2007年5月23日水曜日

つくもノヲ”X="1≠ 156


22日朝。相模大野駅から歩いて15分ぐらいのところにある
ネットカフェのリクライニングシートで目覚める。

資料作りに追われて、結局終電に間に合わなかったため
国道16号線沿いにあるネットカフェで一夜を明かすことになった。
カレーライスを食べた後に4時間ばかり寝て、目が覚めたのが
午前6時半頃。早朝のアキハバラを見るべく、始発電車の時間に
起きるつもりだったが、さすがに2時間では起きれなかった。
上着を脱いで寝ていたとはいえ、汗をかいており
風呂に入りたいが、近くにそうした施設がない。

探すのが面倒なので、湯島のカプセルホテルへ向かうことにした。
相模大野から準急新宿ゆきに乗り込む。
次の町田からしばらくは各駅に停車することもあり、通勤時間帯
だけに徐々に込み始めてくる。

新百合ヶ丘まで来ると、先頭車なのにすし詰め状態になる。
目の前におじさんの頭がある状態で動くことはままならない。

混雑率はざっと200%近くはいっているだろう。
代々木上原に着く頃にはこれ以上は乗れないくらいに人でぎっしり
の状態に。これではさすがに仕事する前にストレスが溜まる。

代々木上原からは千代田線で湯島に向かう。
8時半頃に湯島に到着。いちもカプセルホテルの風呂で汗を流す。
時間をかけて体を洗い、人心地ついた後のスポーツドリンクは
うまい。

湯島のホームでトンネルから吹いてくる涼しい風にあたりながら
スポーツドリンクを飲んで、我孫子行きの電車を待つ。

ふと、北綾瀬に行こうと思ったのだ。
千代田線ではZ20でナンバリングされる最後の駅。


再び湯島から綾瀬駅で降りる。
路線図で見ると、そのまま直通なのかと思ったいたが
違っていた。

代々木上原方面のホームと陸続きの形で
我孫子寄りに0番線ホームが設けられ、ここから
北綾瀬まで約15分感覚でワンマン運行されているのだ。

地下鉄では他にないだろう、0番線ホーム。
本当かどうかはわからないが、もともと回送電車の
引込み線の沿線住民の要望で駅が作られたようだ。

時刻表を見る限り、需要がそれほどないのか、
このワンマン電車は代々木上原行きへの直通はないようだ。

発車間際の電車に乗り込む。
電車は時速50km足らずのゆっくりしたスピードで走る。

3分くらいだろうか。目的の駅が見えてきた。
この駅も綾瀬駅同様にホームドアが設置されている。
線路はここで終わりではなく、さらにまっすぐと延びており
車庫まで続いている。途中の歩道橋から覗くとよく見える。

小田急も千代田線に乗り入れている関係で、
1000形が千代田線車両と並んだ風景も見ることができる。
このときはタイミングが合わなかったけど。

歩道橋をわたって、反対側にまわり駅に戻る。
朝の通勤時間帯なら、今は静かなこの歩道橋も線路沿いも
学校や職場に向かう人たちの歩く姿を見かけることだろう。

綾瀬に戻り、これもふと懐かしい思い出の場所へ行こうと
思いついた。上本郷だ。といってもわかる人が少ないかも。

綾瀬から千代田線は常磐線と直通運転をしている。
常磐線で松戸まで乗っていく。
この松戸までも長くて、ロングシートの隣に座っている
母に膝枕してもらって、寝てしまったこともあった。

金町から松戸までもかなり長い距離だと小さい頃の記憶に
残っていたが、果たしてその通りだった。
松戸のホームに降り立つ。そして右側を見る。
新京成の見かけたことのない車両が見える。

もうあの頃の車両は走っていないのかと少しばかり
がっかりしながら、新京成のホームに降り立つ。

すると、懐かしいあの車両がホームで待っているのを
見たときはうれしかった。クリーム色に茶色のラインが
入ったこの車両が思い出の電車なのだ。
この写真の車両のラインは微妙にデザインが変わっている
ような気がしたが、小さい頃の記憶は曖昧だ。

この電車で次の上本郷まで乗る。webで知ったのだが、
駅舎が綺麗に改装されたとあり、実際に見てみようとも思い
行って見ることにしたのだ。

ホームに降り立つ。松戸方面を見ても昔と変わらないように
見えるが、反対の改札への出口は昔なかったエスカレーターが
動いてる。これも記憶が曖昧だが、ホームへの階段も昔に
比べると幅が狭くなったような気がする。

改札を出ると、外へ降りる階段とエスカレーターがある。

階段を降り立つと懐かしい商店街通りが見えてきた。

振り返ると駅舎は綺麗になってしまい、昔の面影はすでに
消えてしまっていた。

商店街どおりの店はマルエツ以外はそれほど変わっていない
ようだ。

「ぺろぺろぺったん」だったかな?名前は覚えていないけど
チョコとグミをあわせた、「おっとっと」や「たけのこの里」、
「はんこください」(← はもうない。知っている?)
ぐらいの箱に入っていたような気がするが、ためしにマルエツ
に入って探して見たが、見つからなかった(笑。あったらいいな)

確か幼稚園から小学校上がってからずっと、時間があれば
母と一緒に遊びに来た記憶が鮮明である。

この道を奥にしばらく歩くと、母の母、つまりおばあちゃんが
かつて住んでいたアパートにたどり着く。

あれから10年以上も来ていなかったが、もうないかと思って
来た見たら、当時のままにちゃんとあった。
看板の「ショーハイツ」もそのまま残っている。

どうやらまだ人が住んでいるようだ。
できればドアを開けて、当時のあの匂いをかいでみたかったけど
さすがにそれはできないので、しばらくそばで立って懐かしみ
アパートを後にした。

あの頃の記憶に残っている新京成の電車がまだ当時のままに
走っている風景が見れたのも嬉しかった。

ゆっくりと来た道を上本郷駅まで戻る。
この懐かしい風景を見せたいのと、当のおばあちゃんの肩の治り
具合を見に、埼玉の中浦和へ向かうことにした。





まず、電話で昼過ぎに行くことを告げて。
そして昼飯には例のスパゲッティー屋へ行くためにまず新京成で
松戸。そして松戸から上野まで常磐線に乗る。


上野から銀座線で銀座に降りるつもりが、あまりの眠さに座って
いるうちに熟睡してしまったようで、なんと目が覚めたら誰も
乗っていない!?

窓の外をみたら、なんと渋谷のホームの先にある引込み線に止まって
いるではないか!・・・そう折り返し浅草行きとして渋谷駅ホーム
への入線待ちだったのだ。

目覚めてすぐに車掌さんが通りかかり、

「しばらくしたら出ますので、渋谷で降りてください」

と言われ、そのまま車掌室へ消えてしまった。その後、数分は誰も
いない車内でホームに入線するまで待つことに。

やがて電車は動き出すが、これは恥ずかしい・・・。
乗っているはずの無い車内で自分ひとりが、ホームの無数のお客
の視線を浴びて降りることになってしまった・・・・orz
きっと、どこかでネタになっていることだろうな・・・・・

掲示板とかで、寝ている人をそのままに回送として出てしまった
という書き込みをみて、間抜けだと笑っていた自分もそんな経験を
してしまうとは思いもよらなかった・・・・・

渋谷に着いてから車掌さんが起こしに来たけど、あまりにも熟睡して
起きる様子もないので、とりあえずそのままにしてダイヤ通りの運行
を優先したのだろうと思う。>車掌さん、ご迷惑おかけして申し訳ない

目覚めのタイミングもよくなかった。
引込み線に入った後に目が覚めるよりもそのままずっと眠っていれば
あの恥ずかしい思いをせずに済んだかもしれないと思った。

あまりにも恥ずかしいので、別の車両から乗り込んだ。
表参道から半蔵門線に乗り換え、いつもルートで例のスパゲッティー屋
に向かう。

相変わらずの行列。
今日もインディアンの大盛りを食べた後に牛乳でしめる。

その足で、有楽町線で池袋に向かう。埼京線に乗るためだ。

中浦和からしばらく歩いたところに例におばあちゃんは住んでいるが、
途中の道まで、迎えに来てくれていた。どうやら肩の怪我も順調に快方へ
向かっているようで安心した。

このあと、晩御飯を買いにおばあちゃんと近くのスーパーで弁当を買って
あばあちゃんの部屋で一緒に食事した。あまり遅いと深夜になってしまう
ので、19時半におばあちゃんのところを後にした。

いろいろと帰るルートを試してきたが、どうやら新宿から小田急線が一番
早く帰れるルートとわかった。新宿から嫌いな小田急線で、込んでいる車内
に辟易しながら急行に揺られること1時間ちょっと。
ようやく最寄り駅に着いたのは22時前であった。

今回は電車の旅、ちょっと体にはこたえた。無理は厳禁だ・・・・・

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