2006年7月28日金曜日

つくもノヲ”X="1≠ 036

2chなどの掲示板を中心に使われている絵文字というのがあります。
また、表現を表した顔文字というのもあります。

【顔文字】

(・д・)

(^○^)

僕はほとんど顔文字を使わないので、作るのは得意ではありません。
詳細は他のサイトに割愛します。

しかし、数ある絵文字のなかで、したの絵文字が意味するところが最近までわかりませんでした。

orz

OTL

下のOTLは落胆しているところをあらわしているということがわかりましたが、
なぜかorzのほうはわかりませんでした。
「おろず」とか読んでみたりして、何のことかなと悩んでいました。

よく見たら、同じ意味でした。
しかし、文字を組み合わせてよくこんな使い方が思いつくなと感心してしまいました。

大げさな言い方をすれば、デジタル文明上の発明だと思っています。

これに関連するもので、ちょっと前まで「ギャル文字」というのが
話題になっていた記憶があります。
一見すると意味不明な記号が並んでいるように見えるけど、よく見ると文章になっているという
ものです。さて、つぎはなんと書いてあるでしょうか?

⊇ωレニちレ£

いつかのテレビ番組でもこのことを取り上げていて知りましたが、
ギャルはすぐにこの文字をつくって、またすぐに読むことができるそうです。

そしてwikipediaで調べたら、「クサチュー語」や「leet」というのが関連しているようです。

クサチュー語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%%E8%AA%9E

特にleetは取締りなどで検索に引っかかりにくくするためや、きっとこれがルーツなのでしょうが、
欧文モールスの打電の手間を省くために表記を省略したものを使っていたんですね。
これは以外でした。調べてみるとこういうこともあるんですね。

2006年7月27日木曜日

つくもノヲ”X="1≠ 035

26日に初めて、無断欠勤をしました。

初めてでした。小学校以来、ずる休みをすることはいけないことだと思っていました。
ずる休みするのは、勇気の要ることだと思っていました。

小学校・中学校は学校にいくことが楽しかったので、学校に行くのがいやだと思ったことは
ありませんでした。それは友達がいたからです。そのときにできた友達はすべて、自分から
声をかけてできたのではなくて、声をかけてくれたので、そのときは友達に悩むことは
ありませんでした。
中学校は途中で転校したので、転校先では珍しがって声をかけてくれたので
やはり悩むことはありませんでした。

しかし、高校生になって同じ高校になった人は少なくなって、
しかも自分から声をかけて友達をつくったことがないので、声がかかるまで待っていました。

結果、ひとりだけ友達ができました。それまで、ひとりだったので学校にいくのが嫌だなと
感じました。行きたくないけど、我慢して行っていました。

だから、修学旅行はずっとひとりでいました。
楽しいはずの旅行も早く終わらないかなとそればかり思っていました。
高校生まではその友達しかいませんでした。
そして、大学生になりました。大学は、高校までのように集団行動を要求するような
行事はなくて、自分が好きな時間に好きな勉強をするところだったので、
ひとりで過ごせるので気楽でした。
図書館に行くのも、教室で講義を受けるのも、ひとりでした。
1年生の時はすぐに学籍番号ごとにクラス会というような親睦を深めるための集まりがあって
そこで、ひとりのひとに声をかけられました。
彼は栃木出身でした。その足利市に住んでいるとのことでたまに実家に帰っているそうです。

彼は旅行にいくサークルに入りました。人が好きそうではなかった感じですが、
彼は私といるよりはそのサークルでは生き生きしていました。
かなり楽しそうで、旅行に行かないかと私を誘ったぐらいでした。

1年間は昼飯を一緒に食べたり、一緒に授業をうけたりしました。
でも2年からは別々になり、卒業式まで会うことはありませんでした。

テニス同好会に入ろうと担当に電話までしましたが、人に会うのが怖くて結局やめました。
気楽に一人で好きな時間に勉強ができる環境なのに、面倒くさければ講義なんて
サボればいいのに、そうせずまじめに通っていました。

だから、それをひきずって会社もやはり体調が悪くなければ、休んではいけないんだと
行きたくない日もあったけど、我慢して行っていました。

そして26日に、我慢ができなくなって会社の正門まで行ったけど、そこから会社の中に
入れなくて、そのままマンションから飛び降りて死のうとしました。

マンションの階段を一番上まで登って、そして下を覗きました。結構、高いものでした。
怖くなったのと、家族の顔が浮かんだのでいったん止めることにしました。

そして、今度は前回の家出でも行った青木ヶ原樹海に行こうとしました。
田園都市線を中央林間で降りて、そして小田原までロマンスカーに乗りました。

ロマンスカーは行楽特急にふさわしく、そしてここにひとりこれから樹海で死のうとしている
人が乗っていることなど知らずにまわりの子供たちが楽しそうにはしゃいだり、笑っていたりして
結構賑やかでした。

小田原からは東海道線で富士まで乗り、そして最後は身延線で下部温泉まで行きました。
下部温泉からは交通機関がないので、国道300号線をまっすぐに樹海に向けて歩きました。

しかしやっと梅雨が明けたのか、太陽が顔を出して、その暑さで汗でシャツはぐっしょりでした。
また、道の途中で写真に取りに来たという40~50くらいのおじさんがワゴン車の運転席から
私に道を尋ねました。おじさんは私が地元の人でないとわかると走り去りました。

そして、延々と暑い中を休むことなく歩き続けました。
また、先ほどのおじさんの乗っている車が見えました。
誰かほかの人にさっきとおなじように道を尋ねているようでした。

そこを通り過ぎて、また歩き続けました。
しばらくしておじさんの車は追い越して去っていきました。

また、歩き続けました。
あのおじさんの車に会うことはないと思っていましたが、またとまっている車が見えました。

おじさんは私にまた、話しかけてきました。

「写真は撮れました?」

「なかなかいいのが撮れなくて、もう少し行ってみたい思います」

「どんな写真を撮りにきたんですか?」

「木とか森とかです。」

「私は虫の写真を撮りに来たんです」

もちろん、私は写真を撮りに来たわけではありません。
おじさんがそのときの私の格好を見て、私の話したことを信じたかどうかわかりません。

そして、またそのおじさんと別れて歩き続けました。

例の車はしばらくして、追い越して行きました。

そして、しばらく歩くと50メートル先におじさんの車が止まっているのが
見えました。さすがにこれ以上、話しかけられるのも嫌だし、
写真を撮りに来たのではないのではと疑われるのが怖くて、
来た道を引き返すことにしました。

そして、下部温泉駅について身延線に乗りました。
前回の家出では、このまま戻って、自宅の最寄り駅で心配して待ってくれた両親がいました。
でも、今回は戻らずにさっきのマンションから飛び降りて死のうと考えていました。

結局、樹海に入ってそのまま飢えか首吊りかで死のうとしましたが、できずに引き返しました。
最後の小田急線で自宅の最寄り駅に近づく間に家族の心配している顔、特に前回の
改札で心配して待っていた両親のことが浮かんで来ました。

「やはり、心配しているよな?。帰って正直に話したほうがいいか」

降りる駅が近づくまで、迷っていました。
ドアが開いて、私は降りました。やはり帰ることにしました。

前回と同じように両親は待っていました。でも前回とちがってそれはわざとだったのは
見え見えでしたが、やさしく出迎えてくれました。

正直に顛末を話ました。そして死のうとしたことも。

上司から何度も家に電話がありました。
心配して何度も電話があったと親から聞きました。
そして、上司にすぐに電話しました。そして、翌日会社で上司に会って
今回のことで話をしました。今回のことになってしまったいきさつを正直に話しました。

優しい上司でした。すぐにでも仕事に復帰しろと言われるかと思いましたが、
30日からでいいからゆっくり休みなさいと言ってくれました。

そして、その足で母親と一緒に埼玉へ行きました。
そこの親戚にも親が電話をしていて、心配をかけてしまい、また
ずっと顔も見せていなかったので行くことにしました。

向かう電車内は普段とちがって、ゆったりと時間が流れているように感じました。

親戚のおばあちゃんは相変わらず元気でした。なんかこっちが元気をもらった感じでした。
30日からまた、職場へ復帰する予定です。

それと会社に送る始末書は書かなくてもいいことになりました。(ラッキーだ!)

2006年7月24日月曜日

つくもノヲ”X="1≠ 034

24年生きてきて、できるようになったこととといえば
朝、誰に起こしてもらうことなく自分で起きることができようになったこと、
使った食器を自ら洗えるようになったこと、そしてアイロンができるようになったことぐらいことか。

学生のころは、教科書に書いてあることを理解して、暗記して
試験で点数を取るために、休まず学校へ行けばいいものだと思っていました。

そして、大学生になったのはそこでいろいろと勉強して視野を広げて進路を決めるためと
考えてのことでした。

しかし、それはまだその気のあった1年生までのことでそこからは惰性で4年間を過ごしてしまい
ました。学費の一部はそのときやっていたバイトから払っていたので、ちゃんと学校に行かないと
勿体無いという気持ちがあったから、学校にいっただけでした。
おそらく、すべての学費を両親に払ってもらっていたら学校には行かなかったかもしれません。

そんな状態で卒業したものですから、どんなところで働きたいかなど考えてもいなかったので
就職活動が身を結ぶわけもなく、仕事も決まらないまま卒業式を迎えてしまいました。

今は、契約社員として、大手プロバイダーのネットワーク監視をメインした業務をやって
1年目になりますが、2度の電話対応ミスでお客様からクレームとなってしまい、
同僚からももうまったく信頼されなくなってしまいました。
この件で責任者はアメリカに出向いてお客様に100倍は怒られたそうですが、
そんなことは知ったことではありません。

もうそこには私の居場所はなくなってしまったのです。
もう1年くらいがんばろうと思ったけど、やっぱり限界だ。

なんか小学校とか中学校のころは楽しかったな。
今は、ちっとも楽しくないなあ。
人間とかかわるのはほんとに嫌いだ。
歩いてくる同年代とすれ違うときだって、それだけでなぜか緊張してしまう。

何のために働いているんだろう?何のために生きているんだろう?
自分はどこに向かえばいいだろう?
ぜんぜんわからなくなってしまった。

なんか、疲れてしまったな。

誰が私を助けてくれるというのだ?
自分は自分しかわからないんだから。

本当にもう、限界だ・・・・・・・

だれも、家族ですらも助けてはくれない。いや、誰が助けられるだろうか?
母親に一度は相談したけど、やっぱりぜんぜん不安というか、暗い気持ちはちっとも
軽くはならなかった。

いま、私はこの夢の中で孤独なのである。

もう、明日にでも生きるのやめたい。

この夢に未練はないのです。

まず、死んで幽霊になったら今まで見たいと思っていた東京の地下を
思う存分見てみたいとおもっています。

きっと、想像もしない楽しい世界が待っているかもしれません。

とりあえず携帯をいじって周りの人を見ようとはしない
人ばかりになった
この夢の世界にこれ以上生きたくない。もういやだ。

つくもノヲ”X="1≠ 033

wikipediaをご存知でしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

最近のR25というフリーマガジンにも取り上げられたフリー百科事典です。
この百科事典は管理者がすべての内容を一人で書いているのではありません。

それぞれ書かれている内容の著者は、百科事典を見ているあなたであり、誰かであるわけです。
つまり、誰もがこの百科事典に内容を投稿して、そして誰かが間違いを見つけると、
その投稿に対して、修正をするのです。こうして、内容はただしいものへと修正されていくのです。

私も数学に関して、発信したいものがあったので投稿してみました。

調和数列の部分和について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E5%92%8C%E6%95%B0%E5%88%97

昔、素知らぬ大学教授のサイトを見つけて
数学に関することを取り扱っているという内容をよんで、このリンクに書かれている数式を
メールで送ったことがあります。
だから何?というあっけない返事で終わってしまいました。
という、私もこの数式を考えてから今までに進展があったわけでもないのですが。

2006年7月21日金曜日

つくもノヲ”X="1≠ 032

終電で(乗った駅ではそんなことには気づかず、乗り過ごしても
上りの電車があると思って安心して)終点まで乗り過ごしてしまいました。

小田原駅に降りたら、反対の上りのホームは行き先表示板には何も表示されていませんでした。
私が降りた電車が最後で帰りの電車はないのです。

さて、もちろん歩いて帰ることはできません。
20kmは大人の足で休まず歩いて3時間はかかる距離です。

飲み会以外で、タクシーのお世話になるのは今回が初めてでした。
前回の飲み会でも終電を逃して、お世話になりましたが、
前回同様に運ちゃんは自分の話を始めてきました。
その間、始終私は、相槌を打つだけでしたが。

タクシーに乗らないと、聞けない話があったりするので
これは結構面白かったりします。

前回の話では、タクシーの運賃計算の目安でした。
深夜割り増しの場合、私の住んでいる小田急線沿線では
一駅1500円で計算するとだいたいの運賃がわかると
教えてもらいました。

だから、今回は小田原からでしたが、おそらく7000円くらい
かかるだろうと計算して、自宅の親に金を立て替えてくれるように
連絡してから、タクシーに乗りました。

タクシーが走り出してから、運ちゃんは話し始めました。

最初は最近の長い梅雨とタクシーの客の数について。

「今日みたいに夜までずっと降っているとお客さんが来ないんだよね
 仕事も早く終えて帰ってしまうのが多いからね」

そして、7,8年前に1度、芦ノ湖の水があふれて、周辺の旅館などが冠水したことについて。

「14,5年、この仕事やっていて怖いなと思ったよ」

そして、これはタクシーの運転手していてよかったなと思った話。

「箱根山で台風で土砂崩れがあってね。それで箱根ターンパイク以外の道が
 すべて寸断されてしまって。
 それで、小田原へいきたいお客さんがタクシーを待っているわけ。
電車もバスも、めったにとまらない登山鉄道まで止まったんだから。
2時間も3時間も遅れたから、こっちが謝らないといけないんだけど
乗ってくるお客さんのなかには、『大変だったでしょう。この雨の中。
 すいませんね』って、逆に謝られたよ。おつりもいらないからなんて
お客さんもいたね。このときはタクシーやっていてよかったな。」

と話してくれました。
普段でも晴れの日の終電後でもお客さんは乗ってくるらしいが、
このときは乗せておろしても次のお客さんが待っていて、
無線にも「どこにいる!早く戻って来い!」なんて、配車担当から
怒られるくらい、どこの会社のタクシーも空いていなかったそうである。

また、旅館も事情を察してタクシーを待つ間は、お客を無料で部屋へあげてくれたそうだ。
(料理は別料金だけども)
最も運ちゃんの話では、どこの旅館も同じように対応していたらしく、
これは旅館の協会の指示でそうしたんだろうということでした。

「そうしておけば、またお客さんにも来てもらえるかもしれないじゃない」

資本主義をよく表している話だとも感じたわけです。

タクシーに乗ると面白い話が聞けます。
寝てもいいですが、あまり酔っ払った客は乗せてくれません。
車内で吐かれることがあるからです。
もし、座席を汚してしまったらクリーニング代を請求される場合だってあります。
請求されなくても、払うのが礼儀というものです。

クリーニングしている間は、その車は営業できないからです。
まさか、悪臭を放った車で次のお客さんは乗せられませんからね。

降りるときは運賃だけでなく、運転手へ貴重なお話を聞かせて頂いた心づけも
渡してあげるべきだと思います。

公共の交通機関で、こんな体験はタクシー以外ないんではないでしょうか。

まだ、生まれてから一度も乗ったことがないというあなたは
一度は乗ってみるといいでしょう。

2006年7月13日木曜日

つくもノヲ”X="1≠ 031

こうして、また今夜もオナニーして腐っていくのです。
自分は半分を捨てている気持ちにいるのです。

パソコンも前で、エロ画をおかずに満足するのが休日の日課となっています。
女性とはセックスしない代わりに、オナニーをすることで満足を得て
私は朽ちてゆくつもりあります。

この世はすべて感じるもの、目に見えるものはすべて夢なのです。
自分の母親であっても、父親でもあっても私にとっては夢なのです。
はかなく終わる夢、これ以上は見たくはないんです。
この世界から脱出するには天国への階段を探さないといけないんです。

いますぐにでも。いますぐにでも。

夢から覚める前にやっておきたいことは何もないのです。
もし、地球最後の日が今日やってくるなら、これは前にニッキに書いたら省略します。

仕事の話に戻りますが、始末書を自分の会社に提出するような人間を
いつまでも今の職場におくほど、配属先のこの会社は馬鹿ではないと思いますが。

だから、年内にクビになるか、辞めるかのどちらかでしょう。
私自身の仕事に対する意識改善を求めているのでしょうか、例のプロダクトマネージャーは
その勤務にあったすべての対応時系列、メール、引継ぎを確認して
まとめたものをメールしろと命令が下りました。

ここで逆らえば、1年もやっていて大失態という弱みを彼らに握られているので
だだでさえ、私に対する視線は冷たいものなのにますます居場所がなくなり、
辞めざるを得ません。辞めた後のことなんて考えていないので
今時代の最先端をいくニートになってしまうわけです。

そして、最近「もう始末書は書いた?」とかプロダクトマネージャーは聞いてきます。

始末書を書くような人間にはかなり冷たいのです。
やさしい声で以前なら次回は気をつけてというぐらいでしたが、
ほかの人が同じ失敗しても理由を問い詰めることなく終わりですが。

私の場合は、そうはいきません。

まあ、特に例の2人、プロダクトマネージャーともう一人は
動物の肉を啄ばむ鳥のように容赦なく、私が出したメールについて
一字一句突っ込んできます。

そして、何か作業でミスしようものなら
そのくちばしは鋭くわたしをえぐります。まるで今すぐこの仕事を辞めてくれと
いわんばかりに。

私はその言葉を待っているのです。
そしてその勢いで辞めるつもりです。

あるいは始末書を書いて、会社に提出した折に
「今回の機会に今の仕事に対する改善を求められていますが、意欲がありません。
 これではメンバーに迷惑をかけるだけなので、すぐに辞めたいと考えております」

辞めてこれからどうするのと聞かれたら、わかりませんと答えるつもりですが。
冗談ではなく、辞めたらどうするかは考えていません。

始末書を出して、その会社の帰りに飛び降り自殺でもして逝ってしまおうとか
考えています。

この間、飛び降りを決行しようと思って、通勤途中の乗り換え駅で降りて
駅のすぐ近くのマンションで入れそうなところを探してました。

あるマンションから中に入ろうとしましたが、管理人らしき人が立っており
引き返しました。

そして別の日に職場の最寄駅近くに簡単に階段から上れるマンションを
見つけました。今候補のひとつです。

これまでにも数回、これは親には言ってませんが
自殺しようと試みたことはあります。

まずは青木ヶ原樹海で死のうと考えました。
初回は東海道線で富士まで乗って、身延線に乗り換えて途中の駅でバスに乗って
風穴までいこうとしましたが、バスの時間がなくて諦めました。

2回目は富士からバスに乗り、風穴で降りました。
冬でしたが、雪がひざ半分埋まるぐらい積もっていました。

樹海を横切る遊歩道を少しあるいて、やはり死ぬのはやめるか
という気持ちが働いて、帰ることにしました。
ただし、帰りのバスはないので身延線の近くの駅まで延々歩き続けました。
駅に着いたころには夜になっていました。

当然、深夜近くに自宅の最寄駅に着いたときには両親が待っていました。
もう少し帰るのが遅かったら、警察に捜査してもらおうと考えていたらしいです。

次は首吊りです。
箪笥の少し高い位置の取っ手に紐を引っ掛けて、足を伸ばし姿勢で座って
首に食い込むようにそのままじっとしていました。

たしかにボーっとしてきて、このまま意識がなればと思いましたが
苦しさに耐えられずに止めました。

そして、溺死に見せかけた方法をとりました。

熱い湯にずっとつかっていると、だんだん意識がなくなり
気づいたら寝ており、そのまま顔を湯につけたまま死んでしまった事故を
聞いて、気づきました。

すごい疲れた状態で、風呂に入り、眠りに落ちましたが、
永遠の眠りとは行きませんでした。

また、心臓に一気にナイフを刺してとも考えましたが
これは勇気がなくてまだ実行していません。

そして今考えているのが、マンションからの飛び降りです。

今、私は早くこの夢から覚めたいと願っているのです。
あるいはプロダクトマネージャーが早く死なないかと願っています。

2006年7月12日水曜日

つくもノヲ”X="1≠ 030

もう、いまの職場から逃げ出したい気持ちでいっぱいです。
自意識過剰ではないと思います。

職場の皆さんの視線は私を向いてはいないようです。
もちろん、そこに私がいるのを知っていますが。

今回の夜勤はすぐには帰れないだろうなと思っていたら、
案の定、夜勤が終わった直後に
例のプロダクトマネージャーから話がありました。

この時期ですから、話す内容は例の対応ミスによるクレームについてだと
わかりましたが。

第一回目のクレームについて、始末書を所属している会社宛に
作成するようにという話で終わるまでは、クレームを通して業務に対して私に足りないものは
何かずっと尋問でありました。足りないものとして「やる気」も話そうかと思いましたが、
さすがにふざけているのかと言われそうなので、やめました。

それにしても、始業30分前には出勤して、しかも毎勤務でチェックしたメールと
対応した業務の時系列と引継ぎをメールで送れとまで、命令が下ってしまいました。
(今のお前にNOとは言わせない!、嫌なら辞めちまえという言葉を待っていたいたりしましたが)

ここまで堕ちてしまったら、何の仕事をしているのかわからなくなってしまいます。
私一人が欠けても、まったく問題ないということです。

それじゃ、職場の屋上から飛び降りて死んだりしちゃうぞ?
まあ、せいぜい悲しむのは家族くらいだからね。

あるいは彼を呪い殺すかな?
それもいいかもしれませんね。超能力で今、彼が死んだら私の気分は
かなり晴れやかになるでしょう。本当にできたら、完全犯罪は成立ですね。

おそらく、今の職場は今年中に辞めるでしょう。
そして、その職場最後の日に私はこの世にお別れすることになるのではないかと思います。
今の時点でも私はこの世に未練というものはありません。
今から1秒儀、3日後、1年後に死んでもかまいません。

できるなら、事故で死にたいと思っているのです。
だから次回の通勤電車の中で、この電車がどこかで事故でも起こさないかと
考えているでしょう。あるいは彼がこの世からいなくなることを念じているでしょう。

神はいつまで、私の身を生かすつもりなのか?
私自身はこの世のこの体から抜け出たいと願っているのに。

もし今、事故死が訪れたら、幽体離脱をして
例の彼を呪い殺してから地獄へと向かうでしょう。

今日、夜勤明けだったので、アニメ映画を見ました。
話題になっている原作の映画化です。

「ブレイブストーリー」

http://www.bravestory.net/index.html

どこにでもいる10歳の少年ワタルは
いきなり、家族の危機にさらされます。

その父に突然、家を出て、他の女と暮らすと言い残して出ていきました。
母は急病で倒れました。この家族を取り戻すために
その運命を変えるために「幻界」への扉を開き、旅立ちました。

あとはネタばれになるので、後は映画館に行ってください。

この映画からは多くの訴えるメッセージがあると思いますが、
そのひとつは次のようなものだと感じました。

「現実から逃げるな。勇気を持て。そして立ち向かえ。」

しかし、そのメッセージを感じても今の私にはワタル少年のように
現実の扉を押して、進む勇気はもうありません。

映画では現実世界と幻界がはっきりと分かれていましたが、
この世は現実などではなくて、それは死ぬまで覚めない夢の世界なんだと
わたしはここ数年でそう感じる様になりました。

手に触れるもの、目に見える景色、行き交う人たち、店で食べるラーメン、
鉄橋を渡る電車の音、夜空にかかる満月、CDから流れる音楽、
オナニーするときの快感、アニメの女の子のポスター、そびえたつ高層ビル群、
校庭の子供たちの声、本屋で立ち読みしている高校生、夏の入道雲、
風に鳴る風鈴・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この世界を構成するすべては夢なのであって、現実ではないのだと。
そして、それは悪夢にもなるが、いい夢の場合もあるでしょう。
でも、いい夢は続かない。いつのまにか悪夢になっているのです。

夢の中なら、決して現実ではできないことをいくらやっても罪にはならないのです。
目の前の女の子をセックスすることも、男の子を刺し殺すことも。

大きな事件を起こす若い犯人たちは、きっとそんな風にこの世を見ていると思います。
そうであるなら、わたしは今その犯人たちと精神状態は近いのかもしれません。

この世界は夢だから、寝て目覚めたら悪夢が覚めているといいんでしょうが。
だが、その方法を見つからないとなれば、死ぬときでしか目覚めることは
できないのかもしれません。

寝ているときも、地震かなにか大きな力で私は死にたいと祈っているわけです。

2006年7月11日火曜日

つくもノヲ”X="1≠ 029

科学大好きどよう塾
http://www.nhk.or.jp/daisuki/galileo/onair20041211.html

地下のことをwebで探っていたら、面白いページを見つけました。
テレビで放映されていたのを実際の放映画像と一緒に簡単にまとめてあります。

トンネルはどうやってつくるのか・・・・・・・という質問されても
私は答えられませんでした。シールドマシンと呼ばれる円筒状のものが
ぐるぐると回りながら、土竜のようにゆっくりと掘り進むのは知っていましたが。

どのように掘り進めるのか、このページを見て、なるほどと思いました。
掘り進める傍ら、そのすぐ後ろで3トンもあるコンクリートの輪をチューブ状に並べて
長いトンネルができていくんですね。

マシンの先端はカッターになっていて、これがぐるぐる回りながら土をえぐっていきます。
その後ろではジャッキがゆっくりとそのカッターを前に進めるように押していき
伸びきったところで、例の3トンの輪を敷き詰めていくという作業を繰り返します。
横からマシンを見ると、しゃくとり虫ようなイメージでしょうか。

そして、丸いトンネルは土圧の関係で深いところ、四角いトンネルは浅いところに
あるというのも初めて知りました。
なんと、大江戸線の42m地下にある六本木駅のトンネルには
70トンもの圧力が常にかかっているんですね。想像もしていない世界でした。

つまり、トンネルをつくる作業は命がけの作業でもあるのです。
青森と北海道をつないでいる青函トンネルの工事で多くの死者を出したように
この作業でもきっと、過去に多くの死者が人知れずに出ているのではないでしょうか。

深さの関係はマンホールの蓋の形状だけではなかったんですね。
円形の蓋はどのように傾けても穴には落ちないので、深いマンホールに使われているのです。
浅いところは、四角い蓋が使われているのです。

このページには将来的に地下都市の計画があるということですが、
まさにそこにある画像のような感じになると私も想像しています。

それまでは漠然と地下に秘密の部屋というか宮殿見たいのがあるのかも
しれないと考えていただけですが。
もし、あるとしても42mの深いところにはないでしょうね。

国会議事堂と皇居の地下には決して見てはいけない世界が広がっていると
思っています。

国会議事堂殺人事件/斉藤 栄著

国会議事堂には秘密の地下があるとして研究をしていた
主人公の友人が何者かに殺されたというところから、主人公も
この事件の真相を知るために動き出します。

この本は現在は絶版であり、本のメッカである神田神保町を探すよりは
古本買取の「BOOK OFF」で探すほうがよろしいかと思います。

前にこの本を手に入れたいと思って、神保町に赴きましたが
なかなか見つからなかったのです。

そういえば、以前のニッキで紹介した以下のブログですが、
いつのまにか消えておりました。何があったのでしょうか?

Doblog - 地下への道 ――「隠された地下網」を考える―― -

やはり、このページに書かれていたことは触れてほしくないという
人たちがいて、その圧力によるものかなんて、東京の地下のトンデモ本と
批評されている著者 秋庭氏のように考えてみたりしたりして。

つくもノヲ”X="1≠ 028


私の家には誰が最初にご飯をやったか、分からないが
1年くらい前から猫殿が毎日来るようになってました。

この猫は私は勝手に「吾郎くん」と呼ぶことにしました。
母は「ミーちゃん」、そして以前もニッキで出た弟君は「男爵」と呼んでいます。

まあ、だれがご飯をあげたにしろ、一度あげたからには責任は果たさないと
いけないと思い、なにかご飯になるものがあれば、
彼がにゃあと鳴くたびにあげているのが日課となっているのです。

彼はもともと、私道を挟んで正面にそびえる3階建ての住人の飼い猫でした。
その住人が引越しをして、そのときにでも残されてしまったのでしょう。

首輪をつけて、ぶらぶら歩いていました。
家にくるようになって、しばらくはその首輪をつけていましたが、
誰かがはずしたのか はずれたのかは分かりませんが、なくなっていました。

しかし、彼は単なるその辺の猫ではありません。元飼い猫といえども、今でも行儀が良いです。 そして、かなり強靭な精神力でこの世界を生き抜いています。
それはこの写真では良く分かりませんが、首の後ろの怪我がそれを物語っています。

猫の世界でも、人間と変わりありません。縄張りがあるのです。
そして、彼の縄張りに入った他の猫と戦っているのです。

いまでも生々しく、肉が見えている傷は治っていません。
猫の目は人間と違って、ほぼモノクロの視界でこの世界を見ているのです。

つくもノヲ”X="1≠ 027

どっかのニッキに数学の話をしましたが、
その続きになります。

「素数に憑かれた人たち」という本に出てくる式を紹介しました。
それは調和級数の無限和とすべての素数を含んだ各項の無限積が等しいという
驚くべき関係式です。

この式はともに無限の場合なので、有限の場合を考えたら
それは調和級数の有限和を考えることが素数を生み出す式を導く突破口となる
可能性があります。

調和級数の有限和が素数を含んだ各項のどこまでの積と等しいかがわかれば
つぎつぎに素数を生み出す式がわかることになるのではと想像しています。

また、素数だけでなく階乗の正確な値もわかることになります。
(スターリンの近似式という有名な式はありますが、正確な値を出す式を知りません)

次の素数が計算できる日が来るということは、いままで支えてきた暗号技術も
終焉を迎えるということになります。

たとえば、素数の2乗の計算は誰でも簡単にできるが、反対にその数の平方根を
計算することはその数の桁が多いければ、多いほど困難となるわけです。
いまの暗号技術はその素数の性質を利用しているのです。

数学オリンピック関連本の巻末に公式一覧がありましたが、
数列の和を求める際に使う式に次のように呼ばれるものがあります。

「望遠鏡和の定理」

たとえば自然数の2乗の和の公式を求めたい場合。
自然数の和はきっとご存知でしょう。
その式の出し方も学校で習った人がいると思います。

1から100まで自然数の和を求める場合はどうでしょう。

1+2+3+4+・・・・・・・・・・・+97+98+99+100

このまま順に計算することはできますが、よりスマート方法でやりましょう。
上の式とは逆の順に並べた式をその下におきます。

1  + 2  + 3  + 4  +・・・・・・・・・・・+ 97 + 98 + 99 + 100
100+ 99 + 98 + 97 +         + 4  + 3  + 2  + 1 
    
若きガウス少年はあることに気づいたわけです。
それぞれ上下をたすと同じ合計のものが100個分であると。

1  + 2  + 3  + 4  +・・・・・・・・・・・+ 97 + 98 + 99 + 100
100+ 99 + 98 + 97 +・・・・・・・・・・・+ 4  + 3  + 2  + 1 

------------------------------------------------------------------------------------
101+101 +101 +101 +・・・・・・・・・・+101 +101 +101 +101

これは求めたい合計の2倍なので、2で割ったのが求める合計となるわけです。

101×100÷2=5050

これを自然数nまで拡張すれば、一般に知られている公式となります。

n
Σ(k) = (1+n)×n÷2

k=1

さて、自然数の和の公式がわかりました。
次の関係式にこの式を当てはめれば、
自然数の2乗の和の公式は覚えていなくても導くことができます。

n          n    m  n 
Σ(k^2) = (n+1)Σ(k) -Σ Σ(k) 
k=1        k=1  n=1 k=1

実はこの式も一般化すると次のようになります。
これが「望遠鏡和の定理」と呼ばれるものです。

n          n        m  n
Σ(k^a) = (n+1)Σ(k^(a-1)) -Σ Σ(k^(a-1))
k=1        k=1       n=1 k=1


この式を使って、調和級数の有限和も求めてみようと思いましたが、
壁にぶつかってしまいました。
調和級数はΣを使って、次のように示せます。

n
Σ(k^-1)
k=1

左辺に1の和、Σで書くと次のようになりますが。
(nが99なら、合計は99ということです)

n
Σ(k^0) = 1 + 1 + 1 + ・・・・・・+ 1 + 1 + 1 = n
k=1


を代入して求めようとしましたが、うまくはいかないみたいです。
関係式の右辺に二重のΣがあるのが、ネックになっているのかもしれませんね。

2006年7月10日月曜日

つくもノヲ”X="1≠ 026

いつか、地下鉄を中心とした3Dの地図を作ってみたいと
思うようになりました。CADなんかを使うような本格的なものとはいきませんが・・・。

まずは東京メトロの1日乗車券で地下鉄の駅という駅を降りて、
また東京メトロのホームページにある駅案内図なども参考してにして作ってみたいですね。
手始めに丸の内線から進めていきたいかなと思ったりしますが。

この間は丸の内線の支線の終点である方南町とも本線の終点である荻窪へ降りました。
方南町のホームの不自然というべき、高い天井は何でしょうか?
方南町は新旧のアーケードが駅前にあります。
少し離れると、しずかな住宅街が広がっています。

荻窪は地上にあがると少し驚きました。
路線図を見れば、すぐにわかることでしたが東西線と中央線と総武線が止まるんですね。
交通アクセスはすごくいいと感じました。もし、一人暮らしするならここは候補になると思います。

ただし、東西線は中野からはJR線区間になるので、荻窪から乗る場合は
1日乗車券だけでは乗ることができません。中野まで150円区間を買う必要があります。

丸の内線は銀座線内に乗り入れることができません。銀座線に比べて車幅が広いからです。
赤坂見附のホームの国会議事堂前寄りに銀座線への渡り線があります。
「脇線」とか呼んでいるそうですが。

丸の内線の国会議事堂前は国会議事堂のすぐ真下にあるんですね。

新議員会館の施設範囲とか
http://www.mlit.go.jp/gobuild/pfi/singiin_san/suijyunsyo_siryou/shiryo1-4.pdf

国会議事堂も地下通路があるのは有名だそうですが、地下鉄に繋がっているような通路の
見取り図は今のところ、見当たりません。

国会というところ
http://homepage3.nifty.com/zenshow/page106.html

セキュリティー上からすれば、そんなものがあればテロリストに宝のありかを
教えているようなものですが。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「東京は最初から、地上にはなかった。今あるのは本当の東京がある地下の世界を
隠すためのカモフラージュであると私は考えておるわけじゃよ」
と幽体離脱の先生はそう言った。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

江戸城の抜け穴は皇居の抜け穴としてどこかに入り口があるかもしれません。
ただ、幽体離脱をあまりやり過ぎると、魂は体を拒否するようになって
下手するとそのまま死んでしまうかもしれません。

あのビルの地下2階の鉄の扉が入り口かもしれません。
日比谷公園のあのマンホールが地下世界に通じているのかもしれません。
銀座線の最終電車があるいは幻の駅(新橋ではない)に止まるのかもしれません。

長らく地下世界に住んでいる場合は、太陽の光を浴びることはないので
いきなり地上にでると太陽による病気を発生することもあるかもしれません。

しかし、東京以外の地下世界に魅力を感じないのはなぜでしょうか?
それは地下世界が東京にしかないということなのでしょうか?

2006年7月9日日曜日

つくもノヲ”X="1≠ 025

ゴルゴ13という漫画をご存知でしょうか?
彼の依頼人から依頼完遂率は99パーセントです。
つまり、ほぼ失敗なく完璧にやり遂げるわけです。

彼の特徴に、自分を第3者の目で見ることができる・・・・・
つまり自分はいつも自分の肉体にいるのではなく
まるで幽体離脱した自分から自分をみるようなことができるわけです。

それゆえ、思い込みで行動するようなことはしません。
また、自分以外は信用できる者しか仕事を頼みません。

実にわれわれが仕事をするうえで基本中の基本ですが
なかなかできるものではないですね。

自分以外信用できる者しかというところは、
自分で仕事を頼む人間を選ぶわけですから
それ相応の地位にいないと不可能です。

思い込みで行動しないようにすれば
思わぬミスにもそれがクレームになることもありませんが、
なかなかそうはいかないものです。

自分という人間がこの世で決まる要因を
少なくとも2つはあるではないかと思っています。

「社会的制約
格や国家試験など特定の仕事や地位を獲得するため制約

「環境的制約」
職場の雰囲気や環境というのは制約されるひとつですが、
一番制約されるのは、そこにいる周囲の人間関係でしょう。
周りが気の強いものだったら、それに気後れして、場合によっては
それがストレスになって辞めてしまうこともあるでしょう。

自分のミスに対して、それだけを責めるのではなく
どうしてミスをしたのか、また再発は防ぐにはどうしたらよいかを
一緒に考えてくれる職場が理想であるとはよく言われるが、
そんな職場はきっとないでしょう。
自分でなんとかしろとは口では言いませんが、
そんな雰囲気になってしまいます。

現にそんな雰囲気です。
しかもまったく信用されなくなりました。
例のプロダクトマネージャーはスケジュールまで変えてきました。
そして、最近はちょくちょく電話するようになりました。
「このままじゃ、示しがつかんぞ」ってね。
メールでも私が出したものにはいちいち突っ込みまで入れてくれます。
うるさいですね。事故で死んでもらいたいですね。もうあなたの顔もみたくもないですね。
まったく、すぐにでも殴ってやると物騒な事を考えています。

もし見る人がいれば、職種によってはこの人物は要注意として
見られてしまうかもしれませんが。

R25とフリーマガジンをご存知でしょうか?
今回の号には「25年先の人生を想像してみよう」という特集がありました。
1年先も見通しがたっていない私が25年も先の人生を想像することは
垂直の崖を上るように難しいわけですが・・・・・・・・・。


ネットカフェでこれをつくりましたが、
1つ飛ばしの左の席の人が禁煙席なのに吹かしていますが。
困り者ですね。

2006年7月7日金曜日

つくもノヲ”X="1≠ 024

よもや、先日の仕事の2回目の失敗で、私はクビになるのかもしれません。

そこは社会人ですから、同僚の皆さんは顔には出しませんが
「1年もやっている人がいまさら何やっているの?」という視線がちくちく痛いです。

今月は新人が新たに2人来る予定です。
今私は前回のニッキにも書いた例の青森出身の彼と同じレベルでしかみられていません。

彼と私宛に、その内容のメールが最近飛んできました。
「新人二人が来るからいてもいなくても困らない」とそのメールには書かれており、
内容からは彼に向けて書かれているようですが、自分の現状を考えたら
自分にもそういわれていることは間違いないようです。

しかも仕事を続けたいなら、今後の心構えや計画などを400字のレポートにして
今週までに出せとかいってきましたから、もうやっていられません。
この職場に留まる体勢なんて0に近くなってきましたよ!

上司に始末書を書かされるっていうのと、同じ気持ちなんでしょうね・・・・。
しかも上司ではなくて、同僚の先輩ですが。年下の部下に書かされるよりはましですが、
自分の汚点であることは間違いないのです。

取り返しのつかなくなる前に、1回目の仕事の失敗については親には少し話しましたが、
気持ちはあまり楽になりませんでした。

こんな周りからみたら、そんなミスで凹んでるなんてと思えるかもしれませんが、
こんなミスでも私はかなり、今凹んでおります。

取り返しのつかないことをしでかしたい気持ちです。周りなんか、あまり見えていません。

今日もこれから仕事がありますが、私のフォローのために私より後に来た後輩が
勤務ではないのに勤務することになってしまいました。かなり痛いです。すごく痛いです。
ですから、行きたくはないのです。これから乗る電車が事故を起こしてほしいとか
車が私を轢いてほしいとか、誰かが背後から私を刺し殺してくれないかなとか
そんな気持ちでいっぱいです。

事故死がベストですが、それができないなら飛び降りしようかなとか、首を吊って死のうかなとか
そんなことが頭をぐるぐる回っている状態です。

いっそ、地震でもこないかなとか馬鹿なことを考えていますが・・・・・・・・。
あー、神様がなぜこんな私をこの世に生かしておくのか、早くこの身を滅ぼしたまえ!

2006年7月6日木曜日

つくもノヲ”X="1≠ 023

高校生まで、ずっと勘違いをしていました。

電車の切符です。目的地まで買った切符はもちろん、
その区間内なら、どの駅でも降りれますが、
切符に「途中下車無効」と書いてあったので、目的の駅以外では
降りることができないのだと、ずっと思っていました。

目的の駅までと考えるよりは、何円区間かと考えれば
別にこんな勘違いはせずに済んだんですね。

「途中下車無効」は途中下車ができないのではなく、
一度、途中下車をしたらその切符は無効ですよという意味だったのです。

そのくせ、「キセル」についてはちゃんと知っていました。
帰りの電車で最短区間の切符を買って、定期で改札を出ることです。

小田急では「フェアスルーシステム」というのを導入したため、定期は
入場情報のないものは通してくれません。
しかし、通勤で使っている東急田園都市線については実はまだ、使えるのです。

ある日、アキハバラから帰り、銀座線の神田から定期の区間である田園都市線の南町田までの
区間の切符を買って、銀座線から表参道から田園都市線に乗り換えて、中央林間で降りました。
しかし、いつも通勤で定期を使っているので、うっかり定期を改札に通してしまいましたが、
ゲートがしまることはなく、アラームも鳴りませんでした。
そして、手元には神田で買った切符が残りました。

また、別の日に試すと同じように通れましたが、よく見ると取り出し口付近の画面には
「入場記録がありません」と表示されていました。
エラーは検知してるが、アラームが鳴ったりやゲートが閉まったりしないので、
気づかずに通っている(あるいは知っていてわざとやっている)人がかなりいるかも知れません。

この記事を書いている時点では「キセル」は有効です。
これは駅員に知らせておくべきでしょうか?
それとも、このままにしておくべでしょうか?

1週間1回の割合で毎回アキハバラに出向いている私にとってはこのまま
気づかないままでいてほしいと思うわけですが。

不正乗車
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E4%B9%97%E8%BB%8A

「キセル乗車」は不正乗車であることはこのページで書かれていますが、
これ以外にも不正乗車であることをほとんど意識せずにやっているのがあるんですよ。

「折り返し乗車」

まあ、例外はありますが。

たとえば、小田急の次の場合は不正乗車となります。
しかし、不正乗車したという証拠を見つけることができない例です。

秦野 ~ 相模大野までの定期があり、ロマンスカーは定期範囲外の
新宿寄りの駅にとまるが、この駅で降りて、ホームで券売機で特急券を購入して
ロマンスカーに乗って、秦野で降りる

この例では新宿寄りの駅~相模大野の往復運賃が不足していることになります。
違反しないようにするには、その新宿寄りの駅でいったん乗り越し清算して改札を出ます。
そして、新宿寄りの駅~相模大野の切符を買ってまた、入場する必要があるわけです。

しかし、実際には面倒臭くて、発覚する恐れもないので、これを充実に守っている乗客は
いないと思われます。

2006年7月5日水曜日

つくもノヲ”X="1≠ 022

私の夢は素数を生み出す公式を発見することです。

リーマン予想に挑戦された数多の数学者ならきっと同じ夢を見て、
その生涯を閉じた方もおられるでしょう。

一時期は枕元に鉛筆と裏紙で限りある知識を総動員して
ほぼ数字と記号の落書きをしていました。なにも浮かびませんでした。
そこに規則を見出すことはできませんでした。

「2以外はすべて奇数であり、はじめの5を除いて下一桁が5以外の奇数が無限に存在する」

素数についていえることは結局これしか確かではないのです。
「1とその数自身でしか割れない」という至極単純なルールなのに、その法則を見出すことは
現在も神のみぞ知るところです。

オイラーが発見したその式は数学史上、もっとも美しいとされているが、

e^(πi) - 1 = 0
※この式は間違えています。調べて、コメント欄に正しい式を書いてくださると幸いです。

きっとこんな風にシンプルな式になるんではないかと考えています。
リーマン予想関連の書籍では書かれていますが、面白いことが書かれています。

    1   1   1    1   1
1 + - + - + - + - + - +・・・ = 
    2   3   4   5   6

(1 - (2^-1) )^-1 × (1 - (3^-1) )^-1 ×・・・× (1 - (p^-1) )^-1 ・・・  
                                          
                                        ※p は素数

調査数列の無限和と(1 - (p^-1) )^-1の無限積が等しいという驚くべき等式が判明してます。
これも「エラトステネスのふるい」をヒントにオイラーが見つけた関係です。

ひとつ書籍をご紹介しておきます。

素数に憑かれた人たち/ジョン・ダービーシャー著・松浦俊輔 訳
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/482228204X/249-6144512-7337948

「公式」と「登場人物と当時の歴史」が交互の構成になっています。
理数系参考書のように理解ができないような式がてんこ盛りというわけではないので、
高校数学の施しを受けていれば、読破できる内容だと思います。

つくもノヲ”X="1≠ 021

いやー、また仕事で失敗をしてしまいました。

前回とは違うところのお客様に電話連絡したんですが、
かなりお怒りモードでした。障害発生連絡がおそいのと、前回と同じ障害なのに
なぜ早急な対応していただけないのかと、営業宛にクレームが飛んでしまったわけです。

当の電話対応をしたのはこの私ですから、もちろん事情聴取を受けたわけです。
お客様からのクレーム電話の対応方法については教育として
前にビデオで見ましたが、それでもいざお客様のお怒りの声を聞きながらだと
頭でわかっていても、なかなかうまく処理できないものです。

私が勤務しているところは電話による障害窓口も受け付けていますが、
コールセンターのように専門の窓口ではありません。
よって、今回のようなクレーム対応の実績はほとんどないわけで
ここがウィークポイントとなっているわけです。

しかし、数少ない実績のなかでお客様の立場を考慮した対応をしないと
部署としては不要なのではとちくちくと上層部より脅されている感じです。

今回のクレームが前回から1ヶ月とたっていないのもあり、
部署としての業務品質低下が目立ってきていることもあって
ほんの些細なミス(状況の進捗確認をしていないとか、リアルタイムで時系列に記載がないとか)
でも、恐怖の電話によるクレームを受けるようになってしまいました。

そんなわけで私が勤務しているこの1年で平和だった環境が地獄へと化そうとしているわけです。
おまけに業務も増えているし。

ここで辞めても、自分にとってプラスとなることはないでしょう。
将来の方向性も決めなくていけない時期なのに、何も考えていないし
転職するにしてもスキルはないし、それにやすやすと仕事の鞍替えも
できなくなる年齢になってしまいます。

とりあえず、いまの仕事に関係のある資格はこの年内に
最低ひとつは取得したいとは考えていますが・・・・・・・。

今回のクレームの件で、また一段と電話恐怖症が悪化した模様です。

2006年7月2日日曜日

つくもノヲ”X="1≠ 020

このブログのユーザの大半はアメリカ以外のユーザが大半だそうで、
まあ、その中でも日本は少ないのでしょう。

だから、このブログはあまり多くの人目に触れないように、
あえてマイナーともいえるこのブログサービスを選んだわけですが。
日本でもブログサービスで利用率トップはライブドアだそうですね。

gooリサーチのブログ調査、利用ブログサービスはlivedoor Blogがトップ
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2004/08/12/4259.html

このブログを使っていて、少し不満をあげるなら
たまにフォントを設定していてもデフォルトに戻ってしまうところ、入力し続けていると
重くなるというところでしょうか。

その不満点を除けば、編集操作はシンプルそのものであり、またほとんど海外圏のユーザなので
よほど日本語に達者でない限りは、このブログが読まれることはないのです。
しかし多少の目には触れてほしいので、ブログという形を選んだわけですが。

このブログでは内容的に犯罪となるものがたまに混じっております。
といっても、証拠は今はなく、被害届けが出ているわけではないので逮捕されることはないですが。

今後は犯罪を計画しただけでも罪に問われる「共謀罪」が話題になっているようですが。
それも2人以上の組織で共謀した場合は問われるそうです。

共謀罪--5つの質問--
http://www.jlaf.jp/iken/2004/iken_20040115_02.html

治安維持法はまさにこの考えのもとで、成立したそうですが、
ページにもあるように人間不信のこの時代にさらに拍車をかけることは間違いなさそうです。
この24年間で誘拐されそうなったことが3回あるので、
元から人間不信で人間嫌いの私にとって、別に問題視してはいませんが。

1回目は小学校のとき。
横断歩道に立っていた私に低速の車のバンカーにももをぶつけました。
痛かったですが、倒れたわけありませんでした。

横断歩道の目の前でその車は止まったかと思うと
初老の白髪の男性が助手席側のドアをあけて、さあお乗りなさいといった感じで
ゆっくりとこちらに乗り出してきました。私ともう一人の友達は
乗らないというジェスチャーをするように、手を両手を前に掲げました。
その後、その男性は運転席にもどってゆっくりと走り去っていきました。

2回目は中学生のとき。
塾帰りに暗がりでリュックをおろして財布の小銭を数えていたときです。
そのメガネをかけた男性は若い人だったとおもいますが、
無言でわたしの腕ではなく、服の袖をつまんだのです。

こわくなり、つまんでいるその手から袖を引っ張り
駅に一目散に走って逃げたました。

そして3回目は今年の4月くらい。
明け休みにアキハバラの交通博物館に行きました。
来月閉館すると聞いて、閉館前にむかし1度だけ親戚の人に
連れて行ってもらったのが懐かしくなって、行きました。

小さい頃に連れて行ったもらったのと、ぜんぜん変わっていませんでした。
そして実際のパンダグラフを操作できるコーナーを見ているときに
横から声をかけられました。

年齢的には40をいっているのでしょうか、どことなく鉄道の詳しいそうな匂いが
ぷんぷんする、それはしゃべり方でもわかりました。
私は名前を聞かれ、そして住所や電話番号を知りたいのでと
手帳を渡されました。その手帳には私以外にもこれまで聞かれた人たちが
書いていったのでしょう、ざっと見たところ20人分くらいはありました。
この時点では、鉄道を趣味とする集まりについてはよく知らないので
手帳に書かれているくらいの大メンバーで結成されているものと信じて疑いませんでした。
日が明いてれば、近日でも集まりがあるのだがという話となり、
すぐここでは予定がわからないと言って
携帯電話のメールアドレスを教えて、その場は別れました。

どうせ、メールなんて来ないだろうと思っていたら
翌日にはその人から集まりがあるが参加しないかいうとメールが来ました。
まあ、どんな集まりなんだろうと少し興味があったので
行く予定日を返信しました。

そして、当日は横浜線の新横浜駅で待ち合わせることになりました。
改札を抜けると、例の人にもう一人、その人より若い人でしたが
待っていました。この時点ではどんな人かは素性は知れませんでしたが。
そのまま、集まりとしている場所にでも行くのかと思ったら
いきなり近くのレストランがあるからそこで話そうということになりました。

最初はお互いの自己紹介に始まり、途切れ途切れではありましたが
世間話でつないでいました。
しかし、次第に話のメインが例の若い人にうつり
なにやら自分には運がないと思ったことはないかという宗教めいた
話になってきました。その人によると運がないのではなく、
運は使っていくうちに減っていくものだそうで、これはあるモノを
使えば復活するものだそうだと熱心に話しかけてきます。
しかも、それはこの近くにあるから今から行かないかなんて
展開になりました。まあ、聞いている途中からこれは宗教勧誘かと思い、
この店を出たら、とにかく逃げることを考えてました。

そこでとっさに考え付いたのは仕事の電話が来たので、
これから行かなくてはならないので、今回は辞退するという作戦でした。

レジで金を払い、店を出た直後に電話に出る振りをしました。    

「もしもし、はい今新横浜です・・・これからですか・・わかりました」

そして、例の若い人に仕事の電話があったので、これから
行かないといけないので、今回のことは辞退すると駅に向かいながら
話しました。まあ、例によって予想したとおりに拒んできましたが。

「そんな上司の電話は断れよ。さっき、この話は興味あるっていっていただろう」

両手で行く手をガートしますが、まあ本気ではありません。
本気ならもっと多人数で私を押さえ込んだことでしょう。
それでも、一刻も逃げたい一心で全速力で駅に向かって走りました。

駅の切符売り場につくと、いつの間にか例の人は消えていました。
そのまま、ホームに行きました。しかし案の定、例の人は先にホームで
待ち伏せて、目ざとく私に走り寄ってきました。そして逃がすまいと
背負っていたリュックの紐をぎゅっと握って離しません。

なんとかその体勢で押し合いへし合いをして、助けを求めるがごとく
近くのキヨスクまで、歩み寄り、そこの女の店員に

「助けてください。通報してください」

といいました。受話器を取ってどうしたらいいか困り顔です。

しばらくして、通報したのでしょう、鉄道警察隊の人が一人こちらにやってきました。

「どうかされたんですか?」

「なんでもありませんよ」と例の若い人。
「勧誘です。助けてください」と私。
「ちょっと話を聞きたいのですが」と若い人と私に警察隊の人。
「証拠でもあるのかよ!あんた責任とれるのかよ!」と若い人は警察隊にすごみました。

この状況でなんでもないわけないのは、誰の目にも明らかですが
しかし、やはり関わりたくないのか警察隊の人は行ってしまいました。

もちろん、まわりの人たちも誰一人として助けてくれる方はいませんでしたが。

相変わらず、若い人は私のリュックの紐を放しません。
とにかく、もう電車が来るので、その状態で電車に乗り込む体勢をつくります。

ホームに電車が着ました。そして開いたドアの中に入ります。
しかし、この状態でも若い人はホームに立ったまま、リュックの紐を離しません。

仕方ないので、私はドア際に立ったままドアが閉まるまでその状態でいました。
ドアが閉まる直前にその人はその手を離し、どこかへ走り去りました。

あとから考えたら、ドアが閉まる直前で他の車両から乗り込めるはずはなかったのですが
乗っていたらとおもって怖くなって、次の駅で降りてその電車をやり過ごしました。
次の電車を待つ間も、その人は同じホームの影に潜んでいるのではと
気が気でない状態でした。

まさか、自分は宗教勧誘にひっかかないと思っていましたが、
こんな形で罠が潜んでいるとは思いもよらなかった、貴重な体験でした。

見ず知らずの人間がいきなり声をかけてくること自体、警戒してなければいけないのですが、
あの交通博物館に行ったときは、夜勤明けでかなりオープンな状態であったのが
原因だったと思います。気をつけないといけませんね。

その後、アキハバラに行ったときに例の若い人が地べたに座っていたときは
ドキッとしましたが。見かけたのは、その1度きりでしたが。

つくもノヲ”X="1≠ 019

人間は大嫌いであり、特に私と同年代かそれより若い集団は
大嫌いであります。

小学校の集団下校の初日は、帰る地区ごとに肩に色の違うリボンをつけていました。
自分だけ違うリボンであることは気づいていませんでした。
目はそこを向いていました。ああ、この人とはリボンの色がちがうなと。
そして、自分はちがう方向に帰っていると気づいたわけです。

初日から集団下校はできませんでした。
そして、小学校2年までは汚したパンツの処理も自分でできず、「トイレに行きたい」と
言えばいいのに、我慢したがために授業中、座ったまま小便をもらしたことがあります。

6年まで、「弁償する」の意味がわかりませんでした。
そういわれたときは「弁償って何?」と聞くのが普通なのに、笑っておりました。
「脳みそ」とはどんなミソとも思ったことがあります。

うちの父が業務中にシャッターをしめるレバーが顔を直撃して
手術するために入院しました。その病院にバスを使いました。
そして、帰りのバスであるボタンが気になりました。
「とまります」ボタンです。降りたい停留所につくまでにボタンを押せば、
バスがその停留所に止まるわけです。
そのことを知らずに何回もそのボタンを押します。当然バスはそのたびに
とまります。でも降りる客はいません。そして、ついには運転手は怒鳴ります。
「だれか降りる方はいないんですか!」

いまから考えると、結構勇気のいるいたずらでした。
もちろん、今はそのボタンの意味は知っています。
いま、同じことをやれといわれてもできませんね。

いたずらといえば、小学校2年か3年のときに通学路の途中に
公衆電話がありました。赤ではなくて、緑色のやつ。
その下の方にボタンがありました。押せば110、119番につながる
緊急連絡用のボタンです。

そして、押しました。なにか警報のようなアラームが鳴ったとおもいます。
驚いて友達と一目散に逃げました。逃げながら聞いたので
その警報がなったかどうかは記憶に定かではありません。

まあ、その公衆電話を置いてある小売店の店主はさぞ
困ったことに巻き込まれたに違いありません。

中学1年のころ、初恋を経験しました。
今、卒業写真見るとそんなに容姿がいいわけでもないのですが、
そのときはその事と話しているだけで、すごくうれしかったのです。

その後、一度だけ年賀状を出したことがありますが
その子からの年賀状が届くことはありませんでした。
ラブレターを出すという勇気がなかったのです。

高校も一緒のところでしたが、クラスは一緒になることはなく、
話しかける機会はなくなりました。
体育祭(運動会)で、目があって会釈をして、
あとは1500メートル走で、バトンを渡す次の子が偶然にもその子だった
くらいで接触の機会はなく、卒業を迎えました。

大学にも、高校のころクラスが一緒だった人がいて
その人から、誰か今好きな人はいる?という話があって、
例の子の名前を言いました。
話によると、柔道部の彼がいるらしいということでした。

その後、ある日の大学帰りの電車が駅に止まりました。
開いたドアは丁度、改札をあがる階段のところでしたが、
ドアのそばに立って、何気なく階段付近のホームを見ていましたが
偶然、その子を見かけました。だれか男と一緒でした。
その男の顔は覚えていませんでした。

その子だったかどうかも、そのときも今になっても実ははっきりしません。
そのときはやはり、彼がいたのかという軽い失望があったので
その子に似た誰かと思いたかったというのもあったからです。

でも、目が合った瞬間に驚いた表情を見た記憶があるので
おそらくその子だったのでしょう。

高校のときに一回だけですが、いたずらをしました。
同じクラスの女子の机の横には、体育のときに体育館で使う運動靴が
袋に入ってぶら下がっていました。
その中から、ひとつを選びました。選んだ基準は、その子の容姿と
困った顔を想像したら、興奮したからです。

また、その子ならきっと誰にもいたずらされたことを言えないだろうと思ったからです。

それは三者面談の時でした。
その日は早く授業も終わりほとんどの人は下校して、誰もいません。
また、三者面談を行うまでに時間が少し空くので、誰もいない教室で
その時間が来るまで待つことになったのです。
そして、その子の運動靴を袋に入ったままトイレに持っていきました。
大便するところに入り、ドアを閉めました。
そして、おもむろにその運動靴の片側を取り出しました。
その中にマスターベーションをして満足したわけです。

数日後、体育館に行くことがありましたが、その子だけは例の運動靴を
履いていないのを目撃しました。
予想通り、これは何も問題になることはありませんでした。

そして、また大学生のころに話が戻ります。
大学生も高校生の延長みたいなもので、制服を着なくなった電車の乗る時間が長くなった以外、
特に生活が一変したわけではありませんでした。
中学、高校のころの初恋もどこかへ忘れ去っておりました。
そのころ以降は、異性への興味は持つことはなくなりました。

大学1年~2年にかけては、眠っていた模型電車への興味が沸き起こり
バイトで稼いで貯めていた中から、おろして買って家で広げて遊んでいました。
ただ、それも長続きはしませんでした。遊んだら片付けるのですが、
これが次第に面倒臭くなってしまいには広げることはなくなり、
飾ってみる用に簡単なジオラマをつくってそれを見るだけになってしまいました。
今も飾ってあるわけですが、私の心の乱れのように電車が脱線したり転覆してたり、

刺してある木の1本が床に落ちていたりします。

大学生である間はその学費の一部を払うために某ファストフード店でバーガーなど
調理や資材を運ぶ仕事をしていました。私が入ったところは、他のチェーン店とは違い休憩室が
別のところにありました。あるいて3分くらいのところにアパートの1部屋を借りていました。

高校のころのいたずらの話とここでも同じ状況があったわけです。
たいていは誰かが部屋にいるのですが、たまにシフトによっては自分以外、
1時間くらい誰もいない時がありました。しかも、トイレは部屋にあります。
そして、いろんな人のカバンや上着が置いてあります。自分の好きなときに働けるためか
女子にも人気のバイトであったわけです。

まず、ある女子のカバンをあさります。
もちろん、ただあさるだけでは後で怪しまれる可能性がありますから、
あさった跡が残らないようになるべく物は取り出したりしません。

飲みかけのペットボトルが見つかりました。そのキャップをはずします。飲み口にセットします。
こぼさないように密着させます。その状態で、小便をします。
だから同色系のお茶だったらベストです。
白色の飲み物なら、その状態でマスターベーションです。

そして、念入りに飲み口をこすりつけます。それだけでは飽き足らずに、
最後は密着させたままペットボトルを傾けます。
自分のがその飲み物に浸るように何度も傾けむけます。
これらをやっている最中は後で知らずにこの子がこれを飲むんだと思うと興奮するわけです。

冬の寒い日は防寒にも優れたナイロンのパーカーやウインドブレーカーを着てくる女子がいます。
とくにフードのついてるものは1度だけ、そのフードの中にマスターベーションしたことがあります。
そのフードは常にぶら下がっているのではなくて、襟の後ろにしまえるタイプのものでした。

マスターベーションをした後はこぼさないように包むようにして、畳んで元にもどしました。
その持ち主は女子高校生でしたが、その後しばらくしていつのまにか姿を消していました。

辞めたのが、私のしたことと関係していたのか今でもはっきりしませんが。
(あのあと、何も問題にならなかったので)

女子高校生は制服で来る子もいました。高校によってはジャンパースカートのところもあるので、
それがハンガーにぶらさがっています。スカート部に横にポケットがありました。
そのポケットの中にマスターベーションをしました。

また、小型のリュックで来る子もいました。その一番大きな口を開きます。
するとそのリュックは中の上の方にチャックのついたポケットがあります。
どうもそのポケットは使われていないようです。この中に2回マスターベーションしました。
一度ではなく、2日にわけてね。

そんな理由でよく大学の図書館に入ったり、体育館のまわりを回ってみたり、
できるものならば女子更衣室に侵入したり、女子が動き回っているテニスコートに入っていき、
脇のベンチなんかにおいてあるナイロンウェアなんかを盗もうなんて考えていました。
自分の大学だけでなく、他の大学にも数回行ったことがあります。
まあ、これらは失敗に終わっていますが。

英語検定は自分の近い試験場を希望できますが、
わたしは同じ試験場を希望して7回受験しました。
最初の2,3回は、ただ受かりたいということで受験していましたが、その後から、
目的が変わってしまいました。

試験場は女子高だったのです。小田原の女子高ですが、それに気づいたとたんに、
特に運動に使うナイロンウェアがないか漁ろうと考えたのです。
これは最後の7回目に1次試験を受けたときです。試験を受けた後に実行に移しました。
受けた者からどんどん試験場から出て行きます。人のいなくなった教室に戻っている最中に
試験官らしい人に遭遇して、「携帯電話を落としたので、さがしている」と誤魔化して
教室に戻りました。
しかし、試験官が教室のドアに鍵をかけるので、外で待ってたのであえなく諦めましたが。
今度受けるときには、試験官が出払うまでどこか見つからない場所に隠れることを

考えていたりするわけですが。

2006年7月1日土曜日

つくもノヲ”X="1≠ 018

少年は幽体離脱をしました。
勝手になったではなく、少年自身の意思で離脱しました。
彼にはある目的がありました。
それはそこにあるだろうと推測されているが、誰もがそう簡単には見ることができない世界を
自由に誰かに気づかれることなく、見て回るために-----。

それは東京の地下の世界でした。
地下鉄の脇線があるとか、水道管や電気配線などのライフラインのトンネルとか
調べれば出てくるようなものだけではなくて、もっと秘密とされた部分を知りたいのです。
たとえば、皇居につづく秘密の地下通路とか、国会議事堂からしか乗れない秘密の地下鉄とか
知っている人は知っている秘密の地下都市とかね。

地下への道 ――「隠された地下網」を考える――
http://www.doblog.com/weblog/myblog/6273?STYPE=1&KEY=8312

少年は幽体離脱の方法を教えてもらうべく、その先生がいるという
銀座線新橋駅に行きました。

銀座線の渋谷行きホームで待ち合わせをすることになっていました。
指定された14:00にホームにつくと、ちょうど渋谷行きがホームに滑り込んできました。
少年のちょうど立っていた位置の開いたドアからその人は少年に声をかけました。

「幽体離脱を教えてほしいのは君かね?」

その人はホームに降りました。
「かつて、そしていまもその世界をのぞくために君と同じように考えた人はたくさんおったよ」

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こんな書き出して小説にしたら面白いのかなと考えてみたりしたわけです。

まあ、実際に幽体離脱でそんな地下の世界を見たなんて、話を聞いたことはありませんが。
もしかしたら、そんな実験がどこかで行われていた(いる)かもしれませんが。

幽体離脱という方法がとれないのであれば、まずは国会議事堂駅のいたるところに
あるドアというドアに入って、公開されていない秘密の空間を暴いてみたいと考えるわけですが。
それなら、東京メトロの社員にでもならないとだめでしょうかね?

つくもノヲ”X="1≠ 017




016で書いたように、その生活パターンに
この記事を書くために、ネットカフェに立ち寄るという日課が増えそうな予感です。
こうして、僕のダメダメ度は緩やかにそして着実に上昇しているのです。

いま、私がはまっているのは「Pinky:st」というお人形です。
高さ十数センチの女の子たちですが、これは画期的です。

いままでのフィギィアにない、遊びの感覚が盛り込まれています。
それは女の子が顔、前髪、後頭部、上半身、下半身とパーツに
なっており、しかもジョイント部分は共通化されており
工具要らずでいろんな表情で格好の女の子に組み替えて飾れるという
人気をよんでいるお人形です。

組み合わせは1000とも言われているそうです。
わたしも4体ばかし購入し、そのうちの1体は「さっちん」の顔で
いろんな服装や髪型に組み替えて、すぐそばに置いています。

さっちんが一番かわいいと僕は思うわけです。

はじめてのPinky:st
http://pinky-st.skr.jp/index.html

勝手にリンクを張ってしまいましたが、かなり参考になるサイトです。
その真骨頂に触れるには実際に買って手にとってみるのがよいでしょう。

つくもノヲ”X="1≠ 016

梅雨の季節となっております。
車内は冷房が効いております。
もちろん、降りたら蒸し暑いのですが。

今夏は猛暑の猛暑となるんでしょう。

雨が降ると天気予報が言うので傘を持って行くが、屋外に出ると
曇り空であるが、降りそうで降らないのです。

車内はその分、傘の忘れ物が増えているでしょう。
置き忘れた傘は、ビニール傘でないかぎり私はゲットしてしまいます。
というか今日1本、もって帰りました。
名前が書いてあれば、すこし抵抗がありましたがね。

いよいよ、私も現在の職場への耐性はなくなりつつあります。
この間の大失敗の件で、私の存在価値は日に日になくなりつつあります。

ここまでくると、この職場にいてもいなくてもよい感じです。
まあ、今辞めると勤務シフトの運用が立ちいかなくなるからというわけで
辞められないわけですが。

私のかなり後にきた新人くんの一人は大学生を出たのかが疑わしいくらいに
字も汚いし、話し方も滑舌がわるいわけです。それにたまにぼーとしているときがあります。
また、あまりプライベートでは家から出ないようです。それゆえか、モノを知らなさすぎる面も
見られるわけです。

しかし、根気はだけは評価出来ます。他の新人さんは彼よりも仕事ができそうなのに
長くても3ヶ月くらいで辞めてしまいました。
話で聞いたところでは、青森から単身上京して、一人暮らしをはじめたようで
地元に仕事がなくて、ようやく今の仕事にありつけたという経緯があるので、
辞めると、もろ生活できなくなるというのがあるんでしょうが・・・・・。

風呂つきのアパートということですが、彼は風呂に入っているんでしょうか。
そばにいくと、すえた匂いがするんですがね。

わたしは世間のいうところの「パラサイト・シングル」を貫こうと思っていますから、
生活にはいまのところは困らないんですが、「ニート」では親がうるさいので
こうして契約社員として働きにいっておるわけです。

そして、夜勤の明け休みの度にアキハバラにいき、パーコーラーメンをすすった後
同人誌と同人ソフトを見てまわり、最後にヤマギワソフトの中古CDショップで
よさげなCDがなければ、石丸電気の3号館でCDを買って帰るという生活を
ここ1年ばかし続けておるわけです。

おかげでディスプレイの左側には寄りかかるようにして、CDのビルが建っているのです。