2011年6月28日火曜日

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【青春18きっぷの旅 6日目】 豊橋鉄道と富士宮焼そば

豊橋駅前~赤岩口~井原~運動公園前~豊橋駅前
※市内線(東田本線)

新豊橋
14:30発

↓ 豊橋鉄道  渥美線

15:05着
三河田原
15:17発

↓ 豊橋鉄道  渥美線

15:52着
新豊橋

豊橋
16:10発

↓ 5336F 東海道本線
    新快速

16:43着
浜松
16:50発

↓ 832M 東海道本線

18:38着
富士
19:03発

↓ 5581M 身延線

19:23着
西富士宮
20:38発

↓ 3588G 身延線

21:00着
富士
21:12発

↓ 850M  東海道本線

21:31着
沼津
21:47発

↓ 2592M 御殿場線

22:52着
松田

昨日できっぷは使い切ったので、正確には青春18きっぷの旅ではない。
先述の「休日乗り放題きっぷ」を使って帰る日だが、折角宿泊したのだから豊橋鉄道を
乗りつぶしながらのんびりと帰るのも良いだろう。

天候には恵まれて、清々しい最終日を迎えることが出来そうだ。
まずは東田本線と呼ばれる路面電車で、以前降りた前畑から先の終点、赤岩口まで乗る。
線路はすぐ先で途切れている。唯一目を楽しませてくれる豊橋鉄道の車庫に目を向けると
これからなのか、おでんを食べることが出来る貸切列車が停まっているのが少し奥に見える。
列車のドアには暖簾が下がっており、是非走行している光景をカメラに収めたいと動き出すのを
しばらく待っていたのだが、動く気配は無さそうだ。

その「おでんしゃ」 には見切りをつけ、再び路面電車に乗って今度は井原で途中下車。
うなぎ屋を見つけたからだが、入るのは少し躊躇した。値段が高いだろうと思ったからだ。
引き戸を開けると誰も客はいなかった。予想通り、一番安くても2000円以上する。
だが、名産地のうなぎ屋で食べる機会はそうそうあるものでもない。

普段はスーパーなどで売っているような真空パックのものしか知らなかったが、
当然の事だが、うなぎ屋で焼かれた鰻は美味い。たれの何とも言えない甘さが素晴らしい。
仙台なら牛タン、帯広な豚丼、そして豊橋ならきちんと店で鰻を今後も食べたい。
ビールを飲みながら、ゆっくりと一口ずつ、たれと一緒に味合う。これも贅沢な時間だ。

ほろ酔い気分で店を出ると、路面電車のもう一つの終点である運動公園前まで乗って行く。
休日故に駅前の公園は球技場やちょっとした広場がある広い公園であり、近くのベンチに
腰掛けてすぐ近くでパトンミントンに楽しむ親子連れを何となしに眺める。

ふと思い立って、時刻表を広げる。このまま東海道本線で帰っても芸がないので、
序でにもうひと路線乗って行こうと思う。同じ豊橋鉄道で渥美線と呼ばれる路線だ。
こちらは路面電車ではなく、専用の線路を走る一般に見かける路線だ。

新豊橋の改札を抜けると地続きでホームだが、銀色の列車が発車するところだった。
ダイヤは15分間隔、1時間に4本。東急っぽい車両だなと思ったら、その通りだった。
後で調べてみたところ、元々は名古屋鉄道で廃止線の余剰車両で運用されていたものを
現在は東急電鉄では7200系だったステンレス車両に置き換えて、1800系として運用されている。

地図では渥美半島の半分辺りまでを走っている路線だが、半島の尾根部分を走るために
海は見えない。15分に一本のダイヤ故に沿線利用者は多いと見え、住宅の光景が続く。
1800系として運用しているが、どうにも東急に乗っている気分である。
豊橋鉄道らしさを感じるのは市内線である路面電車の様に思えてくる。

小田急では長く感じる30分も遠出の旅で乗る列車はあっという間に過ぎていく。
終点の三河田原は駅前に何もない。志布志線の如く、まだ線路が続いても良さそうな感じだが
(実際さらに黒川原までの2駅先まで線路があったが廃止されている)駅前の観光案内版に
あった渥美半島先端の灯台までどれくらい時間がかかるのかとタクシーの運転手に尋ねたが
往復で3時間はかかるという。今日に帰れるか際どいので素直に折り返しの列車に乗る。

夕暮れの豊橋を後にする。東海道本線の車中で時刻表を広げる。
どうやら身延線に寄り道して、富士宮焼そばを食べることが出来そうだ。

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【青春18きっぷの旅 5日目】 関門トンネルを歩く、さよなら旅メモ

小倉
6:31発

↓ 520M 鹿児島本線

6:45着
門司港

※徒歩  トンネル人道~路線バス

下関
10:03発

↓ 2450M 山陽本線

11:55着
徳山
12:30発

↓ 3338M 山陽本線

13:39着
岩国
13:54発

↓ 360M 山陽本線

16:06着
糸崎
16:10発

↓ 1766M 山陽本線

16:36着
福山
16:47発

↓ 3728M 山陽本線
    快速  サンライナー

17:35着
岡山
18:00発

↓ 1330M 山陽本線

19:26着
姫路
19:27発

↓ 3526M 山陽本線~東海道本線
     新快速

21:53着
米原
21:54発

↓ 5368F 東海道本線
    新快速

23:48着
豊橋  ※宿泊

北海道と本州を結んでいる青函トンネルには残念ながら人が渡れるトンネルがない。
それでもかつて、渡ろうとした人が歩いている途中で逮捕される事があったようだ。
ちなみに常に湿気の多い中を全長54km近く歩くとすれば、休みなしで半日かかる計算である。
それを特急列車はたったの30分足らずで走破してしまうのだ。かなりのスピードで列車が
通過するトンネル内でまともに歩けない事くらいは想像も出来よう。

しかし、九州と本州を結ぶ関門トンネルには鉄道用とは別の人が通行するためのトンネルが
車とも別にトンネルが設けられている。だが鉄道とは沿ってはおらず、少し本州寄りに
迂回する形になる。

7時台の列車には乗って、門司港を目指す。
小倉から2駅先の終着駅は写真で見た以上に重厚なホームと駅舎を構えていた。
誰もがこのホームを、そして駅舎を見に行きたい気持ちがようやく理解できた。
駅舎はしばらく眺めていても飽きそうにはない。でも先を少し急がないといけない。
これから朝日を浴びるだろう、その駅舎にサヨナラしてさらに伸びる単線の線路に沿う。

廃線をトロッコ列車を走らせる観光路線にした事は何となく知っていたが、
運行日まで調べなかった。残念ながら今は運休期間になっているらしい。
後で調べると、元々貨物線だった田野浦公共臨港鉄道を北九州市が買い取り、平成筑紫鉄道が
保有する車両によって運用されている。いわば、JR貨物からの第三セクター鉄道である。

目指す関門トンネル人道はこの観光トロッコの線路を進んだ先にある。
歩いている途中で路面電車が展示されているのが目に入った。ちょっと寄り道。
これも後で調べるとわかったが、昨日見た世界的に珍しいソーラーパネルと同じ時期に
元々展示されていた場所から綺麗に塗装直しをされて移された車体のようだ。
西日本鉄道こと、西鉄で活躍していた路面電車の当時を良く再現しているらしい。

拝観料として100円玉一枚を車体のバンパー(?)の上に置いて先を進むことにしよう。
線路の途中には鉄道事業法に従って踏切があるが、もちろん列車はやって来ない。
すぐ海が見える遊歩道の正面には関門海峡をまたぐ白い橋のすぐ向こうに本州側の陸地が
見えている。これから本州側に渡るのだという実感が湧いて来る。

地図で調べてはいたが、歩くとちょっとある。トロッコ列車が動いていれば、
迷わずきっぷを買っていただろう。いくら運休期間とはいえ、踏切から入ってトンネルに
侵入わけにはいくまい。トンネル上の山を越えて反対の海側へ降りることになる。

だが、歩いてみないと出会えない景色があるのも確かではある。
これもまた調べてはいなかったが、山を超える途中には展望台として整備されている。
朝を迎えた門司港を見下ろし、白い橋と本州を一度に俯瞰することが出来た。
しばらく眺めてから、今度は山を降りて行く。降りていくと再び線路が見えてくる。
線路はそのまま海近くまで伸びているのだが、トロッコ列車は途中の関門めかりという
簡素なテントのような駅舎が終点になる。こちらにも関門トンネルで活躍した名車、
銀色が厳つい、EF81電気機関車が圧倒的な存在感を出している。

旅客列車では最近まで同じ顔の赤色が青い客車の先頭を牽引して毎日頑張っていたが、
その姿も今は見ることも出来なくなった。この銀色ももう走ることはないのだろう。

さて目的のトンネルはもう少し歩かないといけない。今度は線路ではなく、すぐそばを通る
道路沿いに方向的には戻る形で歩いて行く。反対方向から歩いてくる分には問題ないが
今回歩いている方向からは看板が目立つようにはなっていないので、うっかりと通り過ぎて
しまいそうになる。車は先ほどの見えた白い橋を渡るか、別のトンネルに進む。
白い橋は高速道路、トンネルは国道らしい。何だか人が渡るトンネルだけ冷遇されている
ような気がしないでもない。

その白い橋をちょうどタンカーが通り過ぎるところだった。
トンネル人道と呼ばれているが、地下道へ降りて行くエレベーターには自転車も通行可能。
歩行者は無料だが、自転車は20円のお布施が必要らしい。

乗り込んだエレベーターも銀色むき出し故に先ほどの銀色電気機関車を思い出す。
程なくしてドアが開くと、数人が入れ替わりに乗って行った。
奥へ続く通路の前には何人か歩く姿がある。雰囲気や格好からして朝の散歩や運動として
日々使っているような人たちばかりで、私のような観光客は少ないようだ。

九州側の記念スタンプと20分程歩いた先にあるはずの本州側のスタンプを合わせて押すと
ひとつの円形になる。持参のメモ帳にまずは九州側を押してから通路を進む。

途中で福岡県と山口県の県境を示す白い線が見えてきた。
青函トンネルにも北海道と青森県との同県境があるはずだが、トンネル内の作業員しか
その存在を確認することはできない。トンネルを駆ける列車内で何となく意識するしかない。
あるいはかつて実施されたトンネルウォーキングで作業用通路を6時間かけて竜飛海底から
吉岡海底あで歩いた参加者ぐらいだろう。

白い線を越えて、本州側へ入った
本州側でも例のスタンプを押し、ひとつの円形が完成した。
九州側と同じつくりのエレベーターで上がり、外に出るとちょうど朝日が差して来た。
先ほどの本州側を俯瞰した山のてっぺんに太陽があり、まるでダイヤモンド富士の様だ。

さてこのままさらに下関駅まで私の体力では歩ける距離ではあるが、時間がない。
近くのバス停から路線バスを待つ。本数はあるようで少し待つとやって来た。

下関駅は最近放火の被害に遭い、山陽本線の終着駅には似つかわしくない質素な駅舎に
なってしまっている。待ってすぐの列車に乗るつもりだったが、朝早く出たために
朝ご飯を食べていなかった。時刻表で改めて確認すると9時過ぎの列車でも十分
今日中に豊橋にはたどり着けることが分かった。

改札の斜向かいには見るからに歴史が長そうなショッピングモールになっている。
昔ながらのエキナカの奥へ進むとカウンター式のカレー屋を発見。迷わず席に座る。
その安定したベテランな店の雰囲気から出されるカレーの味を心配する事は全く無い。
値段、味。関東圏でもこれ程高品質なカレー屋はそうそう駅にはないだろう。

カレー屋も門司港の駅舎もレトロだが、改札そばに掲げられている行先案内板もかなり
レトロだ。いや、国鉄時代からずっと使われているものだろう。
京急川崎や新幹線の小田原駅などでまだ使われているようなパタパタ式ではなく、
今ではもう見かける事はそうそうないだろうと思われる方向幕方式である。
唯一駅舎だけが残念だが、随所のシブい演出が前から気に入っている駅のひとつだ。
国鉄の残り香を体験できる貴重な駅とも言える。

離れたホームに見慣れない気動車が停まっている。
どこかで撮影出来ればいいなと思っていた「みすゞ潮騒」であった。
下関を発つ前に撮影できるとは何ともラッキーだった。

新山口行きが停車するホームにはトイレの案内板があるが、「東京側25m」となっているのが
かつては特急や急行が、そして寝台特急が東京まで結んでいた事を少し思い出させる。

まずは新山口まで目指す。またも山側の席に座ってしまった。
この路線は何度か乗っているのにこの点を学習できないでいる。ちゃんと海側の席を
満喫できたのはこの辺りを夜のうちに走り過ぎる寝台特急に乗った時くらいだろうか。

途中、厚狭でしばらく停車していた事しか覚えていない。
きっと早朝から軽い運動をしたが故に意識が落ちていたのかもしれない。
海が望める間は良いのだが、それ以外は少々退屈になってくる。そして眠くなる。
青春18きっぷ愛好家にとっては地獄の静岡区間と同じように、一気に乗り通すのではなく
どこかでふらっと途中下車するのが一番楽しめるコツかもしれない。
あるいは別の路線を経由する事を思いついて時刻表を調べてみるのだが、後少しのところで
岩徳線だったり、呉線だったりに乗り換える事が出来ない。

今日中に豊橋まで目指さないといけない。旅費を節約するにはそのままムーンライトながらで
沼津を目指す事がまず考えつく。ムーンライトながらを使えば、日付が変わって最初の停車駅、
すなわち豊橋まで青春18きっぷは有効だ。
明日からの豊橋以降の乗車券を別途購入する必要があるが、できる限り安く済ませたい。

ムーンライトながらを使って沼津まで進むとしても、乗車券が必要なのは変わらない。
時刻表を開いて運賃計算をしてみる。地元に帰るには最後は御殿場線で松田まで乗る事になる。
営業キロは始発の沼津から50km。豊橋から沼津までは167.4km。端数切り上げで168km。
御殿場線は地方交通線、東海道本線は幹線。これらの線を連続した乗車券を購入するので
168km+50km=218km。3570円となる。ムーンライトながらの指定席券が510円。
未明の沼津に降りても、御殿場線の始発までは3時間程空いてしまう。
駅前のネットカフェで1000円ばかり出費するとすれば、合計5100円ほどになる。

ムーンライトながらでさらに横浜まで進むとすれば、豊橋から4620円になる。
ながらの指定席券が510円。さらに地元の小田急に乗るため、相鉄線で終点の海老名まで
300円で合計5430円となる。

しかしどちらも疲れる行程だ。
ほぼ同じ費用でゆっくりと帰る事が出来るなら、私ならこちらを選択する。
一番節約出来るのは、ネットカフェととある割引きっぷを組み合わせることだ。
そのきっぷとは休日限定で一日フリーエリアが乗り放題となる「休日乗り放題きっぷ」だ。
結構広いエリアをカバーしており、地元近くの松田からたったの2600円で豊橋へ行ける。
ネットカフェのナイトパック料金なら、5000円くらいに収まるだろう。

新山口から今度は徳山を目指す。この辺りからあまり覚えていない。
よく晴れた日だったこと、それ以外は徳山止まりの列車の座席に置き忘れてしまったメモが
全て覚えている。次の列車が来るまで駅舎を撮影している時に思い出せれば良かったが、
次の列車に乗り換えてから、さてメモ書きの続きするかとリュックの中を探った時に
ようやく気づいた次第だった。

時刻表を開いてどこかで反対方向の列車ですぐに戻れるか調べたが、具合が悪い。
このまま先に進んで岩国で尋ねるしか機会はない様だ。

果たして岩国では改札の駅員に落とし物の捜索をして頂いたのだが、システムには登録
されていないらしい。JR側で落とし物が預かられるとどの駅で保管されているかが、
システムに登録されるようになっている。前に北海道旅行から帰る途中に忘れ物をした際、
このシステムにはお世話になった。その後もキーワードを色々と変えて検索して頂いたが、
やはりヒットしなかった。

徳山で降りる際、徳山止まりで車庫に入ると車内でアナウンスを聞いていたので
見つかるだろうと思ったが、残念ながら誰かに持ち去られた可能性もありそうだ。
もし見つかったら郵送してもらうように頼んで、次の列車に乗り込んだ。

時折、海が広がってまた少し遠ざかってそして気づいたら意識がなくて・・・。
福山では快速「サンライナー」で岡山まで。東海道本線の静岡区間とは違って
クロスシートの旅が楽しめるのが、唯一の救いだろうか。
この117系で豊橋まで走って欲しいものだが、岡山で乗り換えなくてはならない。

岡山からは大阪出張時には何度も見かけた近郊型車両。ようやく京阪神エリアだ。
豊橋まではクロスシートの旅を続けられる。

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【青春18きっぷの旅 4日目】 日南線、そして高難度の普通列車

宮崎
6:51発

↓ 1927D 日豊本線~日南線

8:12着
油津
8:48発

↓ 1931D 日南線

10:06着
志布志
11:45発

↓ 1940D 日南線

14:12着
南宮崎
14:20発

↓ 739M 日南線~宮崎空港線

14:27着
宮崎空港
14:33発

↓ 738M 宮崎空港線~日南線~日豊本線

16:29着
延岡
16:47発

↓ 2762D 日豊本線

17:58着
佐伯
17:59発

↓ 4654M 日豊本線

19:24着
大分
19:43発

↓ 3056M 日豊本線
    特急  ソニック56号

21:10着
小倉  ※宿泊

今回の行程では、乗車する難易度の高い乗車区間が存在する。
日豊本線の佐伯~延岡は普通列車が上り下りともに一日たったの3本しかない。
上越線の水上~越後中里の5本よりも少ない。ただ上越線は冬季にスキー客輸送のために
臨時列車が追加で運転されるので、冬であればそれほど難易度は高くない。

裏を返せば、この難易度の高い区間が無ければ、日南線という長い盲腸線を乗り潰そう
とは計画しなかったに違いない。ダイヤはこれを意図して組まれたわけではないはずだが、
宮崎を早朝に出る列車に乗れば、日南線を往復してさらにもうひとつの短い盲腸線である
宮崎空港線を往復し、延岡からは一日3本の中では最終の普通列車に乗り継ぐ事が出来る。

昨夜の卑猥な街の賑わいは嘘のように静まり返った早朝のスナックやクラブが並ぶ通りを
20分ばかり駅に向かって歩く。やがて商店街の屋根を抜ければ駅は近い。
普段の通勤ならただ寒いだけの朝のはじまりだが、旅行の時は何だかワクワクする。

2両編成の気動車は始発からすでにボックスシートが埋まっているが、学生の姿はない。
よく見れば混じっているかもしれないが、通勤客が多くを占めているようだ。
宮崎を出て高架を走って南宮崎を出ると、住宅の裏庭を走るような風景になる。
日南線に入ると、左手から朝日がもうすぐ顔を出しそうである。

田吉で「NICHINAN LINE」と大きくペイントされた黄色い列車とすれ違い。
すれ違いの列車には学生さんが何人か乗り込んでいるのが見えたので、この沿線から
宮崎へ向かう学生さんが大半を占めているのかもしれない。

それまでの住宅の密度はぐっと低くなり、畑やビニールハウスが主役になるが
駅周辺だけはマンションや家が並ぶ。

運動公園。左手はヤシの木が夜明けの逆光で黒い影ように何本か立っている。
乗客に増減はない。子供の国。某電鉄だけでなく、こちらにもありました。
青島で朝日が顔をだし、早速今日一日の始まりを告げて来た。今日は晴れるようだ。

内海で列車交換を済ますと、日の出と南国の海が左手から眩しくなる。
日南線は早朝に乗るに限るか。海が広がると何となく車内の空気も緩む気がしてくる。
伊比井でも列車交換。保守作業員と思われる中年男性2人がおりていった。
お互いの列車は同じ乗車率と見えた。長いトンネル区間で早朝故に睡魔が襲って来る。

北郷でようやく学生さんが数人乗り込んで来た。
飫肥。おび、とはそうそう読めない駅名。降りたのも学生さんだけだった。
学生さんを除いて大半の客は日南だったようで、日南で急激に客が減っていった。
丁度通勤時間帯だが、油津のホームに停車したら車内は私のような観光客を数人だけになる。

降りていく客の中に作業着姿の女の子がいたが、どうやら日南農業高校の子らしい。
構内踏切を渡ったところにあったプランターに写真が添えられていた。
次の列車まで20分あるが、じっとしていると寒いので駅舎の待合室に退避する。

志布志行きの列車が動き出すと、しばらくは左手の海が目を楽しませてくれる。
南郷からは少し内陸に入るために海が見えなくなり、ここであえて眠っておく。
眠かったのはもちろんだが、帰りの列車でも十分景色を楽しめると思ったからだ。
一筆書きのような乗りつぶしを計画する場合、盲腸線なら必ず往復する事になるので
今回のように早朝からの行程ならこの居眠り作戦が有効だ。乗り鉄なら居眠りするな、と
怒られそうだが、どうしても寝てしまった時の救済策でもあるのだ。

次に目が覚めた時は終点、志布志だった。
かつては志布志から先を都城を結ぶ志布志線と隼人のひとつ都城寄りである国分まで
結んでいた大隈線が今はなく、改札からそのまま真っ直ぐ伸びた道路がかつて伸びていた
線路だったかもしれない。地図で見ると道になり進んで途中の川を渡る橋があり、
さらに進むと途切れてしまっているような箇所もある。

肥薩線からそのまま大隈線経由で志布志線へという楽しみ方は出来なくなってしまい
趣味から見たら寂しい限りだが、駅前も寂しい。折り返しの列車はそれほど時間を
おかずに発車する事が多いが、たまに時間が空く時もある。
駅舎には小さいながらも観光案内所が設けられていて、若い女性が常駐している。
目を覚ますために近くに温泉はないかと尋ねると、自転車で10分ぐらいのところに
安楽温泉があるという。無料でレンタサイクルをやっていたのでこれを有効活用しよう。

タクシー運転手は暇そうだ。レンタルサイクルが無ければ使うところだが、
この時期だけでなく、利用する客はいるのだろうか。
駅前の道を右へ曲がり、すぐの交差点から国道229号線をひたすら走るだけなのだが、
地図で確認したつもりなのだが、何時の間にか目的の銭湯を通り過ぎてしまったようだ。

タオル、石鹸、シャンプー込みで700円ほど。
地元の人たちが和気あいあいとおしゃべりをしている。コミュニケーションスペースという
役目を担っていたという銭湯に旅行以外では行く機会が全くない。家にも風呂があるだろうが
やはり親しい誰かとそばにいる銭湯の方が日常にメリハリが出るに違いない。

湯上がりのコーヒー牛乳、瓶で飲むスタイルはまだ健在だ。
数は減っているかもしれないが、昔からの銭湯であれば売っていることが多い。
駅弁代わりに途中のコンビニで弁当を購入し、駅に戻ると発車5分前だった。

乗り込んだのは私で最後かと思ったが、もう一人女の子が乗って来た。
渋谷などで多く見かけそうなお嬢様タイプだが、お嬢様、これはかぼちゃの馬車では
ありません。私のような不細工な野郎も乗っております。と何故か心の中で呟いた。

福島高松。何だか面白い駅名だが、誰も乗ってはこない。
福島今町と串間では学生さんが少々乗って来た。油津あたりで一気に乗って来るのだろうか。
地図では海沿いを走っている日南線だが、海の見える区間はそれほど多くない。

南郷ではおばあちゃん3人が降りる代わりに学生さんが3人乗り込んで来る。
日南線は指宿枕崎線同様に生活路線の色が濃く、秘境駅はない。
一番の景勝区間は油津~大堂津の海沿いだろう。
油津で客が総入れ替えとなり、地元の空気がより濃く充満してくる。

飫肥でも幾人からの地元民。北郷で再びまとまった乗降があり、おじいさんやおばあさん方の
おしゃべりで賑やかだった車内は急に静かになった。
ここで普通列車との交換で3分停車。そこまでは覚えていたが、いつまにか落ちていた・・・。

田吉では宮崎空港行きに乗り換えるつもりで降りてしまった様子の中年男性が2人。
尋ねられた車掌が何処かに連絡するところを見ると、これから乗る列車に乗ってくるだろう。

終点の南宮崎から宮崎空港行きに乗る。宮崎空港には用はない。せっかくだから降りて
新千歳空港の時のように散策したいところだが、そんな時間はない。
やはり田吉で先ほどの男性達が乗って来た。

今乗って来た太陽が派手なデザインの赤い気動車で、延岡を目指す事にになる。
同じ日豊本線でもこちらはクロスシート車両。しばらくは無粋な銀色車両のロングシートから
開放されるので、旅気分が盛り上がって来る。

車内アナウンスで宮崎空港~宮崎は特急列車でも普通運賃だけで乗車でき旨が流れ、
青春18きっぷでも乗れる事を忘れていた。宮崎まで特急列車で先行しても、宮崎で
銀色の列車に乗り換えることになり、それなら延岡まで乗り換えなしでクロスシートの方が
一番最適な選択だろう。

予想した通り、宮崎でかなりの客が乗り込み、昨夜の銀色列車と同様の混雑となる。
派手な赤い気動車は沿線を歩く保母さんや子供達、散歩中の人の目を引いている。
高校生や中学生が多い所は学校帰りのピークなのだろう。

宮崎神宮。神社をイメージしてか、駅の柱が派手に赤い。特急列車に「にちりん」の全身赤い
塗装と合わせたかのようで、この列車専用のホームに見えなくもない。
佐土原。九州の北海道的な罠を誘う読みの駅名であろう。原を「ばる」とは読まない。
北海道なら知内の「内」を「ない」とは読まないのと同じように。
ホームにヤシの木。思い切って柱をすべてヤシの木にするとどうだろう。
もっと南国の感じとインパクトが出るかもしれない。

列車の待ち合わせには何となく長いと思ったら、すれ違う特急列車が遅れているとのこと。
派手なビビットカラーの特急列車が入線して来てホームに停車。ドアが開くのを見送ると
こちらが先に発車する。次の日向新富まで遅れを取り戻すように飛ばしている。

高鍋。6分休憩。ドアが開くと先ほどの停車時間で吸おうと思ったのだろうか、金髪のスーツな
お兄さんがホームの喫煙スペースに駆けていき、旨そうにタバコを咥えている。
寝台特急なら喫煙ブースで一晩中吸っているのかもしれない。

高鍋を出ると右手に海が視界に広がってくる。昨日これだけ晴れていれば、桜島も開聞岳も
よく見えたことだろう。仕方ないが、何とも悔やまれる。

さてここから記憶だけを頼りに書くことになる。明日岩国駅でメモ帳と突然のお別れを
告げることになったからだ。つまり、徳山止まりの列車を降りる際に座席に起き忘れたのだ。

都農を出てしばらくすると奇妙な光景が見えてくる。
廃線となったのか、コンクリートの高架橋上に一定の角度に傾いた板がいくつも規則的に
並んでいる。おそらくソーラーパネルだろう。JRは太陽光発電を始めているのか。
後で調べたら廃線となったのはリニア実験線で、今後の実験で必要な環境が伴わないとして
他の実験線に座を譲り、廃線となった高架橋を国際航業グループという聞き慣れないところが
宮崎との協定で一般電気事業者以外のメガソーラーパネルを目指す第一歩として、
都農第一発電所として2010年4月から稼働開始したものらしい。つまり、まだ稼働してから
半年ばかり経ったところだったようだ。

東都農まで元リニア実験線の高架橋は続いていたが、ソーラーパネルは途中で途切れていた。
また関連サイトではパネルではなく、専門用語なのか「アレイ」と呼ぶらしい。

赤い列車に揺られると、土々呂。某アニメのキャラクターは残念ながら見かけなかった(笑)

延岡には定刻着。ここから今日最後のハイライト。一日3本の最終気動車に乗り換えとなる。
ホームの洗面台はかつて蒸気機関車の頃に活躍していたが、今は観光客の目を楽しませる
プランターになり、3つ並んだ洗面台には小さな花が咲き、赤い列車が映える。
九州は列車もホームにも遊び心があるのに感心する。

延岡では改札を出て、駅舎を撮影するぐらいの時間しかない。
やって来た列車は赤い列車だが、先ほどの乗って来た列車から見えた車庫にあった列車だ。
延岡~佐伯と短区間の往復3本のためだけに製造されたものではないだろうが、
先ほどの赤い列車には比べると内装にも気合いが入っているこの気動車にはずっと乗っていたい。
せめて大分まで走って欲しい気分である。

気合いの赤い気動車は1両、ちょこんと長すぎるホームに入線して来た。
かなり混むのかと思ったが、私を入れてもほとんど客がいないままホームを離れて行く。
この列車の終点、佐伯に着く頃には車窓からの写真を取ることもままならないだろう。

短区間といっても乗り鉄という趣味からの視点であって、普段利用する者にとっては
60kmに及ぶ距離はうんざりするに違いない。私が毎日小田急乗るのと同じように。

客がほとんどいないので、撮影にはほとんど気を遣わなくてありがたい限りだ。
市棚で赤い特急列車とすれ違い。
後方展望をしばらく楽しんでいたら、宗太郎のホーム端にカメラマンが立っている。
延岡寄りからこちらに三脚を立ててデジカメのレンズを向けていた。10代の男の子だろうか。
発車してから手を降ると、向こうも振り返してくれた。

佐伯。定刻着。赤い気動車はもちろん大分までは走ることはなかった。
先ほどの赤い気動車の運転士に尋ねた通り、向かいには例の銀色列車が待っていた。
デザインは良いのだが、長くは乗りたくない車両である。

発車してからしばらく手近の空いている席に座る。
リュックを膝に載せると痺れて来るので足元に置いていたのがいけないのか、ヒーターの
熱が当たって火傷するのでは思うくらいに熱くなってくる。試しにリュックを膝に載せて
しばらく座っていたが、どうにも改善しない。

途中の駅から向かいの席に某掲示板の呼ぶところの若いDQN男性達が座って来た。
が、真ん中の彼は彼らの弄られキャラらしく、視線に困るのは必至なのは分かったので
席を立って近くの窓際に移動することにした。席に座っても本当に火傷するかもしれないので
終点大分まで座るのは諦めることにした。

経験上、予想した通りにDQN達は周りの反応を求めるように騒ぐわけだが、
誰も相手にはしない。それが一番の対処だと皆が暗黙の了解としているからだ。
そしてすぐの駅には降りない。暇つぶしの一部として列車には乗っていることが多いからだ。
バイクや車の燃料が無ければ、列車に乗るだけのことだ。おそらく大分まで一緒だろう。

旅を通して多くの人を通りすがりに見てはきたが、こうした人種にはまだ慣れない。
若い人たちほど今でもちょっと緊張してしまう。
この銀色列車に乗り換える前にはすっかりと夜になっており、窓から覗いても闇を睨むだけ。
先ほどの赤い気動車だったら、どれだけ乗っても苦には感じない距離に違いない。

そして大分。予定通りに普通列車で行くなら今回の宿泊地、小倉には到着が23時前。
明日の行程を考えると、寝る時間がもう少し欲しい。特急列車に乗ることに変更した。

19:43発の特急「ソニック56号」は白いソニックと呼ばれる車両である。
写真や某シミュレーションゲームでは見たことがあるのだが、実車に初めて乗ることになった。
内装も特急列車にはしては奇抜な内装で少々驚く。写真などで知っているつもりではあったが
実車を見ると違う。乗って見ないと分からないことはやはりあるものだ。
ついつい、iPhoneのカメラを向けてしまうのだ。

乗車前に夕ご飯とするために買った駅弁の蓋を開ける。
特急列車で食べる駅弁はやはり旨い。内装がゆったしているのも手伝って、何だかグリーン車に
乗っているような優雅な気分でもある。かなり前に普通列車で乗り通した時も同じく夜だったが
ボックスシートのある白地に青帯の列車だったが、結構長い時間を乗っていると感じた。

特急列車だと1時間半だから実際かなり早い。だから寝ているとうっかり博多まで行きそうだ。
当然だが、普通列車に比べたらあまり揺れない。

小倉に着いたら、後は明日に備えて寝ることにしよう。
ホテルから見えたスペースワールドの観覧車のネオンは22:45には消えたのを見送って。

つくもノヲ”X="1≠ 585













【青春18きっぷの旅 3日目】 スイッチバック・ループ・最南端

八代
5:49発

↓ 1221D 肥薩線

7:10着
人吉
7:18発

↓ 1251D 肥薩線

8:17着
吉松
8:30発

↓ 4225D 肥薩線

9:22着
隼人
9:25発

↓ 6937M 日豊本線 ~ 鹿児島本線

10:09着
鹿児島中央
10:42発

↓ 1335D 指宿枕崎線

12:06着
山川  

 ※徒歩

西大山
13:37発

↓ 5337D 指宿枕崎線

14:31着
枕崎
15:46発

↓ 5336D 指宿枕崎線

18:21着
鹿児島中央
18:41発

↓ 6960M 鹿児島本線~日豊本線

21:21着
宮崎  ※宿泊

昨夜は特急列車を使ったといえ、それでも八代に到着したのは21時過ぎ。
駅前の飲食店で夕食にしてもよかったが、宿に着いたら少しでも早く寝るためと折角乗った
特急列車なので移動しながら夕食とした。残念ながら寝台列車の様な食堂車はないので、
駅弁が昨夜の夕ご飯となった。その作戦が功を奏したのだろう、朝4時には目覚めた。

本日行程の目玉である肥薩線に何としても乗り通すためには、それも鈍行列車だけで行くには
朝6時前の列車に乗らないと行けない。尤もゆっくりと肥薩線のみなら9時台の列車でも
可能だが、青春18きっぷの5日間という枠で九州を一周する行程となると無理なくなるべく
前に進まないといけない。今回の目的地は宮崎。指宿枕崎線も乗り通すことにしたため、
始発である朝6時前の列車に乗ることになったのである。

未明の八代。改札を抜け、跨線橋を渡った2番線ホームには一両編成が出発の時を待っていた。
先客は若い男が一名のみ。天気予報では曇りだという。後の行程で歩くには申し分ない
コンディションである。車窓は黒いカーテンの如く暗いまま、定刻に気動車は動き出した。

スピードを上げる度に線路のジョイントをリズミカルに拾って行く音が軽快に響く。
段。坂本。そして葉木。いずれも乗り込む客は現れず。駅名票をよく見ると
葉木の「木」は縦棒の下が跳ねている。「葉水」と間違えそうだ。

瀬戸石で八代方面の気動車と交換する。2人ほど客の姿を確認できた。
こちら側のホームには沿線の観光案内の看板があり、「SL人吉」の紹介もある。
一度は乗って見たい列車である。だが何となく機会はなさそうなな気がする。

白石で制服姿の女の子2人が乗り込んでくる。関東圏の感覚では随分と早い通学時間だ。
どうでも良い事だが、北海道、東北にも同じ駅名が存在する。
球泉洞。この辺りから通学圏らしく、先ほどと同じ制服姿の子が1人増えた。
大抵は友達同士が多く、すぐに隣り合ったりして座る光景を目にするのだが、
皆別々の席に座っているところからそれぞれ属するグループが異なっているのだろう。
一勝地。学生さんにとっては何かと縁起が良さそうな駅名だ。
実際、受験必勝祈願にと入場券が販売されている様だ。
ここで5分ばかり停車する。停車中にホームに現れるのは制服姿の子ばかりである。
それぞれのボックスシートに制服姿が1人ずつ座っている。一勝地を出る頃には窓の外は
僅かながら白んできている。渡で九州横断特急とすれ違う。
野球学生らしき2人が乗りこんでくるが、制服姿から別の学校のようである。

次第に外の風景もはっきりしてくる。西人吉で制服組に混じっておばちゃんが一人乗ってくる。
次の人吉で車内のほとんどの客はいなくなるのだろう。地形の関係で御殿場線が東海道本線
だったように、鹿児島本線だった栄光の面影は見られない。
それを象徴するように乗り換えた吉松行きは私を含めて3人しかいない。

大畑に向かって準備運動のように、ゆっくりとしたスピードで列車は進む。

大畑に到着。駅舎もホームもじっくりと撮影したいところだが、停車時間は僅か。
時刻表を見る限り、一旦降りて次の列車まで待つしかない様だ。
列車はここで方向転換する。今きた線路を途中まで戻って引き込み線まで進む。
再度折り返し、同じ方向で進む。線路は分岐しゆっくりとループ線を走って行く。

予備知識がなければ、今ループ線を走っている事は分かりにくい。
しばらくして先ほど停車した駅が眼下に見えたが、一瞬で自信が無い。
これなら上越線の湯檜曽の方が私のような初心者でも優しい(?)。

確かに見たという手応えをうまく感じられないまま、そんな事はお構いなしに気動車は
次の駅をゆっくりと目指して行く。矢岳。乗る客は誰もおらず。
矢岳を出ると勾配が落ち着いたと見え、本来のスピードに戻って行く。
長い長いトンネルを抜けると雪国ではなく、日本三大車窓が広がってくる。
篠ノ井線で長い長いトンネルを抜けたら、善光寺平という感じだろうか。

8時丁度。「いさぶろう」なら停車時間を設けていると思われる地点に日本三大車窓の案内看板が
ゆっくりと通り過ぎて行った。始発から乗っていた青年は次の真幸で降りていった。
折り返し人吉行きを待ちながら、周囲の撮影でも楽しむのかもしれない。
観光客のいない静かなホームには幸せになるという鈴があるけれど、誰も鳴らす者はいない。
青年の代わりにおじいさんが一人乗ってきた。

吉松。定刻着。こちらも吉都線も同じキハ140系なので乗り間違えそうだ。
そしてここで2回目の乗り換え。肥薩線には八代からの直通列車がない。
人吉~吉松の勾配がダイヤを組む上で壁になっているのかもしれない。
栗野。大学生と思しき数人の女性たち。大隅横川では4人のうち2人が高校生と思われる乗客。
霧島温泉ではホームの鹿児島寄りに小さな花壇が目を楽しませてくれる。
左手の窓に目を向けると、雲でぼんやりとねぼけた朝日が差している。

太陽は右に行ったり、左に行ったりを繰り返す。表木山で吉都線直通の1両と交換。
木造駅舎としては古参として有名な嘉例川も僅かな停車に窓から一瞥をくれるだけだった。
次回くる事があれば、大畑と嘉例川は下車してゆっくりと駅舎を観察したいものだ。

日当山でようやく山を抜けて、盆地の様な開けた場所に出た。
日本の土地が山と山に囲まれている事が地図ではなく、ちゃんと実感できる。

隼人では鹿児島中央行きに向かいのホームですぐに乗り換える。
個人的にはあまり好きなデザインではない銀色の815系は2両編成。乗客のほとんどは
短区間利用であり、遠出をする客は縦横無尽に走る特急列車か、新幹線に流れているのだろう。

2両編成でちょうど良い乗車率も鹿児島中央に少しずつ近づくに連れて混んでくる。
私の前にも見知らぬ誰かの股間をじっと見つめるよりはドアから外に広がる海を眺めて
桜島の火山が見られる事を期待した方が、早朝ゆえの睡魔を紛らわすのに都合が良い。
車内は幾分の華やい成分が充満している。若い女性は沿線の大学生たちかもしれない。
重富の直前から桜島の火山が見えるはずだが、天候が悪いためかはっきりとは見えない。

列車はここで5分休憩。特急列車の通過待ち合わせ。時刻表を眺めてみると特急「きりしま」は
鹿児島方面に朝2本、夜に1本停車。反対に鹿児島方面からは夜2本のみ。
鹿児島方面への通勤利用者がそれなりにいるのだろう。ここでもさらに華やいだ成分が増える。
野郎ばかりよりはもちろん良い。これだけ若い女性が乗ってくるのは大学生か専門学生くらい
しか、人生経験少ない私には思い浮かばない。

時刻表の営業キロを見る限りはそれほど長いようには思えなかったが、
815系は20分乗るだけでも結講時間が経っているように感じる。だから好きではない。
鹿児島までの20分は20kmで2駅だから、これは根室駅から納沙布岬の距離と同じくらいだから
長いといえば長い。小田急線なら本厚木から相模大野くらいか。もっとわからないですね(笑)
地元の小田急線にこの車両が使われていたら、狂気の沙汰としか思えなくなる。

北海道だと東京のようにランドマーク的な密度が低いので、距離感がいまいち掴みづらいが
鹿児島の場合はそれなりにランドマーク的なものがあるのに、距離感が掴みづらい。
鹿児島に限らないが、スーパーや商店施設がひしめくような都市部は特に列車に乗っている
時間ばかりに意識が向きがちで、どれくらいの距離まで来たのだろうとはあまり気にしない。
風景もそうなのだが、乗っている車両やそのデザインにも影響しているように思える。
その意味でJR九州が車両のデザインに気鋭のデザイナーを起用したのは理解できるが、
斬新なデザインの815系は残念ながら長距離利用には向いていない。

なので、根室駅から納沙布岬と日豊本線の重富~鹿児島が同じ距離だったという事実は
今開いている時刻表で初めて知り、イメージとして持っている距離感とギャップがあった。
北海道の場合は距離が長くても気にならないのは、おそらくは風景や特に車両のデザインが
旅行する際には気分を高揚させるのに大きく影響していると思える。

滝川から釧路まで根室本線を8時間2分かけて308.4kmという私のような関東圏の感覚では
途方もない時間と距離に思えるが、何度か乗ったが居眠りすることはあっても早く降りたい
と思ったことはない。むしろ時間が経つのが早く感じてもっと乗っていたいくらいだ。
一観光客の趣味の観点では日本中がどこでも北海道的なら楽しいだろうなと勝手に妄想したいが
同じレールでも走る車両や風景によって印象が異なるのは鉄道旅行を続けて行きたいと思える
魅力の一部分なんだろうと思う。

車両影響論からすると、肥薩線までは疲れは感じなかったが、日豊本線になってから
疲れを感じやすくなるのは当然というべきか(笑)
期待していた桜島があまりよく見えないとなれば、睡魔に任せて居眠りするしかない。
それでも初めて乗るのだから明るいうちに風景は目に焼き付けようという半ば義務感で
睡魔を脇に押しやる作戦を敢行。つくづく宮脇俊三氏を尊敬せざるを得ない。

鹿児島中央。想像したとおりの鹿児島中心部という街並み。
一度降りて観光していみたいところだが、今回は指宿枕崎線に乗る予定である。
前回の北海道行きのように10日余りの日程なら、鹿児島中央で一泊するのもありだろうが
今日はそのまま宮崎までコマを進めないといけない。

鹿児島中央の1番線から指宿枕崎線は発着するが、停車しているキハ40系の4両編成は回送。
しばらくしてホームから離れて行ったが、これから乗る列車はこれとは形式が違った。
それでもボックス席があるだろうと駅弁の袋をぶら下げて待っていたのだが、やって来た
「NANOHANA」とペイントされた黄色い車両は個人的にちっともDXではなかった。

「なのはなDX」だと思っていたが、どうやらそうではなく快速「なのはな」に使われる
車両運用でたまたま普通列車として使われているだけのようだ。「なのはなDX」は特別快速で
同じ黄色い塗装車両だが、全車両がクロスシートになっている。
対してこれから乗る快速「なのはな」にも使われるこの車両はすべてロングシート。
東北本線や奥羽本線、東海道本線の静岡エリアは承知していたが、まさか九州でもあるとは。。
疲れる815系でさえクロスシートがあるから、JR九州では油断していた。
北海道なら、森駅にしかないと思っていた「いかめし」が日高本線の静内にもあるのを
知ったくらいのショックであった。時刻表で確認して記載があったのを後で知ったのも・・

駅弁も旅の楽しみにしている私にとってはこうしたところもちゃんと調べるべきだと
何度かの旅行で知っているはずだが、開いた時刻表で頭の中でレールとレールをうまく繋げる
作業が完了してしまうとそれで満足してしまうのがいけないらしい。
列車番号の末尾が「D」なのは気動車を示しているが、多くの気動車がボックスシートなので
その思い込みが未だに強くて、車内構造まで調べる気が起きない。
この辺りがまだ「乗り鉄」と胸を張って言えないところでもあろう。

ならば列車を一本見送るかとそんな余裕もないので、列車にひとまず乗り込む。
列車本数から見ても明らかにローカル線なのだが、しばらくは住宅街が続く。
山川までと山川から枕崎までは明らかに列車本数が異なるので、沿線の利用者が多いのだろうが
ローカル線らしくないローカル線という中途半端な印象ではある。

ローカル線、という表現も数分か数十分待っていれば列車がやって来る利用者からの視点で
週末治療をターミナルケアと直接的な表現を避けるのと同じで、遠まわしに見下しているようで
何だか沿線利用者には失礼な気はする。尤も向こうも気にしていないかもしれないけれど。

列車本数が過密な路線は当然人が多く乗って来る。人が多くなれば旅行気分も半減する。
すると利用者が少ないローカル線に楽しみを求めることになるが、我が旅のスタイルは
できる限り鈍行で乗り継ぐことにしているので、場合によっては長時間乗ることになる。
駅弁を食べる機会も多い。車内構造ももちろんだが、流れる風景も結構重要だ。

慈眼寺。だいぶ客が減って来た。晴れていれば桜島と手前の鹿児島の街並みが目を楽しませて
くれる算段だろうが、残念ながら見渡すことはできない。
隼人からこの辺りまでは大学があるためか、若い男女を多いようだ。まだ気分は盛り上がらない。
坂之上では、線路沿いに歩いて行く若い男女たち。五位野で列車交換のために少々停車。

こちら側も雨が降っていた形跡があるが、これからある区間を歩く予定なのだが、
途中で雨でも降り出さないかと少々不安になる。何とか持ちこたえて欲しいところだ。
五位野を出てしばらくは海が見えてくるが、また見えなくなる。
平川を出ると海が近くなった。ようやく旅の気分が盛り上がって来る。

ロングシートで半分精神的なダメージを食らっているが、せめて海が見えるまでは駅弁を
開かないように我慢する。いや、なかなか駅弁を開く勇気が出なかっただけ。
海を見ながら食べるのですよと心の中で周囲に謎のアピールをしながら、膝上に広げる。
広げてしまえば、恥ずかしさみたいなものはなくなり、開き直った気持ちになる。
景色が楽しめて、客が多くなければあまり気にしなくなった。

雨は幸い降ってはいないようだ。これなら天気は大丈夫かもしれない。
山川では改札を抜けるときに駅員さんが次の列車の発車時刻を教えてくれた。
見るからに観光客だから当然なのだが、何も見るところはないですけどね、と笑いながら
話すのを実はこれから西大山まで歩いて行くのです、と言おうとしたが止めておいた。

すぐ面している国道29号線をひたすら歩くだけなので道に迷うことはないと思うが、
私の歩くスピードと距離と、西大山に到着する次の列車までの時刻から計算上ではそれほど
のんびりとしている余裕はない。変に長話になって足止めになったら計画が潰れてしまう。

首都圏と違って、それほど利用者は多くないだろうから観光客である私は駅員からしたら
目立つ存在だ。それも少々言葉を交わした客なら覚えていないわけはないだろう。
発車時刻が近くなってもやって来ない私にちょっと首を傾げるかもしれない。

そんな事を想像しながら、残念ながら小雨は降る道を歩く事になってしまったが
びしょ濡れになるわけではなく、傘を差さなくてもよいのは何とか幸いである。

地図上では7kmくらいなので、1時間20分くらいかかると計算していたが、
正面に開聞岳が見えて来る頃には1時間ばかりしか経っていなかった。
一面畑が広がり、民家らしきものは見かけない。雄大な開聞岳以外に目立つものはない。
倉庫なような建物はWebでは漬物工場らしいが、建物はそれくらいである。
一見するとこんなところから利用者はいるのだろうかと思ってしまう。

左右の畑に線路が一本伸びている。そばの踏切から望むと北海道のように向こうまで
まっすぐの線路が伸びて消えているとまではいかないが、ごちゃごちゃとビルがあったり
するよりは気持ちがいい。
開聞岳は山頂付近が雲で隠れてしまっているので、しばらくは全容を拝むのは難しそうだ。
雨はまだ降っている。駅前は駐車スペースになっている。観光客がバスで日本最南端の
JR駅ということで観光バスで訪れることもあるのだろう。観光客向けなのか、まず見かける
ことはない、珍しい黄色いポストがある。

そのポストのそばでは待合室新設の工事をしているらしい。
JRとしては車や観光バスで駅に訪れても利益にはならないので、列車利用を促す意味で
新設することになったのかもしれない。以前は専用のボックスが設置されていたが、
撤去されたらしく、ベンチには駅ノートが透明のプラスチックケースに入れて置かれていた。

駅ノートに書き込みを終えて、しばらく待っていると2両編成の気動車がやって来た。
鹿児島中央からの直通列車であり、駅弁もこの列車で食べたかった。
駐車場に入ってきた2、3台の車は観光客なのかと思ったが、降りて行く高校生と思われる
数人がそれぞれの車に向かって行く。どうやら迎えの車だったようだ。
無人駅で利用者はいないのだろうと思っていたが、学生中心に利用者が健在のようだ。
ただ学生がいなくなれば、この辺りも廃線になる可能性は否定できない。

西大山を離れて、開聞岳は左に移動していく。東開聞でさらに左へ。
開聞でも学生さんが何人か降りていき、開聞岳は見えなくなってしまった。
頴娃では地元利用者が何人か降りていく。

列車はよく揺れる。トイレに入ろうと扉を開けたら小さな女の子が尻出してしゃがんでいた。
女の子と目が合わないうちにゆっくりと閉めたが、どうやらすぐ隣の車両におばあさんが
いたようだ。せめて一緒に入って鍵を閉めて欲しいところだ。
西頴娃でその女の子とおばあさんは何事も無かった様に他の客とともに降りて行った。

石垣。雨の中を紺のスカート、ブレザーの女の子が降りて歩いて行く。
列車本数が少ない区間故に各駅で利用客の乗降がある。

時折、木の枝葉が車体を擦り、雹か霰でも当たった様な音がする。
白沢。字の如く、駅名票に書かれた駅名は白く霞んでしまっている。

終点の枕崎には定刻着。前回の留萌本線同様に行って戻るだけになるのかと思ったが
駅近くの雑貨屋で駅スタンプを押せるようだ。普通の住宅をそのまま店にした内装で
一人の先客が店員と話し込んでおり、そのトランクケースが入り口の外に見える。
はがきに駅スタンプを綺麗に押してもらい、スタンプを綺麗に押すコツを教えてもらう。
その後、かつてテレビで見かけた志茂田景樹ライクなファッションの人の良さそうな
おじさんから立派な駅舎があった頃の話を伺うことが出来た。

雑貨屋の店内は雑然と商品が並んでいるが、よく見ると額縁に入った当時の枕崎駅前の
大きなモノクロ写真がある。また油絵のようなタッチで枕崎駅前には駅舎と車両と
国鉄バスがはがきに描かれているものもあった。バスにあるツバメのロゴは国鉄バスに
使われていたものであると教えてくれる。

今は観光バスばかりの観光客が多くなってしまったが、当時は沿線に学校が幾つもあり
車両には今では想像できないくらいに学生さんで混んでいたという。
最盛期にはあまりに生徒の数が多くて、運動会は校庭ではなく公園を使って実施していた
時期もあったという。私が小学校や中学校の頃はすでに校庭であり、振り返ればすでに
少子化の時代が始まっていたのかもしれない。

学生さんの若い姿はすっかりと減ってしまったことを感慨深そうに話してくれる様子から
長年、沿線の風景を見守って来た愛着が感じられた。

ここまで色々と教えてもらい、ただ駅スタンプを押してもらっただけでは申し訳ない。
駅舎がまだあった頃に積んであった枕木から削って作成したという木簡型のストラップを
一本購入した。白い絵の具なのか「枕崎驛」と書かれている。

最後に駅前の隠れたスポットとして、枕崎から先の出水まで走っていた南薩線(後の
鹿児島鉄道)の当時の写真や駅員の帽子、合図旗などが展示されている病院を教えてくれた。
尤も病院の外の柱に展示物が額縁のようにガラスケースに収められ、柱を囲っている
ベンチは当時の枕崎駅で使われたベンチを病院の院長が加工したものだ。

鹿児島鉄道はかの宮脇俊三氏の著書にも登場しているが、現在の時刻表を開いても
バス路線を示す細い青い線だけになってしまっている。
先ほど見せてもらった絵はがきには、鹿児島鉄道が廃止された頃の枕崎駅前で、
病院に展示されている写真は、鹿児島鉄道の前身が生きていた頃のものである。

特に下調べをしたわけではないが、インターネットでも誰かのブログに書かれる程度で
小さな2つの駅前鉄道博物館はひっそりと今日も見に来る客を待っているのだろう。
盲腸線の旅にしては思わず、有意義な時間を過ごすことが出来た。
旅行にはこうした出会いもあるので、やはりなかなか止められないのかもしれない。

枕崎から折り返す列車は各ボックスシートに1人ずつ座っている。
2両目の我が車両には高校生と思われる女の子2人が車両前寄りに座っておしゃべりに
盛り上がっている。私のすぐ後ろのボックスシートにも声から判断して中年女性と
思しき2人組がこちらもおしゃべりに花を咲かせている。

列車は各駅に停車していくが、御領を出ても客が乗ってこない。
帰りに少しだけ期待していた開聞岳は相変わらず、頂きに雲に隠れたまま。
西頴娃で先ほどの女の子たちは列車を降りていった。

開聞で地元のおじさん2人ばかりを乗せると、後ろの中年女性組の1人がデジカメを
手にソワソワし始めている。予想した通り、開聞岳にレンズを向けていたが、
西大山で降りていった。JR最南端の駅と開聞岳を撮影したら、さっさと車で移動という
塩梅なのだろう。

山川を出ると再び右手に海。行きの列車も今乗っているキハ140系なら良かったが、
帰りは通して乗れるので、これはこれで良しとしよう。
ただし、黄色い「なのはな」車両に比べるとかなり揺れるのが難点か。

二月田で黒い衣を纏まった団体、もとい学生さん達で賑やかになる。
学生さんに混じって小さな女の子ではなく、ほとんどが高齢者というパターンだ。
乗る度に年齢層が極端だなと思う。一番利用して欲しい年齢層が地元利用者からそっくりと
抜けてしまい、その年齢層は数少ない観光客に代わってしまっている。
そのためか、首都圏ならオフィスビルとビルの間を颯爽と闊歩しているような若い女性が
乗り合わせているだけで妙に新鮮な印象を受けるのかもしれない。

薩摩今和泉で黄色い列車と交換する。お互いしばらく停車していたので、
黄色い列車の顔をよく観察すると、小さく黒いツバメのロゴがあるのを発見した。
国鉄バスはもう走っていないのに、現在使われているJRのロゴではなく、ここにもひっそりと
まだ国鉄だった頃の名残を今も伝えているのだ。

そういえば、特急リレー「つばめ」の名前の由来も例のおじいさんから教えてもらった。
無くなった「つばめ」と今もいる「つばめ」。何だか妙にロマンチック。

喜入で高校生たちが降りていく。動く窓の外はだいぶ暗くなって来た。
鹿児島中央につく頃にはすっかり夜になっていることだろう。
瀬々串。列車交換待ちで3分ほど停車。
平川で野球部の青年諸君を乗せると、五位野で黄色い列車と交換。

3日目の夜がもうすぐ終わろうとしている。
12時間は列車内で移動している計算だ。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
人工的な明かりが集中するようになる。鹿児島中央までもうすぐだろう。

南鹿児島で車内の乗車率はピークを迎える。ずっと曇り空で期待していた桜島の火山も
開聞岳同様にはっきりと全容を拝むことは出来なかった。
山川方面の列車は満員列車の如くだ。当時は山川から先も学生さんで混んでいたのだ。
鹿児島中央に着く直前で、右隣の道を走る路面電車が少し気になるが、今日は宮崎へ
向かわないといけない。次回訪問する機会があれば、鹿児島中央で一泊してゆっくりと
路面電車に乗ってみたいものである。

鹿児島中央からの各駅停車は通路に立ち客が出る程に混んでいる。
予想したとおり、隼人でまとまった人数が降りていく。
この後は宮崎まで混んだままなのかと思ったが、次の国分で空席の目立つ車内に。
鹿児島中央からこの辺りまでが通学・通勤圏のようだ。

もう少し車両編成を長くしたら、これほど混雑もしないと思われるが、
快適に帰りたいなら特急料金を払えという明確なJR九州の意思表示なのだろうか。
客の下車が終わった後も何故かしばらくドアを開けたまま発車しない。
時間調整らしいが、ずっと開いたままの出入口からは冷たい風が入り込んでくる。

国分~霧島神宮は距離が長い。感覚としたら5駅くらいはあっても良さそうだが
この沿線はさぞかし不便ではなかろうか。それともそれほど人は住んでいないのか。
隅のごとく真っ暗な外をじっと見つめてもわからなかった。

私がこの沿線の通勤だったら、頻繁に特急列車の誘惑に負けるに違いない。
特急ロマンスカーに比べたら気軽に払える特急料金ではないので、金持ちでない限り
今乗っている銀色列車で疲れを我慢して乗っていくしかない。
そう理解していても、気づいたら特急券を手にしている自分が想像できる(笑)

ワンマン運転故に無人駅では1両目の前寄りのドアのみが開く。頻繁に開く度に寒いので
それを意識してなのか、1両目は誰も乗っていない。
大隅大川原で反対方向の特急列車を通過待ち。
せめて指宿枕崎線のようにキハ140系なら旅気分も高まって、一時の疲れも忘れるところだ。

車内の乗客の顔ぶれはほとんど変わっていない。
銀色の2両編成は出来るだけスピードを飛ばしているらしいが、窓の外はテレビを消したように
真っ暗で変化がほとんどない。ガラスに反射する車内をぼーっと見て過ごす。

財部。「さいべ」ではなくて「たからべ」。まず読めない。
この駅では5人ばかりが夜のホームへ降りていった。さらにガラガラの車内になる。
西都城の何人か乗り込んで来る。都城でも同様に乗り込んで来て次第に賑やかになる。
ほんのひととき、意識を失って目が覚めたが、客の顔ぶれは変わっていない。

南宮崎を出れば、宮崎はもうすぐだろう。

つくもノヲ”X="1≠ 584













【青春18きっぷの旅 2日目】 特急列車の力を借りて

松江
11:11発

↓ 3003D  山陰本線
    特急 スーパーおき3号

13:22着
益田
13:25発

↓ 1575D 山陰本線

15:11着
長門市
15:23発

↓ 975D 山陰本線

16:36着
小串
16:40発

↓ 881D 山陰本線

17:22着
幡生
17:22発

↓ 591M 山陽本線
    ※遅れていたために偶然乗れたと思われる

17:25着
下関
17:25発

↓ 5191M 山陽本線~鹿児島本線

17:40着
小倉
17:51発

↓ 1019M 鹿児島本線
     特急 有明19号

20:18着
熊本
20:33発

↓ 6351M 鹿児島本線

21:06着
八代  ※宿泊

予定では松江しんじ湖温泉から一畑電鉄で出雲市まで乗り通すはずだったが、結局起きたのは9時過ぎ。
時刻表上では出雲市から特急に乗れば、一畑電鉄も乗れるが
乗り換え時間は僅かしかない。
一畑電鉄が遅れるリスクを考えると、素直に松江から特急に乗るべきと判断した。
駅弁も食べたいので、一畑電鉄はまたの機会にしよう。ホテルから雪の残る松江大橋を歩く。
特急スーパーおきの車両デザインは特急らしくない。普通列車の方がまだデザイン的に好みだ。
スーパーおきは次の玉造温泉に到着するまで左手には宍道湖が目を楽しませてくれる。
特急らしく、山陰本線をバンバン飛ばしていく。途中の荘原で普通列車を追い抜いて行く。
出雲市ではまとまった客が乗り込み、車内は子供連れで賑やかになってきた。
西出雲を出てしばらくすると、車庫には出雲市を中心に走る
赤とピンクに塗装された気動車や
サンライズエクスプレスがこれから東京行きに備えてか、しばし休んでいる。
特急列車はバリバリと飛ばして行く。油断していると車窓は
どんどん入れ替わって行く。
田儀で特急列車と交換。左手には日本海が広がっている。5分停車してからようやく動き出す。
大田市でも客がまとまって乗り込んで来る。列車の本数が限られている故か、お見送りの人々。
この地方では列車に乗るのはそうそう機会がない特別な体験になっているかもしれない。
江津、下府。下府は読み仮名の引っ掛け問題で出てきそうな駅名だなと考えてしまう。
浜田でもまとまった客が乗ってくるが、その多くは自由席利用者のようだ。
普通列車を増やせば良いように思えるが、費用対効果や車両運用など事情は簡単ではないのだろう。
次の三保三隅まで特急はバンバンと飛ばして行く。時折、日本海が見えてくるが、
もう少しで三保三隅というところで、海岸線に沿ってカーブしながらの日本海は素晴らしい。
冬の日本海は荒波のイメージが強いが、こちらは穏やかに静かに海面をたたえている。
この区間を蒸気機関車と客車だった時代はもっと旅の雰囲気が濃かったことだろう。
宮脇俊三氏が「偉大なるローカル線」と表現したことが何となく理解できる気がした。
国道の青い看板は「下関 163km」。益田からようやっと予定の普通列車に乗り換える。
乗ってきた特急列車はこのまま美称線に入り、新山口に入る関係上、普通列車をとはホームが離れる。

出雲市でも見かけたキハ120系はローカルな私鉄の車両に見えるが、山陰本線の車両である。
長門市行きは1両のロングシート。すでに地元客で席は埋まっていたが、
次の戸田小浜で何人か降りて行った。日本海を間近に見ながら、海岸沿いに列車は走って行く。

こちらも雨が軽く降っている。飯浦で小学生らしきジャージ姿の男の子たちが3、4人と
おばさんが降りて行く。
江崎でも学生さんらしき若い人たちが、まとまって降りて行き、車内は空いてくる。
車両の見かけに寄らず、トレイは「ハイテク」だった。
泡の出る洗浄装置、手をかざすセンサー式だが、親切にも音が出る新設設計になっている。
須佐でも学生さんが2、3人降りると、残ったのは私のような観光客くらいとなる。
海沿いを走っていた気動車はいつのまにか、山の中を結構なスピードで飛ばして行く。

宇田郷。海に近いが、手前を国道19号線が邪魔している。波打つ海をよく見ると、
配色には青や緑の他、エメラルドグリーンも使われている。
線路沿いの瓦屋根には名古屋城のシャチホコみたいのが付いている。
沖縄のシーサーの如く、守り神のような存在なのだろうか。
木与。2両編成の上り列車と交換。先に向こうが発車していく。
時折山の中を走って行くので、居眠りをしていたら海沿いである事を忘れてしまいそうになる。
萩で数人の若い人たちが乗り込んで来る。相変わらず雨が降っている。
海から遠ざかった列車は萩の街をゆっくりと走って行く。
壬江で学生服の黒い集団が乗り込み、車内は再び地元色が戻ってくる。
飯井と長門三隅は駅間距離が結構長い。学生さんが3人ばかり降りて行く。

途中からまた日本海が見えてくるが、ふいに見えなくなる。
降っていた雨も長門市側では止んでいる。ダイヤ通りなら下関には17:27。九州に入ってさらに
5時間乗り続けて、ようやく目的地の八代に到着する。

長門市での乗り換えも忙しい。折角なので駅の撮影でもしたいところだが、
乗り遅れるわけにもいかない。小串行きはすぐに発車するものと思っていたが、23分発だった。
今まで乗ってきた列車を絡めて撮影し、列車に乗り込む。

小串行きの1両ワンマン気動車は山合いの風景をひた走る。
長門市を過ぎると手前の山々が邪魔して海は見えなくなってしまう。長門古市で長門方面の
普通列車と交換する。意識を半分失った目で降りて行く女子高生と思しき女の子ひとりを追う。

人丸、伊上で1人、2人乗り込んでくる。難読駅名で有名な特牛。ぼんやりと夕日が差してくる。
乗ってくる客はなく、滝部で長門市行きの2両編成と交換する。あちら側も程々の乗車率。
長門二見を出ると、再び日本海が広がってくるが、しばらくして遠ざかっていく。

普段の生活に比べると、人間本来の生体リズムで過ごしているので、昼間働く代わりに列車に
乗り続け、ホテルに着いたら夕ご飯を食べて寝る。きっとこのまま旅行し続けた方が健康に
なれそうな気がする。だからこの時間になれば眠くなるのは当たり前なのである。
今なら揺れる寝台列車でもすぐに眠れそうだ。

小串乗り換えも時間はあまりない。九州に入るまでは油断は出来ない。
向かいのホームなので、寝過ごさない限り、撮影する余裕はあった。
小串始発はガラガラの車内だが、下関に近づくに連れて賑やかになっていくだろう。

黒井村。小串行きの2両編成と交換。福江。下関までもうすぐである。
安岡でみすゞ潮騒の車両と小串行きの2両が連結された編成と交換。
梶栗郷台地。下関市街の郊外といった雰囲気になってくる。
幡生。山陰本線の終点だが、全ての列車は下関を起点、終点にしている。

時刻表を良く見て計画したつもりだったが、山陽本線からやって来る列車の存在を忘れていた。
入線してきた門司行きに乗り込めば、計画よりも早く八代に到着できそうだ。

117系で関門トンネルを潜っている間、小倉からは特急列車で八代まで乗って行くことにした。
このまま鈍行でもたどり着くことは可能だったが、明日の為に体力温存することにしたのだ。

始発から指定席の人はどうやら私1人だけ。後は車両前半分に仕切られたグリーン席だが
入り口の扉を開けて中へ入る人は見かけなかった。特急「有明18号」は定刻に発車した。
博多ではさらに4両連結する。指定席車両が急に混むようになってきたところからも、
利用者の多さがよく分かる。これが同じく小倉から鈍行列車の場合は始発から程々に乗って
いるので、博多で少し多くなったなくらいに感じる位だ。

博多以降もいくつかの駅に停車するが、目立った乗降はなかった。
玉名。大牟田と同様に国鉄デザインの駅名票。小倉から2時間、八代に到着した。

2011年6月27日月曜日

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【青春18きっぷの旅 1日目】 妖怪列車に妖怪は乗らない


小田原
0:31発

↓ 9391M  東海道本線
    快速  ムーンライトながら

5:55着
大垣
6:00発

↓ 203F 東海道本線

6:33着
米原
6:54発

↓ 3415M 東海道本線
     新快速

7:53着
京都
8:05発

↓ 2203M 山陰本線
    (園部から1125M)    
    快速

9:59着
福知山
10:10発

↓ 429M 山陰本線
    リレー号

11:31着
城崎温泉
11:51発

↓ 171D 山陰本線

12:59着
浜坂
13:12発

↓ 533D 山陰本線

13:57着
鳥取
14:42発

↓ 249D 山陰本線

17:32着
米子
18:02発

↓ 1661D 境線

18:46着
境港
19:50発

↓ 1666D 境線

20:37着
米子
20:48発

↓ 149D 山陰本線

21:20着
松江  ※宿泊

ひさしぶりの快速「ムーンライトながら」はJR東日本車両という189系。
国鉄色だが、一見すると「ムーンライトえちご」に見える。
「えちご」の方は臨時急行に格下げになった「能登」との車両運用で必ずしも国鉄色が
見られるとは限らない。その代わりに今まで見る機会はそれほど多くなかっただろう
車体色で登場している時があるので、乗車時の楽しみが少しだけ増えたといえなくもない。

もちろん側面の方向幕は「ムーンライトながら」。JR東海の車両だった時に比べると
こちらの見栄えがいいような気がする。車両形式のことが良くわからないが、通路と座席
には眺望をよくする為か段差が付いている。なので足を伸ばせるから通路側という小技の
意味はない。その代わりに東海車両に比べるとシートピッチが広いので、快適度は
こちらの車両が上だろう。元々特急車両として使われた事もあって、座り心地は良い。

発車まで少々時間がある。夕ご飯の時間を摂る為に早めに出発したのだ。
小田原駅前の商店街方面を歩き回って、営業しているラーメン屋へ。
注文したラーメンは麺と野菜の量が半端ないので、45分かけてようやっと食べ終えた。
寒い中ホームでじっと待つよりはこの方が良い。2分前に東京方面から国鉄色が入線。
構内のアナウンスでは指定席は満席と告げていたが、空席がところどころに見られる。
途中駅から乗り込んでくるのだろうか。

運転停車中に洗面所で歯磨きをしていると、ゆっくりと列車は動き出した。
記憶違いでなければ、東海車両時はなかったと思う石鹸が配備されている。洗顔や髭剃りが
気になる私としては大変ありがたい。

沼津。4分程の停車中にはこの車両に3,4人ばかりの野郎が乗ってきた。
明日のためにそろそろ寝ておこうと目を閉じる。うつらうつらとしてふと目を覚ますと、
ゆっくりと金谷の駅名標の灯が過ぎ去るところだった。そこからしばらく眠るが
また目を覚ます。久しぶりに乗る列車に、初めて乗ったときの近いような気持ちで
興奮しているのかもしれない。窓側の隣人はよく眠っている。何度かの乗車経験から
夜行列車は通路側に限る。隣人のようによく眠る人なら、座席を立つ際に気を遣わないと
いけないからだ。

静岡の区間は長い。快速なのでかなりの駅を通過するのだが、それでもようやく浜松だ。
時刻表によれば豊橋には停車しない。少し前は貨物列車運用との兼ね合いもあったのか、
豊橋でも長時間停車をしていたが、臨時列車になってから停車駅がところどころ変更されている。

浜松もそうだが、朝一の新幹線や格安の深夜バス済んでしまう時代にわざわざ指定席を入手
してまで深夜に乗り込む客はいないのだろう。となると客はすでに乗っているような私を
含めた旅行客だけになる。車内を見渡す限り、出張風のサラリーマンは皆無と思われる。

浜松では少し昔に私も同じ事をしていたが、23分の停車時間を使って数人の野郎度が駅と
列車の撮影業務に忙しいそうにしていた。

列車が動き出すと自然に意識がなくなるのを待つのだが、なぜか眠れない。
時折よく揺れるからだ。「はまなす」はもっと揺れるが、何度か乗っているうちに最近の
北海道旅行では函館に到着したのも気づかないほどよく眠れる体になっていたらしい。
乗りなれる、ということが私にとっては重要らしい。時折ホームの灯が通り過ぎていく。
右手の窓を通り過ぎたのは寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」に違いない。

豊橋。こちらも運転停車をするものの、そっけなく数分で発車する。
しばらく走ったところで再び運転停車。どこの駅かとIphoneのGPSに教えてもらったところ
共和という駅だそうだ。夜なので実感がなかったが、もうすぐ名古屋だ。

再びうつらうつらとしているうちに夜行列車は夜明け前の名古屋に到着。
この駅ではまとまった人数が降りていく。大垣に着くころにはようやく夜明けだろうか。
しかしこの189系はよく揺れる。揺りかごにしては揺れすぎだ。地震かと思うくらい。

大垣には定刻着。以前より到着時間が早くなったが、京都までの所要時間は変わらない。
4両編成の姫路行きはもちろん座れなかった。眠いことは眠いが、久々に乗ったためか
それほど苦痛ではない。でも慣れてくると立っているのは辛くなってくる。
だから乗りなれた路線は少しでも座れる工夫が必要になる。車内は立ち客もいる混雑だが
久しぶりでなかったら、列車を一本見送っていたかもしれない。

立っているそばのボックスシートに座る若い野郎は何やらイライラしている。
待ち合わせしている他のメンバーが来ない事に腹を立てている様子だ。
あとから乗り込んできた野郎3人はこのリーダー格と思しき野郎が感情的になっても
飄々としてそれほど気にしていない様子だ。聞かずとも聞こえてくる会話からは
このリーダーと他の3人との連絡がうまく取れていないのが原因らしい。
リーダーも気分屋らしく、その気分をテレパシーのごとく察知しろとは無理な注文だ。

何だか青春18きっぷの青春らしい旅の場面だが、次第にリーダーの怒りも収まってきて
元の雰囲気に戻ってしまった。第三者としてもう少しやり取りを楽しみたかった(笑)
車内は旅行客と通勤客が混じっている。近江長岡。なかなか発車せずにしばらく停車。
車内アナウンスで車両不具合が発生した模様。一度ドアが閉まり、電源が落とされたために
車内の灯がデットセクションのように消える。9分遅れで発車した。

外はゆっくりと明るくなってくる。そしてホームに白い雪。山陰本線に入ればもっとすごい
量の白い雪を見ることになるだろう。米原。接続するかと思われた新快速 6:38発はすでに
発車してしまっていた。行程に余裕を設けて正解だったと改めて実感する瞬間だ。

今年は山陰本線や周辺の路線は大雪で運休だったり、大幅なダイヤ乱れを想定していたが、
東海道本線は別の要因で遅れることは時折ある。JR西日本の路線で旅をしていると何故か
遭遇率は高いようだ。だから1時間くらいの余裕を持たせていたが、西日本路線に入る前に
遭遇するとは予想していなかった。

当面の心配は京都から先の山陰本線である。JRの公式サイトで運行情報を確認したところ
山陰本線と境線についてはようやく運転見合わせや運休といった情報は無くなっていたが、
それでも不安だ。出来れば境線には乗っていきたい。心配をよそに外は明るくなってくる。

本日は天気に恵まれるようだ。乗った新快速の車窓からは白い絨毯が所々に敷かれている。
能登川。近江八幡。ホームで待つ通勤客を拾っていく。近江八幡を出たところで年明けて
4日目の日の出が左手に顔を覗かせる。ボックスシートで相席しているのは大学生なのか
女の子2人組。世間では今日から平日になるが、正月休みの余韻を引きずっているのか
聞こえてくる会話は、紅白歌合戦やお年玉について盛り上がっている。
さらに朝日の光は強さを増してくる。京都に近づくにつれて車内は混んでくる。

相席の女の子達も京都で降りるのかと思ったが、降りることはなかった。
盗聴しているつもりはないが、「せやなぁ」「ほんまに」とその独特のイントネーション
からは大阪周辺の子かもしれない。ようやく関西に来たという実感も出てきた。

京都から山陰本線に乗換え。乗換えに迷うかなと思っていたが、すんなりと行けた。
もうそろそろ発車する快速福知山行きに乗り込む。「電車でGO!」の影響で未だに気動車
というイメージが抜けていないが、始点の京都ではアーバンネットワークで活躍する
新快速や普通で使われているのと同じ車両。停車する各駅も近代的な佇まい。
神戸線や京都線とは違って、下り方面では混雑せずに空席が目立つ。

嵯峨嵐山。そして保津峡。川と谷と山が織り成す景色はトンネルの闇に遮断される。
並河。しばらくは点々と並ぶ民家。家の門の前ではちいさな雪だるまがこちらを見ていた。
園部まで来ると、さきほどよりも白さが目立つようになって来る。
ここで園部止まりの後方車両を切り離し、快速は身軽になって再び出発していく。

それまで複線だった線路はここから単線になる。山陰本線はようやく園部まで複線電化
するようになったようで、「複線電化記念」の看板を見かけた。
時刻表で列車番号を見る限りは福知山までは電化されているようである。

船岡。気動車が似合うような景色に近郊型車両というミスマッチ。まるで青梅線みたいだ。
日吉を出ると、雪かきをする女の子たちがこちらの列車にちらりと目を向けた。
ニュースでも報じていたが、ここまで来るとさすがに多くの雪が残っている。

鍼灸大学前。明治国際医療大学前に駅名を変えたほうが良い気がする。
山下。特急列車とすれ違い。3分遅れで通過したためにこちらも3分遅れで発車。
大雪によるダイヤ乱れはまだ影響が残っている模様。

立木。心地よい揺れで意識が失いかけるが、地元のおばちゃんの大きな声で目が覚める。
綾部から再び複線になり、遅れを取り戻すかのように速度を上げて飛ばしていく。
だんだんと白い霧が濃くなっていく。山は姿を消した。

石原。「いさ」なんて読めないわよ、と近くのおばちゃんがつぶやく。
難読ではないが、引っ掛け問題に出されそうな駅名なのは同意したい。ここまでは順調。
この先の米子~鳥取間が心配の種。境線は駄目でも何とか松江には到達したい。

福知山。城崎温泉行きは2両編成。乗車率からは3両編成でも良さそうなくらい。
ワンマンカーはゆっくりとホームを離れていく。
夜行列車明けの睡魔が急に襲いかかる。いつのまにか意識を失っており、目が覚めると
柳瀬。ホームには黒い学生服の男子2人がホームで待っていた。

列車内の客の顔ぶれはほとんど変わっていない。
和田山。駅名標は近代的なデザインだが、ホームなど山陰本線らしい雰囲気が漂っている。
ここでまとまった客が乗り込んでくる。こちらはさぞかし天候が悪かろうと思ったが、
幸いにも天候には恵まれている。しかし、米子や鳥取はどうだろうか。

豊岡。雲が空を多く占領している。北近畿タンゴ鉄道の乗換え駅でもある豊岡の賑やかさ
から去ると停車する各駅は静かである。山陰本線は夏より冬の雪が降る季節がいいと思う。
北海道のスケールには及ばないが、雪見列車はなかなか至福の時間。
玄武洞。そして次は城崎温泉。福知山線経由で特急北近畿で、手前の豊岡までは乗ったが、
このホームに降り立つのは生まれて初めてである。

ほとんどの客は鳥取方面への乗換えだろう。浜坂行きは2両編成。何とか席を確保でき、
駅弁を食べる環境は整った。駅弁の蓋を開けて、箸をつけている最中に列車は動き出す。
竹野。上りの普通列車と交換。その後にワインレッドの新型車両の特急列車とも交換。
実車を初めて見たが、なかなか良いデザインだ。香澄。普通列車でも交換して同時に発車。
いつのまにか太陽の光はなくて曇り空。さて、次が今回の旅のひとつめの目玉だ。

鎧を過ぎてトンネルを3つほどぐぐると、私は立ち上がって後方展望を楽しむことにする。
架け替えのために、トンネルを出るとすぐに線路がカーブしているので、かなりの低速。
コンクリート橋になって何度か見栄えが悪くなったような気がする。
足元から見上げたり、道路より真横から見る分には絵になる風景にはなりそうだ。

餘部。旧鉄橋の線路上にホームの位置が変更されている。今後はこの駅から旧鉄橋の途中
まで歩けるように整備していくものと思われる。

浜坂。鳥取行きはいよいよ1両編成のレールバス風味。ボックスシートなのが救いか。

隣のボックスシートではPSPでゲームを、相席の窓側氏はデジカメ業務に忙しい様だ。
発車時間を過ぎても動かない。運転士がバタバタと準備してようやく列車は動き出す。
定刻より6分遅れ。ダイヤ乱れがさらに目立つようになってきた。
大阪行きの新型車両の特急が、城崎温泉行きの普通列車をはさんだ向こう側に見えた。
撮影しようと思えば出来たのだが、きちんと乗車してからが私なりの信条にある。

東浜。ホームの背後に日本海。津軽海峡冬景色の影響なのか、冬の日本海は荒々しい
イメージがあるのだが、山陰の日本海は穏やかに迎えてくれる。天候は不安定で、
晴れていたかと思うと曇っていたりする。

駅弁を食べた後なので、列車の床から響くリズムに身を委ねて気を抜いていると、
意識がなくなりそうになる。鳥取~米子は未乗区間なので特に油断はできない。
車窓からの白い光が眩しい。松江にいけば、もっともっと白いだろう。
福部。反対列車との交換待ちのためにしばらく停車。鳥取から先にいけるのだろうか。
ちょっと不安になる。

反対列車が遅れているため、定刻より8分遅れで発車見込みと運転士からのアナウンス。
福部。紺のブレザーと長いプリーツスカートの高校生らしき女の子が2人乗り込む。
都会の毒に犯されていないというのか、洗練されていない感じが良い。
ホームには厚く白い布団のように雪が残っている。向かいのホームにオレンジの
キハ40系2両編成、浜坂行きが停車するとともにこちらが発車する。

鳥取。運転見合わせではないものの、一部の列車が運休になっていた。
14:02発の快速列車が運休になっているため、次の42発まで駅中にある喫茶店で
時間を潰すことになる。発車時刻の直前に再びホームへ向かってみるが、
発車時刻になっても列車がやって来ない。20分遅れと構内のアナウンスが告げる。

何とか境線は乗れるだろう。ただ、松江に着いたらすぐ夕食にして寝る事になりそう。
鳥取からは先ほどすれ違いで見かけたオレンジのキハ40系に乗り込んだが、なかなか
発車しない。ダイヤはかなり乱れている。時刻表が当てにならない状況だ。
15:10。定刻から30分してようやく動き出す。ようやく未乗区間に踏み出せる。

湖山。雪が多く残っているが、北海道の雪を何度か見ている者からすると大した
事はないように思える。けれども実際の生活者ではないからそう感じるだけだ。
北海道民からすると、山陰本線沿いの突然の豪雪で交通麻痺はともかく、東京の
2cm雪が積もるだけで騒ぎ出すニュースは滑稽に見えることだろう。

先頭車両付近に固まっていた若き男性諸君はこの湖山と次の鳥取大学前でそれぞれ
降りていった。大学生かもしれない。しばらくすると左手に湖が広がってくる。
何という名前かとIphoneのGPSマップで調べてみるとと「湖山池」らしい。
こやまいけ。湖なのに池?。とツッコミを入れたくなる名称だ。

末恒でも大学生と思しき学生さんを主とした客が纏まって降りていく。
宝木、浜村と地元客がパラパラと降りては入れ替わりに何人か乗ってくる。
線路に寄り添うように家々が並び、生活臭を感じられる景色が見て取れる。
長大なローカル線でありながら、各駅にはそこそこの利用者がいる。

ふと油断すると意識が飛びそうになる。メモ書き作戦を敢行する。
泊の直前で信号によってとま・・、いや、何でもない。
泊。特急列車に道を譲り、上りの普通列車はひっそりと先に発車していく。
こちらでは窓に水滴が斜めに描かれていく。予報通り、地面にはまた白い布団が
そこら中に敷かれる事になるかもしれない。

松崎でまとまった人数が降りていき、倉吉で客が一斉に入れ替わる。
特急停車駅らしく、それまでの駅に比べるとホームの規模が大きい。

下北条。普通列車との交換。向かいのホームからの先に反対列車が動き出すと
こちらのドアが閉まり・・と思ったが、そのドア付近でひと悶着。
鉄道で旅をするとまれに遭遇するタイプだが、小さな子供や若い女性を主に
話かけてくるおじいさん。特にこれという用はなさそう列車に乗っているのは
共通していて、運転士からすれば乗るのか乗らないのか、紛らわしいので
注意した一場面だが、運転士も長年の経験からか、こうしたタイプには
毅然とした態度で接するのが最適であることを心得ている。
暴言を吐いて食ってかかるが、手を出すことはないと判断したのだ。
発車してから少ししてすぐにおとなしくなった様子だ。

こうしたタイプの人と乗り合わせると、列車はなかなか発車しないかなと
少々不安になるのだが、幸か不幸か、これによって列車の発着が遅れるという
事態に遭遇したことはない。乗務員側のプロとして対応のおかげだろう。

鳥取でも喫茶店の中で似たタイプのおじいさんが誰かに話しかけていた。
寂しさを紛らわさそうとしているのは間違いない。

由良。下北条からしばらく聞き役をさせられていた小学生と思しき子供たちが
逃げるように降りていく。今日の日記には変なおじいさんに話しかけられた
と書かれるのだろう。年を取るたびに若い子を話相手に欲しくなるという欲求が
次第に抑えられなくなる人もいるのだろう。

浦安。もちろんディズニーランドは見えなかった(笑)。
倉吉で見かけた夕日は雲の向こうに隠されているようで全く見えない。
米子に着くころには辺りは暗くなっていることだろう。

赤崎。先程のおじいさんはこれから降りようとする別の女の子たち2人に
座れと声をかけるが、反応に困ったように女の子たちが開いたドアから降り、
ホームの階段を上っていくを追いかけるように、いや思いついたように
おじいさんも降りていった。特に用はないのだろう。

赤崎を出発すると、運転士が腫れ物が消えたようなスッキリした表情になった
のはきっと気のせいだ。客である以上は表情に出さないのがプロなのである。

御来屋。昔の車掌室をそのまま駅舎に再利用しているのは北海道だけではない。
名和。用がなさそうな雰囲気のおじいさんが一人乗車。右手には寂しげに
日本海が広がっている。伯耆大山まで来れば、米子はもうすぐである。
淀江。交換待ちしていた上り列車が先に発車してもしばらく停車している。
特急列車の通過待ちと運転士のアナウンス。米子という都心に近いためか、
停車中にぽつぽつと地元の利用者が乗り込んでくる。

伯耆大山。乗り込んできたジャージ軍団は部活帰りの学生だろうか。

米子。すっかり日の暮れたホームに降り立ち、0番線の妖怪が住むホームへ向かうと、
妖怪列車が待っていたが、妖怪は乗っていなかった。

妖怪列車は今停車している2両編成はそれぞれの車両に「ねずみ男」と「鬼太郎」が派手に
ペイントされている。全部で4種類らしいので、あと2種類を
お目にかけたいものだ。

遅れている出雲市から普通列車を接続待ちするために発車が少々遅れると車内のアナウンス。
それまで壁だけでなく、鬼太郎のキャラクターがペイントされた天井を見上げてしばし待つ。
相席の白いスカートの少女は携帯電話を弄りながら、時々周囲を伺っている。
彼氏か友達とでも待ち合わせているのだろうか。

生活路線らしく、始発から結構な混み様だ。
通勤列車の空気と鬼太郎たちのキャラクターがペイントされた車内が何ともミスマッチだ。
18:10。ようやく妖怪列車は動き出した。
各駅に停車するが降りる人と同じくらいに人が乗り込むので、混雑は解消される気配がない。
ローカル線によくあるパターンで始発駅と終着駅付近で混んでくるものと思ったが、
終点までこの状態が続くなのだろうか。

例の少女は誰かと会うことなく、河崎口で降りて行った。
終始キョロキョロしていたが、閉所恐怖症だろうか。

弓ヶ浜で半分ほどの人が降りて行き、和田浜でガラガラになるのかと思ったが、そうではないようだ。
沿線に職場や学校はあるのだろう。
先程の少女はすでに降りたものと思ったら、他の席に座っていた。降りる駅を間違えたか。
車内は地元民同士が銭湯の脱衣場で交わすようなおしゃべりが聞こえてくる。
大雪の影響で普段利用しない人が乗っているのかもしれぬ。

列車は途中の米子空港を避けるように迂回して走って行く。
夜なので着陸誘導灯しか、確認することはできなかった。
闇に包まれた「べとべとさん駅」を発車。

牛浜駅でまとまった地元客が降り、車内が空いてくる。
全区間1時間足らずだが、程々に駅があってあまりスピードは出さずに停車。発車の繰り返し。
高浜町でも結構な人数がホームへと降りて行く。様々な年齢層の各駅での利用があるようなので、
地方交通線にしては好調路線の部類になりそうだ。
まだ程々の人が乗っているが、余子でほとんどの客が降りて行き、静かな車内になる。
馬場崎町で例の少女は降りて行った。駅を間違えたという雰囲気ではなさそうだ。
家出少女のような怪しい雰囲気があるが、再び列車に乗ってくる事はなかった。
もしかしたら妖怪だったかもしれない。

堺線の終点、境港。「鬼太郎駅」を降りると駅前からすでに
妖怪のブロンズ像が出迎えてくれる。
雪がまだ残る夜の境港をゆっくりと散策したいが、折り返しの列車で戻る関係で
水木しげるロードの妖怪を全部見る事はできない。目玉おやじの街灯に一瞥をくれ、駅に戻る。
日中ゆっくりと散策してみたいものだ。

駅舎に戻ると数人の待ち人。戻りの列車でもそれなりに利用がある。
ボックスシートに座ると、すぐ後ろでは黄色い話し声が聞こえてくる。高校生だろうか。
中浜で列車交換のために4分程停車するが、山陰本線が遅れている影響で遅れていると車内アナウンス。
後藤でも列車交換した記憶があったが、ふと気づいたら列車は終点の米子に到着していた。

ホームに停車している列車が時刻表通りに出発するので、てっきり出雲市方面の列車かと思ったが、遅れている倉吉方面の列車だった。
間一髪で乗って行ってしまうところだったが、電光案内板の
表示に騙されるところだった。
せめて表示くらいは修正してほしい。紛らわしい。