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人間は大嫌いであり、特に私と同年代かそれより若い集団は
大嫌いであります。
小学校の集団下校の初日は、帰る地区ごとに肩に色の違うリボンをつけていました。
自分だけ違うリボンであることは気づいていませんでした。
目はそこを向いていました。ああ、この人とはリボンの色がちがうなと。
そして、自分はちがう方向に帰っていると気づいたわけです。
初日から集団下校はできませんでした。
そして、小学校2年までは汚したパンツの処理も自分でできず、「トイレに行きたい」と
言えばいいのに、我慢したがために授業中、座ったまま小便をもらしたことがあります。
6年まで、「弁償する」の意味がわかりませんでした。
そういわれたときは「弁償って何?」と聞くのが普通なのに、笑っておりました。
「脳みそ」とはどんなミソとも思ったことがあります。
うちの父が業務中にシャッターをしめるレバーが顔を直撃して
手術するために入院しました。その病院にバスを使いました。
そして、帰りのバスであるボタンが気になりました。
「とまります」ボタンです。降りたい停留所につくまでにボタンを押せば、
バスがその停留所に止まるわけです。
そのことを知らずに何回もそのボタンを押します。当然バスはそのたびに
とまります。でも降りる客はいません。そして、ついには運転手は怒鳴ります。
「だれか降りる方はいないんですか!」
いまから考えると、結構勇気のいるいたずらでした。
もちろん、今はそのボタンの意味は知っています。
いま、同じことをやれといわれてもできませんね。
いたずらといえば、小学校2年か3年のときに通学路の途中に
公衆電話がありました。赤ではなくて、緑色のやつ。
その下の方にボタンがありました。押せば110、119番につながる
緊急連絡用のボタンです。
そして、押しました。なにか警報のようなアラームが鳴ったとおもいます。
驚いて友達と一目散に逃げました。逃げながら聞いたので
その警報がなったかどうかは記憶に定かではありません。
まあ、その公衆電話を置いてある小売店の店主はさぞ
困ったことに巻き込まれたに違いありません。
中学1年のころ、初恋を経験しました。
今、卒業写真見るとそんなに容姿がいいわけでもないのですが、
そのときはその事と話しているだけで、すごくうれしかったのです。
その後、一度だけ年賀状を出したことがありますが
その子からの年賀状が届くことはありませんでした。
ラブレターを出すという勇気がなかったのです。
高校も一緒のところでしたが、クラスは一緒になることはなく、
話しかける機会はなくなりました。
体育祭(運動会)で、目があって会釈をして、
あとは1500メートル走で、バトンを渡す次の子が偶然にもその子だった
くらいで接触の機会はなく、卒業を迎えました。
大学にも、高校のころクラスが一緒だった人がいて
その人から、誰か今好きな人はいる?という話があって、
例の子の名前を言いました。
話によると、柔道部の彼がいるらしいということでした。
その後、ある日の大学帰りの電車が駅に止まりました。
開いたドアは丁度、改札をあがる階段のところでしたが、
ドアのそばに立って、何気なく階段付近のホームを見ていましたが
偶然、その子を見かけました。だれか男と一緒でした。
その男の顔は覚えていませんでした。
その子だったかどうかも、そのときも今になっても実ははっきりしません。
そのときはやはり、彼がいたのかという軽い失望があったので
その子に似た誰かと思いたかったというのもあったからです。
でも、目が合った瞬間に驚いた表情を見た記憶があるので
おそらくその子だったのでしょう。
高校のときに一回だけですが、いたずらをしました。
同じクラスの女子の机の横には、体育のときに体育館で使う運動靴が
袋に入ってぶら下がっていました。
その中から、ひとつを選びました。選んだ基準は、その子の容姿と
困った顔を想像したら、興奮したからです。
また、その子ならきっと誰にもいたずらされたことを言えないだろうと思ったからです。
それは三者面談の時でした。
その日は早く授業も終わりほとんどの人は下校して、誰もいません。
また、三者面談を行うまでに時間が少し空くので、誰もいない教室で
その時間が来るまで待つことになったのです。
そして、その子の運動靴を袋に入ったままトイレに持っていきました。
大便するところに入り、ドアを閉めました。
そして、おもむろにその運動靴の片側を取り出しました。
その中にマスターベーションをして満足したわけです。
数日後、体育館に行くことがありましたが、その子だけは例の運動靴を
履いていないのを目撃しました。
予想通り、これは何も問題になることはありませんでした。
そして、また大学生のころに話が戻ります。
大学生も高校生の延長みたいなもので、制服を着なくなった電車の乗る時間が長くなった以外、
特に生活が一変したわけではありませんでした。
中学、高校のころの初恋もどこかへ忘れ去っておりました。
そのころ以降は、異性への興味は持つことはなくなりました。
大学1年~2年にかけては、眠っていた模型電車への興味が沸き起こり
バイトで稼いで貯めていた中から、おろして買って家で広げて遊んでいました。
ただ、それも長続きはしませんでした。遊んだら片付けるのですが、
これが次第に面倒臭くなってしまいには広げることはなくなり、
飾ってみる用に簡単なジオラマをつくってそれを見るだけになってしまいました。
今も飾ってあるわけですが、私の心の乱れのように電車が脱線したり転覆してたり、
刺してある木の1本が床に落ちていたりします。
大学生である間はその学費の一部を払うために某ファストフード店でバーガーなど
調理や資材を運ぶ仕事をしていました。私が入ったところは、他のチェーン店とは違い休憩室が
別のところにありました。あるいて3分くらいのところにアパートの1部屋を借りていました。
高校のころのいたずらの話とここでも同じ状況があったわけです。
たいていは誰かが部屋にいるのですが、たまにシフトによっては自分以外、
1時間くらい誰もいない時がありました。しかも、トイレは部屋にあります。
そして、いろんな人のカバンや上着が置いてあります。自分の好きなときに働けるためか
女子にも人気のバイトであったわけです。
まず、ある女子のカバンをあさります。
もちろん、ただあさるだけでは後で怪しまれる可能性がありますから、
あさった跡が残らないようになるべく物は取り出したりしません。
飲みかけのペットボトルが見つかりました。そのキャップをはずします。飲み口にセットします。
こぼさないように密着させます。その状態で、小便をします。
だから同色系のお茶だったらベストです。
白色の飲み物なら、その状態でマスターベーションです。
そして、念入りに飲み口をこすりつけます。それだけでは飽き足らずに、
最後は密着させたままペットボトルを傾けます。
自分のがその飲み物に浸るように何度も傾けむけます。
これらをやっている最中は後で知らずにこの子がこれを飲むんだと思うと興奮するわけです。
冬の寒い日は防寒にも優れたナイロンのパーカーやウインドブレーカーを着てくる女子がいます。
とくにフードのついてるものは1度だけ、そのフードの中にマスターベーションしたことがあります。
そのフードは常にぶら下がっているのではなくて、襟の後ろにしまえるタイプのものでした。
マスターベーションをした後はこぼさないように包むようにして、畳んで元にもどしました。
その持ち主は女子高校生でしたが、その後しばらくしていつのまにか姿を消していました。
辞めたのが、私のしたことと関係していたのか今でもはっきりしませんが。
(あのあと、何も問題にならなかったので)
女子高校生は制服で来る子もいました。高校によってはジャンパースカートのところもあるので、
それがハンガーにぶらさがっています。スカート部に横にポケットがありました。
そのポケットの中にマスターベーションをしました。
また、小型のリュックで来る子もいました。その一番大きな口を開きます。
するとそのリュックは中の上の方にチャックのついたポケットがあります。
どうもそのポケットは使われていないようです。この中に2回マスターベーションしました。
一度ではなく、2日にわけてね。
そんな理由でよく大学の図書館に入ったり、体育館のまわりを回ってみたり、
できるものならば女子更衣室に侵入したり、女子が動き回っているテニスコートに入っていき、
脇のベンチなんかにおいてあるナイロンウェアなんかを盗もうなんて考えていました。
自分の大学だけでなく、他の大学にも数回行ったことがあります。
まあ、これらは失敗に終わっていますが。
英語検定は自分の近い試験場を希望できますが、
わたしは同じ試験場を希望して7回受験しました。
最初の2,3回は、ただ受かりたいということで受験していましたが、その後から、
目的が変わってしまいました。
試験場は女子高だったのです。小田原の女子高ですが、それに気づいたとたんに、
特に運動に使うナイロンウェアがないか漁ろうと考えたのです。
これは最後の7回目に1次試験を受けたときです。試験を受けた後に実行に移しました。
受けた者からどんどん試験場から出て行きます。人のいなくなった教室に戻っている最中に
試験官らしい人に遭遇して、「携帯電話を落としたので、さがしている」と誤魔化して
教室に戻りました。
しかし、試験官が教室のドアに鍵をかけるので、外で待ってたのであえなく諦めましたが。
今度受けるときには、試験官が出払うまでどこか見つからない場所に隠れることを
考えていたりするわけですが。
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