2011年2月8日火曜日

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【北海道&東日本パスの旅 9日目】 キリキリマイ、そして不覚にも・・

比羅夫
09:36発

↓ 2932D 函館本線

11:13着
長万部
13:24発

↓ 2844D 函館本線

16:12着
函館
16:51発

↓ 4032M 函館本線~江差線~海峡線~津軽線
  特急 白鳥32号
  
18:40着
青森






朝6時前に起きたのは、5:50頃に通過するニセコライナーの回送列車を見るためだ。
宮脇氏はすでにホームに出て、回送列車を撮影しようとカメラを準備していた。
時間通り、特徴ある近郊型デザインの気動車が通過していった。

38歳氏は6時台の列車で小樽方面に経つという。夕張への盲腸線に乗る事にしたらしい。
朝食の前に列車に乗り込む彼を見送る。昨日初めて出会った人だったけれど、ホームで
こうして誰かを見送るのは何だか新鮮だし、ちょっと寂しい気持ちにもなる。

宮脇氏とともに朝食を食べ、宮脇氏は9:18の列車で静かにホームを去っていた。
同じように列車が見えなくなるまで手を振った。なんだか寂しい気持ちになる。

山登りグループは朝早くに出発したらしく、残った客は私だけであった。
朝食を食べずに朝一の列車に乗ることも考えたのだが、こうした宿で朝食を食べる
機会が再び訪れとも限らない。途中の特急列車への出費は少し痛いけれど、
一期一会を尊重して朝食の後に出発することにしたのだ。

9:36の列車まで少々時間が空くのだが、ここでご自宅から奥さんとお子さんの2人とも
顔を合わせることになった。南谷氏によれば、3歳の女の子は奥さんとともに再び
ご自宅へと戻っていったが、5歳になるという男の子は残って私に話しかけてきた。
手に持っているクワガタはキリキリマイだという。家にあるカブトムシを見せてくれる
ということで、彼の好意に甘えて後に付いていく。それよりも初めての人に全く
人見知りせずに堂々としている事に感心してしまう。

カブトムシについて色々と教えてくれるのだが、そろそろ列車がやってくる時間だ。
しかし熱心に話してくれるこの昆虫博士氏とお別れのタイミングを図りかねている所で
後ろからお手伝いさんと思しき中年女性がやって来てくれたので正直助かった。

発車までの数分、南谷氏に話をしたが、20年後には北海道新幹線が開業してこの「山線」
は廃業になると噂されている。自分の代でそれまで続けてお子さんには無理に継がせる
つもりはないそうである。夫婦だけでその後は農業かなにかで暮らせればと思っている
ので、お子さん達には自立してもらわないと困るそうだ。
なるほど、だから父としてお子さん達にはきっと宿泊客には積極的に話しかけるように
教えているのかもしれない。学校とは違って年齢も考え方も様々な人たちと生活しながら
毎日接する機会はそうそうないし、社会人としての基礎をつける絶好の教育現場である。

堂々としてハキハキと話してくれた先ほどの5歳の男の子がすごく羨ましい。
私のようにほとんどを学校にいくだけで過ごして来たのとは違って、ここがお子さん達の
生きた教育現場になっていることは全く予想だにしなかった。
駅ノートには日付が1989年となっている記載もあったので、少なくとも20年以上
色んな客を向かえ入れた事だろう。そうした環境下で特に男の子は日々逞しく成長している。

今回最後の客である私をご家族で見送って頂いた。列車に乗り込むと、昆虫博士に手を振る。
来年春に来るともっとよいものが見られると教えてくれたその男の子とともに列車は
ドアが閉まってゆっくりとホームを離れていく。

次回来ることがあった時、博士はどんな事を教えてくれるのだろうか。
でも何となく、今回が最初で最後の機会のような気がした。

車内の席はほとんど埋まっていた。しばらくは立って前面展望を楽しむことにしよう。
ニセコ。数人が降りて、また何人か乗り込んでくる。観光客と地元客が混じっている。
ニセコ以降も客の乗り降りが1,2人ほどあった。車内では2人ほどカメラマンが前の景色や
駅舎やと業務が大変忙しい。

蘭越。ここで普通列車とすれ違うために10分程停車する。この駅以降では長時間停車はない。
山の中、時折トンネルを抜けながらもゆっくりと一駅一駅進むのは「山線」と呼ばれる
だけの事はある。駅間が長いだけでなく、アップダウンが激しい路線では最新の気動車でも
そうそうスピードは出せない様子だ。結局終点の長万部まで空くことは無かった。

長万部では4番線に停車。折り返し小樽行きとして発車することになる。
向こうのホームに11:30発の函館行き特急列車が発車すると3番線には一両の気動車が入線。
トランクケースの若者達が降りてホームの階段を昇っていくとまた静かになる。
気動車はそのまま回送としてホームを離れていった。

昨夜宿泊した「ひらふ」にはインターネットに接続されたノートパソコンが用意されていて
無料で利用できた。そこで調べておいた長万部温泉ホテルに向かうことにする。
次の列車まで約2時間も空くので、朝風呂ならぬ、昼風呂を浴びることにしたい。

長万部温泉ホテルは駅から歩いて10分ほど。線路をまたぐ長い歩道橋をわたって右に曲り
少し歩いたところにあるが、銭湯と宿泊者も兼用で利用するようになっていると思われるが
宿泊者らしき気配はなかった。浴室は長年の温泉の成分で酸化しているのだろうか、汚れが
目立つのであまり衛生的とはいえない。お世辞にもあまり長湯したくなかった。

ミックス牛乳を飲みながらしばしの休憩。駅に戻りながら、かにめし本舗で全国的に有名な
「かなやのかにめし」を購入する。1050円なり。駅に戻ると雨が降っていたが、すぐに止む。
天気がどうにも変わりやすい北海道では天気予報は当てにならない時がある。

長万部始発の一両編成はボックスシートの海側は埋まり、山側もひとつ空いているだけ。
乗客は若者が多い。隣のボックスシートに座る男子2人組が話している内容で特急「かもしか」
快速「しもきた」という単語が聞こえてくるところから、東北まで行く旅行者らしい。
できる限り安く、青森から秋田まで乗り継ぐ計画を練っているのかもしれない。

八雲。地元の若者が3,4人ほど乗り込む。降りる人はなし。
こちらが発車すると待っていたように長万部方面の普通列車がホームに入ってきた。
左手には海が広がってくる。野田生。金髪の若い女性が一人が降りていく。構内踏切を渡って
反対側のホームへ横切り、草むらの奥へと消えていく。列車は動き出す。
落部までの間で、列車は左手に海を見ながらカーブしていく。トンネル、トンネルと抜ければ
落部。ここで若者が3人ばかり下車。駅舎を通っていくのはカップルと10代くらいの女の子。
早朝であれば、少し前まではここで貨物列車と交換する「北斗星」が見られたが、一往復だけ
となった今の「北斗星」でも見られるのだろうか。

しかし、ハエが鬱陶しい。手で払ってもまたやって来る。かにめしの味に集中できない。
若き白いシャツの男性カメラマンは本業に忙しいようだ。森駅はすぐに発車した。
発車してしばらくすると、砂原経由と駒ケ岳経由との線路の分岐点があり、列車は時刻表通り
砂原側へと入った。東森へ着く直前で後方に目をやると、札幌へ向かうのだろう特急列車が
通過していくのが少し見えた。尾白内を出ると右手に駒ケ岳が見えてくる。
掛澗。学生風の若者が一人乗り込む。先ほどのカメラマンには彼女らしき女性と一緒らしい。
じっと席に座っているが、呆れているのと退屈で居眠りしているのかもしれない。

鹿部。ポニーテールの女の子が一人乗ってくる。
銚子口。普通列車と交換する。向こうが発車してから、こちらも徐に発車する。
大沼。女の子が3人乗車。七飯から函館へ向かうであろう地元の方達が乗り込んでくる。
感覚的にはもうすぐ函館であるが、住宅街が並ぶこの街は函館駅周辺から少し離れていて
列車でないと移動できない距離である。桔梗ではデッキだけでなく、ロングシートの前にも
立ち客。数少ないつり革が本来の役目を果たす瞬間でもある。

函館からは青森までは特急に乗らざるを得ない。特例を使っても普通列車だけでは青森に
たどり着く事ができないからだ。みどの窓口で自由席特急券を求めると、乗車券の提示を
求められる。シーズンだけにキセル防止のためだろう。
16:51の特急列車は後方展望が楽しめない残念な485系。しかしこれを逃すと青森への到着は
だいぶ遅くなってしまう。青森へ行く特急列車が少なくなってきているためだろうか、
どの車両も混雑している。函館から青森まで特急料金は1680円。

17:08。函館市街と五稜郭タワーと函館山が真横に並んで見えてくる。
北海道とのお別れの景色なんだと思うと、何だか淋しい気持ちになってくる。
途中の木古内までは普通列車で行けたのだが、木古内からでは座ることはできないだろう。
ゆったりした気持ちで別れを告げたいので、敢えて函館から特急列車に乗ったのである。

前方に見える島影は下北半島だろう、帰らないといけない地が近づいてくる。
後ろを振り返るとどんどん遠ざかっていく函館。これ以上は振り返るのはやめよう。
不覚にも泣いてしまった。声を出さずに静かに泣いてしまった。なぜだろう。

たった6日間北海道に居ただけなのに、こみ上げるこの気持ちはなんだろう。
旅の思い出が鮮明に蘇ってくる。昨夜の「ひらふ」の夜は最も忘れられない。
青函連絡船なら真後ろに離れていく函館を見ることになるから、さらにお別れはつらい
ものになったかもしれない。

特急列車はそんな事はお構いなしに木古内を出ると、青函トンネルの長い闇に入った。
この長い闇が終わらないうちに30分の間にこの気持ちをトンネル後方へと飛ばしたい。
でもそうしようと意識すればするほど、こみあげてくるものがある。
いつもなら淡々と北海道を出て行くのに、この6日間はそうならなかった。
きっとワイド周遊券があった時のように20日も北海道に滞在していたら、それこそ
一層のこと住んでしまいたいという感情になるのも何となく理解できる。

トンネルは竜飛海底を通過したようだ。もう本州側に戻ってしまったのだ。
津軽今別を18時過ぎに通過。窓はトンネルの湿気で曇っている。青森側も曇っていた。
青森に着いてしばらくしたら夜が訪れるだろう。しんまち商店アーケードの終わりにある
ラーメン屋で夕食にしてそのままホテルで寝ても良いのだが、今回青森での滞在時間を
確保しているので、東北本線と奥羽本線の合流ポイントを見に行ってみることにした。
行って何をするわけではないのだが、一度見ておきたいと思ったのだ。
地図の通り、同じ道路に東北本線と奥羽本線の踏切が連続して続いている。

次に行ってみたのが、青函連絡船として活躍した八甲田丸。今は動くことなく、その
歴史があった事を示すべく、運行が廃止されてからずっとこの地に係留されている。
今は青森駅の東口と西口とを結ぶ線路をまたぐ連絡通路にはホームに降りる入り口が
シャッターで閉じられている。昔は下のホームからこの連絡通路を通って、多くの客が
青函連絡船に乗っていき、そしてまた青森駅のホームへと降り立ったのだろう。
連絡通路はきれいになっているが、よく見ると当時のままの形を一部保っている。

八甲田丸を後にして、反対方向に歩いていくと一本の線路が海岸へと延びている。
線路を見る限り、現役で使われているものらしい。線路にそって端まで歩けるように
整備されているが、見慣れる白い車両が鎮座している。よくみると塗装は剥げて
かなり荒れたまま放置されている。当時は休憩所として使われていたようだが、
今はその維持もままならないのか、閉鎖しているために使えない。

見上げれば静かに青森の夜空を眺めるには絶好のスポットである。
再び、奥羽本線と東北本線の合流地点付近を歩き回るが、まわりは住宅街なので
地図で確認しないと少々わかりづらい。ホテルに戻る途中にコンビニへ寄る。
「ソフトカツゲン」が売られていた。青森から徐々に全国へ広がってきている?
あと、喫茶店が結構夜遅くまで営業しているのは青森特有の文化なのだろうか?

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