引地図から
路線バスを示す細く青い線になるだろう。江差の駅前に飲食店はあるだろうか。
目の前に広がる海を目の保養にそのまま折り返しの列車に乗れればよいのだが、さすがに
お腹が空いてきた。2時間でもあれば周辺を歩き回れるのだが、そこまでの時間は無い。
せめて食堂ぐらいの店はないかと思ったが見事に何もない。海を眺めてもお腹は一杯には
ならない。沿線住民のために存続しているとなれば、JR側が余計な店を作る訳はない。
駅弁は残念ながら諦めざるを得ないようだ。木古内までの特急列車のなかで、買うしか
手立てはなさそうである。発車3分前になって学生さん達が乗り込んでくるのはよくある
光景だ。駅で待っていても仕方ないことが分かっているから当然である。

終点の江差で何をするでもなく、乗り込んだ折り返しの列車は発車する。

Tシャツ姿の女の子と男の子2人は同じ学校仲間だろう。上ノ国直前まで広がっていた海は
やがて山に隠されて市街地に入る。上ノ国でおじいさんが1人乗車。中須田で2人が下車。
学生さんが鞄をリュックのように背負うのは、どこに行ってもたまに見る光景だ。
白いシャツと黒いズボンの今時な若者と杖をついたおばあさんという組み合わせが何とも
面白いが、ホームを歩き出して後ろを振り返ると構内踏切で列車通過を待っている2人の姿
がだんだんと遠ざかっていく。桂岡。乗客なし。「函館 76km」と道路に青い看板。
列車はゆっくりと進んでいく。でも木古内まで出てしまえば、今乗っている江差線が
北海道での本当に最後の列車旅になる。でも淋しくはない。木古内から知内まで歩いたし、
歩いているうちに気持ちの整理がついたのか、スッキリした気持ちでお別れができそうだ。

湯ノ岱。3人下車。おじいさんとおばあさんとカメラをぶら下げた太目の若い男。
カメラの人は観光客かもしれない。この江差線もIphoneの電波は圏外であることが多い。
地下鉄以外ではこれほど圏外になるのは北海道ぐらいではないだろうか。

吉堀までのトンネルも行きとは違って下り坂になるためか、少し早いスピードだ。
そのためか、行きとは違ってあっという間に木古内に到着してしまったという印象だ。
もう少しだけ、「ひらふ」で出会った38歳氏のように北海道を旅していたい気分だが、
帰らなくてはならない。行ったら必ず戻ってくるのが旅である。心の中でお別れの挨拶。

八戸行きの特急列車に乗り換えてしまえば、もう振り返る事はない。
戻るべき青森が長いトンネルの闇の向こうに続いている。14:38。知内を通過した。
北海道内最後の駅に数人のカメラマンの姿。中学生か高校生の学生諸君だろう。

青函トンネルに入ってから少しの間だけ、車内が暗くなったのはパンダグラフから離線
したのかもしれない。明日の自宅へと戻る旅に備えて、今日は早めに寝なくてはならない。
竜飛海底を通過したら本州はもうすぐだ。明日は東北本線で帰ることにしている。
東北本線は新青森までの新幹線開業と同時に盛岡からは第3セクターの青い森鉄道に移管、
時刻表の索引地図からは青森から盛岡までが細い線になる。所謂、お別れ乗車である。

これを契機に青春18きっぷも廃止か?という噂がネット方面では囁かれているが、
(これを書いている2011年2月時点では冬の販売はあった。果たして春はどうだろう?)
北海道への旅は今回で最後になると思う。

特急列車のデッキへの仕切り扉はタッチ式。だが、実はシールの部分にタッチしても
うまく開かない事がある。よく利用する客は実はドア横のセンサーを指で押すとうまく
開くことを心得ている。私もやってみたが、なるほど気持ちよくすぐにドアが開く。

蟹田。普通列車が来るまで1時間ばかり時間を潰さねばならない。
喫茶店でもあれば良いのだが、唯一の一軒は準備中。仕方がないので、ディリーヤマザキで
アイスクリームと缶コーヒーを買って、堤防に座って目の前の海を眺めることにしよう。

アイスクリームを食べていると、何かもらえるのかと期待しているのか白い鳥が何羽か
周りに集まってくる。だが一定の距離を保って、それ以上は近づいてこない。
なんだか若い女性的な鳥だなと感じてしまったが、何もくれないと悟ったのかしばらくして
順繰りに別の場所へ飛び立ってしまい、またも淋しい雰囲気になってしまった。

地元で見かけない余所者を観察するが如く、犬を散歩に連れて目の前を通り過ぎていく
おじいさんが1人。さらに反対方向からはわざとなのか、聞こえるような大きなくしゃみを
して威嚇(?)していたおじいさんが近づいてきたが、いつのまにかどこかへ姿が消えた。

それ以外に人の往来はなく、よく晴れている。

青森からは久々にキハ40系。蟹田では青森から来た三厩行きとすれ違うためにキハ40系の
並びが実現する。ボックスシートには各1人ずつ程度。前方のロングシートには白いシャツ
の学生さんが1人。郷沢。貨物列車と交換するために4分停車。
蓬田。地元と思しきおばさんとおばあさんが乗り込んで来る。2両編成の気動車は動き出す。
北海道の旅は終わった事を告げるかのように、右手から夕日が差してくる。
中沢。2人乗車。おばあさんともう1人は仕事へ向かう若い男性だろうか。
青森から特急列車で八戸へ向かうのかもしれない。あるいは東京へ出張だろうか。

後潟。若い女性が1人乗車。細めの黒いズボンと白いポロシャツという姿だったが、
私の鈍い目では高校生なのか、あるいは若い奥さんなのか見分けはつかない。
前寄りのロングシートに座った。
奥内。地元の若者と思しき男性が一人乗車。若者にとっては青森は東京のような都会として
何か用事をしにいく町なのだろう。
津軽宮田。3人乗ってきて、2人が降りていく。降りていく2人は高校生の女の子か。
紺のスカートがホームから遠ざかっていく。乗り込んだのはおばさん2人と若い女性。
昼間の時間帯はあまり乗客の変化がないのだが、この時間帯は青森へ向かう客が多い。
早朝の列車なら学生さんで混雑しているのかもしれない。
油川。学生とおばさんが1人ずつ降りていった。入れ替わりに制服の団体さんがわんさかと
乗り込んでくる。皆、青森に住む学校帰りの学生さんなのだろう。

次は終点の青森。すぐに夕食にして、早めに寝ることにしよう。

つくもノヲ”X="1≠ 574


【北海道&東日本パスの旅 10日目】 木古内→知内 18kmを歩いてみる

青森
10:57発

↓ 329M 津軽線

11:35着
蟹田
11:42発

↓ 4001M 津軽線~海峡線~江差線
  特急 スーパー白鳥1号

12:30着
木古内

↓ ※徒歩

知内
16:27発

↓ 4030M 江差線~海峡線~津軽線
  特急 スーパー白鳥30号

17:09着
蟹田
17:30発

↓ 342M 津軽線

18:11着
青森






早朝の特急列車で知内に降り、再度特急列車で蟹田に戻ってから
再び特急列車で木古内へという乗り継ぎを予定していたが、目が覚めたは10時過ぎ。
ここは大幅に予定を変更するしかない。知内に停車する特急列車は上りも下りも
2本ずつ。乗る予定だった朝の特急列車を逃してしまうと、江差線まで乗りつぶそうと
時刻表をにらめっこしても乗り継ぎがうまくいかない。
それで強行手段に出ることになった。距離があるので、路線バスで知内へ向かう事に
したが、無駄に出費をしたくない。距離を調べてみると20kmである。
この距離なら大丈夫だろう。納沙布岬まで4時間歩いた実績が背中を押した。

青森で待っていたのは悪名高きロングシート車両701系である。
すでに席は埋まっていた。それでもよい。私は前面展望を楽しむことにした。
発車してから2,3分ほどで奥羽本線と合流して左側へと離れていく。
津軽線に入ったのだ。それまでの複線は単線になり、奥内まで地元利用者が1、2人
乗り降りがあったが、その先はしばらくない。郷沢でおばさんが一人乗り込んて
終点の蟹田。ほとんどの客は特急列車へ乗り換え客に違いない。

特急列車の座席についているテーブルには青函トンネルの案内図が貼られている。
そのシールを見ると11:59に青函トンネルに突入するとある。
11:55。津軽今別を通過。いくつかトンネルを抜けて時間通りに青函トンネルへ。
車両仕切りのドア上にある電光表示板は表示するタイミングが少し遅れている。
少し前まで「青函トンネルに入りました!」という表示は無かったと思ったが、
新幹線開業を意識してのことだろうか。時折、天気予報も流れるのだが
「東京東京地方」という表示に何だか違和感がある。東京に地方が付ける必要って
ないような気がするのは私だけなのだろうか。
北海道は国土が広いので、「後志地方」といった使い分けは納得なのだが、
それをそのまま流用しているのだろうか。

車内探検に繰り出したが、後方展望も例のスペースは立ち入り禁止のバーによって
向こうに行ってはいけない雰囲気になっている。安全対策としては当然だろう。
そして以前の旅で前面展望を堪能して本当に良かった。立ち入り禁止になるとは
予想もしていなかったから尚更である。公然と後方展望を楽しめるのは、寝台特急
「カシオペヤ」か「トワイライトエクスプレス」、急行「はまなす」しかない。

踏切事故による衝突を重く見たことによる安全対策だが、キセル対策にも有効だ。
あのスペースに入って景色を楽しんでいて気づいたのだが、車掌から車内検札を
一度も受けたことがないのだ。そもそもここまで車掌が覗きにこない。
だからその気になれば、青森から函館も特急券なしで乗ろうと思えば乗れるだろう。

12:10。トンネルの最深部を通過。12:14。吉岡海底駅を通過。
12:23。トンネルを出てその1分後にはこれから向かおうとしている知内を通過。

次の木古内で降りて、知内までの20kmを歩いてみようという計画だ。
時間的にあぶない感じもあるが、ペースを乱さなければ何とかなるだろう。
16時27分の上り最終列車に乗り損ねたら、あと3時間ばかりは停車する列車はない。

国道228号線をひたすら知内方面へと歩き進むだけなので、迷うことはない。
駅前の県道を国道228号線に合流すれば問題はない。時刻表では駅間距離が13kmと
なっているが、国道228号線は海側に多少遠回りするので、歩く距離は18kmである。
時間にして3時間半。予定通りなら16時くらいには到着できるはずだ。

しばらくは左手に海を見ながら歩いていく。納沙布岬の時に比べたら日差しは弱い。
暑さが和らぐだけで、疲労感は全然違ってくる。道路の周囲は納沙布岬同様に時折
民家があるくらいだが、納沙布岬の場合はゴールとなる白い灯台が近づいている
事を歩きながら実感できたのが、こちらはひたすら車道の脇を歩くばかりで、
本当に駅があるのかと疑いたくなるほど、近づいている実感がないのが少し辛い。
だが、IphoneのGPSで確認すると確実に近づいている。しかし駅舎はまだ見えない。

歩いて2時間くらい経ったところで、トイレ休憩をするためにガソリンスタンドに
寄った。トイレを借りたお礼ではないが、自販機でジュースを買って飲みながら
休憩中していると、店員に話しかけられた。リュック姿でやってくる人などまず
見かけないからだろう。素直に木古内から知内まで歩いているというと、20kmほど
あると教えてくれた。青春18きっぷで旅をしていると話したが、よくはご存知ない
様子だったので、お別れの挨拶をして先に進むことにしよう。

しばらく歩くと知内川が見えてくる。足元のマンホールにはかつての特急列車を
モデルにしたデザインになっている。知内に近づいている実感が沸いてくる。
「道の駅 しりうち2km」の看板を過ぎて、しばらくすると正面に道の駅と
思しき白い建物が見えてきた。

道の駅「しりうち」に記念スタンプがあったので押す。
北島三郎のふるさとということで、北島三郎がデザインされたスタンプは
「道の駅 しりうち」。これでは知内駅に来た記念にはならない・・・
そういえば、ここへ向かう途中も北島三郎が交通安全を訴えかける蛍光色の
旗が風でそよいでいるのをいくつか見かけた。

記念スタンプには「北の玄関」となっているが、実質はひとつ隣の木古内である。
北海道新幹線が出来れば、このままの利用(されているのか疑問だが)状況なら
確実に廃止されて、信号場に戻される運命になるだろう。
木古内が北海道側の最初の新幹線停車駅となれば、かつて青函トンネルを出て
すぐのところにあった知内も昔話になるに違いない。

先ほど見た看板にも「道の駅」としか無かったように、写真でも見たとおり
主体は自動車でやってくる利用者のためのサービスエリアという感じであり、
その左側に申し訳程度に隣り合っているのが知内駅の入り口となる。

工事の事務所のようなアルミサッシの引き戸を開けると、正面に時刻表と運賃表。
上り下りとも2本。一日に4本しか特急列車が停車しない駅。
階段を上るところに乗車駅証明書の橙色をした発券機があるが、使う人はいるのか。
ボタンを押すと、車掌がハンディーターミナルで発券する乗車券のような紙が
一枚出てきた。シンプルに「知内駅」と書かれた白い紙。

駅前(?)ロータリーにあったトイレで急いで着替えをすると、発車10分前。
ガソリンスタンドを出るのがもう少し遅かったら、間に合わなかったかもしれない。
待っているホームのすぐ後ろでは黄色いヘルメットの作業員のおっちゃんと
おにいちゃん以外、人の姿はなかった。待っているのも私一人だけ。

札幌方面への貨物列車が通過していく。

かつての松前線廃止で、それまで信号場だったこの場所が地元の要請で旅客駅化
したという歴史を持つが、今では利用されている気配が感じられない。
駅前にやってくるのは車で乗り付けて来る者ばかりだ。発車時間が迫っても、
私以外に乗客は現れなかった。狭いホームに特急列車が停車しても降りて来る客は
一人もいなかった。

青森方面の最終列車に乗り込む。
16:38。吉岡海底駅を通過。16:41。トンネル最深部を通過。16:53。トンネル脱出。
知内から30分足らずで青森側に戻ってしまった。16:57。津軽今別を通過。
蟹田から普通列車に乗り換える。17:24に到着した701系は大半は学生さんと思しき
白いシャツと部活帰りだろうTシャツ姿の女の子達が駅舎へと吸い込まれていく。

海沿いの国道の青い看板には「青森 30km」。
郷沢。函館方面の特急列車の通過待ちのために4分停車。スーパー白鳥だろう、
緑色の車体がゆっくりとポイントを通過していく。この駅では仕事帰りと思われる
男性が肩にかばんを下げてホームの階段から降りていった。
後潟と油川でそれぞれ地元客を一人ずつ乗せただけで終点の青森へ。

青森二度目の夜。夕食はアーケードにあるとんかつ屋でとんかつ定食を頂く。

つくもノヲ”X="1≠ 573


【北海道&東日本パスの旅 9日目】 キリキリマイ、そして不覚にも・・

比羅夫
09:36発

↓ 2932D 函館本線

11:13着
長万部
13:24発

↓ 2844D 函館本線

16:12着
函館
16:51発

↓ 4032M 函館本線~江差線~海峡線~津軽線
  特急 白鳥32号
  
18:40着
青森






朝6時前に起きたのは、5:50頃に通過するニセコライナーの回送列車を見るためだ。
宮脇氏はすでにホームに出て、回送列車を撮影しようとカメラを準備していた。
時間通り、特徴ある近郊型デザインの気動車が通過していった。

38歳氏は6時台の列車で小樽方面に経つという。夕張への盲腸線に乗る事にしたらしい。
朝食の前に列車に乗り込む彼を見送る。昨日初めて出会った人だったけれど、ホームで
こうして誰かを見送るのは何だか新鮮だし、ちょっと寂しい気持ちにもなる。

宮脇氏とともに朝食を食べ、宮脇氏は9:18の列車で静かにホームを去っていた。
同じように列車が見えなくなるまで手を振った。なんだか寂しい気持ちになる。

山登りグループは朝早くに出発したらしく、残った客は私だけであった。
朝食を食べずに朝一の列車に乗ることも考えたのだが、こうした宿で朝食を食べる
機会が再び訪れとも限らない。途中の特急列車への出費は少し痛いけれど、
一期一会を尊重して朝食の後に出発することにしたのだ。

9:36の列車まで少々時間が空くのだが、ここでご自宅から奥さんとお子さんの2人とも
顔を合わせることになった。南谷氏によれば、3歳の女の子は奥さんとともに再び
ご自宅へと戻っていったが、5歳になるという男の子は残って私に話しかけてきた。
手に持っているクワガタはキリキリマイだという。家にあるカブトムシを見せてくれる
ということで、彼の好意に甘えて後に付いていく。それよりも初めての人に全く
人見知りせずに堂々としている事に感心してしまう。

カブトムシについて色々と教えてくれるのだが、そろそろ列車がやってくる時間だ。
しかし熱心に話してくれるこの昆虫博士氏とお別れのタイミングを図りかねている所で
後ろからお手伝いさんと思しき中年女性がやって来てくれたので正直助かった。

発車までの数分、南谷氏に話をしたが、20年後には北海道新幹線が開業してこの「山線」
は廃業になると噂されている。自分の代でそれまで続けてお子さんには無理に継がせる
つもりはないそうである。夫婦だけでその後は農業かなにかで暮らせればと思っている
ので、お子さん達には自立してもらわないと困るそうだ。
なるほど、だから父としてお子さん達にはきっと宿泊客には積極的に話しかけるように
教えているのかもしれない。学校とは違って年齢も考え方も様々な人たちと生活しながら
毎日接する機会はそうそうないし、社会人としての基礎をつける絶好の教育現場である。

堂々としてハキハキと話してくれた先ほどの5歳の男の子がすごく羨ましい。
私のようにほとんどを学校にいくだけで過ごして来たのとは違って、ここがお子さん達の
生きた教育現場になっていることは全く予想だにしなかった。
駅ノートには日付が1989年となっている記載もあったので、少なくとも20年以上
色んな客を向かえ入れた事だろう。そうした環境下で特に男の子は日々逞しく成長している。

今回最後の客である私をご家族で見送って頂いた。列車に乗り込むと、昆虫博士に手を振る。
来年春に来るともっとよいものが見られると教えてくれたその男の子とともに列車は
ドアが閉まってゆっくりとホームを離れていく。

次回来ることがあった時、博士はどんな事を教えてくれるのだろうか。
でも何となく、今回が最初で最後の機会のような気がした。

車内の席はほとんど埋まっていた。しばらくは立って前面展望を楽しむことにしよう。
ニセコ。数人が降りて、また何人か乗り込んでくる。観光客と地元客が混じっている。
ニセコ以降も客の乗り降りが1,2人ほどあった。車内では2人ほどカメラマンが前の景色や
駅舎やと業務が大変忙しい。

蘭越。ここで普通列車とすれ違うために10分程停車する。この駅以降では長時間停車はない。
山の中、時折トンネルを抜けながらもゆっくりと一駅一駅進むのは「山線」と呼ばれる
だけの事はある。駅間が長いだけでなく、アップダウンが激しい路線では最新の気動車でも
そうそうスピードは出せない様子だ。結局終点の長万部まで空くことは無かった。

長万部では4番線に停車。折り返し小樽行きとして発車することになる。
向こうのホームに11:30発の函館行き特急列車が発車すると3番線には一両の気動車が入線。
トランクケースの若者達が降りてホームの階段を昇っていくとまた静かになる。
気動車はそのまま回送としてホームを離れていった。

昨夜宿泊した「ひらふ」にはインターネットに接続されたノートパソコンが用意されていて
無料で利用できた。そこで調べておいた長万部温泉ホテルに向かうことにする。
次の列車まで約2時間も空くので、朝風呂ならぬ、昼風呂を浴びることにしたい。

長万部温泉ホテルは駅から歩いて10分ほど。線路をまたぐ長い歩道橋をわたって右に曲り
少し歩いたところにあるが、銭湯と宿泊者も兼用で利用するようになっていると思われるが
宿泊者らしき気配はなかった。浴室は長年の温泉の成分で酸化しているのだろうか、汚れが
目立つのであまり衛生的とはいえない。お世辞にもあまり長湯したくなかった。

ミックス牛乳を飲みながらしばしの休憩。駅に戻りながら、かにめし本舗で全国的に有名な
「かなやのかにめし」を購入する。1050円なり。駅に戻ると雨が降っていたが、すぐに止む。
天気がどうにも変わりやすい北海道では天気予報は当てにならない時がある。

長万部始発の一両編成はボックスシートの海側は埋まり、山側もひとつ空いているだけ。
乗客は若者が多い。隣のボックスシートに座る男子2人組が話している内容で特急「かもしか」
快速「しもきた」という単語が聞こえてくるところから、東北まで行く旅行者らしい。
できる限り安く、青森から秋田まで乗り継ぐ計画を練っているのかもしれない。

八雲。地元の若者が3,4人ほど乗り込む。降りる人はなし。
こちらが発車すると待っていたように長万部方面の普通列車がホームに入ってきた。
左手には海が広がってくる。野田生。金髪の若い女性が一人が降りていく。構内踏切を渡って
反対側のホームへ横切り、草むらの奥へと消えていく。列車は動き出す。
落部までの間で、列車は左手に海を見ながらカーブしていく。トンネル、トンネルと抜ければ
落部。ここで若者が3人ばかり下車。駅舎を通っていくのはカップルと10代くらいの女の子。
早朝であれば、少し前まではここで貨物列車と交換する「北斗星」が見られたが、一往復だけ
となった今の「北斗星」でも見られるのだろうか。

しかし、ハエが鬱陶しい。手で払ってもまたやって来る。かにめしの味に集中できない。
若き白いシャツの男性カメラマンは本業に忙しいようだ。森駅はすぐに発車した。
発車してしばらくすると、砂原経由と駒ケ岳経由との線路の分岐点があり、列車は時刻表通り
砂原側へと入った。東森へ着く直前で後方に目をやると、札幌へ向かうのだろう特急列車が
通過していくのが少し見えた。尾白内を出ると右手に駒ケ岳が見えてくる。
掛澗。学生風の若者が一人乗り込む。先ほどのカメラマンには彼女らしき女性と一緒らしい。
じっと席に座っているが、呆れているのと退屈で居眠りしているのかもしれない。

鹿部。ポニーテールの女の子が一人乗ってくる。
銚子口。普通列車と交換する。向こうが発車してから、こちらも徐に発車する。
大沼。女の子が3人乗車。七飯から函館へ向かうであろう地元の方達が乗り込んでくる。
感覚的にはもうすぐ函館であるが、住宅街が並ぶこの街は函館駅周辺から少し離れていて
列車でないと移動できない距離である。桔梗ではデッキだけでなく、ロングシートの前にも
立ち客。数少ないつり革が本来の役目を果たす瞬間でもある。

函館からは青森までは特急に乗らざるを得ない。特例を使っても普通列車だけでは青森に
たどり着く事ができないからだ。みどの窓口で自由席特急券を求めると、乗車券の提示を
求められる。シーズンだけにキセル防止のためだろう。
16:51の特急列車は後方展望が楽しめない残念な485系。しかしこれを逃すと青森への到着は
だいぶ遅くなってしまう。青森へ行く特急列車が少なくなってきているためだろうか、
どの車両も混雑している。函館から青森まで特急料金は1680円。

17:08。函館市街と五稜郭タワーと函館山が真横に並んで見えてくる。
北海道とのお別れの景色なんだと思うと、何だか淋しい気持ちになってくる。
途中の木古内までは普通列車で行けたのだが、木古内からでは座ることはできないだろう。
ゆったりした気持ちで別れを告げたいので、敢えて函館から特急列車に乗ったのである。

前方に見える島影は下北半島だろう、帰らないといけない地が近づいてくる。
後ろを振り返るとどんどん遠ざかっていく函館。これ以上は振り返るのはやめよう。
不覚にも泣いてしまった。声を出さずに静かに泣いてしまった。なぜだろう。

たった6日間北海道に居ただけなのに、こみ上げるこの気持ちはなんだろう。
旅の思い出が鮮明に蘇ってくる。昨夜の「ひらふ」の夜は最も忘れられない。
青函連絡船なら真後ろに離れていく函館を見ることになるから、さらにお別れはつらい
ものになったかもしれない。

特急列車はそんな事はお構いなしに木古内を出ると、青函トンネルの長い闇に入った。
この長い闇が終わらないうちに30分の間にこの気持ちをトンネル後方へと飛ばしたい。
でもそうしようと意識すればするほど、こみあげてくるものがある。
いつもなら淡々と北海道を出て行くのに、この6日間はそうならなかった。
きっとワイド周遊券があった時のように20日も北海道に滞在していたら、それこそ
一層のこと住んでしまいたいという感情になるのも何となく理解できる。

トンネルは竜飛海底を通過したようだ。もう本州側に戻ってしまったのだ。
津軽今別を18時過ぎに通過。窓はトンネルの湿気で曇っている。青森側も曇っていた。
青森に着いてしばらくしたら夜が訪れるだろう。しんまち商店アーケードの終わりにある
ラーメン屋で夕食にしてそのままホテルで寝ても良いのだが、今回青森での滞在時間を
確保しているので、東北本線と奥羽本線の合流ポイントを見に行ってみることにした。
行って何をするわけではないのだが、一度見ておきたいと思ったのだ。
地図の通り、同じ道路に東北本線と奥羽本線の踏切が連続して続いている。

次に行ってみたのが、青函連絡船として活躍した八甲田丸。今は動くことなく、その
歴史があった事を示すべく、運行が廃止されてからずっとこの地に係留されている。
今は青森駅の東口と西口とを結ぶ線路をまたぐ連絡通路にはホームに降りる入り口が
シャッターで閉じられている。昔は下のホームからこの連絡通路を通って、多くの客が
青函連絡船に乗っていき、そしてまた青森駅のホームへと降り立ったのだろう。
連絡通路はきれいになっているが、よく見ると当時のままの形を一部保っている。

八甲田丸を後にして、反対方向に歩いていくと一本の線路が海岸へと延びている。
線路を見る限り、現役で使われているものらしい。線路にそって端まで歩けるように
整備されているが、見慣れる白い車両が鎮座している。よくみると塗装は剥げて
かなり荒れたまま放置されている。当時は休憩所として使われていたようだが、
今はその維持もままならないのか、閉鎖しているために使えない。

見上げれば静かに青森の夜空を眺めるには絶好のスポットである。
再び、奥羽本線と東北本線の合流地点付近を歩き回るが、まわりは住宅街なので
地図で確認しないと少々わかりづらい。ホテルに戻る途中にコンビニへ寄る。
「ソフトカツゲン」が売られていた。青森から徐々に全国へ広がってきている?
あと、喫茶店が結構夜遅くまで営業しているのは青森特有の文化なのだろうか?

つくもノヲ”X="1≠ 572


【北海道&東日本パスの旅 8日目】 平成の宮脇俊三氏と「ひらふ」の夜

帯広
10:13発

↓ 2432D 根室本線~石勝線

11:23着
新得
12:05発

↓ 34D 石勝線

13:02着
新夕張
13:05発

↓ 2632D 石勝線~千歳線

14:06着
千歳
14:13発

↓ 3926M 千歳線
  快速 エアポート134号

14:16着
新千歳空港
15:07発

↓ 3925M 千歳線~函館本線
  快速 エアポート151号

16:16着
小樽
16:53発

↓ 2948D 函館本線

18:13着
比羅夫






目が覚めると今日も晴れている。
コインランドリーの乾燥が終わるのを待って2時過ぎまで起きていたが、
いつの間にか、眠ってしまっていた。結果として何とか7時前には起きることはできた。
寝坊するだろうと思っていたので、せっかくなので優雅に朝ごはんを食べよう。
今回宿泊したホテルムサシは価格が良心的なだけでなく、バスとトイレがドアで別に
なっている事が大きい。大抵のビジネスホテルはトイレとバスは一緒になっていて、
トイレ側を濡らさない様に気を使いながらシャワーを浴びなくてならないが、ドアが
あるので、ゆったりと体を洗う事が出来るだけでも快適度はぜんぜん違う。
そして給湯も温度調節がダイヤル式のものは初めてお目にかけるタイプである。

その他のサービスもなかなか素晴らしい。この暑さでは提供できないご飯物に代わって
おつまみのサッポロポテトがあったり、便座クリーナーがあったり、安物スリッパではなく
サンダルだったり、消臭スプレーも備えている。またアメニティーで驚いたのは、大抵は
使い捨ての粗末なものが相場である歯ブラシだが、持ち帰りを前提にしたまともなもの
だったことだ。帯広に宿泊する機会があれば、次回はこのホテルを定宿にしたい。
旭川四条のホテルも良好物件だが、サービス面ではこちらが一枚上のようだ。
しかも朝食無料で、これも滅多に飲む機会がない牛乳が飲めるのは大変有難い。
フロントの笑顔の対応としっかりした挨拶で5000円を切る値段は簡単には見つからない。

旅程一日の殆どが移動時間となるので、宿泊地ではほぼホテルで寛ぐことになる。
そのホテルのサービスは疲労度に影響してくる。

10時少し前に駅へ。ホームには下調べした通り、赤いキハ40系が停車している。
一度は乗れたらと思ってはいたが、偶然にも乗り継ぐ列車で乗車機会を得た。
赤いキハには白いキハも連結されて2両編成になっているが、こちらは今は回送であり
おそらく新得始発として運用につくのだろう。赤いキハ目的のカメラマンが何人か、
ホームからカメラを向けている。10:13発の列車は2,3のボックスシートが空いている他は
窓側がすでに埋まっていた。今日も相変わらず暑い。窓を開けて発車を待つ。

帯広を出ると柏林台。乗り込む数人にハーフパンツの者たちは部活動に励む学生諸君か。
西帯広へ向かう途中、左手にはこれから運転されるだろう「SLとかち」が停留していた。
沿線にカメラマンの姿が目立つと思ったら、SLの後ろに茶色い客車。私も降りて参加したい
ところだが、今夜の宿はキャンセルする訳には行かない。
西帯広でも部活動諸君が数人乗車。沿線では保母さんと園児だろう女の子たちが数人、
横一列にこちらを向いて手を振っている。赤い列車が走るのを見計らい、並ばせたのかも
しれない。大成。数人乗車。芽室では親子連れが降り立ち、特急列車の通過を待って
列車は再び動き出す。

今日も暑い。御影で学生風の私服組が数人乗り込む。十勝清水に向かう途中で列車は一時
停車。IphoneのGPSで確認すると、普通列車も通過してしまう羽帯を少し過ぎた地点。
右側をRED BEARが率いる貨物列車が通り過ぎていった。その後に通過したのは、おそらく
快速列車かもしれない。十勝清水。車内の学生さんの殆どが吐き出されていく。
炎天下の部活動なら、心の中でお疲れ様とつぶやいてしまうのは少々老いた為か。(笑)

十勝清水では反対側の特急列車の通過を待つためにしばらく停車する。
新得。赤い列車と後ろの白いキハは切り離されて、お互い別方向へと発車していく。
赤いキハは富良野方面へ、そして白いキハは今来た道をまた戻ることになる。

ここで特急列車に乗り換える。ここから新夕張までは特急列車しか運行していないため、
時刻表にも書かれているように、自由席に限って乗車券のみで乗車できる。
青春18きっぷも北海道&東日本パスも「特例」として乗車が認められている。

新夕張からゆっくりと駅弁を広げるのは難しいかもしれない。
そこで車内販売で買った駅弁でお昼ご飯にする。晴れた今日は狩勝峠の緑がよく映える。
時折トンネルの闇に遮られるが、駅弁にはよいおかずになる。お昼ご飯を立ち食いそば屋で
急いで済ませる気持ちにはなれない。

新夕張。予想したとおり一両編成はすでに席が埋まっていた。駅弁どころではない。
座れればロングシートの方が景色が見やすい場合もある。宗谷本線の北見以北やや花咲線
(釧路~根室)で使われているキハ54系では車両の構造上、ロングシートに座ると運転席と
左側と右側の景色を同時に楽しみことができる。尤も車内が空いている場合に限るけれど。

列車は我々乗り換え客のために、少々遅れて発車したようである。
滝ノ上。地元客が一人乗り込んでくる。峠を越えたこちら側もよく晴れている。
今日はこのまま夜まで天気に恵まれて欲しい。雨では少々気分が滅入ることになるからだ。
肥料のような匂いが風に乗って、開け放った窓から漂ってくる。
朝数時間しか眠らなかったためか、駅弁を食べたためか、油断すると意識がなくなりそう。
次は追分。新夕張からそれほど離れていないため、今回の日程では乗車時間が一番短い。
追分で少々客が入れ替わり、ここから南千歳まで少々離れている。
乗っている間に改めて時刻表を開くと、大事な盲腸線を忘れていた。南千歳から一駅だけ
伸びる新千歳空港までの線である。幸い向こうへ行き、空港内を少し回るだけなら
折り返しても行程に影響はないことが分かった。

13:42。列車は途中一時停車する。特急列車通過待ちのために4分ほどの停車。
トンネルから特急列車が出てくると同時にこちらも動き出す。トンネル内は速度計を見ると
時速80kmで走破しているが、我が小田急よりも体感的には早く感じる。
南千歳。苫小牧行きではあまり見かけない近郊列車が到着すると同時にこちらも発車。
終点の千歳は定刻着。ここで新千歳空港行きに乗り換える。

列車は発車してからしばらくしてトンネルへと下っていく。
そのまま3分ほどトンネルの中を走ると、地下鉄のような行き止まりのホームに到着。
客の多くはトランクスーツを引っ張る客だが、他の駅と異なるのは改札で荷物検査を
受けるところは空港である事を意識させる。尤もここからいきなり飛行機に乗る訳では
ないので、搭乗前のような本格的な検査ではない。簡単に荷物の中身を改めて身分証明書
を提示したらそれでおしまいである。真上から見ると扇子型になっている建物はホームの
地下階から上ると2階まであり、客で賑わうお土産や飲食店は2階に集まっている。
少し歩き回って見た限り、六花亭など有名どころのおみやげは大抵入手できるようだ。

トランクスーツ客で混雑する到着ロビー。
一通り空港内を冷やかしつつ、少々急ぎ目に快速エアポートの小樽行きに乗り込む。
この列車に乗り遅れる訳にはいかない。席はほとんどが埋まっている。千歳でさらに
乗客が増えて、デッキにも立ち客という混雑も札幌で一気に降りていくだろう。

北広島でようやく地元らしき客が混じるようになる。新札幌で何人か降りていく。
いつの間にか意識がなくなり、列車は札幌に着いていた。札幌までの観光客輸送から
今度は地元利用者の路線に表情を変えていく。桑園を通過。高架の向こうには夕日。
今日ももうすぐ夜が訪れようとしている。列車は住宅街を軽快に走り抜けていく。

手稲に着く直前で青いディーゼル機関車に牽引された銀色の車両とすれ違う。
これから上野へと向かう寝台特急カシオペアだろう。
手稲。まとまった人数が乗り降りする。札幌以東、網棚を占めていたトランクケースは
見かけなくなり、車内は地元の生活臭を運んでいる。

銭函を出てからは可能な限り、進行方向に向かって右側の座席に座った方がよい。
ここから小樽まで広がる海が目を楽しませてくれる。近郊列車でありながら、まるで
江ノ電の海を望む区間がずっと続いているような感覚になる。函館本線の景勝区間である。

小樽築港。女の子が一人下車。中年女性が一人乗車。南小樽は地元客と観光客が混じって
いるホーム。小樽に着いたら、本日行程では最後となる列車で宿に向かうだけである。
乗り換え時間が少々あるが、小樽運河までなら駅から往復するくらいの時間はありそうだ。
ゆっくりと時間をかけて見たいところだが、これから乗る列車を逃してしまうと宿に着く
時間が大幅に遅くなり、楽しみにしているものが楽しめなくなってしまう。
そうなると、この宿に来る目的の半分以上は意味がなくなってしまうのだ。
小樽も雨ではなく、暑いと感じるくらいの日差しだから今夜の宿での楽しみは心配する
ことはないだろう。

初めての小樽運河は急ぎ足で向かって、撮影して少々立ち見するだけで終わった。
また急ぎ足で駅舎へと戻らないといけない。

小樽からは気動車2両編成。すでに席はほぼ埋まり、デッキに立ち客がいる車内。
これまでの旅なら窓側に拘っていたところだが、すでに乗車済みということもあって
座れればいいという気持ちになっている。というより、今回の旅では今まで違って
のんびりと構えて北海道を満喫する事をテーマにしている。座れなくてもそれでいい。
途中までの地元客がほとんどだが、私のような観光客も少々混じっている。
ロングシートはやはり学校帰りの白いシャツ軍団の若者がおとなしく座っている。

列車はゆっくりと走っていく。夕日が右の窓から差してくる。
塩谷。地元の方が数人降りて行く。小樽行きの列車と交換する。塩谷を出るとわずかな
区間で海が見えるのだが、「山線」と呼ばれているだけにすぐに遠ざかっていく。
蘭島。若い女性がひとり降りていく。余市でロングシートの白いシャツ軍団が降りていき
客が入れ替わる感じになる。然別。若い女性がひとり乗車。小樽方面の列車と交換する。
然別を出ると次の銀山までが長い。銀山では乗降客なし。ここから倶知安までは駅間距離が
長い。だが小沢までは先ほどと違って乗降客に変化は見れらない。

ここまで来ると車窓の夕焼けは先ほどよりも暗さを増してきている。
淋しいようなそうでないような何とも不思議な気持ちがしてくる。
路線図では駅数はそれほどないのだが、この区間は駅間が長いのである。
駅間距離は時刻表によればそれぞれ10km程ある。小田急の秦野~伊勢原くらいある(笑)

倶知安。ここで一斉に乗客はいなくなり、変わりに長万部の間で降りるのだろうか
スポーツウェアの女の子たちが乗り込んでくる。Tシャツ姿の子も混じっているが、
どの子も部活動の帰りかもしれない。アイスクリームを食べている子もいる。

さて次はようやく比羅夫。この駅に降りる人はどうやら私一人のようだ。
ホームが見えてくると、関連書籍で見た通り、何人かがすでにバーベキューをしている。
ホームに降り立ち、失礼ながらバーベキューをしているところと列車が発車しないうちに
撮影する。「鉄子の部屋」で取材していた女性陣がこうした行動をとりたくなる気持ちが
よく分かった。若い人ばかりかと思ったが、そうではないようだ。

猫のしま太郎(オーナーの南谷氏曰く、飼い猫ではないそうです)の歓迎(?)を受け、
まずは宿(すなわち駅舎)の扉を開け、チェックインを済ませながら南谷氏に部屋の案内や
施設の説明を一通り受けたあと、缶ビールを2本携えてバーベキュー仲間に加わるとする。
ビールやジュースなどの飲み物は冷蔵庫から勝手に取り出し、自己申告制でオーナーに
あとで支払う形式になっている。

しま太郎は人慣れしているようで、逃げる素振りも見せない。
雰囲気に打ち解けるかなとこの駅に向かう列車の中では少々不安な気持ちもあったが、
バーベキューの火を囲んでいると、初対面なのに不思議と緊張しなかった。
すでに盛り上がっている方々に一通り挨拶をしてからそばの方に話しを伺うと、
メガネの若い方は38歳で現在は無職。九州の熊本から青春18きっぷを使い、北海道では
北海道フリーパスや北海道&東日本パスを使って、北海道をぶらりとここ3週間ほど
時間をかけて旅行しているらしい。ただそれほど手持ちは無いらしく、宿泊代も食事代も
節約しながら旅行しているそうだ。明日は倶知安方面へと朝早い列車で発つとのこと。
この方が大学生のころにバイトした仲間に体型も顔もそっくりだったので、本人なのかと
びっくりして勢いで訊ねてしまったが、もちろん別人であった。

私が座るグループの他にもうひとつグループができているが、こちらはこの宿に連泊する
羊蹄山へ山登りに来たとのこと。雰囲気からすると常連客かもしれない。
だいぶ出来上がっていて、たいそう楽しそうにお喋りが弾んでいる。そのままホームから
線路に降りて寝ることがないか心配になるくらいだったが。

私が座るグループにも高齢の方がおり、こちらは高校のころにお世話になって今は地元の
公民館で働いている教師にそっくりだったので、こちらもこちらでちょっとビックリ。
よく見たら確かに別人だが、さすがに失礼なので訊ねることは止めておく。
この方も山登りでやってきた一人であった。

彼ら山登りグループは先に部屋に戻り、我々3人だけでバーベキューの火を囲みながら
しばらく話す。もう一人の中年男性は国鉄時代から全国の路線を乗り潰した経歴の持ち主。
なんと、あの宮脇俊三氏と同じ経歴を持つ方に出会えるとは何という幸運だろう。
この駅の宿「ひらふ」は久しぶりの来訪という。先ほどの38歳というTシャツ姿の彼も
ここは初めてではないと話していた。先ほどの山登りグループも含めて全くの初めての客は
私一人だけであった。

38歳氏は九州の実家にはいつ帰るかはわからないけれど、遠出する事を伝えただけらしい。
もしかしたらこのまま北海道に残るつもりなのかもしれない。
ワイド周遊券があった時代に学生が現地でアルバイトしながら旅行したように。
明日は乗り残しているという夕張への盲腸線に乗りに行くそうだが、北海道フリーパスの
有効期限が明日までということで、その足で東北の友人のところまで行くかどちらにするか
悩んでいるという。バーベキューは肉の量は見た目量が少ないかなと心配していたが、
野菜の量が多く、350mlのサッポロクラシックを2缶飲んでいるので丁度良かった。
赤いキハ40系も当初乗る計画はしていなかったが、ジンギスカンもバーベキューという形で
食べることが出来た事はうれしい。北海道では焼肉屋で注文しなくてもジンギスカンという
文化を体感することになった。

駅のホームでバーベキューをしており、数少ない普通列車がやってくると当然ながら列車内
からもこの光景を見ることになる。この宿の存在を知らない人からすれば、何とも奇妙な
光景に見えるだろう。駅に宿があるのも、こうした光景に出会えるのも全国でもここだけに
違いない。非日常の中の非日常の夜にいる事が、初めて乗った寝台特急「北斗星」で過ごした
あの夜のワクワク感と同じように何だかうれしい。

お楽しみはもう一つある。このホームには宿泊者専用の露天風呂も設置されているのだ。
38歳氏の話では、昔テレビで紹介されたという。木で組まれた小屋の屋根は扉を開くと
約6畳ほどの空間にランプでほんのりと照らされた丸太をくり貫いた湯船が鎮座している。
横長の窓からはホームが見え、タイミングが良ければ普通列車が走り去っていくところを
眺めながら湯船に浸かることができる。仰向けの姿勢で上を見上げると満天の星空。
雨のときは流石にこうはいかない。だから今日は絶対に雨であってほしくなかったのだ。
寝台特急に風呂が着いたら、こんな感じになるのかもしれないなとふと考えた。

いつまでも入っていたいが、そろそろ出ることにしよう。

最後のお楽しみは比羅夫を違った角度から眺めることである。
列車の本数が少ないゆえに、ここで宿泊しない事にはなかなかできない体験だ。
21:22発の札幌行きが出てしまうと、ホームの周辺は静かになる。正確にはそこら中で
虫の鳴き声やら靴を履いた裸足を指してくる虫はいるのだが、家々やビルといった灯りはなく
ホームの灯り以外は線路のどちら方面を向いても真っ暗な闇が広がっている。

闇の中へ消えていく線路と灯りに照らされたホーム。
見上げると前回の旅で稚内の北防波堤ドームで見上げたとは違って星空は穏やかに輝いている。
冬の稚内では歩くのも困難な程の雪が残っており、体内から凍えそうな寒さだった。
空気もより澄んでいたから、そのせいかもしれない。

北斗星の夜、稚内の夜空とともに忘れられない夜になりそうだ。
そのまましばらくぼーぅとしていたいが、虫が足に刺してきてかゆくて敵わない。
他の2人も思い思いに夜の比羅夫を撮影したり、歩き回っていたが、そろそろ駅舎の中へと
避難することにしよう。6,7人程が座れるほどテーブルには我々3人以外には誰もいない。
離れの個室へと戻った先ほどの山登りグループはもう先にいい夢を見ていることだろう。

駅舎の2階は相部屋の2段式ベットのようになっていて、もともとは乗務員の仮眠室だった
ところを改造したものだそうだ。寝台特急のB寝台をそのまま駅舎に持ってきたとイメージ
すればよいだろうか。仕切りのカーテンまでは一緒だが、こちらは各ベットにコンセントが
付いているし、明るすぎる程の読書灯、そして何より揺れないからA寝台よりも豪華だ(笑)
寝台特急と違った特別な夜を過ごせるのは間違いない。

これで風呂と夕食、朝食付きで6000円を切るのは良心的な値段だと思われる。
オーナーの南谷氏は駅前の家に住んでおり、お子さん2人を養いながらこの宿の管理もされている。
駅舎が取り壊されるという話になった時に初代オーナーがここを宿泊施設として有効活用と
はじめた。その宿泊客としてやって来た南谷氏がその後、2代目オーナーとしてこの宿を
引き継ぐ事になったと関連書籍本には書かれていた。
無料で自由に飲めるインスタントコーヒーを飲みながら、木の椅子に座ってしばらく寛ぐ。
かつての駅舎はいい夢を見る前のしばしの談話室となっている。

平成の宮脇俊三氏は奥様の理解を得て、全国の鉄道行脚のみならず、海外のそれも特に
ヨーロッパの鉄道に対する造詣が深いことはお話を伺ったなかで控えめな口調ではあったが
その熱心な話しぶりからすぐに感じた。そして自分が鉄道オタクを自称するのはまだまだ
経験も浅く、この世界に対して視野が狭い自分を痛感せざるを得なかった次第だ。
自分が知らない事も教えて頂くばかりで、話にのることもできない場面がいくつかあって
この方には退屈な時間になってしまったような気がして何だか申し訳ない気持ちであった。

故宮脇俊三氏と異なるのは、シベリア鉄道も体験されていることだ。
つまり、風呂なし1週間の列車内での旅である。寝台特急に1週間も乗っているという絵が
どうしても想像できなかった。実際に体験していない私はただ頷くばかりであった・・・
風呂は入れないが、頼み込めば車掌が使っているシャワーを使えることもあるらしい。
食べ物も日本のようにどこかの駅で駅弁を買う、というわけではなくて
じゃがいもを蒸した簡単な物を食べることになる。

38歳氏も同じく海外の鉄道に色々と乗車した経験があるという。先ほどの宮脇氏が
ヨーロッパとすれば、彼は台湾や台北などアジアが得意地域となるのだろう。
1000円もあれば、麺一つ取り上げても色々な種類のものをお腹一杯食べられるところを
力説したのは、そこがアジアの鉄道とともに惹かれるということなのだろう。
韓国には予想した通り、よく「日韓周遊きっぷ」を使うという。私も韓国に行く際は
きっとこのきっぷを使って旅をすると思う。

日本の鉄道はどこにいっても似たような街並みだったりすることがあるが、
国土の広いユーラシア大陸は日本にいては想像もしなかった街が待っているに違いない。
よって、宮脇氏と38歳氏は自然と同じ海外の鉄道話で盛り上がることになり、私は彼らの
聞き役に徹することになった。もっと色々な鉄道に乗って彼らと同じくらい自分の話が
できるようになりたいと思う。聞き役ではあったが、初めて会った宿泊客とこうして
一夜を語らう機会を与えてくれる鉄道の持つ「つなげる」力に感謝しなくてはならない。

30分ごとに鳩時計が時刻を知らせる。窓を見ると駅舎内の明かりに誘われて白い大きな
蛾が何匹も羽音を立てながらへばり付いている。何匹も同時に立てる羽音は目を閉じると
雨が降っているようだ。

彼ら2人は先にベットに戻るという。私もそろそろ眠ったほうがよいのだが、なんだか
もう少しこのままぼぅーとしていたい気分だった。だから私はひとりしばらく残る。
この時間がずっと続けばいいのにという気持ち、帰りたくないなあという気持ちが
私の心を満たしている。駅ノートに書き付けて、少しだけ落ち着いた気がした。

つくもノヲ”X="1≠ 571


【北海道&東日本パスの旅 7日目】 駅の食堂と駅の喫茶店と

東根室
6:01発

↓ 5624D 根室本線

8:24着
釧路
09:05発

↓ 3728D 根室本線~釧路本線

11:36着
止別
12:48発

↓ 4732D 釧路本線

13:00着
原生花園
13:49発

↓ 4731D 釧路本線

14:12着
知床斜里
15:14発

↓ 4735D 釧路本線

15:49着

16:03発

↓ 8737D 釧路本線

16:44着
摩周
17:06発

↓ 4737D 釧路本線~根室本線

18:29着
釧路
19:33発

↓ 2532D 根室本線

22:12着
帯広






朝4時半に目が覚めた。いや覚めてなくては困る。
始発駅の根室から乗るつもりだったが、東根室から乗っていくことにした。
降りる機会はあっても、乗り込む機会はそうそうないからだ。せっかくだから最東端の駅
から乗り込まない手はないと思って、早めに起きたというわけだ。
鈍行列車だけで移動する旅は必然的に早朝の列車で移動を始めることが多いので、
早寝早起きという、本来の人間が持っている生体リズムに戻れるので健康的であるが、
普段の生活でそれが実行できていないので、やはり早起きは少々辛いときがある。

根室駅からなら徒歩30分は見ないと不安である。地元の慣れている人でなければ
すぐに迷ってしまうような場所にある。成央小学校まで来れば、セイコーマートを目印に
左に曲がったり、右に曲がったりして住宅街の中にある。

「東根室地下道」と名づけれた線路のガード下を潜り、東根室へと向かうが、雨が降る
高台にあるホームには誰一人待ってはいなかった。ホームから見ると、向こうから犬の
散歩に歩いてくるおじいさん。朝飯前の運動だろうか、雨合羽を着て歩くおばあさん。
散歩がてら、東根室のホームの様子を覗くのが日課になっているのかもしれない。
おじいさんの付ける日記には、「今日の朝には珍しく、ホームに待ち人が・・」と書かれる
のかもしれない。2両編成の気動車は時刻通りにやってきた。わかってはいたが、すでに
始発駅の客で席は程々に埋まっている。根室本線らしく、朝霧のぼんやりした中を気動車は
走っていく。花咲、西和田の車両型の駅舎はまた綺麗に塗り直されていた。
駅名のフォント、ツートンカラーのデザインは同じ人が担当したものかもしれない。

昨日見た落石~別当賀の海と緑の丘は乳白色の霧に包まれて見えない。
晴れている日中帯に撮影、鑑賞するのがベターなのである。

別当賀。車両型の駅舎はペイントされているが、左下には「花咲線全通80周年 2001.7」。
厚床小学校が描いた様で、今年で89年目。来年90年を迎えることになる。
我が小田急線が我が80周年を最近迎えたので、それより少し前に全線開業したことになる。

朝早く起きているので、油断していると意識が飛びそうになる。
厚床。乗っている列車は2両編成だが、ここで後ろの一両を切り離すために6分停車する。
切り離された一両が唯一の臨時列車8325Dとして、厚床発根室行きとして発車するらしい。

「意識飛び」対策ではないが、時刻表を開いてみると今乗っている列車は茶内で
快速「はなさき」と交換するようだ。こちらが先に発車するようだ。
姉別。地元らしき若い女性が一人乗車。さらに時刻表を見ていくと厚岸で厚床止まりの
5627D、終点のひとつ手前の東釧路で5629Dと交換し、こちらが先に発車するだろう。

浜中。地元らしき数人が乗車。ほとんどがおばさんだが、2人ほど制服姿の女の子たち。
地元の高齢なほど、降りるのに近いロングシートの傾向が高いように思われる。
女の子2人は気まずくない位置を瞬時に「検索」して、後ろの方へと移動していった。

茶内。整理券の発行機械でトラブル発生。旅に出るとまれにこうした光景を見かけるが
乗務員が直そうと試みるも大抵は直らない。ワンマン故に運転も車掌も一人でこなさない
といけないので、機械を細かく見ている余裕などない。結局終点の釧路で直すらしい。
釧路で交代してから、トラブル関連諸々の報告をしないといけないので、乗務員の仕事が
余計に増えるのである。

糸魚沢で一人乗車。糸魚沢を出てからしばらくすると左手に湖、右手に沼が広がる。
よくこんな所に線路を敷いたものだと関心してしまう。
厚岸。地元のおばちゃんが2人下車。入れ替わりに学生さん数人の白いシャツ軍団。
後は高齢者が数人乗り込んできて、車内は賑やかになる。この車両の定員に近い乗車率
に違いないだろう。

門静。一人乗車。花咲線のラッシュ時間帯だろう。上尾幌でもおじいさんが一人乗車。
ロングシートを根城とする白きシャツ軍団は音漏れするほどの音量で耳へ音楽を突っ込み
任天堂のDSでゲームをする光景は北海道では列車を「汽車」と呼ぶ以外にこのまま首都圏
の通勤電車に切り取って見比べてもまったく違和感はない。

武佐。ここでいよいよ立ち客まで出てくるようになる。
このまま釧路まで乗っていってもよいのだが、気が変わって東釧路で降りることにした。
まだ下車したのない駅だからだ。東釧路から釧路まで歩いてとも考えたのだが、地図で
確認すると、東根室よりもさらに長い時間が掛かるようで道順は分かりやすいけれども、
逆に列車に乗り損ねる心配がある。

トイレがないので、近くのガソリンスタンドで借りる事にした。
釧網本線の起点駅であることを示す、0キロポストが立っている。待合室の駅舎を通りすぎ
構内踏み切りでホームに上がる構造の島式ホームになっている。ホームにはすでに白い
シャツの男子が一人。高校生だろうか。後は地元らしきおじいさんが一人やって来た。
それ以外に乗客は増える様子はなさそうである。昨日の暑さが嘘のように涼しい。
釧路側でも雨が降ったようで、日が差していないために暑さが和らいでいるのだろう。

もう一人乗客が現れた。青いブレザーの男子が一人、耳から音漏れさせながら駅舎に戻って
時刻表を確認し、また戻ってくる。北海道が地元の知り合い曰く、道民は時間にルーズだと
話に聞いていたが、昨日のノサップ岬へ行ったときに見かけた車の追い越しといい、
この男子のせっかちそうな雰囲気といい、結構せっかちな人種かもしれない。
北海道の多くの地域が車で移動することが前提になっているだろうから、運転本数の少ない
列車をじっと待つという耐性が備わっていないかもしれない。

ホームの時刻表には鹿対策のために、花咲線の発車時刻を変更する旨の張り紙があった。
鹿のために徐行運転するのは、北海道くらいだろう。我が小田急線は何も無くても大抵
徐行運転するのだが(笑)

列車がやってきた。根室よりもさらに混んでいるようだ。通勤、通学、そして我々観光客
が混じる車内は私のような関東圏に住む者はまず体験する事はない。
デッキには立ち客。車両真ん中のテーブル席は始発からすでに狙っていたのだろう、
おばさん方の団体が陣取っている。摩周まで足湯めぐりか、釧路湿原までの客だろうか。

釧網本線も列車本数はそれほど多くない。列車によっては車両運用の事情なのだろう、
あと数駅行ってくれば次の列車に乗り継げるのにという駅止まりの列車がある。
網走周辺まで行って折り返すか、釧網本線を乗り通すかのどちらかを選ぶことになる。
後者の場合はあまり寄り道ができないが、前者なら乗り降りする列車を調べてみると
何とか寄り道はできそうだと分かった。

まずは今乗っている快速「しれとこ」で止別まで行く。
そしてそのホームにある食堂で食事、次の列車で北浜へ。最後は原生花園に降りてから
釧路へ戻ってくるという予定である。特に原生花園は期間限定の臨時駅なので、下車する
機会も貴重なものになる。

釧路湿原。後方のデッキではスポーツ刈りの少年が夢中でカメラを向けている。
デッキにいた数人が降りていく。塘路でも数人が降りていく。団体客かもしれない。
釧路行きの普通列車とすれ違う。後方のデッキは撮影会場の様相を呈している。
テーブル席は相変わらず、おばちゃん方の談話室になっている。「談話室滝沢」ならぬ、
「談話室釧網本線」というところか。にぎやか車内の中、車窓からは釧路湿原が広がる。

茅沼。丹頂鶴が見られることで有名だが、この時期では流石に見られない。
ホームに機関車の動輪。おばさんが一人乗車。標茶では数人が降りていき、2,3人が乗車。
標茶あたりまでが地元利用者がよく利用する範囲かもしれない。釧網本線に入ってから
ある程度の規模がある街並みが広がる。窓を開けると心地よい風が吹いて来る。

南弟子屈の青い車両型の駅舎を通過。摩周。降りる客はなし。若い男性、中年男性が
一人乗車。席は結構埋まっている。網走まで午前中に出る貴重な列車のため、必然的に
混んでくるのは仕方がない。車内にはどこからマクドナルドのポテトのような匂いが
漂ってくる。誰かがお昼ご飯として食べテいるのかもしれない。
私の隣には摩周から乗り込んできた若い男性が座り、カメラを取り出して撮影を始めた。
どうやら車窓の景色を撮っているようなので、声をかけて窓側を譲ることにした。

こちらは座れればどこでも良いのだ。譲ったら何故かカメラ撮影を止めてしまい、
お互いの旅行話で盛り上がることになった。彼は周遊きっぷで、北海道を回っているようで
宗谷岬に行ったという写真を見せてくれた。北海道に2編成しかないという形式の車両の
写真や最近運行している国鉄色の赤い塗装のキハ40系も見せてくれた。
あと、釧路の駅弁情報。摩周の温泉情報や、摩周湖の鏡のような水面、そして川湯温泉、
砂湯があることは初めて知った。彼は知床斜里へ向かう予定だったが、旭川に向かうことに
するそうだ。離れた席から中年男性が一人こちらにやって来たが、旅の途中で一緒になった
旅行仲間のようだ。雨が降っている止別のホームに降り立ち、車内に残る彼らに手を振って
発車する彼らの列車にお別れの挨拶をする。駅舎の屋根には食堂の「駅馬車」のシンボル
なのか、風見鶏のような馬が立っている。観光客向けでもあるが、中に入ると雰囲気から
地元の人たちの憩いの場としても愛されている駅の食堂という感じだ。気取らない雰囲気が
大変落ち着いて個人的には好きである。ラーメン一杯だけにしようと思ったが、じゃがバタ
も気になるので一緒に注文。ゆっくりと食べないと次の列車まで間が持たない。
雨が降っていなければ、食後に駅周辺を歩き回ることにしたかったのだが、雨では店に
閉じこもっているしかない。食後にコーヒーでも飲んでゆっくりとしたいが、まだ旅の
半分なので、何があるかわからないので手持ちの現金はなるべく節約しないといけない。

発車時間になる少し前に店を出る。あわてる事はない。目の前がホームなのだから。
小さな女の子が乗り込む。その次に私が乗り込む。緊張しているのだろう、すぐ後ろに
人が気づかないくらいで、閉めようとしたドアを私が抑えてようやく振り返った。
列車は北海道では見慣れた白地に青と緑の帯が入ったキハ40系の1両。
浜小清水。制服の女の子が一人乗車。原生花園では中年夫婦が一組乗車。雨は降っている。

北浜。ようやく降り立つ事ができた。オホーツク海に近い駅として有名だが、
その駅舎にある喫茶店が気になって降りることにしたのだ。まず目を引くのが壁や天井に
喫茶店への扉と向かいのトイレのドア以外にはビッシリと貼られた名刺。しかし天井を
よく見ると、古いタイプの青春18きっぷや磁気定期券も何枚か画鋲で貼られている。
というより、天井にはどうやって貼ったのだろうか?肩車でもして貼ったのか(??)

撮影を済ませて、逃げ込むように店内へ。
カウンター席とテーブル席があり、テーブル席は客車で使われたらしいシートをそのまま
利用しているようで、ボックスシートでコーヒーを飲みながら、冬なら流氷を眺めつつ
列車がやって来るのを待つという何とも洒落ていて、贅沢な喫茶店である。

ボックスシート側に目を向けると、2組ほどのグループがボックスシートに座っている。
マスターの収集品だろうか、天井近くの壁にタブレットを収めるキャリア(自転車の
ワイヤー錠のような形状といえばわかるだろうか)や、蒸気機関車の車両形式を示す
プレートなど鉄道部品が控えめに展示されていて、気づく人には楽しめるようなしぶい
演出がされているのが何とも好ましい。なお、ボックスシートに座ってもよいかと
マスターの奥さんと思しき中年女性に訊ねたら、2人組以上でないと駄目らしい。

ボックスシートの客がいなくなってからマスターがもう忙しくないので、座ってもどうぞ
と言ってくれたのだが、列車の到着まで後数分だったので気持ちだけ有難く頂き、
レジ横に駅スタンプがあったので、手持ちのメモ帳に押していると列車がやって来た。

次は原生花園へひとつ釧路方面へ戻る。狭いホームに下りると生憎の雨模様だが、
この雨でも私の他に何人かが降りる。駅舎では入場券やオレンジカードの販売している。
節約したいところだが、観光客としてはただで見て通り過ぎるのもなんだか忍びないので
入場券の10枚セットを一枚購入した。
原生花園は海岸沿いに小さく作った花壇のような風情で、一周20分ほどもあれば見るのに
十分だろう。だがこの雨では、鳴り砂浜まで降りていく客は皆無らしい。
鳴り砂浜に着くまでに雨に濡れた植物に触れて、ズボンはほんのりと濡れていく。
これが分かっているから、後から観光バスでやって来た団体の観光客も誰ひとりとして
下まで降りてくる人は見かけなかった。
雨のせいで水分を含んでいるためだろうか、踏んでも音が聞こえなかった鳴り砂浜・・。

原生花園の植物に水遣りするためなのか、「となりのトトロ」に出てくるような昔の
レバーを上げ下げする方式の手漕ぎポンプ式の井戸がある。
晴れていれば他の観光客の目もあってちょっと恥ずかしいが、雨で誰もここまでやって
来る気配はないので、気にせずにレバーを上げ下げしてみる。水は出てこなかったが。
北海道の原生花園にくれば、もれなく「となりのトトロ」のあのシーンが体験できます(笑)

団体の観光客は望遠鏡のところまで、しばらくしたら姿が見えなくなった。
踏切を渡ったお土産などを売っている建物などに避難したのだろう。

先ほどの駅舎に戻ると、1600円分の「入場料」(原生花園は無料です)を支払ったのが
良かったのか、駅員が使っている本物の制服で記念撮影のサービスをしてくれるという。
この年になって、駅員の服を着て写真を撮られるとは予想していなかった。
制服といえば、小さいころに消防士の作業着を来た記憶ぐらいしかない。
少し寒いのもあるが、黄色い足の蚊が刺してきてかゆいので、踏切を渡ったそばの建物の
中へと逃げ込む。お土産や食べ物を販売しているが、観光地なら割高なのはどこも同じ。
しかし何も食べずに列車まで時間を潰すのは厳しそうなので、ジェラートを出す店で
夕張メロン味を選んだ。2色盛りのサービスをしてくれるというので、流氷オホーツクを
組み合わせにしてみた。氷のイメージしたような塊だが、どこかで食べたような味。
次回は食べるだけでなく、この目で本物の流氷をお目にかけたいものである。

列車の到着時間を見計らい、駅舎に戻ると原生花園に停車するキハ54系のオレンジカード
まで衝動買いしてしまった。何という不覚。販売員を兼ねた駅員氏が教えてくれた通り、
やってきた列車はキハ54系であった。乗客は結局先ほど降りた私と一緒におりた老夫婦
だけであった。知床斜里でまとまった客が下車。中斜里も同様に数人が下車していく。
ただし、南斜里から乗客に変化はなし。緑でようやく乗客が何人か乗り込んでくる。
ここで14分ほど停車する。前回乗車した臨時列車として運行されている「足湯めぐり号」が
先に発車してから、しばらくしてこちらも発車する。Iphoneはここでは電波は圏外。
こと釧網本線では圏外になる区間が長い。緑からは上り勾配が続いているのだろうか、
ケーブルカーのようにゆっくりとしたスピードで走っていく。トンネルを抜けると本来の
スピードに戻る。川湯温泉は残念ながらすぐに発車するので足湯はできなかった。

摩周。ここでは22分停車する。網走行きの列車と交換する関係だが、これだけ停車すれば
ちょっとの間だが、足湯を楽しむことができる。生憎の雨でも何人かが足を入れている。
見た目とは違い、足湯はこんなに気持ちいいものだと前回の旅で教えられたからだ。
川湯温泉よりはぬるいので、ずっと浸かっていたいが、そうもいかない。
網走行きの列車がやってくれば、こちらが発車する。まだ雨は降り続けている。

磯分内。乗客なし。標茶では学校帰りの制服姿が何人か乗り込んできた。
車内に少々の生活臭が漂ってくる。五十石。乗客なし。茅沼でもなし。丹頂もなし。
塘路で先ほどの学生さんが2人ほど下車していく。網走方面の列車と交換して発車する。
細岡。相変わらず、Iphoneは圏外である。隣のクロスシートでは窓側に座って携帯電話を
いじる女性が窓に反射して映っている。そのうちに3本の指で彼氏をダウンロードする事が
できるに違いない。火葬されるときは棺には花ではなく、携帯電話のモックアップで
埋めつくされる時代になるのかもしれないという妄想をしてしまった。

釧路湿原を出ると、Iphoneの電波が戻りつつある。遠矢で学生さんが数人降りていく。
すっかりと夜になった東釧路でも学生さんが殆ど降りていく。反対に停まっているのは
根室行きだろうか。そして終点釧路。ここでは次の列車まで約1時間待ちとなる。

計算していなかったが、釧路が舞台になっているという恋愛漫画の原画展が本来は17時まで
だが、今日は19時までやっているそうなので、時間つぶしに覗いてみることにした。
恋愛漫画を見たことはないので、よくは分からないが、少女が夢見る恋愛漫画らしい。
展示された数々の原画をゆっくりと見たが、釧路駅の1番ホームが出てくるのが何とか
分かるだけで、あとは地元でこの作品を読んでいるでないと共感できないだろう。
「僕等がいた」というタイトルのポスターが至るところで見かけたので、釧路駅が・・
というところで覗いてみたのが正直な理由だろう。全く不純な動機で申し訳ない。

19:33発の新得行きは1両編成。学生専用かと思われるくらい、学生さんしか乗っていない。
学校帰りの学生さんが、家路へ向かう途中の車内は仲間と談笑する大事な時間だろう。
特に列車本数が限られているような地域なら尚更である。どこかでカップラーメンを
啜るような音が聞こえたとしても気のせいということにしておく。
扉で仕切られたデッキもジャージと制服姿の女の子同士が談笑する秘密の空間となる。
扉越しに見る限り、誰にも聞かれたくない本音トークが繰り広げられているに違いない。

新富士。仕事帰りのサラリーマン風と学生さんが数人降りていく。
ジャージ姿のメガネの男の子がうろうろと前へ行ったり、後ろへ行ったりと落ち着かない。
列車の交換のために5分停車。ホームの反対側を釧路方面の特急列車が通過していった。

左斜め向かいのボックスシートでは制服の女の子が一人、無防備にも向かいの席に足を
投げ出した格好で鞄を枕代わりに気持ちよさそうに居眠りしている。
現在車両は、学校帰りの学生さん専用、走る談話室となっている模様。

新大楽毛。乗降客はなし。後方のボックスシートは男の子と女の子たちが一同にじゃれ合い
背中越しに楽しそうな空気を感じる。某掲示板だとこの場合「リア充爆発しろ」か。
乗ってくる客は学生さんだけだ。見事に私だけが客としては浮いている。
青春18きっぷではないシーズンは、学生さんばかりのまさに背中越しに感じているような
青春時間が日々、垂れ流しになっているのだろう。
列車を通じて、釧路の夜の日常を覗いているのは私にとっては非日常で何だか楽しい。

釧路発の青春列車はボックスシートの至るところで、リアル「僕らがいた」状態(笑)
あの恋愛漫画のコマの中に一人、放り込まれているような変な気分でもある。

庶路。学生さんが2人降りていく。クロスシートに座る友達にバイバイと手を振りながら
デッキの下に消えていった。
西庶路。夜のホームに学生さんと仕事帰りの中年男性が降りていく。
車内から徐々に青春の空気が抜けていく。夜の列車は静かになっていく。
左斜め向かいの女の子はようやく目が覚めたようだ。目が覚めるやいなや、早くここから
脱出する事を念じているかのように、両手で携帯電話で音楽を聴いている。

列車という空間でどうしたらよいか、時間の使い方は下手に見える。
携帯電話がないと、きっと彼らは急に踊りだすかもしれない。
村上龍著「5分後の世界」のロシアンマンボの後に、ヒュウガウィルスと同じく
倒れてしまうかもしれない。

白糖。学生さんが数人降りていく。待合室にいるジャージ女とボックスシートに座る
太目のジャージ女がガラス越しにお互いに手を振り合う光景。後方のデッキを振り返ると
高校生らしき男の子と女の子が微妙な距離を保って、会話しているようだ。
その距離は友達だがまだ彼氏彼女ではない、ということを示しているのか。

宮脇俊三氏よろしく、地元の日常を運ぶ列車にぼーぅと身を委ねるのは好きだ。
乗ったことがない路線で、こうした日常風景に出会える事は楽しみの一つである。
利用するのが主に地元の人間である以上、路線を特徴付けるのは日常の空気である。
このまま知らない日常に逃げ込みたいと思う瞬間が時折、やって来る。

後ろのボックスシートは部活帰りの集団らしい。
音別でここまで続いてきた青春列車は打ち切りとなり、完全に静かな車内となる。
ホームへ降りていった彼らの野郎どもは一緒の帰り道で女の子に告白するチャンスを
女の子たちはそんな事はお構いなしに、他の男の子が自分のことをどう思っているのか
何となく探りながら、だらだらと話しているのかもしれない。

相変わらず、雨は降っている。私を含めて野郎は4人ほど。
尺別。乗降客なし。運転士の吹く笛の音だけが夜のホームに響くのみだ。
直別も厚内も同様に誰も降りず、乗ってはこない。上厚内で3分停車。反対側を特急列車が
通過すると発車する。Iphoneはほぼ電波は圏外が続いている。
暗がりの中を、いつの間にか常豊信号所を過ぎたらしい。車窓を注意深く見ていたが、
駅名票のような看板を見つけることは出来なかった。

浦幌。昼間とは違い、誰も乗ってこない。半袖では少々肌寒くなってくる。
昼間の暑さとは対照的な夜の北海道ではやはり、上着を持ってきた正解だったようだ。
利別。浦幌行きの普通列車と交換。先ほどの浦幌行きは空気輸送状態だったが、
今交換した浦幌行きは2.3人ほどの客の姿があった。

幕別。背の低いシルクハットのようなものを被ったクラシックな格好の若い女性が一人。
駅前では学生さんと思しき若い連中がたむろしていた。次は帯広。今夜の宿泊地である。