2009年12月30日水曜日

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【山手線ウォーキング2日目】山手線のガード下





目は覚めたが、
完全にベットから身体を起こしたのは9時過ぎ。
24時前に寝ないと最近は起き辛くなっている。

シャワーで寝癖を直し、ひげを剃り、部屋を出る。
朝食時間は10時まで。ゆっくりと食べるには
朝食が始まる7時からがよいように思えるが、
バイキングの場合は時間の終わりのほうがよい。

自分で食べたい分だけ選べるが、
混んでいるとゆっくりと皿に選ぶことができない。
また1人の場合は席の確保も心配しないといけない。
だから、朝食時間が終わる頃の人が空いている時が
実は落ち着いて食事が出来たりするのだ。

食べながら、窓ごしに高架を横切る新幹線を見る。
子供に人気なのか、子連れの家族連れが多い。

10時過ぎ。昨夜飲み残した紙パック飲料を飲みながら
ゆっくりと部屋を出る支度をする。
ふと窓から見下ろすと、北斗星の牽引でも使われる
側面に銀色の流れ星のペイントの赤い電気機関車が
西日暮里側からコンテナを積んだ長編成を
引っ張ってきた。
入れ替えのためか、電気機関車だけが
切り離されてもう少し前に動いて一旦停車。
黄色いヘルメットの作業員に汽笛で合図してから
電気機関車だけが田端操車場側へと走っていく。
ホテルの窓からはすぐ右手を道路の高架橋が
跨いでいて操車場側は見えない。
しばらくすると今度はとなりの線路に操車場側から
赤いディーゼル機関車がこちらも長編成のコンテナを
ゆっくりと牽引し、先ほど赤い電気機関車が牽引してきた
コンテナに並べるようにして停まった。

最初はディーゼルカーが牽引してきたコンテナを
電気機関車が操車場側へと持っていくのかと思ったが、
どちらもプッシュプル運転ができるはずだ。
どうやら同じディーゼルカーが機回し運転しながら、
西日暮里側へコンテナ貨車を移動しているようだ。
1両の貨車には12フィートコンテナが5つまで、
20フィートコンテナは2つまで積めるようだ。
または20フィート2つと真ん中に12フィートを1つまで
積むことができるようだ。
「JR貨物時刻表」なるものを買って読むようになってから
それまで気にしていなかった貨物列車のこうした所が
気になるようになっている。



ホテルを出る。
昼間の田端駅舎に一瞥してから歩き始める。
歩きはじめてしばらくすると左側に東北本線の線路が
さらに上り坂になっている一方通行路を歩くと、
この道は貨物列車が走る線路を跨いでいる。
ふとコンテナを連結して停車しているEF64形機関車を
見ると、顔は見えないが、食事ができるわずかな時間
なのだろう、運転士と思しき人が弁当のタッパに
箸を動かし、かきこむようにして食べていた。

隣を走る新幹線や東北本線の列車からでは
決してわからないシーン。臨時列車のように注目される
わけではないけれど、確かに人が支えているのだと
実感できるシーンである。


そのまま進むと、今度は東北本線の隣を走る
常磐線の踏切を渡る。常磐線は現在上野止まりだが
今後は東京へ線路をつなげて、一部東海道本線へ
直通運転する計画があり、現在工事が進んでいる。
この上野~東京間をつなげる「東北縦貫線」の工事は
工事用の仮設塀に掲示されいている工事概要によれば
来年の3月31日まで実施される予定らしい。


西日暮里~日暮里付近の沿線はラブホテルが結集。
ラブホテルの向かいに子供が遊ぶための公園。
子供が遊ぶすぐそばにラブホテルがあるが、
子供たちはそれを分かっているのか、
あるいは寒いためか、遊んでいる子はいない。

鶯谷の横を通り過ぎ、山手線では上野方面に向けて
カーブするあたりだ。次第に建物が特徴的な上野駅舎が
見えてきた。上野駅はもちろんこちらが正面玄関口だ。

ここからしばらくはまた人で混んでくる。
御徒町付近は線路の反対側にあるアメ横だけでなく
こちらの商店街もにぎやかである。
アメ横とが違って、昔ながらの商店街ではなく、
パチンコや居酒屋など、どこにでもあるような店が
並んでいる。アメ横が旧商店街ならこちらは新商店街か。



賑やかな商店街を抜けると、アキハバラへ向け、
山手線のガード下を歩く形になってくる。
某掲示板のスレッドでは話題になった謎の穴。
誰かがアップしていた写真を見る限りだとこの穴に降り立つと
中はどこに続いているのか分からない謎のトンネル。
当時は潜入しようと思えばできるほど無防備な状態
だったようだが、今は流石に暗証番号式のドアが設置
されていて穴を覗くことすら不可能である。

次第にヨドバシカメラの大きな建物が前方に見えてくる。
そのまま通り過ぎても良かったが、すでにお腹が空いて
きたこともあり、アキハバラの空気を触れながら、
ペッパーランチで小休止を兼ねた昼ご飯とする。
この不況のためか、以前より少しだけ値上がりしている。
また量、特に肉のボリュームは少し減っている気がした。
これなら有名な牛丼屋「サンボ」に行ったほうが良かったか。

ゆっくりと中央通りを末広町方面に往復して
神田方面へと歩いていく。

このあたりもガード下を歩く形になるが、
高田馬場以降見かけなかった人がそばで寝転んでいた。
どうやら新宿~新大久保、アキハバラ~神田の沿線は
彼たちの住処となっているようだ。


東京駅もたいていの人がイメージする赤レンガの駅舎でなく
その裏玄関ともいうべき駅舎を見ることになる。
こちらは高層ビルに完全に溶け込み、「JR東京駅」の文字が
なければ、東京駅の入り口とは分からない。
その掲げられた文字も目立たないように同系色である。

ここでようやく山手線半周。
昨日4時間、今日3時間。つまり7時間で半周なので
単純計算では一周すると14時間かかることになる。
このまま頑張れば22時か23時くらいには元の新宿には
戻れるかもしれない。だが、すでに3時間歩きとおしている。
あと4時間は頑張れても、残り3時間は未知のゾーンゆえ厳しい。

残り半周はまた近いうちの宿題にすることにして
高層ビル然な東京駅へと向かった。

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【山手線ウォーキング1日目】目指せ一周、始まりは新宿から




27日昼過ぎ。町田駅前のドトール店内。
カフェラテを飲みながら、今日を含めた丸2日の
休みをどう使うかを考えていた。

来年1月に旅行するつもりで
購入しておいたJR時刻表を開く。

ぼんやりと巻頭の索引地図をしばらく眺める。
首都圏を中心に拡大されたページを開く。
よい計画が浮かばない。

関東~上越のページを開く。
横浜線から八高線経由で上越線へ。
上越線の普通列車にかなり揺られながら
(本当によく揺れる。水上~高崎あたり)
越後川口まで行き、飯山線~篠ノ井線
そして中央本線でまた帰ってくる1泊2日の旅を
考えてみた。

今日は日曜日。
残念ながらJRの「土・日きっぷ」は使えない。
大人料金が18000円では、普通列車の乗車だけでは
元は取れない。(普通運賃で9560円)
このきっぷで新幹線に乗れるんだから、
途中まで新幹線というのは鉄道旅行に対する
私の考え方に違反するのである。
飯山線に乗るために手前まで新幹線では、
やっつけ仕事である。旅は始まりから終わりまで
ゆっくりと鈍行列車で楽しみたい。

しかし、運賃と宿泊代だけで1万円を越える。
これとは別に駅弁だとか、宿泊先での夕餉とか
あとはおみやげとかで計2万円近くの出費になる。
1月に予定している旅費を確保するためにも
ここで1万円以上の出費は控えたい。

もういちど首都圏が拡大されたページに戻る。
山手線の環状路線に目をやる。
ある日、仕事仲間が話していた言葉を思い出す。

「山手線一周を歩いてみたら」

町田から小田急線に飛び乗る。

新宿には13時30分少し前に到着。
南口改札を出て、13時30分に外回りに歩き始める。
歩き始めは前を歩く人にぶつからないようにペースを
あわせて歩かないといけない。
思い出横丁や金券ショップ、牛丼屋、パチンコ屋
カラオケ屋など見慣れた道をゆっくりと通り過ぎる。

時々右を見ると、一本路地の向こうにある高架橋を
走る黄緑色の帯の列車が走り去るが見える。
地図を見ると分かるのだが、綺麗に沿線沿いを歩くなら
間違った道に歩いていないか、意識しないといけない。
地図だとすぐ正しい道に戻れそうな気になるが、
実際は東京だけに中高層の建物が視界の邪魔になる。

昔の船のように、太陽や星の方向に向かって
進路を取るようにはいかない。
この方向に進みたいからと目の前のビルをすり抜ける
ことはできない。
そうなると行先案内の看板か、地図が頼りになる。
警察か誰かに聞くのが早いが、それでは情報を得て
自分で考えて歩くというオリエンテーリングの観点から
よろしくない。考えて楽しみながら歩くところがミソだ。
また予め歩く道や距離を調べてないなら
今までの経験で知った体力から歩くペースを考える
必要がある。このペースを知るためには少なくとも
数回、出来る限り連続長時間のウォーキングを
実施する必要がある。

私は自分のペースを知っている。
歩く早さは1時間に5kmで一定。気候に左右されるが、
暑い日なら一度に3時間、秋~冬なら6時間は余裕である。
つまり距離にしたら15km~30kmである。

今回の山手線ウォーキング。
新宿をスタートとして沿線沿いに歩く事をイメージしたが、
どの道を歩けばよいか、1周どれくらいの距離か
はまったく調べていない。
歩きながら近くにある地図で現在位置と行くべき道を
確認しながら進まないといけない。

そんな感じなので、新宿からしばらく歩くと道が怪しい。
気を抜くとまったく見当違いの方向に歩きそうだ。
何とか山手線の築堤沿いの道に入る。
新宿から渋谷方面が東京の表の顔なら、こちらの
方面は裏の顔というべきか。ダンボールを囲って
寝ている人もそうだが、しばらく続いている
新宿の思い出横丁にアジア的な怪しげな雰囲気が
加えられたような歓楽街の雰囲気が拍車をかけている。
海外の人をちらほらと見かけたせいかもしれない。



高田馬場はこのガード下に改札口がある。
しばらくは住宅街の細道を歩くような雰囲気が続く。

高田馬場から目白は丘になっているのか
上り坂になる。どうやら山手線がこの丘の麓(?)
を走っている地形であることが何となく分かる。
乗っていると分からないが、歩いてみると分かる。


住宅街のあまり広くない2車線道路の真ん中に木。
なんという木がこのときはわからなかったが、
道が避けるようにしてでも残しているようなので
おそらく歴史的に伐採できない木だろうと思い、
後で個人が書いている関連のブログを見て回ると
旧近衛邸の敷地にあったケヤキとのこと。
元々並んで2本あり、「双子のケヤキ」として
車のロータリーとして使われたらしい。

避けた道路の真ん中から聳えるケヤキの根元を
みると、確かにもう1本分のスペースがある。
このもう1本が実は当時落雷で失ったようで、
その後、新たに植え替えられたのが、
少し離れた道端のケヤキだろうとされている。

目白警察署で使われている旭日章
(交番等にあるあのマーク)が皇居の守護などを
担当した近衛師団に由来するという情報が
書き込まれたブログを見つけたとき、
この近衛邸と関係あるのかと思ったが、
どうも関係がない(?)らしい。

誰にも知られていない地下の世界にも
興味がある私にとっては、いつかは行ってみたいと
夢にみている皇居へ続く秘密の地下通路が
この目白の近衛邸を皮切りに意外なところから
判明するのではと期待してしまう。
皇居へ続く地下通路がネットの某掲示板では
都市伝説的に扱われてはいるが。

そのまま進むと目白通りに出る。
わざわざ西武池袋線の踏み切りを越えてから、
今度は池袋線沿いに山手線沿いに戻ってみる。



池袋に到着。ここまで1時間40分ほど。
街頭の地図を見る限りはここからしばらくは沿線に
そって迷うことなく歩けそうな気配である。
そのまま歩いていくと少し上り坂になり、山手線や
他の路線が併走する複数の線路をまたぐ橋に向かう。
このまま橋を渡ってしまうと、山手線の内側に進み
沿線沿いから外れてしまいそうだ。

良く見るとこの橋の下にも歩道橋があり、
つながっている階段から降りていけば、
大崎方面へ向かう道へ歩いていけるようで一安心。
線路のカーブにそってしばらくは道もカーブ。
右手を時々山手線や他の列車が走り抜ける。

大塚駅前まで続いている商店街の電柱に
突き出すように「大崎駅自由通路開通記念」と
書かれた旗が風に揺れている。


大塚には下車したことがない。
今回初めて駅舎を見る。当然まだ白く綺麗な自由通路も。
都電荒川線の駅の上に山手線のホーム。
少し違うが、黄緑色どうしの電車が出会う駅。
そばの踏切が故障中で、駅へ近づく、あるいは駅から
発車する路面電車がないかを注意して渡る。


大塚から巣鴨、駒込は迷うことなく沿線を歩いていく。
駒込から田端の間には有名な山手線で唯一の踏切。
それを通り過ぎ、山手線を跨ぐ橋を歩いていくと
田端駅はもうすぐである。

歩いてから4時間ちょっと。田端駅に到着。
田端駅の駅舎も綺麗になっている。
ecuteのようなショッピング施設、atreがある。
いつもホーム側の景色しか知らないが、
沿線側の景色は知らないだけに歩いていて
新鮮であり、なかなか楽しい。



きっぷうりばのそばに張られた手作りのポスター。
730円で山手線などのフリーエリアが1日乗り放題を
アピールしている「都区内パス」だが、
その下にアニメタッチの2人の若い女性の
描き方に力がはいっている。
何かのアニメキャラをモデルにしているのだろうか。
かなり上手いなと思うが、「萌え」るほどではない。
こういうポスターがあるとどうも気になってしまう。

歩くにはまだ体力的には少し余裕がある。
田端駅の駅舎を通り過ぎ、西日暮里方面へと続く
道へ降りていく階段を降りたとき、
1軒のビジネスホテルが右手に目についた。
「ホテルメッツ」である。

窓の向きは見るからに新幹線や操車場を見下ろすのに
最適である。他のビジネスホテルよりは割高だが、
同じホテルの水戸駅前で使ったときの設備に対する
細やかなところが気に入っている。

まずユニットバスの鏡が一部曇らないようになっている。
風呂上りに安心して髭剃りができる。

それから給湯設備。旅をしていると色んな場所で
駅前のビジネスホテルのお世話になるが、
カランとシャワーを切り替える場面で違いが出てくる。
切り替えレバーでは出している水やお湯を
途中で止められないので、止めたい場合は
一旦お湯側と水側の蛇口を閉める必要がある。

止めてしまうと再度シャワーを使う度に、
蛇口のひねり具合で温度調節をする面倒がある。
今回のメッツでは温度調節のダイヤルが
別にある方式なので、この面倒から開放される。
水戸駅前のメッツに泊まった時にこの2点が
今までのホテルとは違うなと素直に感心したほどだ。

次にノートパソコンの貸し出しサービスがあること。
1泊1000円だが、同じ1000円でテレビの有料放送を
見るなら、アレをするためのコンテンツ探しをする
者にとっては経済的だ(笑)。それにネットカフェと違い
寝そべりながらネットサーフィンやブログを書いたり
することができる。

後は趣味的に列車の走るところを見下ろせる点
ここはさすがにJR東日本ホテルズらしいと思う。
実際、「電車が見えるお部屋」での宿泊プラン
としてチェックアウトも通常11時を12時までとして
出しているホテルがある。今回のメッツ田端も
そのひとつである。

最後はチェックアウトが11:00である点。
大抵は10:00チェックアウトだが
11:00なので、朝なかなか起きれない私でも
というより、夜寝るのが遅いだけなのだが、
ゆっくりと朝食~出発の支度ができるのだ。

前の方で、1万円以上の出費は控えたいとしながら
結局この田端で浪費しているので、矛盾しているが
そこは目を瞑っていただきたい。

携帯音楽プレーヤーの充電をするためもあって
まずはフロントでノートパソコンを借りる。
折角パソコンができる環境なので、久々にアニメでも
見ようかと、夕餉のついでにDVDを借りにホテルを出る。
田端駅に着いたとき、atreの3階にTSUTAYAを確認した。

駅前にはこれはと思う雰囲気のラーメン屋がないので
常磐線の三河島方面まで10分ばかり歩いてみた。
ラーメン通ではないが、今時のライトアップされた
派手な看板よりも、歩道の端に黄色地に「ラーメン・餃子」
としか書かれていないような看板の灯を置いている
店の方がはずれがないような気がする。
ラーメン店を選ぶ際の安心感みたいなものだろうか。

店員の中に中国だが、韓国の人を含めた3人で
切り盛りする店だが、ラーメン、餃子とも当たりだった。
そしてビールもよく見かける瓶よりは少し太めの緑色には
「ハートランド」と凹凸文字があり、なかなか
飲む機会のない銘柄が出てきたのもよかった。
最近は普段なかなか飲む機会がないような銘柄の
ビールを出すという点もラーメン店への評価に
加えつつあったりする。

満足したその足で田端駅へと戻る。
atreの3階にあるTSUTAYAで気になっているアニメを
2つ借りてみた。ジブリの最新作品である「崖の上のポニョ」。
もうひとつが宮沢賢治原作をアニメ化した「銀河鉄道の夜」。

ホテルに戻り、ウォーキングで掻いた汗を流した後は
寝るまでアレの後からDVDタイムとなる。

まずは「崖の上のポニョ」。
絵のタッチから何となく期待はしていなかったのだが、
これはこれで見ごたえのある話であった。
別の長編アニメ映画で「遠い海から来たCoo」があったが、
話の始まるパターンはそれと同じである。
(見ていない人はわからないかもしれないけれど・・・)

「萌え」という観点ではポニョが「ある」理由で
女の子となって登場したときは、ゲームやアニメに
登場する美少女とは違った可愛さがあってよいかと。
これ以上はネタバレになるので実際にDVDを見て頂きたい。

次に「銀河鉄道の夜」。
話の内容も素晴らしいが、何よりもキャラクターの背景に
描かれる絵、音楽が独特の世界観を作り出しており、
見ていると大変心地よい。「心地よい不安な気持ち」
という方が正確かもしれない。

今後は旅先のビジネスホテルでパソコンを借りられるなら
DVDをレンタルする店が近くにないかを調べてみるも
よいかもしれないなと思った。

ポニョのような女の子が突如現れて
困った自分を妄想しながら、ベットに横になった。
時間は2時15分過ぎ。9時までには起きないと
折角の朝食券が無駄になってしまう恐れがあるからだ。

2009年12月23日水曜日

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日本最北端にある駅、JR稚内駅。
前回旅をしたときに見かけた見慣れない形の防波堤。
地元では「北防波堤」と呼ばれているが、よくよく調べると
遠い遠い昔、サハリンへの連絡船へ乗る乗客のために
わずかな期間設けられた駅であることがわかった。

その名も「稚内桟橋」。
昭和15年の時刻表にはそのように記載されている。

もう少し詳しく知りたいと思い、大宮の鉄道博物館へ
足を向けてみることにした。

鉄道博物館の2階には鉄道関係の資料が閉架式で
管理されている「ライブラリ」という部屋がある。
もっとも資料を読むための部屋であるため、
子供連れやほとんどの人は入ってくるなり、
あまりの静けさにすぐに部屋を出て行ってしまう。

今となっては懐かしい図書目録カード方式で、
カードに書かれた書名を閲覧申込用紙に書いて
正面奥のカウンターに差し出すと、係りの人が
奥から該当の資料をもってくるというスタイルだ。
街にあるような図書館と違って、
国会図書館のように本棚に並ぶ本が見えず、
気軽に手に取れないが、故意に持ち帰る輩から
資料紛失を防ぐには致し方ないのだろう。

奥に長い引き出しに収められた何百枚もの
図書目録カードからこれはと思う書名を見つけるのに
少し時間が係ったが、結局前にも少し読んだ同じ
本を読むことになった。

まずは1冊目。
深緑色の布製表紙というしっかりとした装丁に
金の縦文字で『稚内連絡船史』と書かれた本を開く。

「北防波堤」と呼ばれている防波堤が完成したのは
昭和11年。設計は26歳の名前は忘れたが、この
防波堤工事に17年の歳月をかけており、
それだけこの「北防波堤」への当時の鉄道省、
利用者への期待はかなり高く、重責だったに違いない。

この防波堤が完成した翌年、昭和12年。
駅として利用するための工事が着々と進められる。
南稚内(現JR稚内)で終わっていた線路をこの防波堤
まで伸ばし、ホームや上家が建設される。

駅として完成し、昭和13年から営業開始。
それまでは南稚内から1.6kmほどを歩き、
さらに艀(はしけ)で連絡船に乗らないといけなかったが、
駅の待合室からタラップでそのまま連絡船に乗ることが
できるようになる。
連絡船が到着し、降ろされたタラップを渡り終えるまで
寒空に輝く稚内の星空をどんな気持ちで乗客は
見上げていたのだろう。あるいはそんな気持ちの余裕は
なかったのかもしれない。
線路はホーム側と海側と2本。海側には岸に接岸した
船に荷物を運ぶために使われていたようだ。


対して、連絡船が行き着く先であるサハリン側の
「大泊」駅はもう少し前の昭和3年に完成している。
完成と同じ年にはすでに営業しており、樺太鉄道としても
異国への連絡輸送という大きな期待があったようだ。
それもそのはずで、日本国内の鉄道省と結んだ連帯運輸の
契約内容では、青森駅を互いの接続駅として、東北本線
さらには東海道本線の大阪までと規定している。

借りた2冊目、『樺太鉄道資料集』に掲載されている
サハリン内の鉄道路線図を眺めると、路線の殆どが
国有鉄道線、正確ではないが今の感覚ではJR線となる。
遠くは大阪から稚内を経由し、北のサハリンまで荷物が
運ばれていた時代があったのだろう。

この稚内から大泊を結んでいた「稚泊航路」だが、
いつも順風満帆に運行されていたわけではなかった。
稚内、大泊といずれの当時の気候を調べてみる。
春夏秋冬がある同じ日本であっても、稚内まで来ると
冬の期間が長くなる。早ければ9月からその季節は
やってきて、翌年の4月までは続いていたようだ。
それよりも北、大泊についても同じ事が言える。
平均気温も稚内が-3℃に対して、大泊は-25℃。
半端ない寒さの上に、航路上は厚い流氷に覆われ
船がそれ以上に進めずに足止めを食ったこともある。

救助船まで流氷上を歩く人の姿がモノクロ写真で
確認できる。救助船を来るまで、そして流氷上を
歩くときにふと見上げると星が輝く夜空。(というより
夜にこうした事故があったのかは不明である)
どんな光景だったのだろうと妄想してしまう。

その流氷も最近では温暖化のせいなのか
見かけることが少なくなってきたようである。

連絡船8~9時間かけて、稚内と大泊を結んでいた。
車内販売ならぬ、船内販売のリストもこの本には
載っていた。それによると、今もおなじみのビールには
札幌ビール、キリンビール、そして三ツ矢サイダー。
吸わないが、たばこの銘柄は逆に知らない銘柄が
並ぶ。「響」「桜」「暁」「光」。今の横文字よりは
重厚感があってよい。

昭和13年~15年は戦時下という事情から
この連絡船の時刻は時刻表から省略されてしまう。
船内販売も制限の対象となり、ビールは1人1瓶、
日本酒は1杯までという具合である。

長い連絡船も灯台が見え始めるとようやくサハリン
であることを実感したのだろう。
大泊少し手前には西能登呂岬と呼ばれる岬があり、
地図では魚の尾びれような先端部にあるその灯台が
連絡船を大泊へと導いてくれていたはずだ。
また資料ではメインの航路ではなかったようだが、
この岬から左側へ分岐し、「稚斗航路」として
「本斗」まで結んでいたルートも存在した。

この「本斗」駅を含む、サハリンの東海岸沿いに
「久春内」まで結ぶ路線を樺太東線、この樺太東線から
分岐して横断する線路の先は、「豊原」につながり
樺太西線と呼ばれたこの路線名大泊からこの豊原と
西海岸沿いに、北寄りで少し内陸部に入った
「古屯」まで結んでいた。当時はこれらの路線が今の
(正確には違うだろうが)JR線だった歴史を知れば、
国鉄キハ58がサハリンの鉄路を走っていても
何らおかしくはないのだ。

2009年12月14日月曜日

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鉄道時刻表としてもうひとつ
気になっている時刻表がある。
それが「JR貨物時刻表」である。

私鉄を含めて、旅客列車の時刻表は
どの本屋でも大抵販売しているものだが、
この貨物時刻表は特定の本屋にしかない。
我が地元からならアキハバラの書泉まで
行かないといけない。

久々にアキハバラの空気を吸いに行こうと
小田急線で新宿経由でアキハバラへ。
アキハバラそばの書泉で目的の時刻表を購入。
この貨物時刻表、旅行で愛用している
同じ「JR時刻表」が1150円に対して、2400円と
ページの厚さの割りには少々高い値段。

アキハバラ特有のノイズと空気を感じてみる。
良く見ると前あった店が別の店になっている。
まるで自作パソコンのパーツ交換のように。
少し前までなかったが、ニコニコ動画でも人気の
初音ミクが今ホットな萌えキャラクターとして
動画の2次元から飛び出し、3次元のこの街で
客を集めているようだ。

中央通りを通り過ぎ、銀座線末広町の少し
上野寄りにある喫茶店に入り、先ほど購入してきた
貨物時刻表のページをしばらく繰ってみる。

貨物は単にタンクやコンテナ、甲種車両輸送だけ
と思っていたが、他にも規定サイズのコンテナに
入らない荷物を運ぶための特殊な貨車によるもの、
特定区間だが石炭輸送や、オフレールステーション
略してORSだが、つまりコンテナなどを貨物駅から
貨物駅までトラックでの輸送も実施されている。

そしてこの貨物輸送もタンクやコンテナなどの
「貨物輸送」と甲種車両輸送などの「車扱輸送」に
大別され、輸送料は輸送する重量の1トンあたりと
運賃を掛け算したもの、輸送が翌日にまたがる
場合など貨物を積載した貨車やコンテナなどの
留置料や使用料、それに発送料や到着料、
別途通常料金など料金計算がちょっと複雑だ。
輸送するものが貴重品や作業員に危険を及ぼす
恐れがある物であれば、これら料金に割増される。
あとは荷主ではないからどうでもよいことだが、
特定の貨物駅では、冬季(12/1~翌年3/31)にあたる
コンテナ貨物は料金割増があるとのこと。
ということはこの不況では、これから来年に向けて
貨物列車の出番が少なくなるということだろうか。

さてメインとなる時刻表を見てみる。

まず索引地図だが、これは「JR時刻表」と同じように
日本地図に路線図が描かれているが、旅客路線と
比べると貨物営業線は驚くほど少ない。
少子高齢化が進み、乗客が少なくなって
旅客路線の多くが廃止されてしまったらこんな感じに
なるのかもしれない。それほど少ない。

我が地元の小田急電鉄も新型車両や車両検査の
甲種輸送で御殿場線を経由することがあるが、
索引地図では御殿場線の松田や下曽我は
臨時の車扱取扱駅になっている。
つまり御殿場線が貨物線としては臨時扱いであり
時刻表には載っていないのである。

時刻表では輸送する貨物の種別が示されているが、
甲種輸送を含む車扱輸送までは区別されていない。
列車種別で高速貨物を示す「高速」か、
編成内容で「その他」となっているものとなるが、
実際どのダイヤが使用されるかまでは分からない。
甲種輸送については鉄道情報雑誌である
「ダイヤ情報」などに乗っている情報を確認する
しか手段がなさそうだ。

荷主にとって運転日が限定される列車に注意が必要だ。
貨物列車は旅客列車とちがって運転日の限定は
ないものと思っていたが、よくよく思えば同じ鉄道である。
当然線路の保守等が必要になるのだ。
列車番号の先頭に「Ⅹ」(実際は▽△がくっ付いた形)が
あるものは運転日が限定されているものを示す。

この列車番号だが、旅客列車のように下りは奇数、
上りは偶数というルールではなく、あくまでも列車番号が
運用単位になっているようだ。だから列車番号だけでは
下りか上りかは区別できない。

さてここで2つの謎が偶然見つかった。
アキハバラ近くの喫茶店でページを捲るうちに
時刻表を見ながら実際にやってくる貨物列車が
自分の見方と合っているのかを確認してみたくなった。
分かりやすく、近場ということで武蔵野線の南流山へ
向かうことにした。時刻表では貨物駅だけではなく、
我々が利用する駅も一部記載されている。
ひとつは貨物駅も兼ねているためであるが、
もうひとつは作業等はないが、運転停車するためだ。

この南流山も運転停車する駅になっている。
ホームに降り、列車が走り去ると赤い電気機関車EF81を
先頭にして、中央の線路でコンテナを積んだ貨物列車が
待機していた。やがてしばらくすると先ほどの列車と
同じ方向にゆっくりと動き出した。

この列車の行先を調べてみようと貨物時刻表を見る。
どうやら21:27に南流山で運転停車し、私が乗ってきた
武蔵野線が発車するのを待ってから、
次の越谷ターミナルへ21:38到着するらしい。
列車番号は時刻表から記載から79か91だろうか?

この列車が南流山で運転停車中に蘇我方面に
すれ違った貨物列車があった。
貨物時刻表には付録のようにダイヤグラムの白い紙が
挟まれていた。それを見るとすれ違った列車番号は
3090ということらしい。

さてこの2本の貨物列車だが、まず列車番号が
79か91と思われるものから確認してみる。
家でゆっくりと貨物時刻表を調べてみると、
列車番号に従えば運用されている機関車は
EF81ではないようだ。
「JR時刻表」では列車番号から気動車か電車か
は区別ができるが、どういう形式の車両かまでは
分からない。対して「貨物時刻表」では列車番号から
どんな形式の機関車が使用されるか「機関車運用表」
で確認することができる。

そして使用されるEF81が配備されているのは
「機関車配置表」によると富山機関区と門司機関区だけ。
先頭の赤いEF81の後に続いていた番台は91。
つまりEF81-91だが、配置表にはないのである。
何らかの都合で運用変更になったのだろうか?

次に列車番号3090について。
先ほどの列車番号79か91で使用される機関車は
運用変更があったのかもしれないと何とか納得したが
こちらはもっと謎だ。「土・休日運休」なのである。
確認した日は土曜日。つまり走っていないはずだが
実際に走っていたのを南流山のホームから確認した。
正確にいうと「土・休日運休かもしれない」である。
というのは、他の列車番号はみな、運転日指定を
示す「Ⅹ」が先頭に付いているが、この3090だけは
この「Ⅹ」が付いていないのに、「土・休日運休」と
記載されている。どちらが正しいのだろうか?

そもそも時刻表の見方も正しいのかと言われると
ちょっと自信がない。

2009年12月13日日曜日

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東武野田線。
大宮から東武伊勢崎線の春日部、常磐線の柏を
経由して船橋まで行く路線である。
長編成の列車が一定のヘッドで運転されているが、
路線の一部が単線区間になっているため、駅、
もしくはその途中で対向列車とすれ違う。
路線図では船橋まで一本で繋がっているように見えるが、
実際は柏駅がスイッチバック状の配線になっており、
一部列車を除いてこの駅で系統が分断されている。
これは元々、醤油醸造業者がそれまでの舟運に不便さの
声が上がり、軽便鉄道として利用されたのが始まり。
柏駅のスイッチバック配線はその名残ということらしい。

前のニッキでも書いたが、最近では顕正会という宗教団体が
どうやら鉄道オタクを入信させるために鉄道オタクを装い
勧誘員が大宮公園あたりにある会館へ連行するために
使われることが多いので注意である。
8000系と呼ばれるこのデザインは個人的に好きである。
小田急なら1000形に通じるところがある。




流鉄流山線。
東武野田線に対して、ローカルな雰囲気がバリバリの
2両編成が単線を走る。西武鉄道から譲渡された車両は
それぞれカラフルに塗装され、愛称のヘッドマークがある。
最近の省エネ、省メンテとコスト重視でデザインそっちのけの
車両が跋扈する時代に、静かにゆっくりと走るデザインに
味のある車両にふるさととは違う安心感がある。
常磐緩行線の馬橋から流山を結ぶ短い路線だが、
江ノ電のように家々が建つ隙間をゆっくりと走っていく。

流山の駅前には何もなく静かである。
ただしすぐそばの2車線道路に出ると、ラーメン屋など
すこし賑やか雰囲気が流れている。
そのまま馬橋方面へと歩いていく。
しばらく歩いていくと道路は踏切にぶつかる。
そのそばに終点流山の次の平和台駅の駅舎がある。




そばのイトーヨーカドーでコーヒーとドーナッツを買い、
平和台へ向かう。掲げられた運賃表が妙に懐かしい。
○の中に運賃が書かれたタイプだが、印刷ではなく
手書きの感じがよい。これだけでも忙しない時間が
ちょっとだけ忘れるような気がする。

ホームのベンチで列車が来るまでコーヒーを飲み、
ドーナッツを食べる。同じ都心の地下鉄ホームや
新宿など人がひっきりなしに行き交うホームとは違い
ほっとすることができる。
1本ずつそれぞれ反対方向からやって来た列車を
見送り、ドーナッツを食べ終えてしばらくしてやってきた
馬橋行きの列車でホームを後にした。

馬橋駅にもどうやら宗教の勧誘員が声をかけてくることが
あるらしいから気をつけたほうがいいかもしれない。

つくもノヲ”X="1≠ 505





Bトレこと、Bトレインショーティーに
小田急の赤い1000形が最近販売を開始した。
同時に通常の1000形も同時に販売し、
両方買えば、赤と銀の1000形同士の編成を
楽しむことができる。

以前買ってから動力車を取り付け、Nケージとして
走らせるようにしてある小田急9000形と連結してみた。
なかなか絵になる。9000形はもう走っていないが、
もし赤い1000形と連結されていたら、
どんなに面白い写真になったろうかとしばし妄想する。

かなり前に早朝に起きた人身事故の影響で
10両編成の前4両として、新宿と藤沢まで白い6両編成と
思わぬコラボレーションをした運行実績があるが、
イベント列車として実施してくれないものだろうか。

つくもノヲ”X="1≠ 504





三浦半島、5時間半のウォーキング。
以前につきみ野~横浜~横須賀中央~三崎口と計画し、
12時間耐久のウォーキングを実施したが、結局途中の横須賀中央で
体力、特に右足が悲鳴をあげた為に断念した。
これがこれまでの個人記録で一番長い9時間ウォーキング。
距離にして45kmであった。

今回は是非とも、「赤い電車」こと京急久里浜線の終点である
三崎口まで歩いてみたいと思い、まずはその赤い電車で
横須賀中央までひとっ飛び。

しばらくは国道16号線をひたすら歩いていく。
自動車用の青い看板には「三崎まで19km」。
これなら4時間もあるけば到着するだろう。

横浜~八王子のようにずっと国道16号線を歩くだけなら
道に迷わないが、三崎口まで京急線沿いに歩こうとすると、
途中から違う道に曲がらないといけない。
自作のGPSロガーを携帯電話で呼び出し、今度は国道134号線を
歩いていけばよい事を確認する。



しばらくは京急線に沿って歩く。
途中左手に北久里浜駅の駅舎を横目に
最初から飛ばさないようにゆっくりと一定のペースで歩いていく。
京急久里浜駅から今度は同じ134号線を右折する。
この辺りから過ぎていく信号の名前も見慣れないものが
当然出てくる。「野比中学校」「野比駅」など。
同時にようやくここまで来たなという達成感が少しずつ
強くなってくる。


YRP野比駅を過ぎる頃に左手視界が青く開けてくる。
太平洋だ。三浦半島の海というほうがよいか。
どちらでもよいが、海からの風はまだ冷たくない。
年を越すころは手が悴むほどの寒さになるだろうが、
その寒さがないので、ゆっくりと歩きながら見渡す限りの
海を堪能する。このあたりはウォーキングだけでなく、
ジョギングでもサイクリングでも気持ちよいだろう。

江ノ島が有名な湘南の海は、そこを舞台にしたドラマや
漫画を過去に見た影響もあるだろう、はしゃがないでどうするよ?
と訳もなく、テンションが高い若者のエネルギーがむき出しの
イメージがあるが、今回ゆっくりと通り過ぎていこうとする海は
そんなイメージない。海水浴で賑わう夏でも、穏やかに
楽しい空気に包まれるのかもしれない。
だが堤防沿いに長く設けられた駐車スペースに、エンジン吹かした
車が横に並んで停まり、サーフボードを抱えた若者が降りてきたら
湘南とさほど空気は変わらないかもしれない。
今はこれから冬本番になろうとしている季節。
そんな車は一台もなく、がらんとした駐車スペースだから
落ち着いて海を見ることができる。


しばらく続く左手の海の向こうはそろそろ夕方が終わろうとしている。
先ほどよりも夕日が暗くなっているのがわかる。
そんな砂浜に見慣れないものが干されている。列をなした大根である。
珍しい光景に思わず、携帯電話のカメラを向けてしまったが、
さらに歩いていくと、目についた「三浦大根」と関係がありそうだ。
後でweb検索してみた。少し前まで栽培されていた「三浦大根」は
今主流になっている葉の根元付近の身が青い、青首大根とは違って
身は真っ白で太く、大家族でないと食べきれないほどの大きさを
誇っていたらしい。それが核家族で一世帯の人数が減り、
需要も少なくなり、農家で栽培しているところは僅かだとか。
どうやら、干されている大根も「三浦大根」ではなさそうだ。
大根は畑で収穫されてやがてスーパーに並ぶ、というイメージが
あったから、砂浜で天日干しをしている光景が新鮮だ。

そのまま海岸沿いの堤防を歩いていく。
気持ちのよい時間が流れていくが、そろそろ4時間経つ。
そのうち三崎口駅を示す看板があるだろうと思って気にせずに
歩いていくうちにすっかりと夜になった。
予め見た地図では三崎口駅は海岸沿いではなく、内陸地にあった
はずだ。これはどこかで道を間違えたらしい。
再び携帯電話で自作のGPSロガーで位置情報を確認する。
駅からだいぶ離れている。明らかに三浦半島の南端に向かっている。
初めてやってきたところだから、この辺の距離感はつかめていない。
しかも民家が少ないのか、夜になるとあたりは何も見えない。
人工の灯がとても少ないために、やけに星空がはっきりと見える。
それが少し不安にさせる。それでも2時間はかからないだろう。
三崎口からここまでは5kmほど離れていただけのはずだから。


車が通る2車線道路を道なりに歩いていくと、
向こうに白い風車が2つ見えてくる。風力発電所でもあるのか。
辺りが暗いだけに白くライトアップされたその勢いよく回る
風車が綺麗で少し不気味に感じる。
少し離れた場所にあるかと思いきや、道路に面している。
「宮川公園」という名前でベンチや東屋、トイレなどがあり
ちょっとした休憩ができる広場がある。良く見るとベンチに
ひっそりとカップルが座っている。デートスポットとしても
使われているようだ。
この風車も後でwebに尋ねてみると経済産業省による
試験的稼動を目的に設置されたものということ。

その風車を通り過ぎると、辺りはまた暗い。
見上げると夜空の星が良く見える。
見渡す限り向こうの道は真っ暗。せめて街灯でもあれば
歩いてみようとなるのだが、こう真っ暗では先を進めるか
躊躇する。人工の灯がないとこれほど不安になるもの
ということをここで痛感する。
目についた分かれ道が三崎口駅へ戻る近道のような気がして
その分かれ道に賭けてみるような気持ちで歩いていく。

しばらく歩いてふと振り返る。
それほど歩いたつもりではなかったが、白く光る2つの風車は
かなり離れている。辺りが暗いと距離感が掴めず不安だ。
そしてまた携帯電話で自作GPSロガーで自分の位置を確認。
左手に行けば県道26号線があることを確認でき一安心。
県道まで出てしまえば、三崎口駅までは1時間ほどで
到達するできるだろう。
それまでは辺りが暗い道を歩いていたために距離感がなく
時間の経過が早いような気がしたが、県道に出た途端に
車のヘッドライト、店や家の灯で明るいこと、それまでの
緊張がなくなったために三崎口駅までの1時間は長く感じた。



三崎口駅に到着。
この駅だけは古い京急のロゴのネオンが青く、赤く輝いていた。
時間は19時半。予定より1時間半ほど遅れたが、
おかげで三浦半島の南端まで歩くことができた。
あの風車は今も印象的に私の頭の中で白く光っている。
駅そばにあったの中華料理屋でラーメンを食べる。
横浜へ向かう赤い電車に揺られて三崎口を後にした。