2007年5月31日木曜日

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28日~30日。
久々の連続で日中勤務。朝の不安とは反対にある種の達成感に
満たされながらの帰り道はミスタードーナツにいったり、
マクドナルドに寄ってしまう。
ドーナツは4つも食べれば小腹が膨れる。
このときは失敗して味が薄いコカコーラを頼んでしまった。
お替り自由のカフェオレは飲んだことがあるが、悪くない。

ちなみに相模大野駅のマクドナルドはほとんど裏メニュー的な
存在になっている午後2時からの「スナックタイム」は健在だ。
ポテトとその味付け粉、飲み物がセットで330円。
紙袋にポテトと粉を入れて、よく振ればお気に入りのBBQ味の
ポテトになる。これを食べながらのひと時は好きだ。

30日の小田急線車内。見上げると地下鉄の路線図がある。
よく見ると、地下鉄ではないのに小田急線の代々木上原から
新宿まで太い線が結ばれている。しかも公式ホームページの方は
ただ細い線が結ばれているだけだが、こちらは駅まで書かれている。
なぜだ?

2007年5月28日月曜日

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27日。目が覚めたのは正午の少し前。
昼飯を何処で食べようかと悩む。

日曜日では例の「インディアン」の店は閉まっているし、
神保町の「さぼうる2」もランチタイムが終わる14時に間に合わない。

新たに店を探さないといけない。あるいはチェーン店に甘んじるか。

とりあえず渋谷方面へ向かうべく、田園都市線に乗った。
乗っている間に気になる商店街がある溝の口で下車することにした。


改札を出て西口へ出る階段を下りると、
その商店街の看板があった。

奥に300メートルばかり続いているだけで、この狭い区画に
なぜか書店が2つ。奥は休みだったが、手前の古本屋は
外の棚に100円で文庫本を売っていた。
だいぶ歩き回ったが、新規開拓できそうな店は見つからず。

駅前まで来ると、にぎやかな太鼓の音が聞こえてきた。
駅につながる歩行者デッキのOIOI(丸井)のそばで
太鼓を叩きながらのダンスパフォーマンスをやっていた。

今日は久々に良く晴れている。
しかも夏を思わせる暑さでこのエネルギーはいったい
どこから来るのだろう?

どうでもいいが、駅前のこの通りは「ポレポレ通り」と呼ぶそうだ。
そしてポレポレタウンとも呼ぶそうだ。なぜにポレポレ?


今度は三軒茶屋に降りてみることにした。

しかし、渋谷に向かっていると思っていたら
反対に戻っていることに気づいた辺りから、すでに疲れが出て
探す気力がなくなり、このまま渋谷へ向かうことに。
反対方向に歩いたおかげで、三軒茶屋にもこうした商店街があることを
発見したのは無駄ではなかったかも。

結局道玄坂にあるチェーン店でチーズカレーライス(78O円)
を食べることにした。これ以上探すと昼飯ではなくなる(笑)

チーズはとろけてよいが、カレー自体がかなり薄い味。
第2のチーズカレー探しはそう簡単には終わらないようだ。


渋谷はいつ行っても、人だらけ。
一人暮らしするとしたら、地球最後の日だろうと絶対に選びたくない。

2007年5月27日日曜日

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26日。夜勤明けの相模大野駅のカフェにて。
2ヶ月ぶりに異動した元同僚からメールで連絡をもらったので
近況を知らせに川崎まで行くことにした。

川崎駅18時の待ち合わせまではだいぶ時間があるので、
例のスパゲッティー屋に寄ってから、その足で行こうと思ったが
母より昼飯を食べないかとメールが来た。

何より最近顔色がよくない私が心配なようだ。
こちらから近況報告をすることにして、地元へ帰ることにした。
13時15分の待ち合わせまで30分ほど時間が余ってしまったので、
相模大野駅内のカフェでアイスココアを飲みながら、本を読む。

「ワーキング・プア」についての本だ。
ネットカフェ難民がニュースで取り上げられるようになって
それに関連して気になったので、本を買って読んでいるところだ。

今、読んでいる私でも十分にその状況に転がる可能性を常に
秘めている、その危機感だけは感じることができる・・・・。

地元で母と店内で待ち合わせて、近況を話しながらの昼飯となった。
ステーキハンバーグセット、スープ・コーヒー付きで900円。
仕上げにチョコパフェを食べて満足したところで家に戻る。






16時には川崎へ向かうべく、2時間の電車旅へと家を出発。
小田急線で海老名、そして相鉄線で横浜に出て、
最後に京急で京急川崎で降りる。京急川崎から川崎までは
5分ほど歩く。

しばらく来ない間に川崎駅周辺はマンションやしゃれた建物が
ひしめくようになり、改札前の大通りは待ち合わせの彼を
見つけるのは「ウォーリーを探せ」並みの人の多さで困難だ。

無事彼と落ち合い、ミューザ川崎の地下階にある牛角で
ビールを飲みながら焼肉を食べることになった。
1時間ほどまったりと過ごした後、
引っ越した新しい彼のアパートに行くことにした。

前のアパートより少し広い1K。家賃は7万5000円。

少し散らかっていたので、片づけを手伝った後に
テレビを見て、1時間ばかりだらだらと過ごす。

どうやらお疲れのようで、彼は横になってしばらくして
うとうとと眠りはじめたようで、長居は無用と判断して
おいとますることにした。



川崎駅までの道のり。
途中の信号待ちの風景。高層マンションなどが林立して
急に都会の雰囲気となってきている。

帰ると遅い時間になってしまうので、夕飯として
川崎駅直結の川崎BE地下にあるラーメン屋「めじろ」で
醤油ラーメンを食べる。730円。
細めんであっさり味のスープは私の好みではなかった。


横浜までは東海道線に乗って、相鉄線で帰った。

※川崎へ行くときにデジカメを忘れて、携帯電話で写真を撮ったが
 明るいうちはほとんど質に大差ないが、さすがに夜景だとその性能差が
 出ているのがわかる

2007年5月24日木曜日

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ネットカフェ難民 または マック難民

最近かなり気になるキーワードである。
webで漁ると、ニュースの動画付きの関連ページやブログを多数
見かける。

細かい説明は要らないだろう。検索をかければすぐに分かる。

自分も彼らと同じ状況に転げ落ちてもおかしくない隣り合わせ
にいるのだ。俗にワーキング・プアと呼ばれる層にいるのだ。

ネットカフェが広がりつつあったあの頃、こういう状況に陥る
状況はwebのニュースを見るまで、まるで予想はできなかった。
本当に趣味でゲームやインターネット、そして漫画、テレビに
接する娯楽施設という目でしか見ていなかった。

終身雇用ではなくなった現代、「明日は我が身」なのだ。
今の仕事も契約社員として、月20万円の給料をもらっているが
これだっていつまでも続けられる保証はないのだ。

いつだって転げ落ちる状況にある。安心の日は訪れないのだ。

気になるキーワードというより、下手すると自分もその状況に
片足を突っ込んでいる状況といっても過言ではない。
今年の早いうちに今後の事を考えておかねばならないのだ。

若者がもう夢を追い求めることは出来ない時代なのだ。
いや、それが許されない状態にあるなのだ。

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24日。夜勤明け。
例のスパゲッティー屋に行こうと思ったが、携帯電話の電池が
なくなりつつあったので、客席にコンセントがある中央林間の
マクドナルドへ行くことにした。

飲み物だけでかんばるつもりだったが、やはりダブルチーズバーガー
セットを頼んでしまった。これを食べてもまだ大丈夫かと思ったが
食べた後はもう何も食べられる気分ではなくなってしまった。

それでも電車で銀座まで移動している間にお腹も空くだろうと
田園都市線に乗り込んだが、乗り換えの永田町についても
一向にお腹が空く気配はない。また眠かったのでとりあえず座って
眠り、目が覚めると押上に電車は止まっていた。
折り返し、急行中央林間行きとして発車を待っている状態だった。

仕方ないので銀座行きは断念して、気になるCDを買いにアキハバラへ
行くことにした。表参道まで戻り、銀座線を神田で降りる。

気になるCD、それは「おしかりCD」である。
12人の女性の声で延々「ばか、ばか、ばか」とか「信じられなーい!」
とか「気持ち悪ーい!」などの聴く人にとってはいろんな妄想に
使えるとうわさのCDである。1200円。

ラムタラで入手。入手した後は麻野商店で缶コーヒーを買って
飲みながら、中央通りを神田方面に歩いていく。

銀座線神田駅のJR口へ回ってみた。
中央線の走る風景ではこの辺が私としては好きなポイントだ。

素直に田園都市線で帰ることにした。
タイミングよく急行電車が来て、ラッシュ時間帯ではないために
余裕で座ることができた。

小田急線もタイミングよく急行電車が来て、同様に座って帰ることが
できた。つまり、あと1時間遅いと憂鬱な事態となるのだ。

※家に帰って、さっそく「おしかりCD」を聴いてみる。
やばい。これは私なりの妄想ツールとしてもってこいだ(笑)
前回買った「おにいちゃんCD」を遥かにレベルが上がっている!

2007年5月23日水曜日

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22日朝。相模大野駅から歩いて15分ぐらいのところにある
ネットカフェのリクライニングシートで目覚める。

資料作りに追われて、結局終電に間に合わなかったため
国道16号線沿いにあるネットカフェで一夜を明かすことになった。
カレーライスを食べた後に4時間ばかり寝て、目が覚めたのが
午前6時半頃。早朝のアキハバラを見るべく、始発電車の時間に
起きるつもりだったが、さすがに2時間では起きれなかった。
上着を脱いで寝ていたとはいえ、汗をかいており
風呂に入りたいが、近くにそうした施設がない。

探すのが面倒なので、湯島のカプセルホテルへ向かうことにした。
相模大野から準急新宿ゆきに乗り込む。
次の町田からしばらくは各駅に停車することもあり、通勤時間帯
だけに徐々に込み始めてくる。

新百合ヶ丘まで来ると、先頭車なのにすし詰め状態になる。
目の前におじさんの頭がある状態で動くことはままならない。

混雑率はざっと200%近くはいっているだろう。
代々木上原に着く頃にはこれ以上は乗れないくらいに人でぎっしり
の状態に。これではさすがに仕事する前にストレスが溜まる。

代々木上原からは千代田線で湯島に向かう。
8時半頃に湯島に到着。いちもカプセルホテルの風呂で汗を流す。
時間をかけて体を洗い、人心地ついた後のスポーツドリンクは
うまい。

湯島のホームでトンネルから吹いてくる涼しい風にあたりながら
スポーツドリンクを飲んで、我孫子行きの電車を待つ。

ふと、北綾瀬に行こうと思ったのだ。
千代田線ではZ20でナンバリングされる最後の駅。


再び湯島から綾瀬駅で降りる。
路線図で見ると、そのまま直通なのかと思ったいたが
違っていた。

代々木上原方面のホームと陸続きの形で
我孫子寄りに0番線ホームが設けられ、ここから
北綾瀬まで約15分感覚でワンマン運行されているのだ。

地下鉄では他にないだろう、0番線ホーム。
本当かどうかはわからないが、もともと回送電車の
引込み線の沿線住民の要望で駅が作られたようだ。

時刻表を見る限り、需要がそれほどないのか、
このワンマン電車は代々木上原行きへの直通はないようだ。

発車間際の電車に乗り込む。
電車は時速50km足らずのゆっくりしたスピードで走る。

3分くらいだろうか。目的の駅が見えてきた。
この駅も綾瀬駅同様にホームドアが設置されている。
線路はここで終わりではなく、さらにまっすぐと延びており
車庫まで続いている。途中の歩道橋から覗くとよく見える。

小田急も千代田線に乗り入れている関係で、
1000形が千代田線車両と並んだ風景も見ることができる。
このときはタイミングが合わなかったけど。

歩道橋をわたって、反対側にまわり駅に戻る。
朝の通勤時間帯なら、今は静かなこの歩道橋も線路沿いも
学校や職場に向かう人たちの歩く姿を見かけることだろう。

綾瀬に戻り、これもふと懐かしい思い出の場所へ行こうと
思いついた。上本郷だ。といってもわかる人が少ないかも。

綾瀬から千代田線は常磐線と直通運転をしている。
常磐線で松戸まで乗っていく。
この松戸までも長くて、ロングシートの隣に座っている
母に膝枕してもらって、寝てしまったこともあった。

金町から松戸までもかなり長い距離だと小さい頃の記憶に
残っていたが、果たしてその通りだった。
松戸のホームに降り立つ。そして右側を見る。
新京成の見かけたことのない車両が見える。

もうあの頃の車両は走っていないのかと少しばかり
がっかりしながら、新京成のホームに降り立つ。

すると、懐かしいあの車両がホームで待っているのを
見たときはうれしかった。クリーム色に茶色のラインが
入ったこの車両が思い出の電車なのだ。
この写真の車両のラインは微妙にデザインが変わっている
ような気がしたが、小さい頃の記憶は曖昧だ。

この電車で次の上本郷まで乗る。webで知ったのだが、
駅舎が綺麗に改装されたとあり、実際に見てみようとも思い
行って見ることにしたのだ。

ホームに降り立つ。松戸方面を見ても昔と変わらないように
見えるが、反対の改札への出口は昔なかったエスカレーターが
動いてる。これも記憶が曖昧だが、ホームへの階段も昔に
比べると幅が狭くなったような気がする。

改札を出ると、外へ降りる階段とエスカレーターがある。

階段を降り立つと懐かしい商店街通りが見えてきた。

振り返ると駅舎は綺麗になってしまい、昔の面影はすでに
消えてしまっていた。

商店街どおりの店はマルエツ以外はそれほど変わっていない
ようだ。

「ぺろぺろぺったん」だったかな?名前は覚えていないけど
チョコとグミをあわせた、「おっとっと」や「たけのこの里」、
「はんこください」(← はもうない。知っている?)
ぐらいの箱に入っていたような気がするが、ためしにマルエツ
に入って探して見たが、見つからなかった(笑。あったらいいな)

確か幼稚園から小学校上がってからずっと、時間があれば
母と一緒に遊びに来た記憶が鮮明である。

この道を奥にしばらく歩くと、母の母、つまりおばあちゃんが
かつて住んでいたアパートにたどり着く。

あれから10年以上も来ていなかったが、もうないかと思って
来た見たら、当時のままにちゃんとあった。
看板の「ショーハイツ」もそのまま残っている。

どうやらまだ人が住んでいるようだ。
できればドアを開けて、当時のあの匂いをかいでみたかったけど
さすがにそれはできないので、しばらくそばで立って懐かしみ
アパートを後にした。

あの頃の記憶に残っている新京成の電車がまだ当時のままに
走っている風景が見れたのも嬉しかった。

ゆっくりと来た道を上本郷駅まで戻る。
この懐かしい風景を見せたいのと、当のおばあちゃんの肩の治り
具合を見に、埼玉の中浦和へ向かうことにした。





まず、電話で昼過ぎに行くことを告げて。
そして昼飯には例のスパゲッティー屋へ行くためにまず新京成で
松戸。そして松戸から上野まで常磐線に乗る。


上野から銀座線で銀座に降りるつもりが、あまりの眠さに座って
いるうちに熟睡してしまったようで、なんと目が覚めたら誰も
乗っていない!?

窓の外をみたら、なんと渋谷のホームの先にある引込み線に止まって
いるではないか!・・・そう折り返し浅草行きとして渋谷駅ホーム
への入線待ちだったのだ。

目覚めてすぐに車掌さんが通りかかり、

「しばらくしたら出ますので、渋谷で降りてください」

と言われ、そのまま車掌室へ消えてしまった。その後、数分は誰も
いない車内でホームに入線するまで待つことに。

やがて電車は動き出すが、これは恥ずかしい・・・。
乗っているはずの無い車内で自分ひとりが、ホームの無数のお客
の視線を浴びて降りることになってしまった・・・・orz
きっと、どこかでネタになっていることだろうな・・・・・

掲示板とかで、寝ている人をそのままに回送として出てしまった
という書き込みをみて、間抜けだと笑っていた自分もそんな経験を
してしまうとは思いもよらなかった・・・・・

渋谷に着いてから車掌さんが起こしに来たけど、あまりにも熟睡して
起きる様子もないので、とりあえずそのままにしてダイヤ通りの運行
を優先したのだろうと思う。>車掌さん、ご迷惑おかけして申し訳ない

目覚めのタイミングもよくなかった。
引込み線に入った後に目が覚めるよりもそのままずっと眠っていれば
あの恥ずかしい思いをせずに済んだかもしれないと思った。

あまりにも恥ずかしいので、別の車両から乗り込んだ。
表参道から半蔵門線に乗り換え、いつもルートで例のスパゲッティー屋
に向かう。

相変わらずの行列。
今日もインディアンの大盛りを食べた後に牛乳でしめる。

その足で、有楽町線で池袋に向かう。埼京線に乗るためだ。

中浦和からしばらく歩いたところに例におばあちゃんは住んでいるが、
途中の道まで、迎えに来てくれていた。どうやら肩の怪我も順調に快方へ
向かっているようで安心した。

このあと、晩御飯を買いにおばあちゃんと近くのスーパーで弁当を買って
あばあちゃんの部屋で一緒に食事した。あまり遅いと深夜になってしまう
ので、19時半におばあちゃんのところを後にした。

いろいろと帰るルートを試してきたが、どうやら新宿から小田急線が一番
早く帰れるルートとわかった。新宿から嫌いな小田急線で、込んでいる車内
に辟易しながら急行に揺られること1時間ちょっと。
ようやく最寄り駅に着いたのは22時前であった。

今回は電車の旅、ちょっと体にはこたえた。無理は厳禁だ・・・・・