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【北海道&東日本パスの旅 4日目】 ノシャップ岬へ歩き、旭川四条駅の愛
南稚内
14:16発
↓ 4332D 宗谷本線
(15:12着)
幌延
(15:50発)
↓ 4334D 宗谷本線
(18:22着)
名寄
(18:24発)
↓ 330D 宗谷本線
20:12着
旭川四条
朝9時に目が覚める。9時半に目が覚める。
昨夜稚内駅の観光案内のおばさんに訊ねたところ、徒歩で1時間半の距離だという。
バスに乗っても良いのだが、北海道に入ってから始めの行程なので軍資金は節約しないと。
往復3時間、ノシャップ岬で1時間くらい滞在する事を考えて余裕を見て稚内に戻るのに
5時間の計画。南稚内から稚内へ歩く。丁度20分。このペースであれば1時間少しで
ノシャップ岬に到着出来そうだ。
稚内駅を通り過ぎたところで、ふと思い出して寄り道。北防波堤ドームを忘れかけてた。
初めて訪れたのは雪が積もっていた冬。戦前の短期間ではあったが、
旧稚内桟橋駅の防波堤として使われていた。
使われなくなってからは朽ちるのに任せていた状態だったが、地元の要望で昭和55年に
当時の姿に復元。その大事な北海道遺産である柱の周りの積もった雪に人目に付かぬよう
あまりの寒さに我慢できず、小用を足してしまったのである。
韓国か中国らしき若い男性がひとり、デジカメのセルフタイマーで記念の動輪と一緒に
撮影しようと頑張っているが、強い風でうまく撮れない様子だ。声をかけて写真を撮って
あげると、彼は大阪から飛行機でやって来たと話してくれた。昨夜は旭川に寄ったそうで
気温は20℃を下回ったそうだ。はるばる北海道まで来たのに日焼けする程の暑さが続いて
いるから、ようやく北海道らしい涼しい気候を期待出来るかもしれない。
アジア系の彼が車で去るのを見送った後、北防波堤ドームに近づいてから前回の無礼を
詫びておく。何となく胸のつかえが消えた気がした。
これで気持ちよく、ノシャップ岬へ歩いていけそうだ。
歩き始めると磯の匂いが強く鼻に付くが、飛んでいるタンポポの毛を見て少々驚く。
サイズが大きいのだ。スーパーマリオのデカ面、と言っても分からないだろうが、
そんな事を連想してしまった。
最北の地でもトンボが飛んでいる。秋の訪れを知らせる使者なのだが、北海道なのに
夏のような強い日差し。北海道だからと思って特に日焼け止めを塗らなかったが、
これなら塗った方がよかったかもしれない。
しばらく歩いていくと地元では見られないようなクモが巣を張っている。
よく見かける足が踏切のような黄色と黒のしましまのヤツではなくて、全身が青い色した
クモである。何という名前なのか、知る気にはならない。
正面遠くには赤と白でしましまになった灯台が見えてくる。
左側の開けた一帯は陸上自衛隊の基地のようである。緑の丘に物物しいアンテナが
いくつか建っている。赤と白のしましま灯台はノシャップ岬のトレードマークというより
水族館のオブジェのような扱いである。灯台の前で撮影する人はおらず、その近くに
設けられたイルカのオブジェの前でやって来るカップルや夫婦などが撮影している。
一種の儀式の如く、撮影するためにそそくさと車やバイクでやってきた彼らは撮影が済むと
一休みすることなく、店に入ってみやげ物を見ることなく、車やバイクで帰っていく。
こちらは1時間半を歩いてきたが、この暑さではすぐに引き返す気にはなれない。
あまり出費はしたくないが、この暑さではアイスクリームが恋しくなってくる。
土産物屋に入り、ふと目に付いたのが250円の「稚内牛乳」で作られた
というチョコレートアイスクリーム。
暑い中を歩いて来ただけに甘いのと冷たいのが染み渡る。
体力が回復したようである。稚内駅へ向けて歩く事にしよう。
行きは途中から車の通る大きな通りに入ってしまったので、帰りは海沿いの道を
磯の匂いを嗅ぎながらゆっくりと歩いて行く。
路線バスで走り過ぎていたら、おそらく気づけなかった風景がすぐそばに広がる。
漁に使う網が天日干しされており、その隣では昆布も干してある。
そして左斜め前方に目を向けると北防波堤ドームの背中が見える。
さらに奥には細長い黒い島影が横たえている。サハリンかもしれない。
稚内駅のホーム、そばの踏切を横切ろうと思ったが、ホームに特急列車が
停まっている。どうやら回送として引き返すらしい。
滅多に撮影できるものではないから、しばらく待っていると案の定、
警報機が鳴り出した。しばらくしてゆっくりと抜海方面へと特急列車が踏切を横切って
行く。その踏切を渡って、南稚内のセイコーマートのATMでお金を下ろして、南稚内に
戻れば、列車が来る頃合いだろう。
南稚内のキヨスクで駅弁を購入する。店員のおばちゃんと訊ねると北海道でこの暑さは
異常だという。平年なら半袖では肌寒いくらいのはずだが、この暑さではあまり駅弁を
置いておくわけには行かなくて参っているとのこと。私が購入した1個でどうやら売り切れ
の按配らしい。
話が続けたところでは、元々横浜に30年ほど住んでいたそうだ。
横浜の大和付近に住んでいて、娘さんも東京で働いていたそうだが、
あまりの人の多さがストレスになったのか、結局この稚内へもどって来て18年ばかりを
一緒に暮らしているそうだ。北海道という土地柄、寒さに耐えて、不便な環境にも耐えて
心身強い人たちという勝手なイメージがあったが、どうやら一部は違うらしい。
あまりに多くの人に関わるという未体験に驚いてしまうらしい。その洗礼を乗り越えた者が
東京という魔界に生き残れるのだろう。
やって来た列車はすでに大半が地元客で席が埋まっていたが、
途中の豊富や幌延で降りて行き、我ら観光客だけの他は車両後方には黄色い声。
若い学生らしき集団が乗っている様子だ。幌延では38分停車する。昨日乗って来た列車と
ここでご対面することになる。今度はこちらが発車してから向こうが発車する。
輪行(りんこう)客が数人。途中まで自転車、途中から袋に詰めた自転車を持ち運んで
列車に乗っていく行為を「輪行」と呼ばれているようだが、最近は珍しくない光景だ。
幌延では38分ほど停車するのだが、駅前には何もない。
何もないところで何をするか。携帯やスマートフォンを弄るなら誰でもできる事だ。
その携帯の電池が切れたら?圏外だったらどうするのだろう?
車内を改めて見渡すと時間の使い方がうまくない人が多い。携帯から離れるのが怖いのか。
列車は観光のために運行されているのではない。鉄道事業者側の事情と利用者の需要の
最適解であるダイヤに従って運転されている。嫌がらせで38分も停車するのではない。
しかし居眠りしていない限りは、38分も列車内でじっとしているのは退屈だ。
携帯の狭い画面を見続けるのも、イヤホンで好きな音楽を聴き続けるのも退屈になる。
なので、私は車外に出る。乗り遅れたら次の列車まで待てばよい。かなり待つけれど。
海外ならともかく、ここ日本だ。鉄道の定時運行では世界レベルの信頼度がある日本では
発車時間が遅れる事はあっても発車時刻前に発車する事はないだろう。
(まれにそんな事故が発生したというニュースはあったが)
人間の気まぐれに比べたら、列車のダイヤは余程の信頼がおけるのだ。
幌延を出発して雄信内。そして宗谷本線唯一のトンネルを抜ける。
昨日とは逆に右手に天塩川が沿ってくる。ゆったりとした流れが心地よい気持ちになる。
正面の線路に目を向けると、こんなところに線路を敷いたものだ感心してしまう。
平坦な土地ではなく、山の斜面に縋るように設置された鉄橋を見るだけでも工事は困難を
極めたものだと想像できる。
次は天塩中川。車両奥から地元のおばあちゃんがひとり、前のロングシートまで移動する。
列車が駅に停車してからその座っていたロングシートからゆっくりと立ち上がる。
学生さん達の憩いの席でもあるが、おばあちゃんが駅に降りるサポートも果たしている。
個人的には嫌いなロングシートが、この列車ではやさしい存在なのだと気づかされる。
特急列車の待ち合わせのために10分程停車する。
ホームに下りて列車の撮影をしていると、名寄方面から特急サロベツがやってきた。
サロベツは向かいのホームに停車すると、あわただしく稚内へ向けて発車していく。
発車してからこちらもすぐに発車して良さそうなものだが、16時42分00秒になってから
発車する。秒単位まで改めて正確なのだと感心してしまう。
佐久。普通列車待ち合わせのために5分停車。
どうやら下りの普通列車がやって来ると同時にこちらが先に発車するようだ。
発車してからシャッター音がしたような気がして、ふと右斜め向かいに同業者を発見。
一眼レフのレンズを構える先を見るからに線路がカーブするところで天塩川とのアングル
を狙っている様だ。
音威子府。中年女性が1人乗車。そして1人下車。乗務員が1人。名寄まで行くのだろう。
右手から差し込む夕日は今日も一日の終わりを告げようとしている。
列車は線路のつなぎ目を拾い、軽快なリズムを刻みながら、飛ばしていく。
天塩川温泉を出ると、警報機と遮断棒のない踏み切りの直前で列車は警笛を鳴らす。
豊清水。下り普通列車がすでに待っていた。こちらが先に発車する。
「JR時刻表」で見ると、今乗っている列車は幌延、名寄で列車番号は変わるが、北剣淵と
南比布以外のすべての駅に停車していく1日1本だけの貴重な直通列車である。
この列車に乗れたことで、普段は窓から通り過ぎてしまうのを見るだけだった駅に降り立ち
じっくりと撮影する事が出来るのである。
この区間はやたらと警笛を鳴らす。警報機と遮断棒のない踏切が多いのだろう。
美深。まとまった客が乗り込んでくる。昨日の稚内行きは1人しか乗ってこなかったから
廃線するのではという心配は余計なお世話かと思ったが、学生さんばかりであった。
比率は大半が女の子である。やはり心配だ。心配しても仕方ないのだけれど。
学生さんが減って利用客が減れば、こちらは別の理由だが、信越本線のように線路が
分断されて、一部、そしてすべてがバス路線にでも置き換わってしまうのかもしれない。
一見賑やかな車内だが、客層を観察すると決して安定した利用状況とは言い難い。
安価なフリーパスで旅行している身分が意見できる立場ではないのだけれど・・・。
女の子たちとロングシートの関係だけは東京も北海道も変わらない位置付けだ。
まとまった人数では落ち着かないボックスシートよりは居心地は良いらしい。
こうして現代っ子との住み分けがロングシートとクロスシートで成されている(?)
美深で乗り込んできた客の中で1人特異な存在だった若い男は、先ほどの一眼レフの
男性の隣に座っておしゃべりが始まった。私のような同業者は団体行動をあまり好まない。
特定の列車を撮影するために、またオフ会といった集まりでもない限りは、単独行動が
メインになる。待ち合わせた友人の可能性もあるだろうが、たまたま同じようなメガネで
同じ波長を感じ取って意気投合した、というのが自然だと思われる。
北星。日進。板張りのホームには乗降に必要最低限の長さしかない。
一両分も入らない長さからは、利用客も数えるほどしかいないのだろう。
根室本線の常豊信号所のような佇まいである。
名寄。美深で乗り込んできた先ほどの女の子達が一斉に下りていく。
名寄から乗ってくるのは旭川方面まで乗っていく客だろう。
相変わらず学校帰りの連中が多くを占めている。
学校卒業したら車に移るのだろうか。あるいは内地へ出て行ってしまうのだろうか。
旭川からやってきた快速名寄行きの2両編成が入線すると同時にこちらは発車する。
このあたりも札幌に比べると田舎なのだろうが、まともに民家も見かけない風景ばかりを
見てきたので、都会的に感じてしまう。
名寄を過ぎる頃にはすっかりと窓の外は暗い。
外の景色はよく見えないが、車内の灯が反射して鏡のように車内を映し出している。
終点までは車窓が映し出す車内の風景を楽しむことになる。
風連で学生さんが2人降り、おばさんが1人乗って来る。
風連で乗ってきたかわいい顔の女の子はすでに座っていたお友達の隣に座って
ボックスシートの背中越しに会話が聞こえてくる。
どちらがどちらの声かをその主を確かめようと後ろを振り向くわけにはいかないので、
真っ暗な車窓に眺めながら、かわいい声だなと思って聞いていたら最初は誰が誰と
付き合ってという話から最終的には周囲の愚痴に展開されていく。
メールでやりとり時間はお互いの暗黙の了解事項になっていて、この時間に寝てしまうのは
ご法度らしい。テレホーダイの時間は寝るな、みたいもなものか。
剣淵。学生さんの乗り降りは続く。
習慣的にロングシートに集まる彼らだが、列車内だけなら東京の山手線などは居心地が
良いに違いない。クロスシートでは居心地が悪いのだ。私のように先客がいれば、
気まずそうに肘掛けに腰掛ける。女の子程ではないが、円陣文化は残っている。
けれども女の子に比べると、円陣の仕方はあまり上手ではない。
東六線。学生さんは何人か降りていくが、まだ車内は青春(?)の空気が流れている。
和寒。ここでも学生さんの下車が続く。あと20年もしたらこうした風景も昔話になるのか?
間が持たないのを恐れるように始終携帯を弄っているのと、気まずい事は避けたい、
というのは場所が変わっても人は変わらないなと思う。
僕らが棺おけに入る頃には花の変わりに携帯の山で手向けられる絵を想像してしまう。
そのうち、ソフトだけでなく彼女もダウンロードする世になるかもしれない。
夜の塩狩峠に差し掛かったらしい。急にスピードがゆっくりになる。
塩狩。特急列車の通過待ちのために6分程停車する。
留萌。ホームは暗く、小さな駅舎内の蛍光灯に大量の蛾が入り口のガラス戸に
張り付く様に羽音を立てている。下車したジャージ姿の女の子はすでに寄せていた眉を
さらに寄せて不機嫌な表情を露にしながら駅舎の脇の通り道からホームの外へ抜けていく。
何もしないのに、車内から窓越しに見つめる女の子たちは「かわいそう」と口にするが
下車した女の子は蛾が集まっていることよりも車内から見ている女の子たちがそう自分を
見ている事に機嫌が悪くなっていたように思える。
比布。ホームに降りた友達を見送るシーン。我が地元では見かけない風景だけに少し新鮮。
北永山。旭川までもうすぐだが、宿の関係でひとつ手前の旭川四条で下車する。
旭川四条。私を含めて降りたのは3人。
地元の若い男の子2人はそのまま階段を降りてしまうのかと思ったが、ホームに佇んでいる
私を見て、片方の男が話しかけてくれた。
宿泊する宿がこの近くにあると印刷した地図を見せたら、丁度帰り道なので近くまで
案内してくれるという。地図では何とかなりそうだったが、高架の駅から降りてみると
迷いそうであった。自転車を取りに行ったもう1人の彼は、一旦自分の家に戻ってから
また合流してくれて、本日の旅の最後に暖かな気持ちになった。
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