2010年5月12日水曜日

つくもノヲ”X="1≠ 537




少し前に相模大野の友人と登った大山山登りで
改めて痛感したのは、体力が思っていた以上に落ちていたこと。

最近の新しい職場異動などで気持ちに余裕がなくなってくると
もう一つの趣味である鉄道オタクへ逃げてしまう傾向にある。
そうなると、趣味であるウォーキングを通しての積極的な
体力づくりをしなくなってしまう。

放置すれば体力が落ちてしまう。お腹が出てしまう。
これではいけない。メタボな鉄道オタクにならないように
せめて体力と体型は維持していかなくては。

前回も観光、じゃなかった慣行した渋谷までのウォーキングだったが
横浜出発が遅く、翌日が朝から仕事だったこともあり、渋谷まで頑張ってしまうと
家に帰るのは日付が変わることになることがわかったので、結局途中の鶴見で
中断してしまったのである。





15時ちょっと過ぎに横浜駅西口から出発。
距離にして6時間あれば到着できるはずだ。渋谷駅の到着予定時刻は21時。

ルートの殆どは国道1号線、途中までは別名「第二京浜」を車が絶えず行き交う隣の
歩道をゆっくり歩いていく。排気ガスが散らかる道路傍を歩くことで果たして
体力はつくが、体に良いかは少々疑問である。少なくとも鼻くそは真っ黒になる。
だが健康的な体を求めてはいない。主に仕事や旅行などで必要とされるだろう体力を
維持することが目的にある。長生きするために健康的になるなど考えていない。

なぜそう考えないのか。昭和末期生まれの我々の世代には、終身雇用がないのである。
(正確には崩壊しつつあるが、それも時間の問題。我々が40代を迎える頃には
どこを見回しても完全にその制度はなくなっているはずである)
定年退職という概念がないので、退職金をもとに第二の人生を謳歌することもない。
そもそも退職金などなくなっているし、すでに今、その日暮らしに近い生活に
日々追われつつある現状から、死ぬまで働くことになるのだろう。
死ぬ間際は働くこともできない無残なアリになっているかもしれない。

アリとキリギリスの話の意味が自分なりにようやく理解しつつある。
カメとウサギのウサギの意味が自分なりにようやく理解しつつある。

アリやカメ一筋の生き方が今まで通用していたが、もう昔の話になりつつある。
アリとカメだけではダメで、時にはキリギリスやウサギのような余裕が、
特に気持ちの余裕がなければ今後は生きていくことはできない気がしている。

ひとまず明日のことは考えないことにする。
怠けて今日できることを明日に回そうという今までのウサギ的思考ではない。
誰にもどんな事が起きるかわからない明日を考えてみても始まらない。

そんなことを考えるより、今日できることを考えよう。
アリやカメの勤勉さ、謙虚さ、周りへの感謝は今までどおりに忘れずに
キリギリスやウサギのような思考、気持ちの余裕を持つことが大事だろう。

自分ができること。そのひとつがウォーキングを通した体力づくりである。
体力が落ちてしまったことは、普段職場への往復だけではなかなか気づけない。
休日に大山の山登りへ誘ってくれた友人には感謝しなくていけないのだ。
山登りではちょっと歩いただけですぐに息があがってしまった。
改めて自分が思う以上に体力が落ちていることを気づかせてくれた大切な機会を
与えてくれたのである。

この機会を無駄にしないためにもウォーキングを再開しようと思ったのだ。
私流のウォーキングは巷で言われているような正統なものではない。
疲れを軽減するための正しい姿勢や歩き方なんて実は知らない。

そんなことを意識していたら、ウォーキングなんて続けていない。
それは飽きやすい性格だからだ。ジョギングも同じ足を動かすスポーツだが
ウォーキングとは決定的に異なることがある。稼ぐ距離や時間のことではない。
周りの景色を楽しめるか否かである。ジョギングは両足が地面から離れる時間が長い。
足や膝を痛めないように、また転んで怪我をしないように神経を使うスポーツである。
周りの景色を気にしていたら、それまでのペースが乱れてしまう。
結局疲れて歩くことになるなら、ウォーキングにしようと思ったのである。

ウォーキングを始めた当初はただ歩くだけでつまらないかと思っていた。
でもそれまで鉄道オタクを通して景色を楽しむことを知っているつもりではあったので、
景色を楽しみながらゆっくりと歩くことがいいと気づくのに時間はかからなかった。
思いついたときに気軽に自分のペースで歩けること、歩いたことのない道にどんな景色が
広がっているのだろうという冒険のような楽しさがある。

神奈川県という比較的に公共交通機関が便利なところに住んでいることも大きい。
今はそれまで何度も実施してきたウォーキングで一度にどれだけの距離を歩けたり
適切なペースを知っているが、それでも万が一ということもある。
道に迷ってしまい、体力的に歩けないこともあるかもしれない。
そばに交通機関があれば、どうにか引き返すことはできる。だからルートは必然的に
鉄道の線路沿いや路線バスが走る国道などの大きな道路沿いを選択することになる。

国道1号をひたすら歩くのだが、それでも注意して見ましてみると
面白いなとか、かっこいいと思う光景があることに気づくのである。


道路の真ん中でX状に交差する歩道橋。
4人がそれぞれ歩道脇にある階段から同時に登り、このX上の交差で出会い、
そしてそのままムーンウォークで下がっていく・・・
そんな音楽PVができそうだなと下らないことを想像してしまった。



多摩川大橋から見た多摩川。
神奈川側に平がる緑の土手。丸く刈られたマッシュルームのような形の植木が
ぽつぽつとあるのだが、面白いデザインを見てるような気持ちでデジカメを向けた。
この東京寄りに多摩川に沿って整備されているサイクリングロードは去年、同じ
相模大野の友人とともに奥多摩までの5日間の旅の途中で歩いている。この多摩川大橋を
潜ってこの緑の土手も見ているはずだが、角度によってこんなにも印象が違うことは
ちょっとした発見であった。




そのままずっと歩くとやがて国道1号は高架の山手線五反田駅を潜っていく。
今度は明治通りを左へ曲がれば、ゴールの渋谷駅はもうすぐである。
最近買ったI pod touchで音楽を聴きながらストップウォッチで計測したが
渋谷駅に到着したときには5時間38分を経過。つまり6時間近く音楽を聴いていた。

0 件のコメント: