2011年11月19日土曜日

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【北海道&東日本パスの旅 4日目】 6時間半の臨時列車の旅























水上
15:20発
↓ 9736 上越線〜高崎線〜武蔵野線〜中央本線
快速 EL&SLみなかみ

21:52着
甲府

JR東日本はまたとんでもない臨時列車を設定してくれた。

てっきり「ムーミン」の愛称で親しまれた今は亡き、EF55形が最終日に牽引して走行した
同じルート(正確には高崎〜上野はEF64形 1001、つまり茶色い電気機関車が牽引)である
上野〜横川だと思っていたが、 プレスリリースを良くみると・・・・・

◉夏の増発列車のお知らせ
http://www.jreast.co.jp/press/2011/20110609.pdf


!?

「甲府」 の文字が見える。誤植かと思ったが、いやはやJR時刻表にもきちんと掲載されていた。
出来れば明るい内に車窓からの景色を楽しみながら(本音は無駄に撮り鉄しながら)と思って、
甲府発は朝6時という、前夜に甲府に宿泊する積りで狙ったのだが、指定席券は入手出来ず。
同業諸氏は皆、考えている事は一緒ということだろう。馬鹿らしい。(私もだが)

そこで考えを変えて水上発を狙うと、当初は武蔵野線区間だけが満席だったが、
何度かMV(指定席券売機、みどりの窓口の歴史が長いのでこちらの行列が未だに長い)で頑張ると
奇跡的に空席わずかを示す「△」の表示。最初で最後のチャンスを逃すまいと無事に入手。
その後、試しに甲府発を狙ってみたが、状況は変わらず。水上発も満席となった。

私は博識数多の先輩諸氏の遠くに及ばない、ライトな鉄道好きだと思っている。
旅行先では乗る列車が早朝の発車という事がない限り、 起きるという事はないのだが、
列車の音がしたと思ったら、条件反射的に体が列車の見える窓に向かい、
上野へ戻る寝台特急「あけぼの」の通過に寝ぼけ眼で手を振っていた。

昨夜寝る前に時刻表で確認したのだが、だいたい早朝の4時過ぎのはずだ。
目覚まし時計では目が覚めなくても、本当に好きな列車の音なら目が覚めそうな体らしい。
発車メロディーが鳴る目覚まし時計は売っているが、列車の音がする目覚まし時計はないものか。

起きてその後の記憶が定かではないが、二度寝をして再び起きたのが9時過ぎだったと思う。
チェックアウト時間近くまで粘ったのは、外を出歩く事にしているからだ。
この暑さでは歩いている間にも日焼けしてしまいそうだ。

高崎までの間でこれからやって来る、 快速 EL&SLみなかみの走行風景と撮影を楽しもうと思い、
乗り込んだ高崎行の普通列車には明らかに普段は乗らない客をちらほらと見かける。
車窓から撮影地に良さそうな場所を探していたが、素人目で判断して敷島で下車。
ここへ来る途中に線路を跨ぐ橋が見えたので、そこから撮影出来れば良いかと思ったのだ。

敷島から水上方面へ歩くと登り坂になっている。途中の民家と民家の間に畑があったりして
開けた場所もあったが、土地に侵入していなくても立っているだけで不審者になってしまう。
もう少し歩いてみると、さっき列車から見かけた橋よりも低い車幅ギリギリの橋を発見。
水上方面に広がる入道雲を入れたアングルを考えたが、橋のすぐそばは残念ながらトンネル。
対して高崎方面は逆光でその上に車の通る高い橋が正直邪魔だと思ったが、臨時列車の先頭を
走ってくるはずのSLがその橋に差し掛かる前に撮影をすれば、何とか橋の影に邪魔されずに
撮影出来そうだ。 幸い同業者はおらず、来る気配もなさそうだ。

JR時刻表から推測した時刻ではもうすぐ通過するだろうという頃に一台の車が右側に見えた。
それまでしばらく橋の真ん中で待っていたが、車は一台も通る事は無かった。
人がいると通れない幅の橋をわざわざ地元の人間が車でやって来る事は余程の事が無ければ
なかろうと思う。おそらく同業者だろうが、幸い車はそのまま橋を通り過ぎて走り去った。

まだかまだかと思っていると、ようやく遠くからSLの汽笛が断続的に聞こえて来た。
これから通り過ぎます、という事をアピールするように。
汽笛は聞こえてくるが、中々姿が見えない。臨時の快速列車なのだが、普通列車よりも
ゆっくりしたスピードで 走って来ているのだろう。

汽笛の音が少しはっきりして来た。奥の左カーブからゆっくりと黒い姿が近づいて来た。
無事にシャッターを切る。ホッとする。そして手を振る。機関士も気づいて手を振ってくれた。
橋をくぐり、その後に続く6両の青い客車がトンネルに吸い込まれて行った。

敷島に戻る。次の普通列車が来るまで、向かいの商店でアイスクリームを購入して食べる。
敷島駅前と書かれた信号を見上げると、白く鮮やかに入道雲。私はここでナニシテイルノダロウ。
再び普通列車で水上へ戻る。
普段の利用客とは明らかに雰囲気の異なる客が多い。私もその一人だけれども。

水上に到着するとすでにSLは青い客車から切り離されて、奥の留置線に停車していた。
しばらくするとゆっくりと黒い体を転車台へと走り出した。水上ではすでに名物となり、
観光資源としての貫禄を感じる。

まだ時間が余る。それほど歩き回ったわけでなないが、汗をかいている。
温泉に入りたい。衝動的にタクシーに乗って、3月の震災時にお世話になった湯テルメに向かう。
10年前は温泉に浸かる良さなど理解できず、体を清潔する作業みたいなものと思っていたが
今なら分かる。感覚なのだ。心から浸かる気持ち良さが分かる。いつまでも浸かっていたい。
だが、苦労して手に入れた指定席券を無駄にしたくない。 時間ギリギリだったが、呼び出した
タクシーで駅に戻ると、発車の15分前である。

夕ご飯は臨時列車の中で済まそうと考えている。
今夜の宿泊地である甲府には22時前になるので、夕食は駅弁にしようと思ったのだ。
席は所々空いている。こうした臨時列車は毎度そうだが、3種類の人間がいる。
本当に乗りたい人。切符収集が目的の人。オークション等で転売目的の人。
なので実際も満席になるのは一般の観光客のニーズに合致した季節列車に限られる。

最初は渋川での出会い。
JRが発表するプレスリリースだけだと分からないが、JR時刻表を見ると良く分かる。
興味が無ければ別に面白くもない事だが、車両最後尾に乗務していた車掌に訊ねると、
吾妻線からやって来る観光向けに最近導入されたリゾートやまどりが同じホームで
並ぶという。水上を出てからしばらくしてこの地域特有の一時的なにわか雨がすでに降っている。

SLが最新のリゾート車両と並ぶ。そうそうある機会ではない。
車両展示会とは違い、営業運転で並ぶ光景は珍しいだろう。雨は強く降っている。

そして予想もしないところでシャッターチャンスは訪れた。
SLとリゾートやまどりが並んだ瞬間を狙ったように横殴りの強い雨が突然襲って来たのだ。
当然濡れまいと皆、列車を盾にするようにホームの中程へ避難するが、お陰で両方の車両が
撮影しやすくなった。当然私もびしょ濡れになったが、秘策はある。
先ほどの車両最後尾のデッキにしばらく居れば良い。客室内に比べると機器類の熱が発生するのか
少々暑いのだ。これならしばらくすれば乾いてくるだろう。

すっかりと衣服が乾いた所で、次は高崎でのイベント。
SLが切り離されて、ここから甲府まではEF64形のトップナンバーである、茶色いの電気機関車に

バトンタッチ。 「レトロ横濱」号の乗車以来、久しぶりである。

そして神保原。
ここで後続の特急列車を先に通すためにしばらく停車。撮影しようと先頭のEF64形に向かうと
何と湘南色の185系が並んで停車するという予想外。(調べれば分かる事だろうが)

このニッキを書くためにJR時刻表を確認してみたが、甲府発の臨時列車では湘南色の185系との
渋川での出会いを撮影出来る可能性があったが、リゾートやまどりは時間的は無理だったのだ。
結果オーライだが、明るい内の乗車を取るか、普段見れない車両の並びを取るか、
旅の計画でそれを選ぶ楽しみ(悩みか?)を提供してくれるのも時刻表ならではかもしれない。

ここから先は時刻表上では長時間停車する駅はない。
武蔵野線ではどこかの駅で長時間停車してほしい気持ちはあるが、線路の配線上無理な話だ。

武蔵野線でも究極の選択を迫られる。
2日間をフルに活用するなら、1日は全線乗車、もう1日には武蔵野線などのホームに待機して
撮影する事は可能だが、 他の路線乗り潰しも兼ねた旅なので、乗車しながらの撮影である。
新秋津の短い停車では、青い客車と駅名を一緒に撮影するなど無理だった。

北朝霞に停車すると、あとは地下トンネルを通って中央本線に合流。
すっかり夜の立川に停車する。武蔵野線の客車旅が目的の人が大半と思われ、八王子を出ると
車内はすっかりとまばらになってくる。一昔前の夜行列車を彷彿とさせる。

八王子では折戸のドア越しに停車中の横浜線の205系。
八王子から大月まで通過するが、実際は途中の相模湖で運転停車。
新宿行の特急スーパーあずさ号がものすごいスピードで通過していった。
甲府発ではそのイベントはない。おそらくそのまま通過したのだろう。

場所と夜とあって、ホームには同業者は見当たらず、お陰で車内はからじっくりと停車中の
青い客車を撮影する事が出来た。 大月の前に上野原(と思われるが、忘れた)のホームを出て
少し離れた場所で待機。本線から分岐した支線上で、後続の特急かいじ号を先行させる。

大月を出たら、あと40分ほどで長くて短い臨時列車の旅は終わってしまう。

八王子を出た辺りから、やたらに同じ顔ぶれが隣の車両からまた別の車両へ行ったり来たりで
忙しい。駅に停車中なら撮影に忙しいのはわかるのだが、走行中だったので妙に不自然である。
後々、某巨大掲示板の書込みなどからキセルが見つからないように検札から逃げていたようだ。

甲府では大勢の同業者が待っているかと思ったが、予想に反して数える程であった。
明るい内に済ませて、露出の厳しい夜は避けているのだろう。
115系の長野色が線路を挟んだ隣のホームには停車して茶色い電気機関車と並んだ。
明日は体力を一番使う行程なので、宿に入ったらすぐ眠る事にしよう。

2011年11月18日金曜日

つくもノヲ”X="1≠ 609


【北海道&東日本パスの旅 3日目】 NEX、東急、最高積雪、列車の子守唄で眠る














権堂
9:46発

↓ 516 長野電鉄 長野線

9:50着
長野
10:15発

↓ 131D 信越本線〜飯山線

12:37着
十日町
13:29発

↓ 187D 飯山線

13:57着
越後川口
14:10発

↓ 1738M 上越線

15:43着
水上


昨夜、宿の最寄り駅である権堂まで2駅、長野からは長野電鉄に乗った。
長野線の最終特急は「ゆけむり」号こと、旧小田急ロマンスカー10000形を期待したが、
ホームに入線していたのは最近仲間入りした旧JRの成田エクスプレスとして活躍していた
「スノーモンキー」号であった。隣のホームにはそのデザインから一目で東急とわかる銀色車両。

成田エクスプレスと東急田園都市線を一緒に見られるとはある意味すごい光景である。

その元は成田エクスプレスは長野電鉄の地下トンネル駅である権堂に停車するのだ。
その元成田エクスプレスが発車すると、反対側の長野方面のホームには顔の見た目から
マッコウクジラのあだ名がつけられている元東急の地下鉄車両が入線して来た。
第二の人生もある意味、この地下トンネル区間だけ見たら地下鉄として現役のように見える。

そして今朝は、東急の田園都市線でまだ走っている車両に乗り込む。
長野に来たのだが、気分は田園都市線である。

飯山線の車内では買っておいた駅弁を食べる。
森野宮原。停車するまで忘れていたが、日本最高積雪地点の白い柱が立っている。
7.85メートル。この規模に次ぐ積雪は北海道でないとお目にかかれないだろう。

車両は八高線の非電化区間でお馴染みの気動車。車両のデザインは大事だ。
旅の気分を左右するといってもいい。ここに小田急の通勤車両が走る程ガッカリする事はない。
車両だと遠路はるばる、八高線に乗りに来た気分になるが、 もちろん車窓の景色は全く異なる。
越後川口に到着。 これでひとつ路線が乗り潰せたという気分。旅情もくそもない。

越後川口からは上越線。北海道なら根室本線のように何度乗っても不思議と飽きない路線だ。
水上から湯檜曽、土合と向かう方面が一番好きだが、逆に水上へ下ってくる旅もいい。
明日は今回の旅のメインとなる臨時列車に乗る事、初めて水上に宿泊する事に気分が良いのだ。

115系という車両は上越線に良く似合うと思う。小田急線なら全く残念だ。

水上には日のあるうちに到着。今までの旅行で宿泊地へ到着する時間にはしては一番早い。
臨時列車が水上発という事もあるが、朝から行動するためによく寝ておこうと考えたのだ。
夕食のみでビールを頼んで、一泊9700円。広々した和室で窓から貨物列車やら、普通列車、
時に特急列車が通り過ぎるのを見ながら夕ご飯は部屋で食べられる。何と贅沢だろうか。

夜の闇に寝台特急「あけぼの」がひっそりと水上のホームへ通り過ぎて行くのを見てから
貨物列車の走行音を子守唄に満足な気分で眠れそうだ。

2011年11月12日土曜日

つくもノヲ”X="1≠ 608


【北海道&東日本パスの旅 2日目】柱のない風景と姨捨の夜景と












松本
10:41発

↓ 8361D 大糸線
快速 リゾートビューふるさと

12:44着
南小谷
14:21発

↓ 429D 大糸線

15:19着
糸魚川
16:18発

↓ 549M 北陸本線

16:37着
筒石
17:32発

↓ 551M 北陸本線

17:50着
直江津
17:51発

↓ 3330M 信越本線

19:22着
長野
19:50発

↓ 1230M 信越本線〜篠ノ井線

20:21着
姨捨
21:24発

↓ 452M 篠ノ井線

21:34着
聖高原
21:44発

↓ 1229M 篠ノ井線〜信越本線

22:22着
長野


リゾートビューふるさとの発車まで少しだけ時間があるので、徒歩で松本城へ。
熊本は熊本城、千葉は大多喜城や館山城、名古屋は名古屋城とここ近年の鉄道旅行では
城に巡るようにもなってきた。城巡りが今後の旅行のネタになるのかもしれない。

熊本城に比べるとその規模は小さいが、野面積みの城壁からはかなり古い歴史が伺える。
野面積みは排水に優れるが、積み石に隙間や出っ張りがあるので、敵に登って責められやすい。
さらに年代が進むと、この積み方が洗練されて隙間なく、表面が滑らかな切り込み接ぎなどの
積み方が広まるが、こうした基礎知識を実際の目で理解するなら熊本城を強くお薦めしたい。

天守閣からかつての城下町から近代的な街並みに変わった風景をしばし見下ろして後にする。
城から今度は近代的な建物に移動しなくてはならない。もちろん松本駅である。

ホームにはすでに2両編成の緑色ベースが爽やかなステンレスの気動車が発車を待っている。
顔の真ん中辺りに「RESORT HYBRID」と書かれているとおり、従来の気動車では不可能だった
エンジンの負荷軽減を図っている。発車から低速域においては蓄電池の電力を併用する事で
出来る限りエンジン負荷を抑えることで燃費、排気ガス節約を図る仕組みとなっている。

新幹線等で使われている回生ブレーキの技術によって、モーターから回生した電力を
ブレーキ時に蓄電池へ充電する事で電力を使いまわしている。 車内灯などのサービス電源も
この蓄電池からの電力が使用されているようだ。

なので、乗り込んでしばらくして列車は動き出したが、とても静かである。
いつ発車したか気づかないくらいは言い過ぎだが、それぐらい静かな発車であった。

東北の五能線を走る「リゾートしらかみ」程は人気がないのか、知名度が低いのか
車内は空きが目立つ。それでも車掌と客室乗務員を兼任する女性による観光の車内アナウンスが
流れると華やいだ気分になる。車両も新造されてそれほど月日が経ていないので、綺麗な車内と
いうのも少しはあるかもしれない。

大糸線は糸魚川方面に向かうと、左手の車窓には安曇の山々の雄大な景色が出迎えてくれる。
これを観光資源にと車窓から眺めの邪魔にならないように、一部区間で架線柱が右手に設置
されていると車内アナウンスで観光案内が流れる。

信濃大町に到着する少し前に例の客室乗務員から短冊一枚と筆ペンを渡される。
信濃大町に飾ってある竹に飾ってはいかがでしょうとのこと。
信濃大町では6分間停車。改札外に飾られた竹の枝にはすでに何十枚もの色とりどりの短冊が
ぶら下がっており、様々な願い事が書かれている。おそらく叶わない事を知りつつも。

途中の白馬でほとんどの客が降りて、終点の南小谷まで乗り通す客は私以外には女性に
話しかけるのが好きなおじさんだけであった。 乗務の邪魔なのだろうが、これもサービスとして
例の乗務員は相手をしてあげている光景が前方の車両に見えた。

南小谷に到着する直前に見えた唯一と思われる海鮮丼の看板を出している店以外に飲食できそうな
店は見当たらない。それを分かった上で客室乗務員に訊ねてみたが、海鮮丼以外におたり名産館
というそばを食べられる店があるのみ。そばと海鮮丼、少し前に海鮮丼を食べたせいか気持ちが
海鮮丼に傾き、築地から仕入れたらしい三色丼を頼んだ。

夏らしく強い日差しにこの辺りは盆地のためか、かなり湿気がありベットリと汗をかく。
ビールを飲みながら海鮮丼を食べる。南小谷まで足を運んだ割には食事に芸がないが、
他に飲食店がないのでは仕方ない。
歩き回ったら疲れるだけでなく、日焼けしてしまう。汗だくで次の列車に乗りたくない。

時間を持て余さないようにゆっくりと食事をし、ビールを飲む。
財布に余裕があれば、 さらにビールを頼んでほろ酔い気分と行きたいところだが、
安月給故に予算も限られる。限りある環境でどれだけ楽しめるかも旅行の醍醐味だろう。

発車の10分程前に唯一のコンビニもとい、商店で飲み物を買う。
店主に話しかけたが、ここは地形と海からの水蒸気で湿度が高くなるという。

南小谷からは気動車。ここからJR西日本線になるのだが、非電化路線としては最北だろうか。
先ほど乗って来たハイブリッド気動車も終点の糸魚川まで乗り入れは可能なはずなのだが、
どんな事情があるにせよ、この南小谷を境に東日本と西日本との温度差を感じてしまう。

一時やっていたメモ書きだが、最近止めた。
見た事を忘れないメリットと引き換えに書く事ばかりに気になって景色を楽しめない。
きっと忘れるだろう、現に今思い出しながらニッキを書いているが、南小谷から先の景色は
覚えていない。宮脇俊三氏に言わせれば、「メモ書きしないと覚えてられないことは書くに
値しない」ということなのだろうが、その意味を最近自分なりに理解してきたと思っている。

どういう事柄をメモ書きすべきか。必要最低限のキーワードで、後でそれを見返した時
ぱっとその時の風景が鮮明に思い出せるなら、ニッキを書く私にとっては理想である。
読ませる文章を起こしやすいように、そのメモ書きのテクニックを得られたらという
淡い期待を抱いて、『「最長片道切符の旅」取材ノート』を読んで見たのだが、
宮脇俊三氏がどういう点を観察しているかは何となく分かったが、それらの文字の羅列としか
読み取る事が出来なかった。やはり答えというか、その感覚は時間をかけて自分なりに
感じ取るしか方法はないように思えた。

様々な個人サイトやブログで批判しているように、この作品は故人となった宮脇俊三氏は
商品化を望んでいなかったのだろう。メモ書きが個人が自己満足で書くブログ用なら
全く構わないが、それをそのまま本にして商品化する事は幾ら売れるからとはいえ
生前の宮脇俊三氏が上梓した作品内で言及しているように、メモ書きがそのまま作品に
なるわけではないと思う。 出版社の態度は一部の読者を馬鹿にしているだけでなく、
また多くの読者が尊敬する氏に対しても失礼だと思う。

単にメモ書きが面倒臭くなったという説も今のところ、有力とのこと。

どこかの知らない人が書いたブログにJR西日本のやる気の無い気動車の写真が載っていて
まさにその表現通り「レールバス」である。関西本線や山陰本線に乗った時にも同じ形式の
気動車に乗った時にどことなくガッカリした記憶がある。

糸魚川から北陸本線に乗り換え。前回乗った時は元寝台車として使われていた583系をそのまま
転用した 419系と呼ばれる車両だった。ほとんど改造していないため、出入り口は車両両端に
それぞれ一つずつある折戸のみで、しかも普通列車として転用されるなど想定されていないため
人一人がやっと通れる程の狭さ。自動かと思いきや、降りる際は手で開ける半自動扱いだった。
おかげで583系で折戸を手で開けるという貴重な体験が出来たのだが、名車とも迷車ともいえる
この車両はかの東日本大震災後のダイヤ改正で定期運用を終了しているようだ。

都度、見る者にインパクトを与えたJR西日本はさらにそのやる気のなさを展開するだろう。

そのまま直江津まで乗っていっても良かったのだが、有名なトンネル駅で途中下車する。
個人的には「リトル・土合」だと思っているこの駅には私の他に数名が下車した。
この駅は土合とは違って、駅員のいる有人駅でホームで降りてくる乗客を待つ。
そして列車が発車するのを見送ってから改札への長い階段を昇っていく。

前回は駅員とは会話しなかったが、今回は話しかけられた。
記念スタンプを押せるハガキを頂き、スタンプを押してから次の列車まで散策することにした。
前回は駅の撮影が目的だったので、改札を出たがすぐに戻ってしまった。
今回は地上に出て見てどんな景色が広がっているのが、楽しむことにしたい。

マップで確認するわかる事だが、地上に出てしばらく坂を登ると大きな車道に出る。
その向こうは緩やかに下っていて、広がる海が顔を覗かせている。
北陸の日本海は山陰とも奥羽とも雰囲気が異なり、穏やかだ。けれどジメジメする。

海沿いに学校がある。この時期の体育は気持ち悪い汗をかくことだろう。
体育後の授業を考えると気の毒にさえ思えてくる。でもこれから下校と思しき生徒達の顔は
笑顔と元気に溢れているように思えた。だぶん気のせいだと思うけれど。

突き当たりは眼前に海が広がる。穏やかな夕日とともに帰宅を促すチャイムが響く。
帰りがけの道端に咲く紫陽花に別れを告げ、再びトンネル駅に戻る。

ほんの15分くらいしか歩いていないのにベッタリと汗をかいている。
駅員と共に改札を抜け、先ほど昇ってきた階段を降りる途中は下から吹いてくる風が
天然のクーラーの如く、心地よい。時間が許せばしばらくそのまま当たっていたいくらい。
これから乗る列車に乗務するのか、一緒だった駅員と今回の旅の目的だとか、有名なトンネル駅が
他にもあるとか、この駅も以外に利用者があるとか、そんな雑談を交わしていると
列車がホームに入ってきた。乗る際に駅員に「お疲れ様です」と声を掛けてもらい、
なんだかそれまでの疲れも忘れて、少し楽しい気分になった。不思議だ。

トンネル駅を抜け、列車は定刻に直江津へ到着。
直江津から信越本線で長野へ。そのまま長野で下車しても良いのだが、少し時間が遅くなるが
とある場所で夕飯にしようと思いついた。夜景を見ながらの駅弁。そのまま姨捨に向かう。

そうそう行く機会もないだろうから、幸い天気に恵まれた今日、姨捨から善光寺平の夜景を
見ながら、ビールを飲みながらの駅弁。我ながら何と名案だろうと心の中でほくそ笑む。

長野で姨捨へ向かう列車の発車まで時間があるので、夕飯とビールとつまみを調達。
それらを入れたビニール袋をぶら下げながら、列車に乗り込む。
車内を観察する限り、私と同じ事を考えている人は他にはいなさそうだ。

例のスイッチバックに入り、列車は進行方向を変えながらゆっくりとホームに停車。
降りる前から右手の車窓にはその日本三大の夜の表情が出迎えてくれている。
ホームには誰もいないのかと思っていたが、地元の人らしき数人の中高年か高齢の人たちが
この列車が到着するかなり前からこの夜景を楽しんでいたようだ。

列車が再び発車してから、彼らも駅から姿を徐々に消し、静けさが戻ってきた。
夜景の上には「田毎の月」と表現された月が照らし、ビールもより美味しい。
駅弁の蓋を開けて、しばらく箸を突っついていると、離れたベンチに若いカップルが一組。
こちらの奇行に一瞥をくれていたが、こちらは気にしない。ことにした。

夕飯を食べたあとは缶ビールを飲みながら、つまみのプリッツをポリポリ。
もっと芸のある楽しみ方はあるのかもしれないが、数少ない旅行経験ではこれが精一杯。
夜景にも正直飽きたところで、松本方面の列車に乗り込む。聖高原まで乗れば、
あまり待たずに長野方面の列車に乗り換える事が出来るからだ。

聖高原で10分程待っていると、長野方面の列車がやって来た。
車内から再び、先ほどの善光寺平からの夜景を見ながら、本日の宿へ向かおう。

つくもノヲ”X="1≠ 607



【北海道&東日本パスの旅 1日目】 特急で松本へ








八王子
17:34発

↓ 75M 中央本線
特急あずさ25号

19:50着
松本


旅の初日は特急列車で贅沢に移動することにした。
当初の計画では鈍行列車で移動するつもりだったが、 時刻表で調べると明日以降の旅程に
響くので、八王子から特急あずさ号に乗り換える。
新宿から途中の甲府までは乗ったことがあるが、その先の松本までは乗ったことが
なかったので 良い機会と考えよう。

特急列車はかなりのスピードで走っているが、あまり揺れない。
これなら松本から先の大糸線は白馬まで行く臨時の快速列車「ムーンライト信州」も
乗っていてそれ程疲れないだろう。

通路側の席だったが、窓側にもすでに人が座っており、持参のiPadで物書きをするには少々
窮屈に感じ、 ラウンジスペースに避難した。この場所が座席よりも落ち着く。
寝台特急の通路にある補助椅子の妙な居心地の良さに似ているかもしれない。

終点の松本では今まで乗って来たあずさ号が、そのまま長野行きの快速列車になるようだ。
松本から長野まで乗車券だけで乗れるお得な区間である。このあずさ25号にそのまま乗れば、
長野まで同じ特急列車で移動する事が出来るというわけだ。
個人のサイトなり、ブログなりを調べるとわかるのだろうが、時刻表にはその情報はない。
ホームの構造、線路の配線、車両運用などと照らして、時刻表の数字群から推測するのは
楽しいだろう。そしてやがて虚しくなるだろう。
実際目で見て、それをヒントに他にも同様の運用がないかを時刻表から探す楽しみ方も
ありそうだ。 私自身は今後はやらないだろうが。

快速長野行きとなった特急列車の同じホームの向かいには逆にこれから東京へ向かう
あずさ号と並んだ。

2011年11月8日火曜日

つくもノヲ”X="1≠ 606











夜勤明けは危ない。

気分が開放的になって、どこまでも遠くに出かけたくなる。
といっても、北海道や九州に旅行出来るほどの時間はない。新幹線や飛行機で行く強行軍なら
一泊二日の旅は出来るだろうが、折角の遠出ならゆっくりと移動しながら楽しみたい。

まだ日差しの強さは夏そのもの。しばらくじっとしていたら日焼けするだろう。
そんな陽気でふと江ノ島に行きたくなり、小田急線は江ノ島線に乗り込む。

藤沢で江ノ電に乗り換える。
七里ヶ浜を出ると、車窓一杯に湘南の海が視界に広がってくる。
鎌倉高校前からの海の眺めは有名だが、車窓からの眺めも一枚の絵画になる。

江ノ島で降りて、弁天橋を渡る途中でふと気になっていた乗合船に乗ることにした。
この船に乗ると、一番早く岩屋までたどり着くことが出来る。
カップルか家族連れの中、私は少々浮いている気がするが、気にしない。
弁天橋をゆっくりと離れ、船は徐々にスピードを上げて江ノ島の右横を通り過ぎる。
展望台もよく見ると人がいるのがわかる。手を振っても気づかないかもしれない。

10分ほどで岩屋に到着。江島神社が祀ってある岩の洞窟はその名の通り、海による侵食で
自然に出来上がった岩の屋内が奥深くまで続いている。奥に行くほど、天井は低くなり
身を屈めないと頭をぶつけてしまう。

途中から蝋燭を灯した手持ちの簡単な行灯を渡される。
暗がりの中の蝋燭はカップルにとっては何ともロマンチックな時間をつくってくれるのだろう。
ロマンチックに浸った後は途中の海が見えるベンチでひとときを過ごしていく。

気になっていた乗合船と岩屋は体験できた。満足してこのまま帰れば良いのだが、
ふと鎌倉に行ってみようと、再び江ノ電に乗って行く。
途中の腰越で一旦下車。唯一の路面区間を走って行く江ノ電を撮影してみたかったのだ。
先ほどの車窓からの海同様にこちらも不思議と一枚の絵になる。

鎌倉ではお昼ご飯にしようと駅前を散策していたが、一軒のつけ麺の看板が目に入った。
麺屋「波」(ウェーブ)。今まで食べて来たつけ麺とは想像が異なっていた。
鎌倉の野菜が麺を隠すように盛られた姿は夏らしく鮮やかで、つけ麺の汁も旨い。
これだけでも満足なのだが、さらにシメ用にその汁にご飯を入れてお茶漬けのように頂ける。

さらにデザートのアイスクリームがついて、 880円とは探してもそうは見つかるだろう。
今日は良い店を見つけた。すっかりと満足して帰りがけに店で売っていたパンダがデザインされた
ステッカーを購入。iPhoneのカバーにでも貼り付けよう。

2011年11月5日土曜日

つくもノヲ”X="1≠ 605













夜勤明けは危険だ。
それまで勤務で続いていた緊張が開放されて、思考が冷静でなくなる。

冷静を欠いた頭は、横須賀方面に行こうとしていた。
その場の思い付きという場合もあるが、今回はそれなりの動機がある。
今は面倒になって退会してしまったが、携帯電話のGPSを使った位置情報ゲーム「コロプラ」で
そのゲームを有利に進めるための「土地力」を得るためだ。

折角時間をかけて遠方に行くなら、他にも何かしようという貧乏性故に
京浜急行の末乗区間である、終点の浦賀までを乗り潰そうと思い立つ。
これなら横須賀方面に向かいながら、なかなか行けない場所の「土地力」を得る事も出来る。

眠いのを我慢しながら、iPhoneの画面から目を離せない。
獲得してない「土地力」を確実に得るためには、各駅毎に位置登録の操作をしないとならない。

普段なら列車に乗っていれば、iPhoneの画面などは見ずにずっと車窓を流れる景色を
楽しんでいるのだが、 これほどiPhoneを楽しむ体験をしたのは、ゲームアプリとしては
「スペースインベーダー・インフィニティージーン」以来である。

居眠りせずに終点は三崎口に到着。昼ご飯に三崎マグロラーメンでも食べようと考えたが
油壺マリンパークでも食べられる事を思い出し、路線バスに乗り込む。
バス停はマリンパークの目の前とばかり思い込んでいたが、バス停からは少し歩くことになる。
景気の良かった頃はマリンパークの目の前に観光バスが鈴なりに停車して降りてきた大勢の観光客で
賑わったのかもしれない。

入場料は1700円。高い。ちゃんと確認すれば行かなくても済むのだが、
おそらくこれからの人生でそうそう訪れる場所ではないと思っているので良い機会だろう。

マリンパーク内のレストランはもうすぐ閉店の時間だった。
レストランというより、公民館などの食堂という雰囲気だ。客はほとんどいない。
三崎マグロ丼と一緒にラーメンを頼んだが、値段の割に損した気分になる。
まずくはないが、凄く美味しいわけでもない。ラーメンとマグロ丼はそれぞれの店で
食べるべきで、欲張ってはいけないのだと実感する。

食事中は食事にだけ集中するようにしているが、例のゲームから目を離せない時間になってしまい
止むを得ず、iPhoneを弄る。 毎月開催されるイベント内のラスボスがイベント終了の15時直前で
登場する仕様になっていて、この時間はずっと画面から目を離せないからだ。

普通の水族館と思っていたが、「魚の国」は他の水族館とは差別化のためか、
珍しい生物に興味を持って見てもらえるように展示の工夫に力を入れている。
イルカ、アシカのショーは他の水族館でもありふれたイベントだが、ここではシマダイ等の
魚達が学校の授業よろしく、簡単な足し算などを答えさせるショーも開催するようだ。

誰も見ていないイルカの泳ぐプールも規模は小さいが、柵から手を伸ばせば、イルカに手が届きそう。2匹のイルカは優雅にけれども少し退屈そうな感じに見えた。

土産物の店で売っていたソフトクリームを舐めていると、アシカのショーを見終わったらしい
数人の客が階段を昇って、建物が出て来た。これらの客を含めてもやはり賑やかとはいえない。
今回が大型連休や、夏休み、お盆休みといった観光シーズンでも休日、祝日でもない普通の
平日だったということが一つにあるのだろうが、 それでも客足が少ないような気がする。
団塊の世代が大量退職して、 時間に余裕のある人達が沢山いるようなイメージがあるが、
優雅なセカンドライフを送れる人たちは思った程は多くないのかもしれない。

帰りの京急は未乗区間の浦賀まで乗って行く。試しに下車して駅前を散策して見たが、
見事に何もない。何もないわけではないが、駅前を少し歩くと大きな道路沿いは住宅地で
塾やら予備校やらの建物が目立つ。そして今、このニッキを書くまで知らなかったが、
京急の堀ノ内〜浦賀は路線図とその直通の優等列車の本数からずっと支線だと思い込んでいたが、
こちらが本線で、快特がバンバンやってくる三崎口方面が久里浜線という支線なのだ。

路線図では本線と誤解してしまう支線だが、バブル期には三崎口から更に油壺までの延伸計画が
あったそうだが、今はその事業が廃止されているとのこと。 計画が頓挫していなければ
マリンパークまで赤い列車で一本で行けたのだろう。またさらに南下して三浦半島の端である
三崎港まで線路が伸びれば、沿線住民はバスに乗り換える不便から解消されただろう。

ホリデー・パスを有効活用すべく、横浜からJRで東海道線に乗り換える。
小田原で下車すると、もうすぐ小田急線の終電の時間。ダイヤが乱れているためか、
停車するはずのない、サンライズ出雲・瀬戸の姿がホームに停車中だった。

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秩父鉄道に乗りに行ってみた。
これでまた、乗りつぶしノートにまた一本線が引ける。

一本引く線を増やす度にますます、人を避けてしまっている。
ひとり旅は旅程を自由に決められるメリットはあるけれど、旅先で知らない人に出会い、
少しでも長く一緒に過ごすような人との関わりが無ければ、単に孤独感に襲われるだけだ。

これでは日頃仕事で我慢している気持ちを晴らせてはいない。
単にたまたま鉄道を使った旅行に金を使っている「買い物依存性」と同じだ。
初めて北海道まで鉄道を使って旅行しようと考えた当時は自分で稼いだお金で一人旅が
出来る嬉しさに浮かれて、「買い物依存性」の始まりとは考える由もなかった。

鉄道オタクは孤独、という世間が持っている偏見を鵜呑みにしてしまい
鉄道趣味は一人で黙々と楽しむものだと思い込んでいた。

普段の仕事での人付き合いから解放されるために、趣味は誰に干渉されずに
一人で楽しみたいと公私にメリハリを付けているなら、構わないと思う。

でも私の場合、今までを振り返るとそうではない。
小学校、中学校はこちらが黙っていても向こうから友達になってくれる子がいたから、
友達づくりで悩む、ということはなかった。

しかし、高校生になるとそれまで一緒だった子も散り散りになり、一部の人を除いたら
自分の机の周りは知らない人たちばかり。周りは徐々にグループが出来ていくが、
それまで自分から話しかけるという事はしなかったから、日に日に友達が出来ない事に
焦ってくる。母親に相談するも、自分から積極的に声をかければいいのよ、と返されだけ。
その答えは当然といえば当然だが、人に話しかけるのも今以上に勇気のいるイベントだった。

結果的に2人ほど友達が出来たのだが、もう少し遅かったら登校拒否をしていたかもしれない。

高校を出てから何かしらの職業について早いうちから社会性を身につけた方が良かったのかなと
結果論で今更気づいても遅いのだが、母親の勧めるままに大学生になる。
両親としては、自分が満足に大学に行けなかったから、子供には大学まで進学させて十分な
教育を受けさせてあげたいという親心、その好意は理解しているつもりだ。
おかげで何とか今はまともな職業に就き、安定的な収入を得てクレジットカードを持てる
身分になった。ほんの少しばかりだが、家にもお金を入れる事も出来ている。

21世紀にタイムマシンはないから、昔に戻って過去の自分をやり直すという某映画のような
真似は出来ない。出来ない以上は前を向いて進むしかない。

今の仕事に就く前は、誰でも出来る単純作業の仕事を転々としていた。
大学の合格が誰よりも早く決まった高校3年生の時から、大学を卒業するまで4年ばかりは
マクドナルドのバーガー類を作る調理担当に従事していた。マニュアルにさえ従っていれば
余程ノロマでなければ、問題なく続けられた。もちろん、一緒の人たちが誰しも優しい人たち
ばかりではなかった。人よりは動きの遅い私に対して怒る人もいた。見下す人もいた。
一時は辞めようと心に思ったけれど、それでもずっと続けてこれた。

何でだろう、と自宅の自分の部屋を改めて見渡すと、目の前に鎮座しているデスクトップ。
ヒューレット・パッカードのその角が丸い特徴的なデザインに惹かれて、大学生だったときに
購入したものだ。ディスプレイは今は中古でしか見かけない、テレビでいえばブラウン管の
ように背中が出っ張っている奴で、持ち上げるのも一苦労する。
プリンターを含めた一式で20万円。今ならその半額くらいで買えるスペックだろう。
今なら貯めるのにそれほど時間はかからないけれど、時給700円ちょっとのバイトの身では
貯めるのも私の中では一大プロジェクトだった。

もう一つ理由がある。親に言われる前に理由もなく働きたいという気持ちがあった。
もしかしたら親に言われたから、かもしれないけれど、働けるなら稼いだ金を学費に充てて
少しでも親に還元したいという気持ちがあったように思う。学費の3分の1位しか出す事は
できなかったけれども。

大学卒業が日に日に近づくにつれ、やはりこのままバイトを続ける訳には行かない。
そう頭では理解していても、中々行動に移せずにズルズルと卒業式を迎えてしまう。
卒業後の進路が決まっていないから、親は当然心配する。親にケツを叩かれてようやく
ノロノロと就職活動を始める始末。その頃には少ない友達の一人は地元で就職先が決まったと
返ってきた年賀状には書いてあったが、気持ちは焦るばかりでやる気が起きない。

卒業する直前まで同じところでバイトは続けていたが、大学の単位取得を優先するために、
当初よりはバイトに入る時間も減らしていたから、貯金もほとんどない。
そんな状況だから、活動中の交通費にもほとほと困ってしまった。困ったならいつもそばにいる
親に相談すれば良かったのだが、親に迷惑をかけたくないという気持ちがあったのかもしれない。
一人でどうにかしようと変に頑張ってしまう性格故かもしれない。

交通費を浮かすために海老名から横浜まで6時間かけてスーツ姿で歩くなんて
こんな馬鹿な事をした人はそれほど多くないだろう。
非効率でやる気のない就職活動では当然内定など貰えるところはなく、そこで挫折。
親から貰ったお年玉でまだ雪の残る青木ヶ原樹海まで行き、そこで自殺しようと考えたが、
いざ樹海を目の前にして恐れをなして引き返してしまった。死ぬのが怖かった。

だが無収入で過ごす訳にも行かず、重い気持ちのままハローワークで仕事を探す。
人と関わる事が苦手だったから、なるべく人と折衝する事がないような簡単な仕事を選び、
請求書のハガキなどを大量印刷する事を主にに請け負う企業でプリンターオペレーションとして
バイトとして働く事にしたが、マクドナルド時代と違って目標がなかったから、人に怒られた
だけでビクついて、短期間で自分から辞めてしまった。

バイト以上の収入源は欲しいと思い、派遣会社に登録して地元の自動車工場で不良品検査の
スタッフとして8ヶ月ばかり従事した。初めは説明を受けた通りの拘束時間だったが、工場の
生産状況によって拘束時間も最終的に12時間となり、工場内で一緒に働く正社員の人たちは皆
親切で食事に誘ってくれた事もあったのだが、手取りこそは今の仕事よりはよかったものの
毎日同じ作業の繰り返しであり、このままでは心身ともに駄目になってしまうと本能的に感じ
次の就職先が決まったと嘘をついて辞める事にした。

工場スタッフも派遣で手取りは良くてもいつクビになるかわからない。
親に嘘をつく訳には行かないから、働きだしてしばらくしてからその事を伝えていたが、
ずっと続けられないだろうと当然ながら心配されて、ケツを叩かれて再び就職活動を開始。
活動した結果として今就いている仕事を得たのだが、もし決まらなかったらどうしようかと
休憩中も悩んでいた。恐らく今でも昔風にプー太郎、今ならニートに成り下がっていただろう。

今の仕事も選んだ基準は、自分の好きな事をそのまま活かせそうな事に加え、今までも
考えていたようにそれほど人と関わらずに対両親には胸を張って働けそうだと思ったからだ。

今は大した事はないと思える事も初めての事だらけだった。
まずメールと電話対応は戸惑った。専用のICカードで入る狭い部屋には端末がいくつか並んで、
法人向けのメールなり、ショッピングサイトなどのサービスで異常を検知したら手順や指示に
従って誰かに連絡する事と付帯作業、という外から見たら難しくないと思える業務だが、
マクドナルド時代に経験したマニュアル対応は同じでも、負う責任は全く違う。

アルバイトは何か失敗しても次回から気をつけようで終わり。ミスに対する責任はないからだ。
でも契約社員だと話は違う。一定期間だけであっても社員として働く以上は所属する社内規律に
従わなくてはならない。私の属する会社はまだ新参の派遣会社なのだが、契約している委託先が
いくつもある。その人のスキルを会社の判断で、適切な委託先に派遣される。

私を含めて、同じ委託先の現場で働く人たちは会社とは契約社員として契約しているが、
委託先に派遣される際の契約として「派遣」、「請負」の2種類に別れる。
どちらも委託先の指示に従事する点は一緒だが、その指示を直接受ける「派遣」と
所属する会社を通して間接的に指示を受ける「請負」という違いがある。

何か対応ミスをした際、クレームを貰った場合「派遣」なら直接その責任を負う事になり、
「請負」のように会社が間に入っているのとは違って、場合によってはすぐにその現場から
撤退となる場合もあり、「請負」よりは負う責任は重いのである。
「請負」なら何も責任はないかといえばそんなことはなく、すぐに現場を追われることは
そうそうないにしても、原因、再発防止策を考えて報告することは求められる。

それ以外にも業務でわからない事、イレギュラーが発生すれば、相談や報告するという
基本的なビジネススキルは求められる。このスキルは何もビジネススキルという特別な
ものではなくて、どんな仕事でもプライベートでも自分一人で考えて、どうしたら良いか
迷ったなら誰かに周りに助けを求めれば済むだけの話だ。

実は最近家出事件を起こしてしまった。
今回が初めてではない、今の仕事に就いてから母親に言われるまで気づかなかったが、
2年周期で今回で4回目。過去3回ともそれで失職せずに済んだのは、「派遣」ではなく
「請負」として会社に守られている事、自惚れかもしれないけれど一応の戦力として
今後も成長する事を期待されていたのだろうと考えている。

3回目まで大目に見てくれるとかそういう事ではなく、過去3回は都度気を付けます、で
済ませていたが、今回はそうも行かないだろう。