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【北海道&東日本パスの旅 8日目】 平成の宮脇俊三氏と「ひらふ」の夜
帯広
10:13発
↓ 2432D 根室本線~石勝線
11:23着
新得
12:05発
↓ 34D 石勝線
13:02着
新夕張
13:05発
↓ 2632D 石勝線~千歳線
14:06着
千歳
14:13発
↓ 3926M 千歳線
快速 エアポート134号
14:16着
新千歳空港
15:07発
↓ 3925M 千歳線~函館本線
快速 エアポート151号
16:16着
小樽
16:53発
↓ 2948D 函館本線
18:13着
比羅夫
目が覚めると今日も晴れている。
コインランドリーの乾燥が終わるのを待って2時過ぎまで起きていたが、
いつの間にか、眠ってしまっていた。結果として何とか7時前には起きることはできた。
寝坊するだろうと思っていたので、せっかくなので優雅に朝ごはんを食べよう。
今回宿泊したホテルムサシは価格が良心的なだけでなく、バスとトイレがドアで別に
なっている事が大きい。大抵のビジネスホテルはトイレとバスは一緒になっていて、
トイレ側を濡らさない様に気を使いながらシャワーを浴びなくてならないが、ドアが
あるので、ゆったりと体を洗う事が出来るだけでも快適度はぜんぜん違う。
そして給湯も温度調節がダイヤル式のものは初めてお目にかけるタイプである。
その他のサービスもなかなか素晴らしい。この暑さでは提供できないご飯物に代わって
おつまみのサッポロポテトがあったり、便座クリーナーがあったり、安物スリッパではなく
サンダルだったり、消臭スプレーも備えている。またアメニティーで驚いたのは、大抵は
使い捨ての粗末なものが相場である歯ブラシだが、持ち帰りを前提にしたまともなもの
だったことだ。帯広に宿泊する機会があれば、次回はこのホテルを定宿にしたい。
旭川四条のホテルも良好物件だが、サービス面ではこちらが一枚上のようだ。
しかも朝食無料で、これも滅多に飲む機会がない牛乳が飲めるのは大変有難い。
フロントの笑顔の対応としっかりした挨拶で5000円を切る値段は簡単には見つからない。
旅程一日の殆どが移動時間となるので、宿泊地ではほぼホテルで寛ぐことになる。
そのホテルのサービスは疲労度に影響してくる。
10時少し前に駅へ。ホームには下調べした通り、赤いキハ40系が停車している。
一度は乗れたらと思ってはいたが、偶然にも乗り継ぐ列車で乗車機会を得た。
赤いキハには白いキハも連結されて2両編成になっているが、こちらは今は回送であり
おそらく新得始発として運用につくのだろう。赤いキハ目的のカメラマンが何人か、
ホームからカメラを向けている。10:13発の列車は2,3のボックスシートが空いている他は
窓側がすでに埋まっていた。今日も相変わらず暑い。窓を開けて発車を待つ。
帯広を出ると柏林台。乗り込む数人にハーフパンツの者たちは部活動に励む学生諸君か。
西帯広へ向かう途中、左手にはこれから運転されるだろう「SLとかち」が停留していた。
沿線にカメラマンの姿が目立つと思ったら、SLの後ろに茶色い客車。私も降りて参加したい
ところだが、今夜の宿はキャンセルする訳には行かない。
西帯広でも部活動諸君が数人乗車。沿線では保母さんと園児だろう女の子たちが数人、
横一列にこちらを向いて手を振っている。赤い列車が走るのを見計らい、並ばせたのかも
しれない。大成。数人乗車。芽室では親子連れが降り立ち、特急列車の通過を待って
列車は再び動き出す。
今日も暑い。御影で学生風の私服組が数人乗り込む。十勝清水に向かう途中で列車は一時
停車。IphoneのGPSで確認すると、普通列車も通過してしまう羽帯を少し過ぎた地点。
右側をRED BEARが率いる貨物列車が通り過ぎていった。その後に通過したのは、おそらく
快速列車かもしれない。十勝清水。車内の学生さんの殆どが吐き出されていく。
炎天下の部活動なら、心の中でお疲れ様とつぶやいてしまうのは少々老いた為か。(笑)
十勝清水では反対側の特急列車の通過を待つためにしばらく停車する。
新得。赤い列車と後ろの白いキハは切り離されて、お互い別方向へと発車していく。
赤いキハは富良野方面へ、そして白いキハは今来た道をまた戻ることになる。
ここで特急列車に乗り換える。ここから新夕張までは特急列車しか運行していないため、
時刻表にも書かれているように、自由席に限って乗車券のみで乗車できる。
青春18きっぷも北海道&東日本パスも「特例」として乗車が認められている。
新夕張からゆっくりと駅弁を広げるのは難しいかもしれない。
そこで車内販売で買った駅弁でお昼ご飯にする。晴れた今日は狩勝峠の緑がよく映える。
時折トンネルの闇に遮られるが、駅弁にはよいおかずになる。お昼ご飯を立ち食いそば屋で
急いで済ませる気持ちにはなれない。
新夕張。予想したとおり一両編成はすでに席が埋まっていた。駅弁どころではない。
座れればロングシートの方が景色が見やすい場合もある。宗谷本線の北見以北やや花咲線
(釧路~根室)で使われているキハ54系では車両の構造上、ロングシートに座ると運転席と
左側と右側の景色を同時に楽しみことができる。尤も車内が空いている場合に限るけれど。
列車は我々乗り換え客のために、少々遅れて発車したようである。
滝ノ上。地元客が一人乗り込んでくる。峠を越えたこちら側もよく晴れている。
今日はこのまま夜まで天気に恵まれて欲しい。雨では少々気分が滅入ることになるからだ。
肥料のような匂いが風に乗って、開け放った窓から漂ってくる。
朝数時間しか眠らなかったためか、駅弁を食べたためか、油断すると意識がなくなりそう。
次は追分。新夕張からそれほど離れていないため、今回の日程では乗車時間が一番短い。
追分で少々客が入れ替わり、ここから南千歳まで少々離れている。
乗っている間に改めて時刻表を開くと、大事な盲腸線を忘れていた。南千歳から一駅だけ
伸びる新千歳空港までの線である。幸い向こうへ行き、空港内を少し回るだけなら
折り返しても行程に影響はないことが分かった。
13:42。列車は途中一時停車する。特急列車通過待ちのために4分ほどの停車。
トンネルから特急列車が出てくると同時にこちらも動き出す。トンネル内は速度計を見ると
時速80kmで走破しているが、我が小田急よりも体感的には早く感じる。
南千歳。苫小牧行きではあまり見かけない近郊列車が到着すると同時にこちらも発車。
終点の千歳は定刻着。ここで新千歳空港行きに乗り換える。
列車は発車してからしばらくしてトンネルへと下っていく。
そのまま3分ほどトンネルの中を走ると、地下鉄のような行き止まりのホームに到着。
客の多くはトランクスーツを引っ張る客だが、他の駅と異なるのは改札で荷物検査を
受けるところは空港である事を意識させる。尤もここからいきなり飛行機に乗る訳では
ないので、搭乗前のような本格的な検査ではない。簡単に荷物の中身を改めて身分証明書
を提示したらそれでおしまいである。真上から見ると扇子型になっている建物はホームの
地下階から上ると2階まであり、客で賑わうお土産や飲食店は2階に集まっている。
少し歩き回って見た限り、六花亭など有名どころのおみやげは大抵入手できるようだ。
トランクスーツ客で混雑する到着ロビー。
一通り空港内を冷やかしつつ、少々急ぎ目に快速エアポートの小樽行きに乗り込む。
この列車に乗り遅れる訳にはいかない。席はほとんどが埋まっている。千歳でさらに
乗客が増えて、デッキにも立ち客という混雑も札幌で一気に降りていくだろう。
北広島でようやく地元らしき客が混じるようになる。新札幌で何人か降りていく。
いつの間にか意識がなくなり、列車は札幌に着いていた。札幌までの観光客輸送から
今度は地元利用者の路線に表情を変えていく。桑園を通過。高架の向こうには夕日。
今日ももうすぐ夜が訪れようとしている。列車は住宅街を軽快に走り抜けていく。
手稲に着く直前で青いディーゼル機関車に牽引された銀色の車両とすれ違う。
これから上野へと向かう寝台特急カシオペアだろう。
手稲。まとまった人数が乗り降りする。札幌以東、網棚を占めていたトランクケースは
見かけなくなり、車内は地元の生活臭を運んでいる。
銭函を出てからは可能な限り、進行方向に向かって右側の座席に座った方がよい。
ここから小樽まで広がる海が目を楽しませてくれる。近郊列車でありながら、まるで
江ノ電の海を望む区間がずっと続いているような感覚になる。函館本線の景勝区間である。
小樽築港。女の子が一人下車。中年女性が一人乗車。南小樽は地元客と観光客が混じって
いるホーム。小樽に着いたら、本日行程では最後となる列車で宿に向かうだけである。
乗り換え時間が少々あるが、小樽運河までなら駅から往復するくらいの時間はありそうだ。
ゆっくりと時間をかけて見たいところだが、これから乗る列車を逃してしまうと宿に着く
時間が大幅に遅くなり、楽しみにしているものが楽しめなくなってしまう。
そうなると、この宿に来る目的の半分以上は意味がなくなってしまうのだ。
小樽も雨ではなく、暑いと感じるくらいの日差しだから今夜の宿での楽しみは心配する
ことはないだろう。
初めての小樽運河は急ぎ足で向かって、撮影して少々立ち見するだけで終わった。
また急ぎ足で駅舎へと戻らないといけない。
小樽からは気動車2両編成。すでに席はほぼ埋まり、デッキに立ち客がいる車内。
これまでの旅なら窓側に拘っていたところだが、すでに乗車済みということもあって
座れればいいという気持ちになっている。というより、今回の旅では今まで違って
のんびりと構えて北海道を満喫する事をテーマにしている。座れなくてもそれでいい。
途中までの地元客がほとんどだが、私のような観光客も少々混じっている。
ロングシートはやはり学校帰りの白いシャツ軍団の若者がおとなしく座っている。
列車はゆっくりと走っていく。夕日が右の窓から差してくる。
塩谷。地元の方が数人降りて行く。小樽行きの列車と交換する。塩谷を出るとわずかな
区間で海が見えるのだが、「山線」と呼ばれているだけにすぐに遠ざかっていく。
蘭島。若い女性がひとり降りていく。余市でロングシートの白いシャツ軍団が降りていき
客が入れ替わる感じになる。然別。若い女性がひとり乗車。小樽方面の列車と交換する。
然別を出ると次の銀山までが長い。銀山では乗降客なし。ここから倶知安までは駅間距離が
長い。だが小沢までは先ほどと違って乗降客に変化は見れらない。
ここまで来ると車窓の夕焼けは先ほどよりも暗さを増してきている。
淋しいようなそうでないような何とも不思議な気持ちがしてくる。
路線図では駅数はそれほどないのだが、この区間は駅間が長いのである。
駅間距離は時刻表によればそれぞれ10km程ある。小田急の秦野~伊勢原くらいある(笑)
倶知安。ここで一斉に乗客はいなくなり、変わりに長万部の間で降りるのだろうか
スポーツウェアの女の子たちが乗り込んでくる。Tシャツ姿の子も混じっているが、
どの子も部活動の帰りかもしれない。アイスクリームを食べている子もいる。
さて次はようやく比羅夫。この駅に降りる人はどうやら私一人のようだ。
ホームが見えてくると、関連書籍で見た通り、何人かがすでにバーベキューをしている。
ホームに降り立ち、失礼ながらバーベキューをしているところと列車が発車しないうちに
撮影する。「鉄子の部屋」で取材していた女性陣がこうした行動をとりたくなる気持ちが
よく分かった。若い人ばかりかと思ったが、そうではないようだ。
猫のしま太郎(オーナーの南谷氏曰く、飼い猫ではないそうです)の歓迎(?)を受け、
まずは宿(すなわち駅舎)の扉を開け、チェックインを済ませながら南谷氏に部屋の案内や
施設の説明を一通り受けたあと、缶ビールを2本携えてバーベキュー仲間に加わるとする。
ビールやジュースなどの飲み物は冷蔵庫から勝手に取り出し、自己申告制でオーナーに
あとで支払う形式になっている。
しま太郎は人慣れしているようで、逃げる素振りも見せない。
雰囲気に打ち解けるかなとこの駅に向かう列車の中では少々不安な気持ちもあったが、
バーベキューの火を囲んでいると、初対面なのに不思議と緊張しなかった。
すでに盛り上がっている方々に一通り挨拶をしてからそばの方に話しを伺うと、
メガネの若い方は38歳で現在は無職。九州の熊本から青春18きっぷを使い、北海道では
北海道フリーパスや北海道&東日本パスを使って、北海道をぶらりとここ3週間ほど
時間をかけて旅行しているらしい。ただそれほど手持ちは無いらしく、宿泊代も食事代も
節約しながら旅行しているそうだ。明日は倶知安方面へと朝早い列車で発つとのこと。
この方が大学生のころにバイトした仲間に体型も顔もそっくりだったので、本人なのかと
びっくりして勢いで訊ねてしまったが、もちろん別人であった。
私が座るグループの他にもうひとつグループができているが、こちらはこの宿に連泊する
羊蹄山へ山登りに来たとのこと。雰囲気からすると常連客かもしれない。
だいぶ出来上がっていて、たいそう楽しそうにお喋りが弾んでいる。そのままホームから
線路に降りて寝ることがないか心配になるくらいだったが。
私が座るグループにも高齢の方がおり、こちらは高校のころにお世話になって今は地元の
公民館で働いている教師にそっくりだったので、こちらもこちらでちょっとビックリ。
よく見たら確かに別人だが、さすがに失礼なので訊ねることは止めておく。
この方も山登りでやってきた一人であった。
彼ら山登りグループは先に部屋に戻り、我々3人だけでバーベキューの火を囲みながら
しばらく話す。もう一人の中年男性は国鉄時代から全国の路線を乗り潰した経歴の持ち主。
なんと、あの宮脇俊三氏と同じ経歴を持つ方に出会えるとは何という幸運だろう。
この駅の宿「ひらふ」は久しぶりの来訪という。先ほどの38歳というTシャツ姿の彼も
ここは初めてではないと話していた。先ほどの山登りグループも含めて全くの初めての客は
私一人だけであった。
38歳氏は九州の実家にはいつ帰るかはわからないけれど、遠出する事を伝えただけらしい。
もしかしたらこのまま北海道に残るつもりなのかもしれない。
ワイド周遊券があった時代に学生が現地でアルバイトしながら旅行したように。
明日は乗り残しているという夕張への盲腸線に乗りに行くそうだが、北海道フリーパスの
有効期限が明日までということで、その足で東北の友人のところまで行くかどちらにするか
悩んでいるという。バーベキューは肉の量は見た目量が少ないかなと心配していたが、
野菜の量が多く、350mlのサッポロクラシックを2缶飲んでいるので丁度良かった。
赤いキハ40系も当初乗る計画はしていなかったが、ジンギスカンもバーベキューという形で
食べることが出来た事はうれしい。北海道では焼肉屋で注文しなくてもジンギスカンという
文化を体感することになった。
駅のホームでバーベキューをしており、数少ない普通列車がやってくると当然ながら列車内
からもこの光景を見ることになる。この宿の存在を知らない人からすれば、何とも奇妙な
光景に見えるだろう。駅に宿があるのも、こうした光景に出会えるのも全国でもここだけに
違いない。非日常の中の非日常の夜にいる事が、初めて乗った寝台特急「北斗星」で過ごした
あの夜のワクワク感と同じように何だかうれしい。
お楽しみはもう一つある。このホームには宿泊者専用の露天風呂も設置されているのだ。
38歳氏の話では、昔テレビで紹介されたという。木で組まれた小屋の屋根は扉を開くと
約6畳ほどの空間にランプでほんのりと照らされた丸太をくり貫いた湯船が鎮座している。
横長の窓からはホームが見え、タイミングが良ければ普通列車が走り去っていくところを
眺めながら湯船に浸かることができる。仰向けの姿勢で上を見上げると満天の星空。
雨のときは流石にこうはいかない。だから今日は絶対に雨であってほしくなかったのだ。
寝台特急に風呂が着いたら、こんな感じになるのかもしれないなとふと考えた。
いつまでも入っていたいが、そろそろ出ることにしよう。
最後のお楽しみは比羅夫を違った角度から眺めることである。
列車の本数が少ないゆえに、ここで宿泊しない事にはなかなかできない体験だ。
21:22発の札幌行きが出てしまうと、ホームの周辺は静かになる。正確にはそこら中で
虫の鳴き声やら靴を履いた裸足を指してくる虫はいるのだが、家々やビルといった灯りはなく
ホームの灯り以外は線路のどちら方面を向いても真っ暗な闇が広がっている。
闇の中へ消えていく線路と灯りに照らされたホーム。
見上げると前回の旅で稚内の北防波堤ドームで見上げたとは違って星空は穏やかに輝いている。
冬の稚内では歩くのも困難な程の雪が残っており、体内から凍えそうな寒さだった。
空気もより澄んでいたから、そのせいかもしれない。
北斗星の夜、稚内の夜空とともに忘れられない夜になりそうだ。
そのまましばらくぼーぅとしていたいが、虫が足に刺してきてかゆくて敵わない。
他の2人も思い思いに夜の比羅夫を撮影したり、歩き回っていたが、そろそろ駅舎の中へと
避難することにしよう。6,7人程が座れるほどテーブルには我々3人以外には誰もいない。
離れの個室へと戻った先ほどの山登りグループはもう先にいい夢を見ていることだろう。
駅舎の2階は相部屋の2段式ベットのようになっていて、もともとは乗務員の仮眠室だった
ところを改造したものだそうだ。寝台特急のB寝台をそのまま駅舎に持ってきたとイメージ
すればよいだろうか。仕切りのカーテンまでは一緒だが、こちらは各ベットにコンセントが
付いているし、明るすぎる程の読書灯、そして何より揺れないからA寝台よりも豪華だ(笑)
寝台特急と違った特別な夜を過ごせるのは間違いない。
これで風呂と夕食、朝食付きで6000円を切るのは良心的な値段だと思われる。
オーナーの南谷氏は駅前の家に住んでおり、お子さん2人を養いながらこの宿の管理もされている。
駅舎が取り壊されるという話になった時に初代オーナーがここを宿泊施設として有効活用と
はじめた。その宿泊客としてやって来た南谷氏がその後、2代目オーナーとしてこの宿を
引き継ぐ事になったと関連書籍本には書かれていた。
無料で自由に飲めるインスタントコーヒーを飲みながら、木の椅子に座ってしばらく寛ぐ。
かつての駅舎はいい夢を見る前のしばしの談話室となっている。
平成の宮脇俊三氏は奥様の理解を得て、全国の鉄道行脚のみならず、海外のそれも特に
ヨーロッパの鉄道に対する造詣が深いことはお話を伺ったなかで控えめな口調ではあったが
その熱心な話しぶりからすぐに感じた。そして自分が鉄道オタクを自称するのはまだまだ
経験も浅く、この世界に対して視野が狭い自分を痛感せざるを得なかった次第だ。
自分が知らない事も教えて頂くばかりで、話にのることもできない場面がいくつかあって
この方には退屈な時間になってしまったような気がして何だか申し訳ない気持ちであった。
故宮脇俊三氏と異なるのは、シベリア鉄道も体験されていることだ。
つまり、風呂なし1週間の列車内での旅である。寝台特急に1週間も乗っているという絵が
どうしても想像できなかった。実際に体験していない私はただ頷くばかりであった・・・
風呂は入れないが、頼み込めば車掌が使っているシャワーを使えることもあるらしい。
食べ物も日本のようにどこかの駅で駅弁を買う、というわけではなくて
じゃがいもを蒸した簡単な物を食べることになる。
38歳氏も同じく海外の鉄道に色々と乗車した経験があるという。先ほどの宮脇氏が
ヨーロッパとすれば、彼は台湾や台北などアジアが得意地域となるのだろう。
1000円もあれば、麺一つ取り上げても色々な種類のものをお腹一杯食べられるところを
力説したのは、そこがアジアの鉄道とともに惹かれるということなのだろう。
韓国には予想した通り、よく「日韓周遊きっぷ」を使うという。私も韓国に行く際は
きっとこのきっぷを使って旅をすると思う。
日本の鉄道はどこにいっても似たような街並みだったりすることがあるが、
国土の広いユーラシア大陸は日本にいては想像もしなかった街が待っているに違いない。
よって、宮脇氏と38歳氏は自然と同じ海外の鉄道話で盛り上がることになり、私は彼らの
聞き役に徹することになった。もっと色々な鉄道に乗って彼らと同じくらい自分の話が
できるようになりたいと思う。聞き役ではあったが、初めて会った宿泊客とこうして
一夜を語らう機会を与えてくれる鉄道の持つ「つなげる」力に感謝しなくてはならない。
30分ごとに鳩時計が時刻を知らせる。窓を見ると駅舎内の明かりに誘われて白い大きな
蛾が何匹も羽音を立てながらへばり付いている。何匹も同時に立てる羽音は目を閉じると
雨が降っているようだ。
彼ら2人は先にベットに戻るという。私もそろそろ眠ったほうがよいのだが、なんだか
もう少しこのままぼぅーとしていたい気分だった。だから私はひとりしばらく残る。
この時間がずっと続けばいいのにという気持ち、帰りたくないなあという気持ちが
私の心を満たしている。駅ノートに書き付けて、少しだけ落ち着いた気がした。
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