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【都市伝説を求める旅 2日目】名古屋城と武豊線と天竜浜名湖鉄道
青春18きっぷのように計画された旅行ではないので、気楽な2日目。
特に考えていなかったけれど折角名古屋に来たのに、名古屋城を見ないで帰る事もないだろうと
わざわざ名古屋市交通局の地下鉄に乗って、名古屋城の最寄駅である浅間町で下車。
浅間町から降りると、名古屋城に入るためにはお堀を半周歩かないといけない。
入る前に外観をゆっくりと見てから観覧するのも悪くない。
入館料は500円。この目で映像や写真ではない本物の金のシャチホコを焼き付けてから
城内の展示物をじっくりと眺めつつ、天守閣を目指す。
館山城から見下ろした館山の街と同じように、名古屋の街が見下ろせる。
全く殿様気分にもなれず、何の感慨もないのだが、気づかぬうちに鉄道乗り潰しの他に
日本各地の城巡りを目指していそうだ。(笑)
城内のお膝元で営業していた食堂で味噌カツときしめんのセットを昼ご飯に。
お腹が落ち着いたら今度は武豊線へ。地下鉄も先程とは違う路線で戻りたいので、
今度は市役所から名城線で金山まで乗っていく。名城線は環状線になっていて、
名古屋の山手線ともいうべき存在といえよう。
金山から武豊線に乗り換え。本来は名古屋から乗るべきところだが、折り返しの列車で
名古屋に戻るので、ポリシーとしては問題ない。
昼間と夜間では車窓の印象が異なる路線はローカル線と認識されているような路線では
その差が大きいと思われるが、今回の武豊線も流れる風景を見るとそんな気がする。
沿線に住宅地が密集している路線ではないので、特に夜間乗っていて幻想的な摩天楼が
突然現れそうな危うい雰囲気はありそうだ。乗車時間はわずか30分の短い旅ではあるが。
終点の武豊。騎手で有名な武豊と同じという事で、20年ほど前に一日町長として招待された
歴史のある駅らしいが、知らない人は知らないだろう。駅舎にも駅前にもそれをアピールする
ような張り紙等は見当たらなかった。そして飲食店も喫茶店も何もない。
仕方なく乗って来た列車で折り返す。
名古屋に着くまで柔らかな日差しが穏やかな車内だった以外に変わった出来事はなかった。
もちろん、「つきのみや駅」も見つける事は出来なかった。
ここで唐突に話の流れが変わるが、後で調べて判った事だが、日本列島の九州から愛知県は
豊川あたりまでは「中央構造線」と呼ばれる断層が列島を北と南に分断するがごとく貫いている。その線は豊川辺りから北へ天竜川に沿って急カーブし、長野県で糸魚川ー静岡構造線と呼ばれる、縦の構造線と直交して、群馬県を通って東に横断して千葉県へと至っている。
さらに脱線するが、今の日本列島は太古から時間を掛けて今もなお、地震の原因となっている
大陸プレートが動いた事で形成されてきた、と何となく理解していたが、その痕跡が
中央構造線などの「構造線」と呼ばれるものだ。感覚的には物を引きずって出来た傷だろうか。
今から約2000万年前、ユーラシア大陸の一部だったが、現在の日本海となる辺りで
西部の岩盤が時計回りに、東部の岩盤が反時計回りに動き、その動きに挟まれるようにして
地盤が沈み込んで出来た折り目にあたるのが、先述の糸魚川ー静岡構造線ともうひとつ、
さらに東京寄りで同じく縦に走る柏崎ー千葉構造線があり、この2つの構造線で囲まれた地域は
ラテン語で「大きな窪み」を意味する「フォッサマグナ」と呼ばれている。
この地域では元々の岩盤が沈み込んだ事でその窪みに別の地層が形成されている。
つまり、縦に走る構造線を境に地層の年代が異なっている。
その全てではないが、その窪みの淵の部分が数々の山脈を形成している。この狭い国土で
これほど山が多いのはそうした歴史があるということを改めて知った。
またさらに脱線するのだが、「レイライン」と呼ばれている線がある。
こちらは先程の岩盤が動いた云々とは関係なく、特定の場所を起点にして、途中いくつかの
重要な地点(遺跡など)を直線で結んでいく事で何かの発見や考察などをするための昔の人が
提唱した手段である。構造線のように地形にくっきりと痕跡が見られるものではなく、
人間が考え出したいわば「想像線」とも呼ぶべきものである。
で、これもWebで検索してみると日本の場合に限った話かさておき、春分の日、秋分の日、
夏至、冬至の日の出、日の入りの位置から富士山や重要な神社などが直線で結べる事から
これを「太陽の道」「ご来光の道」と呼び、信仰して来た歴史の説明が見られた。
海外発祥の考え方である「Ley line」だが、「L」「R」の発音が苦手な我が日本人らしく
「Ray line」、つまり「光の道」という解釈が太陽信仰に結びついたという興味深い考察を
しているサイトもある。
間違った解釈かはともかく、太陽信仰について。もちろん実際地球は平面ではないので
レイライン上の地点全てで太陽の光が拝める訳ではない。信仰としての「光の道」である。
そしてトドメは私の妄想である。
先程の「構造線」、そして「レイライン」。実は豊川辺りでこれらの線が交わっている。
夜行列車の書き込みをもう一度見て頂きたい。「静岡県か愛知県あたり」だが、
私は「つきのみや駅」に出会うさらなる条件があるのではないか、と考える。
2つの線が交わる豊川あたりで、太陽の光がレイライン上となる日に夜行列車に乗っている事。
単に夜行列車で名古屋付近を乗っていても出会えないのかもしれない。
条件が合致する特定の日、特定の場所で無くてはならないのでは、とふと考える。
構造線上では「ゼロ磁場」という、見かけ上は磁場がない様に見えてお互いに押し合って
いる断層によって磁場が打ち消している特異の現象がすでに判明している。
そしてその磁場こそが、人体に良い影響を与えている「気」を発しているとして
ある場所はパワースポットとして、人気を集めているそうだ。
良い「気」もあれば、悪い「気」もないとは限らない。
それが死に至らしめるものではなくても、ちょっとした不思議な体験につながる可能性が
ないとは言えない。その「気」によって、普段は見えない駅や摩天楼が見えてしまうかも
しれない。だが本人の目は覚めているので、夢とは思えず、「気」のせいだとも思う事は
まずないだろうから、人に言っても信じてもらえそうにない、リアルな体験だけが残る。
人に言ったところで、「気のせいだね」と言われる。
信じてもらえたのか、もらえなかったのか。。。果たして(笑)
名古屋から東海道線で帰ろう。もちろん、この時は構造線の事も、レイラインの事も
何も調べずに単に思いつきで旅立ったので、この妄想はニッキを書いている時のものだ。
ふと乗り潰そうと今度は新所原から掛川まで北寄りへ迂回する様に結んでいる私鉄、
天竜浜名湖鉄道に乗り換える事にする。これが結果として良くなかったのは知る由も無い。
新所原の駅舎はJRのを間借りしている様に見えるが、隣り合っている。
JR側の駅舎が目立つのは否めない。あまりにも隣り合っているためか、到着した気動車から
JRへの乗り換え客が駅舎の方向に迷う一場面も見られた。
発車まであと10分足らず。改札そばの椅子付近で待っていると、目の前で販売している
うなぎ弁当が気になってしまう。良い匂いも漂ってくる。ついに理性が吹っ飛んでしまった。
これを食べずに去るのはきっと後悔するに違いない。いくら豊橋の鰻屋でうな重を食べても
それとこれは別だ。気動車でうなぎを食べる機会なんてそうそうあるだろうか。
そうなれば、迷う事はなかった。
幸いにしてボックスシートは確保できたので、後々混まないうちに頂く事にしよう。
鰻屋程ではないが、しっかりと焼かれた小降りの鰻屋が2、3枚。甘いタレが素晴らしい。
黄昏時に気動車に揺られながら、鰻を頬張る。やがて見えてくる浜名湖は地形的に
東海道線より有利で、よく観察出来る。東海道線だと鉄橋を渡るだけの呆気ない時間しか
見る事が出来ないが、こちらこそは浜名湖の本当の表情を見た気がした。
鉄道会社名に「浜名湖」が冠されているだけはあると心の中で一人納得する。
車窓をしばらく楽しませてくれた浜名湖を過ぎると、ゆっくりゆっくり暗くなってくる。
金指に到着した頃にはもう日が暮れかけて、線路の2本の光も見えなくなりそうだ。
事前に知識として仕入れてはいたが、この鉄道、釧路本線にある北浜などのように
一部の駅舎内で喫茶店や軽食などを出す店がある。
こうしたご馳走路線では、やはり再訪した機会にはこれら駅に降りるべきだろう。
その際はついでに遠州鉄道にも乗って、浜松を目指すのもよいかなと考えている。
天竜川は例の中央構造線に沿っている。もしかしたらこの鉄道で「つきのみや駅」に
出会える可能性もあるかもと、またも妄想してしまう。
そして終点の掛川。JR側のホームで待っているとどうやら様子がおかしい。
どうやら上り方面で人身事故を起こしたらしく、運転見合わせとの構内アナウンス。
やがて浜松方面から列車が来たものの、折り返し浜松へと発車してしまった。
青春18きっぷの有効活用の意味がなくなってしまうので、なるべく新幹線は避けたい。
やって来た列車でどりあえずは上り方面を目指す事にはなったが、前方の列車感覚が詰まって
途中の駅で長時間停車する状況に。このまま行くと静岡で乗り換える予定の熱海行きも危ない。
結果として静岡では、乗って来た列車がそのまま最終の熱海行きとして運行する事になったが、
熱海から先も無事に小田原まで行けるのか、不安は残る。下手すると小田原で足止めを食らう
可能性もない訳ではない。安全をとって仕方なしに新幹線に屈する事になった。
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