2011年7月5日火曜日

つくもノヲ”X="1≠ 602
























群馬県は伊勢崎市、華蔵寺公園遊園地に長らく展示保存されていたという。
かつて特急「はつかり」、寝台特急の先頭車として現役を張っていた時代があったが、
昭和末期に生まれた私は当時の姿を知らない。

「はつかり」も寝台特急も、583系やEF81電気機関車のように現在でもふいに見かける
車両でしか思いつかない。583系については、寝台特急としては乗った事がまだ無いけれども。

写真をいくら見ても実感は湧かない。

大井川鐡道で蒸気機関車の牽く客車に揺られて、さらにその先の井川線で終点の井川で
降り立った時、ふと顔に触れた時に指に黒いものが付く。井川駅の男子トイレには
何故か鏡が無かったので、切符窓口の人に借りた鏡を見ながら、顔に付いた煤を
ウェットティッシュで拭いている時、蒸気機関車に乗った事が確認できた。

それで国鉄時代の時刻表には洗面所を示す凡例が、駅弁と同じように並んでいた事も
自ずと理解できたのだ。今、水飲み場として使われているのは昔の名残なのである。

今回の蒸気機関車ももちろん、現役だった頃を再び蘇らせたのだから本物に間違いない。
だが、大井川鐡道のような強烈な体験は出来ないだろう。それでもいい。
大井川鐡道とは違った角度で楽しめる機会がある事は決して悪い事ではない。
もちろん、当時乗っている体験があるに越した事は無いけれど、蒸気機関車と新幹線、
近郊型車両、気動車などが一緒の姿を楽しむなど当時とまた違った楽しみを提供されている事は
有難い事だし、とても恵まれている事ではないかと思う。

イベントでよく使われる青い12系客車ではなく、茶色の旧客車だったのが救いだろう。
C61も現役を少しでも思い出しながらじっくりと走ったのかもしれない。

初日にして、線路に人の立入りによって緊急停車が発生した事を除けばだが。。。
このまま運転取りやめになるのでは、という空気がしばらく流れたが、無事に運転再開。
車内で飲む缶ビールも何故か旨い。ついつい、350mlを2缶も飲んでしまった。
勢いで復活記念のサイドボードも購入してしまった。
相席の若い男の子達と挨拶がてら雑談をしながら、高崎駅で購入した「クロイチ」のボイラーを模った駅弁のふたを開ける。黒いレンコンは機関車の動輪を、卵焼きにはC61ー20の焼印という
こだわりが素晴らしい。高崎支社の熱意を感じる。

ボックスシートでのひと時はあっという間。
線路の立入り事故が無ければ、途中駅の長時間停車でゆっくりと撮影をと思ったのだが、
どの駅もあまり時間をおかずに発車となってしまったので、余計に時間が経つのが早く感じた
ということもあるだろう。

水上では転車台に早速移動したC61がターンする所を堪能してから、横の行列に並ぶ。
限定数1000の記念入場券を購入しようと思ったからだ。2時間ばかり、強い日差しの下で
並ぶ事になったが、無事に入手。iPhone4販売日も同じような暑さの中、銀座の通りを
8時間かけてゆっくりと歩いた体験に比べたら、何て事はない(笑)

明日も休みなら水上に宿泊してもよいのだが、もう帰らないといけない。
普通電車では地元から6時間、飯田線を乗り通すのと同じくらいの時間なのである。

0 件のコメント: