2011年6月28日火曜日

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【青春18きっぷの旅 3日目】 スイッチバック・ループ・最南端

八代
5:49発

↓ 1221D 肥薩線

7:10着
人吉
7:18発

↓ 1251D 肥薩線

8:17着
吉松
8:30発

↓ 4225D 肥薩線

9:22着
隼人
9:25発

↓ 6937M 日豊本線 ~ 鹿児島本線

10:09着
鹿児島中央
10:42発

↓ 1335D 指宿枕崎線

12:06着
山川  

 ※徒歩

西大山
13:37発

↓ 5337D 指宿枕崎線

14:31着
枕崎
15:46発

↓ 5336D 指宿枕崎線

18:21着
鹿児島中央
18:41発

↓ 6960M 鹿児島本線~日豊本線

21:21着
宮崎  ※宿泊

昨夜は特急列車を使ったといえ、それでも八代に到着したのは21時過ぎ。
駅前の飲食店で夕食にしてもよかったが、宿に着いたら少しでも早く寝るためと折角乗った
特急列車なので移動しながら夕食とした。残念ながら寝台列車の様な食堂車はないので、
駅弁が昨夜の夕ご飯となった。その作戦が功を奏したのだろう、朝4時には目覚めた。

本日行程の目玉である肥薩線に何としても乗り通すためには、それも鈍行列車だけで行くには
朝6時前の列車に乗らないと行けない。尤もゆっくりと肥薩線のみなら9時台の列車でも
可能だが、青春18きっぷの5日間という枠で九州を一周する行程となると無理なくなるべく
前に進まないといけない。今回の目的地は宮崎。指宿枕崎線も乗り通すことにしたため、
始発である朝6時前の列車に乗ることになったのである。

未明の八代。改札を抜け、跨線橋を渡った2番線ホームには一両編成が出発の時を待っていた。
先客は若い男が一名のみ。天気予報では曇りだという。後の行程で歩くには申し分ない
コンディションである。車窓は黒いカーテンの如く暗いまま、定刻に気動車は動き出した。

スピードを上げる度に線路のジョイントをリズミカルに拾って行く音が軽快に響く。
段。坂本。そして葉木。いずれも乗り込む客は現れず。駅名票をよく見ると
葉木の「木」は縦棒の下が跳ねている。「葉水」と間違えそうだ。

瀬戸石で八代方面の気動車と交換する。2人ほど客の姿を確認できた。
こちら側のホームには沿線の観光案内の看板があり、「SL人吉」の紹介もある。
一度は乗って見たい列車である。だが何となく機会はなさそうなな気がする。

白石で制服姿の女の子2人が乗り込んでくる。関東圏の感覚では随分と早い通学時間だ。
どうでも良い事だが、北海道、東北にも同じ駅名が存在する。
球泉洞。この辺りから通学圏らしく、先ほどと同じ制服姿の子が1人増えた。
大抵は友達同士が多く、すぐに隣り合ったりして座る光景を目にするのだが、
皆別々の席に座っているところからそれぞれ属するグループが異なっているのだろう。
一勝地。学生さんにとっては何かと縁起が良さそうな駅名だ。
実際、受験必勝祈願にと入場券が販売されている様だ。
ここで5分ばかり停車する。停車中にホームに現れるのは制服姿の子ばかりである。
それぞれのボックスシートに制服姿が1人ずつ座っている。一勝地を出る頃には窓の外は
僅かながら白んできている。渡で九州横断特急とすれ違う。
野球学生らしき2人が乗りこんでくるが、制服姿から別の学校のようである。

次第に外の風景もはっきりしてくる。西人吉で制服組に混じっておばちゃんが一人乗ってくる。
次の人吉で車内のほとんどの客はいなくなるのだろう。地形の関係で御殿場線が東海道本線
だったように、鹿児島本線だった栄光の面影は見られない。
それを象徴するように乗り換えた吉松行きは私を含めて3人しかいない。

大畑に向かって準備運動のように、ゆっくりとしたスピードで列車は進む。

大畑に到着。駅舎もホームもじっくりと撮影したいところだが、停車時間は僅か。
時刻表を見る限り、一旦降りて次の列車まで待つしかない様だ。
列車はここで方向転換する。今きた線路を途中まで戻って引き込み線まで進む。
再度折り返し、同じ方向で進む。線路は分岐しゆっくりとループ線を走って行く。

予備知識がなければ、今ループ線を走っている事は分かりにくい。
しばらくして先ほど停車した駅が眼下に見えたが、一瞬で自信が無い。
これなら上越線の湯檜曽の方が私のような初心者でも優しい(?)。

確かに見たという手応えをうまく感じられないまま、そんな事はお構いなしに気動車は
次の駅をゆっくりと目指して行く。矢岳。乗る客は誰もおらず。
矢岳を出ると勾配が落ち着いたと見え、本来のスピードに戻って行く。
長い長いトンネルを抜けると雪国ではなく、日本三大車窓が広がってくる。
篠ノ井線で長い長いトンネルを抜けたら、善光寺平という感じだろうか。

8時丁度。「いさぶろう」なら停車時間を設けていると思われる地点に日本三大車窓の案内看板が
ゆっくりと通り過ぎて行った。始発から乗っていた青年は次の真幸で降りていった。
折り返し人吉行きを待ちながら、周囲の撮影でも楽しむのかもしれない。
観光客のいない静かなホームには幸せになるという鈴があるけれど、誰も鳴らす者はいない。
青年の代わりにおじいさんが一人乗ってきた。

吉松。定刻着。こちらも吉都線も同じキハ140系なので乗り間違えそうだ。
そしてここで2回目の乗り換え。肥薩線には八代からの直通列車がない。
人吉~吉松の勾配がダイヤを組む上で壁になっているのかもしれない。
栗野。大学生と思しき数人の女性たち。大隅横川では4人のうち2人が高校生と思われる乗客。
霧島温泉ではホームの鹿児島寄りに小さな花壇が目を楽しませてくれる。
左手の窓に目を向けると、雲でぼんやりとねぼけた朝日が差している。

太陽は右に行ったり、左に行ったりを繰り返す。表木山で吉都線直通の1両と交換。
木造駅舎としては古参として有名な嘉例川も僅かな停車に窓から一瞥をくれるだけだった。
次回くる事があれば、大畑と嘉例川は下車してゆっくりと駅舎を観察したいものだ。

日当山でようやく山を抜けて、盆地の様な開けた場所に出た。
日本の土地が山と山に囲まれている事が地図ではなく、ちゃんと実感できる。

隼人では鹿児島中央行きに向かいのホームですぐに乗り換える。
個人的にはあまり好きなデザインではない銀色の815系は2両編成。乗客のほとんどは
短区間利用であり、遠出をする客は縦横無尽に走る特急列車か、新幹線に流れているのだろう。

2両編成でちょうど良い乗車率も鹿児島中央に少しずつ近づくに連れて混んでくる。
私の前にも見知らぬ誰かの股間をじっと見つめるよりはドアから外に広がる海を眺めて
桜島の火山が見られる事を期待した方が、早朝ゆえの睡魔を紛らわすのに都合が良い。
車内は幾分の華やい成分が充満している。若い女性は沿線の大学生たちかもしれない。
重富の直前から桜島の火山が見えるはずだが、天候が悪いためかはっきりとは見えない。

列車はここで5分休憩。特急列車の通過待ち合わせ。時刻表を眺めてみると特急「きりしま」は
鹿児島方面に朝2本、夜に1本停車。反対に鹿児島方面からは夜2本のみ。
鹿児島方面への通勤利用者がそれなりにいるのだろう。ここでもさらに華やいだ成分が増える。
野郎ばかりよりはもちろん良い。これだけ若い女性が乗ってくるのは大学生か専門学生くらい
しか、人生経験少ない私には思い浮かばない。

時刻表の営業キロを見る限りはそれほど長いようには思えなかったが、
815系は20分乗るだけでも結講時間が経っているように感じる。だから好きではない。
鹿児島までの20分は20kmで2駅だから、これは根室駅から納沙布岬の距離と同じくらいだから
長いといえば長い。小田急線なら本厚木から相模大野くらいか。もっとわからないですね(笑)
地元の小田急線にこの車両が使われていたら、狂気の沙汰としか思えなくなる。

北海道だと東京のようにランドマーク的な密度が低いので、距離感がいまいち掴みづらいが
鹿児島の場合はそれなりにランドマーク的なものがあるのに、距離感が掴みづらい。
鹿児島に限らないが、スーパーや商店施設がひしめくような都市部は特に列車に乗っている
時間ばかりに意識が向きがちで、どれくらいの距離まで来たのだろうとはあまり気にしない。
風景もそうなのだが、乗っている車両やそのデザインにも影響しているように思える。
その意味でJR九州が車両のデザインに気鋭のデザイナーを起用したのは理解できるが、
斬新なデザインの815系は残念ながら長距離利用には向いていない。

なので、根室駅から納沙布岬と日豊本線の重富~鹿児島が同じ距離だったという事実は
今開いている時刻表で初めて知り、イメージとして持っている距離感とギャップがあった。
北海道の場合は距離が長くても気にならないのは、おそらくは風景や特に車両のデザインが
旅行する際には気分を高揚させるのに大きく影響していると思える。

滝川から釧路まで根室本線を8時間2分かけて308.4kmという私のような関東圏の感覚では
途方もない時間と距離に思えるが、何度か乗ったが居眠りすることはあっても早く降りたい
と思ったことはない。むしろ時間が経つのが早く感じてもっと乗っていたいくらいだ。
一観光客の趣味の観点では日本中がどこでも北海道的なら楽しいだろうなと勝手に妄想したいが
同じレールでも走る車両や風景によって印象が異なるのは鉄道旅行を続けて行きたいと思える
魅力の一部分なんだろうと思う。

車両影響論からすると、肥薩線までは疲れは感じなかったが、日豊本線になってから
疲れを感じやすくなるのは当然というべきか(笑)
期待していた桜島があまりよく見えないとなれば、睡魔に任せて居眠りするしかない。
それでも初めて乗るのだから明るいうちに風景は目に焼き付けようという半ば義務感で
睡魔を脇に押しやる作戦を敢行。つくづく宮脇俊三氏を尊敬せざるを得ない。

鹿児島中央。想像したとおりの鹿児島中心部という街並み。
一度降りて観光していみたいところだが、今回は指宿枕崎線に乗る予定である。
前回の北海道行きのように10日余りの日程なら、鹿児島中央で一泊するのもありだろうが
今日はそのまま宮崎までコマを進めないといけない。

鹿児島中央の1番線から指宿枕崎線は発着するが、停車しているキハ40系の4両編成は回送。
しばらくしてホームから離れて行ったが、これから乗る列車はこれとは形式が違った。
それでもボックス席があるだろうと駅弁の袋をぶら下げて待っていたのだが、やって来た
「NANOHANA」とペイントされた黄色い車両は個人的にちっともDXではなかった。

「なのはなDX」だと思っていたが、どうやらそうではなく快速「なのはな」に使われる
車両運用でたまたま普通列車として使われているだけのようだ。「なのはなDX」は特別快速で
同じ黄色い塗装車両だが、全車両がクロスシートになっている。
対してこれから乗る快速「なのはな」にも使われるこの車両はすべてロングシート。
東北本線や奥羽本線、東海道本線の静岡エリアは承知していたが、まさか九州でもあるとは。。
疲れる815系でさえクロスシートがあるから、JR九州では油断していた。
北海道なら、森駅にしかないと思っていた「いかめし」が日高本線の静内にもあるのを
知ったくらいのショックであった。時刻表で確認して記載があったのを後で知ったのも・・

駅弁も旅の楽しみにしている私にとってはこうしたところもちゃんと調べるべきだと
何度かの旅行で知っているはずだが、開いた時刻表で頭の中でレールとレールをうまく繋げる
作業が完了してしまうとそれで満足してしまうのがいけないらしい。
列車番号の末尾が「D」なのは気動車を示しているが、多くの気動車がボックスシートなので
その思い込みが未だに強くて、車内構造まで調べる気が起きない。
この辺りがまだ「乗り鉄」と胸を張って言えないところでもあろう。

ならば列車を一本見送るかとそんな余裕もないので、列車にひとまず乗り込む。
列車本数から見ても明らかにローカル線なのだが、しばらくは住宅街が続く。
山川までと山川から枕崎までは明らかに列車本数が異なるので、沿線の利用者が多いのだろうが
ローカル線らしくないローカル線という中途半端な印象ではある。

ローカル線、という表現も数分か数十分待っていれば列車がやって来る利用者からの視点で
週末治療をターミナルケアと直接的な表現を避けるのと同じで、遠まわしに見下しているようで
何だか沿線利用者には失礼な気はする。尤も向こうも気にしていないかもしれないけれど。

列車本数が過密な路線は当然人が多く乗って来る。人が多くなれば旅行気分も半減する。
すると利用者が少ないローカル線に楽しみを求めることになるが、我が旅のスタイルは
できる限り鈍行で乗り継ぐことにしているので、場合によっては長時間乗ることになる。
駅弁を食べる機会も多い。車内構造ももちろんだが、流れる風景も結構重要だ。

慈眼寺。だいぶ客が減って来た。晴れていれば桜島と手前の鹿児島の街並みが目を楽しませて
くれる算段だろうが、残念ながら見渡すことはできない。
隼人からこの辺りまでは大学があるためか、若い男女を多いようだ。まだ気分は盛り上がらない。
坂之上では、線路沿いに歩いて行く若い男女たち。五位野で列車交換のために少々停車。

こちら側も雨が降っていた形跡があるが、これからある区間を歩く予定なのだが、
途中で雨でも降り出さないかと少々不安になる。何とか持ちこたえて欲しいところだ。
五位野を出てしばらくは海が見えてくるが、また見えなくなる。
平川を出ると海が近くなった。ようやく旅の気分が盛り上がって来る。

ロングシートで半分精神的なダメージを食らっているが、せめて海が見えるまでは駅弁を
開かないように我慢する。いや、なかなか駅弁を開く勇気が出なかっただけ。
海を見ながら食べるのですよと心の中で周囲に謎のアピールをしながら、膝上に広げる。
広げてしまえば、恥ずかしさみたいなものはなくなり、開き直った気持ちになる。
景色が楽しめて、客が多くなければあまり気にしなくなった。

雨は幸い降ってはいないようだ。これなら天気は大丈夫かもしれない。
山川では改札を抜けるときに駅員さんが次の列車の発車時刻を教えてくれた。
見るからに観光客だから当然なのだが、何も見るところはないですけどね、と笑いながら
話すのを実はこれから西大山まで歩いて行くのです、と言おうとしたが止めておいた。

すぐ面している国道29号線をひたすら歩くだけなので道に迷うことはないと思うが、
私の歩くスピードと距離と、西大山に到着する次の列車までの時刻から計算上ではそれほど
のんびりとしている余裕はない。変に長話になって足止めになったら計画が潰れてしまう。

首都圏と違って、それほど利用者は多くないだろうから観光客である私は駅員からしたら
目立つ存在だ。それも少々言葉を交わした客なら覚えていないわけはないだろう。
発車時刻が近くなってもやって来ない私にちょっと首を傾げるかもしれない。

そんな事を想像しながら、残念ながら小雨は降る道を歩く事になってしまったが
びしょ濡れになるわけではなく、傘を差さなくてもよいのは何とか幸いである。

地図上では7kmくらいなので、1時間20分くらいかかると計算していたが、
正面に開聞岳が見えて来る頃には1時間ばかりしか経っていなかった。
一面畑が広がり、民家らしきものは見かけない。雄大な開聞岳以外に目立つものはない。
倉庫なような建物はWebでは漬物工場らしいが、建物はそれくらいである。
一見するとこんなところから利用者はいるのだろうかと思ってしまう。

左右の畑に線路が一本伸びている。そばの踏切から望むと北海道のように向こうまで
まっすぐの線路が伸びて消えているとまではいかないが、ごちゃごちゃとビルがあったり
するよりは気持ちがいい。
開聞岳は山頂付近が雲で隠れてしまっているので、しばらくは全容を拝むのは難しそうだ。
雨はまだ降っている。駅前は駐車スペースになっている。観光客がバスで日本最南端の
JR駅ということで観光バスで訪れることもあるのだろう。観光客向けなのか、まず見かける
ことはない、珍しい黄色いポストがある。

そのポストのそばでは待合室新設の工事をしているらしい。
JRとしては車や観光バスで駅に訪れても利益にはならないので、列車利用を促す意味で
新設することになったのかもしれない。以前は専用のボックスが設置されていたが、
撤去されたらしく、ベンチには駅ノートが透明のプラスチックケースに入れて置かれていた。

駅ノートに書き込みを終えて、しばらく待っていると2両編成の気動車がやって来た。
鹿児島中央からの直通列車であり、駅弁もこの列車で食べたかった。
駐車場に入ってきた2、3台の車は観光客なのかと思ったが、降りて行く高校生と思われる
数人がそれぞれの車に向かって行く。どうやら迎えの車だったようだ。
無人駅で利用者はいないのだろうと思っていたが、学生中心に利用者が健在のようだ。
ただ学生がいなくなれば、この辺りも廃線になる可能性は否定できない。

西大山を離れて、開聞岳は左に移動していく。東開聞でさらに左へ。
開聞でも学生さんが何人か降りていき、開聞岳は見えなくなってしまった。
頴娃では地元利用者が何人か降りていく。

列車はよく揺れる。トイレに入ろうと扉を開けたら小さな女の子が尻出してしゃがんでいた。
女の子と目が合わないうちにゆっくりと閉めたが、どうやらすぐ隣の車両におばあさんが
いたようだ。せめて一緒に入って鍵を閉めて欲しいところだ。
西頴娃でその女の子とおばあさんは何事も無かった様に他の客とともに降りて行った。

石垣。雨の中を紺のスカート、ブレザーの女の子が降りて歩いて行く。
列車本数が少ない区間故に各駅で利用客の乗降がある。

時折、木の枝葉が車体を擦り、雹か霰でも当たった様な音がする。
白沢。字の如く、駅名票に書かれた駅名は白く霞んでしまっている。

終点の枕崎には定刻着。前回の留萌本線同様に行って戻るだけになるのかと思ったが
駅近くの雑貨屋で駅スタンプを押せるようだ。普通の住宅をそのまま店にした内装で
一人の先客が店員と話し込んでおり、そのトランクケースが入り口の外に見える。
はがきに駅スタンプを綺麗に押してもらい、スタンプを綺麗に押すコツを教えてもらう。
その後、かつてテレビで見かけた志茂田景樹ライクなファッションの人の良さそうな
おじさんから立派な駅舎があった頃の話を伺うことが出来た。

雑貨屋の店内は雑然と商品が並んでいるが、よく見ると額縁に入った当時の枕崎駅前の
大きなモノクロ写真がある。また油絵のようなタッチで枕崎駅前には駅舎と車両と
国鉄バスがはがきに描かれているものもあった。バスにあるツバメのロゴは国鉄バスに
使われていたものであると教えてくれる。

今は観光バスばかりの観光客が多くなってしまったが、当時は沿線に学校が幾つもあり
車両には今では想像できないくらいに学生さんで混んでいたという。
最盛期にはあまりに生徒の数が多くて、運動会は校庭ではなく公園を使って実施していた
時期もあったという。私が小学校や中学校の頃はすでに校庭であり、振り返ればすでに
少子化の時代が始まっていたのかもしれない。

学生さんの若い姿はすっかりと減ってしまったことを感慨深そうに話してくれる様子から
長年、沿線の風景を見守って来た愛着が感じられた。

ここまで色々と教えてもらい、ただ駅スタンプを押してもらっただけでは申し訳ない。
駅舎がまだあった頃に積んであった枕木から削って作成したという木簡型のストラップを
一本購入した。白い絵の具なのか「枕崎驛」と書かれている。

最後に駅前の隠れたスポットとして、枕崎から先の出水まで走っていた南薩線(後の
鹿児島鉄道)の当時の写真や駅員の帽子、合図旗などが展示されている病院を教えてくれた。
尤も病院の外の柱に展示物が額縁のようにガラスケースに収められ、柱を囲っている
ベンチは当時の枕崎駅で使われたベンチを病院の院長が加工したものだ。

鹿児島鉄道はかの宮脇俊三氏の著書にも登場しているが、現在の時刻表を開いても
バス路線を示す細い青い線だけになってしまっている。
先ほど見せてもらった絵はがきには、鹿児島鉄道が廃止された頃の枕崎駅前で、
病院に展示されている写真は、鹿児島鉄道の前身が生きていた頃のものである。

特に下調べをしたわけではないが、インターネットでも誰かのブログに書かれる程度で
小さな2つの駅前鉄道博物館はひっそりと今日も見に来る客を待っているのだろう。
盲腸線の旅にしては思わず、有意義な時間を過ごすことが出来た。
旅行にはこうした出会いもあるので、やはりなかなか止められないのかもしれない。

枕崎から折り返す列車は各ボックスシートに1人ずつ座っている。
2両目の我が車両には高校生と思われる女の子2人が車両前寄りに座っておしゃべりに
盛り上がっている。私のすぐ後ろのボックスシートにも声から判断して中年女性と
思しき2人組がこちらもおしゃべりに花を咲かせている。

列車は各駅に停車していくが、御領を出ても客が乗ってこない。
帰りに少しだけ期待していた開聞岳は相変わらず、頂きに雲に隠れたまま。
西頴娃で先ほどの女の子たちは列車を降りていった。

開聞で地元のおじさん2人ばかりを乗せると、後ろの中年女性組の1人がデジカメを
手にソワソワし始めている。予想した通り、開聞岳にレンズを向けていたが、
西大山で降りていった。JR最南端の駅と開聞岳を撮影したら、さっさと車で移動という
塩梅なのだろう。

山川を出ると再び右手に海。行きの列車も今乗っているキハ140系なら良かったが、
帰りは通して乗れるので、これはこれで良しとしよう。
ただし、黄色い「なのはな」車両に比べるとかなり揺れるのが難点か。

二月田で黒い衣を纏まった団体、もとい学生さん達で賑やかになる。
学生さんに混じって小さな女の子ではなく、ほとんどが高齢者というパターンだ。
乗る度に年齢層が極端だなと思う。一番利用して欲しい年齢層が地元利用者からそっくりと
抜けてしまい、その年齢層は数少ない観光客に代わってしまっている。
そのためか、首都圏ならオフィスビルとビルの間を颯爽と闊歩しているような若い女性が
乗り合わせているだけで妙に新鮮な印象を受けるのかもしれない。

薩摩今和泉で黄色い列車と交換する。お互いしばらく停車していたので、
黄色い列車の顔をよく観察すると、小さく黒いツバメのロゴがあるのを発見した。
国鉄バスはもう走っていないのに、現在使われているJRのロゴではなく、ここにもひっそりと
まだ国鉄だった頃の名残を今も伝えているのだ。

そういえば、特急リレー「つばめ」の名前の由来も例のおじいさんから教えてもらった。
無くなった「つばめ」と今もいる「つばめ」。何だか妙にロマンチック。

喜入で高校生たちが降りていく。動く窓の外はだいぶ暗くなって来た。
鹿児島中央につく頃にはすっかり夜になっていることだろう。
瀬々串。列車交換待ちで3分ほど停車。
平川で野球部の青年諸君を乗せると、五位野で黄色い列車と交換。

3日目の夜がもうすぐ終わろうとしている。
12時間は列車内で移動している計算だ。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
人工的な明かりが集中するようになる。鹿児島中央までもうすぐだろう。

南鹿児島で車内の乗車率はピークを迎える。ずっと曇り空で期待していた桜島の火山も
開聞岳同様にはっきりと全容を拝むことは出来なかった。
山川方面の列車は満員列車の如くだ。当時は山川から先も学生さんで混んでいたのだ。
鹿児島中央に着く直前で、右隣の道を走る路面電車が少し気になるが、今日は宮崎へ
向かわないといけない。次回訪問する機会があれば、鹿児島中央で一泊してゆっくりと
路面電車に乗ってみたいものである。

鹿児島中央からの各駅停車は通路に立ち客が出る程に混んでいる。
予想したとおり、隼人でまとまった人数が降りていく。
この後は宮崎まで混んだままなのかと思ったが、次の国分で空席の目立つ車内に。
鹿児島中央からこの辺りまでが通学・通勤圏のようだ。

もう少し車両編成を長くしたら、これほど混雑もしないと思われるが、
快適に帰りたいなら特急料金を払えという明確なJR九州の意思表示なのだろうか。
客の下車が終わった後も何故かしばらくドアを開けたまま発車しない。
時間調整らしいが、ずっと開いたままの出入口からは冷たい風が入り込んでくる。

国分~霧島神宮は距離が長い。感覚としたら5駅くらいはあっても良さそうだが
この沿線はさぞかし不便ではなかろうか。それともそれほど人は住んでいないのか。
隅のごとく真っ暗な外をじっと見つめてもわからなかった。

私がこの沿線の通勤だったら、頻繁に特急列車の誘惑に負けるに違いない。
特急ロマンスカーに比べたら気軽に払える特急料金ではないので、金持ちでない限り
今乗っている銀色列車で疲れを我慢して乗っていくしかない。
そう理解していても、気づいたら特急券を手にしている自分が想像できる(笑)

ワンマン運転故に無人駅では1両目の前寄りのドアのみが開く。頻繁に開く度に寒いので
それを意識してなのか、1両目は誰も乗っていない。
大隅大川原で反対方向の特急列車を通過待ち。
せめて指宿枕崎線のようにキハ140系なら旅気分も高まって、一時の疲れも忘れるところだ。

車内の乗客の顔ぶれはほとんど変わっていない。
銀色の2両編成は出来るだけスピードを飛ばしているらしいが、窓の外はテレビを消したように
真っ暗で変化がほとんどない。ガラスに反射する車内をぼーっと見て過ごす。

財部。「さいべ」ではなくて「たからべ」。まず読めない。
この駅では5人ばかりが夜のホームへ降りていった。さらにガラガラの車内になる。
西都城の何人か乗り込んで来る。都城でも同様に乗り込んで来て次第に賑やかになる。
ほんのひととき、意識を失って目が覚めたが、客の顔ぶれは変わっていない。

南宮崎を出れば、宮崎はもうすぐだろう。

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