2011年7月2日土曜日

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2011年3月11日。
雪の降る水上駅。じっとしていると体の芯から冷えそうである。

あの時。私は夜勤明けでそのまま特急列車で水上に行き、近場の温泉で湯船に浸かっていた。
最近やけに多いなとは思っていたが、タクシーを呼ぼうとしたらついぞ連絡が取れないという
状況に、温泉施設の方が親切にも車で駅まで無料で送って頂いた。

駅に着いたは良いのだけれど、列車は待てど暮らせど動く気配はない。
線路の安全点検中で運転再開がいつになるのか、見込みが立たないと構内アナウンスや
そばの駅員達が乗客に訊ねられる度に同じ説明をしている。

明日はまた夜勤なので、最悪今晩は水上で宿泊して明日動けばどうにかなる。
改札からは見える吹きさらしのホームにはEF64形という青とクリームに塗り分けられた
電気機関車が2両の青い客車、こちらはイベント用でよく見かける12系と呼ばれる形式を連結し、いつでも出発できる用意を示している様にヘッドライトを灯している。
おそらく何事も無ければ、水上駅でじっくりと見る事は出来なかった編成である。

この調子では地球最後の日であっても、どこかの駅にいるかもしれない(笑)

それから4時間近くは駅舎にいただろう。これ程の長時間を駅舎で過ごすのは初めてである。
水上に宿泊しようかと考えが傾き始めた頃、JR側からようやく代行バスの手配がされ、
夜7時過ぎ、フロントガラスに「JR東日本 列車代行輸送」と掲げられたマイクロバスには
席が丁度埋まるか、埋まらないほどの乗客を乗せて高崎まで3時間かけて南下した。
3時間もかかったのは、高崎までの各駅前に停車していったからである。

列車での3時間は苦痛ではないが、バスに揺られて3時間は大変疲れる。
それを考えると、夜行バスに乗るのは修行以外の何物でもない。

はるばる戻って来た感がある高崎で予約した高台にあるビジネスホテルで一夜を明かす。
部屋に入ってからもまだ余震は続いている。果たして明日は大丈夫なのか。

・・・そして朝。駅へ行くとどうにか列車は動いているようだ。
他の私鉄や地下鉄では震災直後からすでに運転再開するところもあった事もあってか
早々に運転見合わせにしたJRへの対応に非難の声が後々聞こえてくるようなったが、
自動車が全国に普及している現在でも、鉄道に信頼を寄せている証とも言える。

昨夜はバスでどうにか高崎までやって来たが、今日の夕方までには八王子付近まで
戻っていないといけない。どうにか動き出した高崎線の列車で大宮方面を目指すが、
次の倉賀野で長時間停車する事になってしまった。ここでしばらく待ってもすぐに動く気配は
なさそうである。震災2日目ではまだ通常ダイヤで運転再開とはいかないようだ。

普段の、というとおかしな表現だが、地震が発生してもしばらくすればダイヤ乱れは
回復するはずなのだが、それがこれ程の長時間に渡って一向に通常ダイヤにならないのは
今回の地震が大変なものだとようやく理解し始める次第だ。

倉賀野へ向かう途中で八高線の気動車がすれ違っていた。八高線に乗り換える事にする。
だが倉賀野で下車すると、当然高崎から倉賀野までの運賃が払わないといけない。
この震災はJRのせいではないが、八王子へ向かいたいので、八高線に乗り換えるべく
ここで下車して八高線の駅まで歩いていく旨を告げると、ここまでの運賃は支払わずに
済む事になった。

八高線の一番近い駅は北藤岡だが、ここは無人駅。
次の群馬藤岡なら駅員がいるので少々距離があるが、1時間ばかりを歩いていく。
途中上越新幹線の高架を過ぎて、車の通りが少ない道を黙々と歩いていく。

群馬藤岡に到着し、駅員に尋ねると少し前に列車は発車して隣の丹荘に停車中との事。
丹荘から先の線路の安全確認中という事で、もう少しで運転再開される見込みだという。

ここからは幸い待っていたタクシーで丹荘を目指す。丹荘の駅前に到着すると、ホームには
気動車が一両止まっているのが見えた。そしてホームにいた駅員に尋ねると、
ホームの少し先を指で示しながら、もうすぐで安全確認が完了すると教えてくれた。
その方向に目をやると黄色いヘルメットの作業員が数人、作業しているのが見えた。

私が乗り込んでから数分で気動車は再び動き出した。
丹荘に着くのがもう少し遅かったら、タクシーで寄居まで行く事になりそうだった。
群馬藤岡から結構距離があるので、当然タクシー料金も馬鹿にはならないのだ。

どうやら八高線に乗り換える判断は正解だったようで、心配は杞憂に終わった。
一旦自宅に帰ったけれども、あまり眠れない体で夜勤に向かう事になった。

が、本当の地獄はその後にやって来た。
震災による津波で福島の原子力発電所にトラブルが生じ、本来の電力供給量を下回り、
東京電力から計画停電の緊急発表。この影響で大規模停電を回避するべく、一般家庭、
各企業だけでなく、鉄道各社も節電のための運転本数削減を実施せざるを得なくなった。

6月に入り、今でこそ節電による一部本数削減ダイヤで落ち着いている状況が続いているが
この時の小田急線ほど、カオスだった鉄道はなかったと思う。
震災直後に通知されたプレスリリースでは経堂〜新宿以外は運休という状況だった。
当然、東京方面に向かう通勤客を中心にかなりの混乱が生じた。
何故なら当社の東京電力からの計画停電の発表が直前までなく、小田急線としてもその発表が
あった深夜にプレスリリースを出さざるを得ず、そんな事を知らずに普通に動くものだと
ほとんどの乗客は駅に向かって初めてその状況を知る事になった。

その後もしばらくは東京電力からの発表は二転三転して、計画停電もいつ、どの地域で
実施するのか良く分からない状態が続いていた。当初の直前発表は徐々に解消されていたが
大規模停電を回避するべく、一部の時間を除いて運休区間が続いていた。
私の職場は町田にあるのだが、通勤時間帯に江ノ島線や小田原線の本厚木〜小田原が運休が
長く続き、仕方なく職場までの40kmを仕事帰りの途中で購入した中古のママチャリで
移動する羽目になった。本厚木から箱根方面へは緩やかに山を登っていく地形になっており、
自宅付近まで上り坂の連続。国道246号線を延々、ずっと座っていると感じる尻の痛みを我慢
しながら、職場と自宅を往復したが、あの地獄がしばらく続くのかと絶望になった。

1週間ほど過ぎて、ようやく小田急線も本数が少ないながらもまともに動くようになり、
久しぶりに小田急線のクロスシートに乗って揺られていると、列車で移動できるという事の
ありがたみを改めて感じた。
それでもしばらくは一部運休が続き、夜勤明けでその日も夜勤だと時間的に自宅には
帰れない日は職場近くのスーパー銭湯で仮眠せざるを得なかった。

今なお、福島の原子力発電問題は収束する様子もなく、悪化する事もなく続いている。

津波に備えて国として対策する猶予はあったのにそれを先送りにした事を批判している
小さな声はWeb上でいくらでも囁かれている。しかし、国だけでなく今まで我々の多くは
今回のように電力供給が綱渡りな状態になるまで、関心を示す事なく安全でクリーンな
エネルギーだと信じて疑わなかった。だから「脱原発」を唱えるのも勝手な話ではある。

最近になってようやく東京電力側が震災発生当初に原子炉でメルトダウンが発生していた事を
認めるに至っているが、それでもなお大規模停電にはならず、放射線量が増える事なく
横ばいの状態で現在に至っている。それは言うまでもなく、自らの命を賭してでも現場で
懸命に作業している人達のおかげである事に常に感謝し、忘れてはならない。

それが今まで原発に関心を示していなかった我々が出来る唯一の行為だとも思う。

きっと今年も昨年並みの暑さがやってくる事だと思う。
昨年と違うのは、電力需要が供給を逼迫する懸念がある点だ。下手すると本当に大規模停電
という事態も覚悟しないといけない。本当の「ヤシマ作戦」とならないように、特に
プライベートで節電を意識する事、被災地への観光で復興支援する事が我々に出来る事だろう。

だから、私は今年も昨年と同じようにどこかへ列車で移動する旅をしていると思う。

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