2010年7月13日火曜日

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●きもちぐすり
知りたい人の気持ちが分かる
効き目は30分 一日五個まで

●どこでもバリヤー
てっぽうを打つと怖い人から守ってくれる

●メガネメガネマイ
マイクで見たいものを言うと何でも見せてもらえる

●しんかんバス
とうきょうまで一秒で行く

●ぜつめつよび
むかしの生きものをよみがえらせる
むかしの生きものの名前をここに写す

●どんどん本だな
読みたい本がどんどん出てくる本だな

●だれとでも話せるん
矢印を向けると人でも何でも話せる


ゆりかもめの「船の科学館」で下車して、徒歩5分のところにある日本科学未来館では
9月27日まで「ドラえもんの科学みらい展」が開催されている。
告知のポスターからも大方予想が付くが、ドラえもんの道具がどこまで現実世界で
実現しているのか、しつつあるのかを対比して展示している。

入り口からすぐにそのメインコンテンツがあるわけではなく、まず目につくのは
「小学1年生」などで同じみの雑誌を出している小学館が小学生を対象にこんな道具が
あったらというものを募集し、彼らが考えた道具とその説明について書かれたハガキ大の
紙がずらっと貼られていた。

冒頭でいくつか書いたのはその一部である。

「きもちぐすり」
・・・仕事でもプライベートでも誠に欲しい一品である。誰もが欲しいに違いない。
ただし「効き目は30分 一日五個まで」という使用条件が、これを考えた子が
このくすりに頼りすぎてることはマイナスであることもさりげなく訴えているようである。
のび太のように考えて使うことができるならあってもよいと考えたのかもしれない。

のび太はドラえもんの道具に頼ってばかりのダメな小学生ではない。
毎回の話の展開からそんなイメージが強いように思われているが、ドラえもんの原作者は
事あるごとにのび太が自ら考えて行動する場面を描き、この「きもちぐすり」のような
魔法のような道具に頼ってばかりではいけないというメッセージを送っているのだ。

またドラえもんの道具とうまく付きあうヒントも教えている。
例えば頭に付ければ、電池が持つ限りは自由に空を飛んで移動できる「タケコプター」。
主な用途は人の頭に付けて使うことだが、他の道具と組み合わせることでひとつしかない
タケコプターで複数の人間や物を運ぶことができるというような発想力の重要さ。

道具に満足せず、自ら考えて使う。道具に使われるのではない。使うのである。
すこし付け足せば、別の機能としても使えるのではないか。
面倒くさがらずに流されずに意識して疑問を持って接してみることが大事ではないか。

ひたすら貼られているハガキ大の紙に書かれた道具の名前とその説明を眺めているうちに
そんな考えが浮かんできた。この小学館の募集で残念なのは、どんな道具があったら?
という質問を投げて、それぞれの子の答えを聞いただけで終わってしまっていることだ。

道具を考え出した子たちをこのハガキ大の紙がずらっと貼られたこの場所に呼び
他の子たちの道具と組み合わせれば、実はすでに実現している道具ではないかとか、
これはもうすぐ実現しそうな道具だねとか、そんな議論が交わされるとなお良い。
何よりも道具を考えて使う発想力、そのために必要な情報収集力を身に付けようとする
絶好の機会になるだろうからだ。大げさだが、みらいのドラえもんとのび太を生むことに
なるだろう。

・・・と個人的に嫌いな職種である評論家気取りで書いてみた。(笑)

それは冗談として、こうして一同に議論する機会がないとこの道具を考えた子たちは
それを考えただけで満足してしまっているのかなという印象を受ける。

その元凶はその貼られているハガキ大の紙に書かれた内容をあまり見ずに、ドラえもんの
塗り絵がうまいね、とかおかしな名前の道具だね、とかディズニーランドに遊びに来た
ような感覚でそれ以上の思考をしない親子連れ、カップルなどの大人たちにありそうだ。
他に興味を持ったり、考える事を面倒臭がる風潮が、子供にも影響しているような気が
したのである。

便利に甘受しすぎると人間はより馬鹿になる、というのが私の持論である。
環境もそうだし、使う道具もそうである。あまりにも不便なのはもちろん論外だが
多少の制限や不自由な点によって、どうにかできないかという発想する契機や興味を
持つことがある。考えることをしない人間は半分死んでいるとは言い過ぎだろうか?

小学生たちが考えたいくつもの道具の名前が書かれた紙の前でそんな難しいことを
考えているのはこのときはきっと私以外にはいないだろうと思う(笑)

上であげたいくつかの道具を自分なりに検証してみる

「きもちぐすり」
「どこでもバリヤー」
それほど遠くない未来で実現する可能性がある事は展示のさらに奥に進むと
分かってくるので、後述しよう。

「しんかんバス」
書かれた絵から推測するに、新幹線よりも早いスピードでバスとしても
移動できる乗り物のようだ。スピードについてはどう解決できるのかは不明だが
場所を問わずに走行する技術なら、JR北海道が開発したDMVがよい例だろう。

「ぜつめつよび」
生き返らせたい生き物などの名前を写せば生き返る装置。
ドラえもんの道具にある「タイムふろしき」のように過去の時間に戻す技術が
必要になるかもしれない。さらにiPS細胞のような人体に関連する細胞生成技術が
さらに進化すれば、死生観等の問題を無視すれば死んだ人を甦らせるということが
可能になるかもしれない。つまりは不老不死の世界となるかもしれない。


「メガネメガネマイ」
「どんどん本だな」
「だれとでも話せるん」
共通するのは、自分の考える通りに見えたり、話したりなどの体験ができること
その装置に自分の意思を入力すると、自動販売機の缶ジュースのように出力される。
実はこれも近い将来には実現するかもしれない技術が提唱されている。これも展示を
一通り見ると分かってくる。


展示の奥に進むと現実世界ではドラえもんの道具の一部が実現するかもしれない
提唱されている技術がいくつか紹介されている。

「ブレイン・デコーディング」
「ブレイン・マシン・インターフェース」

自分が紙に書かれた「1」という数字を見たとしよう。
目から「1」という文字の形は脳に情報が伝達されるのだが、脳の中では「1」という
形そのままで情報が保存されるわけではないらしいことがわかってきている。
脳波から測定すると「1」にモザイクがかけられた状態で保存されるようだ。
脳波を読み取ることでこのモザイクを取り除き、元の「1」という情報を取り出すことに
高い確率で成功している。つまり人が考えていることを脳波を読み取ることでほぼ確実に
当てることが可能になりつつある。「ブレイン・デコーディング」と呼ばれている技術だ。

まだ実験段階だが、脳波を読み取る装置を使ってロボットに自分が思った通りの操作を
高い確率で成功させている。ロボットの右手をあげたいと考えると、その脳波が
プログラムの命令のごとく、装置を通してロボットに伝わるという仕組みだ。
これらの装置が「ブレイン・マシン・インターフェース」と呼ばれている。

まず日常生活レベルで浸透するだろうと考えられるのは、音楽プレーヤーや携帯電話を
頭の中で考えるだけで、聴きたい音楽を聴いたり、電話をかける
というのが可能になるかもしれない。タッチパネルすら不要な時代が来るのかもしれない。
「きもちぐすり」はそのカプセルの代わりに何らかの装置によって実現するかもしれない。

またこの技術に既存のインターネットや電子書籍の技術をうまく取り込めば、
「どんどん本だな」のようにいつでも自分だけの本棚を用意することができるだろう。
「メガネメガネマイ」や「だれとでも話せるん」についてはどんな装置になるのかは
想像もできないが、前にNHKで放映していたアニメ「電脳コイル」の世界に近いだろう。


「植物が放つかおり」

対してこちらは人間が生み出した技術ではない。はるか昔から自然界においては
当たり前のように存在していた事実をようやく人間が発見したに過ぎない。

人間から見ると植物は喋らない、と思われているが、生き延びるための知恵は備えている。

ある虫に葉っぱを食べられたとしよう。そのまま黙っていれば食べられるままになり
やがて葉っぱという葉っぱがすべて食べ尽くされてしまう。
植物自身ももちろん生きている。生きているからには身を守らなくてはならない。
どうするのか。その葉っぱを食べる虫の天敵を呼び寄せるかおりを放つのである。

少なくとも私は今まで想像したこともなかった。
植物は沈黙してただ変化する環境に耐えているものと思い込んでいた。
これだけ見ても自然界のシステムは実に巧妙に出来ているものと驚いてしまう。

若い人にしか聞こえない蚊の音を真似た高周波の音を発することで
コンビニなどでの若者による座り込み等排除に利用しているように、人が嫌がるような
かおりがこうした自然界の様々な植物から実現されるかもしれない。
「どこでもバリヤー」は鉄砲を撃たなくてもよくなるだろう。

ドラえもんの道具がどこまで実現されているか、という展示だけかと思っていたが
予想以上に面白かった。久々に小学校の理科の課外授業で感じたワクワク感があった。

展示の中には数々の開発されているロボットたちの紹介する映像も流されていたが
スーパー・マーケットでおばあさんと一緒に買い物をするシーンは浦沢 直樹の漫画
「PLUTO」のシーンを思い出した。


ドラえもん展だけで帰っても良かったのだが、折角だから常設展も覗いてみようと
上の階へと向かった。以前来たときと変わらず、訪問者が実際に見たり、触れたりする
ことで知識欲向上を重視した各展示は歩き回るだけでも面白かったが、ふと5階へ向かう
デッキから下を覗いてみると、地球シミュレーターから取得した地球の画像が写された
地球儀型の大きなパネルを操作しながら、スタッフがマイクで何か説明している。
しばらく話を聴いていると、地球温暖化の100年後についてであった。

大きなパネルでは100年後の地球が真っ赤に写されていた。
温暖化が進めば、今よりは確実に温度が上昇するだろうということはわかった。
そこでいくつか疑問が浮かんできた。ちょうどマイクでの説明が終わったようなので
そのスタッフの前まで行って質問をしてみた。

その質問とは次の2点

・南極や北極の氷河による冷却効果で温暖化は抑えられるのではないか
・オゾンホールによって熱が逃げることで温暖化は抑えられるのではないか

どちらもどこかで聞きかじった話を興味本位で訊いてみただけだが、
その女性はその質問を正確に理解しようと丁寧に咀嚼した上で説明してくれた。

氷河やオゾンホールによる温暖化抑制については、説明で使った大きなパネルの画像では
地球シミュレーターで温暖化のシミュレートする際に要素として含んでいるかは
その研究者に確認してみないとわからないという。
スタッフはそのシミュレートを実施した研究者ではなく、その研究者の視点も含めて
研究者と私のような素人との橋渡し役としてまた別の視点からも分かりやすく説明して
いるそうである。

が、さらに話を交わしていてわかったのはこの「コミュニケーター」と呼ばれる仕事は
単に分かりやすく我々に説明するだけではないようだ。説明したことに対して、
我々素人から質問にも出来る限りの回答をしていく役割も担っている。
だが、この「コミュニケーター」は新しく始まったものらしく、われわれのような素人が
積極的に質問できるようなな環境づくりに試行錯誤する日々を送っているようだ。

質問する人のなかにはその道の専門家もいるようで、どんな質問にも答えられる知識が
要求されるので、見た目よりも厳しいようだが、コミュニケーターのその女性を見る限り
やりがいに感じていることが表情に出ていた。


さらに上の階では宇宙に関する展示もある。

そこで改めて驚かされたのは、木は自然界を循環している資源ということだ。
わかりやすくいえば、今更ゴミを減らすだの、リサイクルだの、エコだのと
資源の循環型社会という名の経費削減が浸透してきているが、自然界ではとっくに
昔から行われてきたことなのである。知らないのはどうやら我々人間だけのようだ。

知らないだけでなく、それまで問題なく循環していた自然界から排出されるCo2の量を
人間が活動することで余計に増えたことが温暖化という問題に発展しているらしい。
先ほどのコミュニケーターとの質問もあるので、Co2排出量の増加が温暖化の原因に
なっているのかは疑問のままだが、バランスがとれていたCo2の量が乱れてしまった
事だけは確かだと思う。

木の分子を調べてみたら、石油の代替燃料としてだけでなく、Co2の排出量を増やさない
クリーンな燃料になり得ることが判明しているそうだ。だが、すごいのは人間ではない。
そのシステムを作り上げてきた自然界なのであるとただ感心するしかない。

すばる望遠鏡の模型展示を見ていると、横から若い男性のスタッフに声を掛けられた。
先ほどの女性同様に「コミュニケーター」と名札に書かれている。

すばる望遠鏡は日本で作られた望遠鏡だが、ハワイにある。
なるべく標高の高い山に設置することで観測の邪魔になる水蒸気等を回避する為だ。

いくつも望遠鏡が作られているが、重要なのはレンズではない。
観察する対象が遠い遠い星の場合、重要なのは光を集める反射鏡にある。

地球から遠い星ほど届く光が弱くなる。
届く間に宇宙に漂うゴミや地球上の大気などが邪魔をするためだ。
遠い星を観察するためにはその星が発する弱い光を少しでも集めて明るくする必要がある。
電波を受信するパラボラアンテナがそうであるように、御椀型に湾曲した反射鏡に
反射した光は一点に集中する構造で、強い光を得ることができるようになっている。

すばる望遠鏡が有名になっている一つに、その反射鏡の生産技術にある。
直径8.2mの鏡は一枚構成である。他の望遠鏡に見られるような何枚かの構成よりも
一枚の板を正確にパラボラアンテナ型にしてより正確に強い光を集めることができる。

一方ハッブル宇宙望遠鏡も有名だが、こちらは性能ではない。
すばるよりは性能が低いが、地球上に比べると邪魔する大気がない分だけより良い環境で
星を観察できる宇宙望遠鏡として有名である。

すばるが宇宙ではなく、地上で運用されるようになった理由はそのスタッフの話では
はっきりとはしないらしいが、すばるの性能とハッブルの観測環境が合わされば
観測に理想な望遠鏡ということである。

なぜより遠い星を観察しようとしているのか。

目的としては二つあるようだ。
ひとつは今も広がり続ける宇宙の最果ての世界を知ること。
ビックバン以降膨張しているというのが通説になっているが、地球からもっとも遠く
観測できているのは137億光年とのこと。今は137億光年よりさらに膨張しているだろう。
最果てに近いほど、宇宙が始まったころの情報が濃厚に存在するからだ。

次にその把握できる限りにおいて、我々の太陽系と同じような構成の系が存在を探すこと。
その手かがりになるのが、恒星や惑星となる。
前者は自身が光るため、その光を捕獲さえすれば発見が可能になるが
後者は地球のように自身が光るわけでなく太陽などの光に反射してようやくその存在を
確認できる。そのため、遠い惑星の発見には運に任せているという部分がある。

恒星よりも惑星の発見がより偉業ということになるが、我々の住む地球を含んだ太陽を
中心とする太陽系のような構成が他にあると仮定した上で発見しようとするならば
恒星、惑星の両方がより多く発見されることでその全体像を見出せる可能性も高まる。
太陽系と同じような系が一つでも発見されれば、我々と似たような環境の生物が住む
星を発見することにもなるかもしれない。

遠い星ほど光の波長によって赤く見える。七色の中で赤い波長は届く距離が長い。
逆に近い星ほど青く見える。青い波長は届く距離が短いからだ。

より身近に感じる現象としては夕焼けや朝焼け、日中の青空だろうか。
「レイリー散乱」と呼ばれる現象だが、太陽から届く七色の光の波長は地球上の大気に
よって影響を受ける。大気の存在する距離が長い朝と夕方は大気の影響を一番受けない
赤い光が届くために赤く見える。日中はその逆で青く見える。

その意味で虹が見えるというのは奇跡な気がする(笑)

国際宇宙ステーションを初めとする地球外での生活をする計画は地球の環境悪化に
実はもう手に負えないことがわかっていて逃げる口実としているのではないか、
という質問は、さすがに熱心に説明頂いているコミュニケーターの前ではできなかった。

すばるの説明をしてくれたコミュニケーターで宇宙の最果てに行くには現在の
人類が出せる速度ではほぼ不可能という話になったとき、光速を越えればというどうか
という流れから、有名なアインシュタインの相対性理論で登場する「光速度不変の定理」

光の速さが一定ならば、観測条件によっては観測対象がゆっくりと進んでいるように
見える、つまり時間がゆっくりと進んでいるように見えるという話について、
そのコミュニケーターはロケットとその中でボールを投げる例を使って説明してくれたが、
日本科学未来館を出てからなお、今も理解できるようで理解できていない。

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