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【北海道&東日本パスの旅 3日目】
鳥肌の景色
苫小牧 ※朝飯
6:12発
↓ 1463D 室蘭本線
6:48着
追分
7:08発
↓ 2623D 石勝線
8:16着
夕張 ※駅の撮影
8:30発
↓ 2626D 石勝線
8:52着
新夕張
8:58発
↓ 31D 石勝線~根室本線
特急 スーパーとかち1号
10:05着
新得
10:48発
↓ 3427D 根室本線
快速 勝狩
11:28着
帯広 ※駅弁購入
12:37発
↓ 2527D 根室本線
15:57着
釧路
18:19発
↓ 4744D 根室本線~釧網本線
21:25着
網走 ※宿泊
苫小牧から追分まで。この先で乗る特急列車も気動車。
まだまだ電化されていない区間があるため、北海道では
札幌近郊を除くと、気動車に乗る機会が多くなる。
追分からは石勝線に乗り換えるが、途中の新夕張から
新得までは特急列車しか走っていない。
そのため、蟹田~木古内と同じように、新夕張と新得
にそれぞれ乗り降りすることを条件に追加料金なしで
自由席に乗車してよいという特例が設けられている。
追分から乗換え。今のところ意識は飛んでいない。
旅行記を後で書くためのメモ書きをして、眠気と戦う
作戦は今のところ、功を奏しているようだ。
ふと見ると、空には白く厚い雲からぼやけた太陽。
今まで見たことがない太陽だ。おぼろ太陽はまたふと
雲の中に隠れたみたいにいなくなったと思ったが、
線路がカーブしただけだ。またふと現れる。
新夕張からそのまま終点夕張へ。もともと夕張線として
独立した路線だったようだが、今は石勝線の一部。
もっと人が少なく静かと思ったが、どっと学生らしき
若者で車内は賑やかになり、次の沼ノ沢で降りていく。
近くに学校があるのだろう、生活路線になっているのだ。
車窓からはずっと見ていると、眠くなるほどの
まぶしさで白い雪が広がっている。幸いここまで雪や
雨は降らずに天候には恵まれている。
これで2時間も乗車していたら、また意識が飛んでいたかも
しれない。宮脇俊三の娘にあたる、宮脇灯子さんが上梓した
書籍にあったとおり、清水沢で学生という学生が皆降り、
車内は元の静けさに戻ってしまった。
新夕張から30分足らずだったが、気を抜いてしまった。
車掌さんの起こす声で目が覚めると、終点夕張だった。
しかしドアは閉まっている。車掌さんにはまた列車に
乗るかと確認されたが、また同じ列車で引き返すことは
判っているようだ。そのまま乗車していて構わないといわれたが、
駅を撮影するために下車する。小さな駅舎とホームは立派な造り、
すぐ隣に灯子さんも本で書いたように、不釣合いな大きなホテル
と思しき建物が建っている。
同じ列車で引き返すが、今度は居眠りは許されない。
新夕張では6分後にやって来る特急列車に乗り換えるためだ。
無事に新夕張に下車。ここで特急列車を待つ。
特急列車がやってきた。自由席は幸いにして最後尾車両にもある。
何が幸いか。後方展望を楽しむには都合がよいからだ。
ムーンライトえちごのような特急列車と違って、先頭車と最後尾の
車両には窓付きの貫通扉が設けられている。連結した際の車両の
往来のためと、もうひとつは世界一長いトンネルである
青函トンネルを走破するため、トンネル内で非常時に非難する
ための非常口の役割も担っている為だろう。
この貫通扉から2階にある運転席と同じ展望を楽しむ事ができる。
出入り口のドアから少し奥まったところにあるので、
人目が気にならないのも大変都合がよいのである。
扉のすぐ外に線路が見えるので、時速130Kmで後方へ流れていく
景色はすごい迫力、3時間立って見ていたというオタクの気持ちが
すぐに理解できた。
これほどすごい展望は、他の特急ではそうそうないだろう。
おまけに新夕張~新得はそれぞれの駅間が途轍もなく長い。
1駅が20km~30Kmなので、高速で飛ばしてもすぐには到着しない。
そんな展望が楽しめるのに、席は座るのは勿体無い。
山の中を走る線路故に、いくつものトンネルを潜るが、
高速でトンネルに入って遠ざかっていく景色はかっこいい。
しかもトンネルによっては等間隔に灯された非常電話の電灯と
信号機の灯以外は真っ暗であり、尾灯に照らされていないと
そこに線路があることもよくわからない。それらの灯がなければ
まったく闇の中となってしまう。
ようやく占冠。しかしすぐに発車する。
また長い長い駅間を同じように飛ばしていく。
途中、特急列車との行き違いで信号場でしばらく停車。
隣の線路をすごいスピードで走り去り、トンネルへ消えていく。
トマム。珍しいカタカナだけの表記である駅。
ほかにニセコがあるが、位置がいまいちよくわからない。
ようやく着いたが、程なくして発車。
ホーム去り際、数人の作業員が特急列車に向けて敬礼。
そして新得の少し前の大カーブ。
おおきく左カーブしながら斜めになる景色には、
その後ろに山々が広がっていく。これは想像外の景色である。
思わず鳥肌が立つ。「かっこいい!」そう唸ってしまった。
新得では人生で初めて日本人ではないと思われた経験をした。
次の快速列車までしばらく時間があるが、売店のおばちゃんに
日本語うまいねと言われたが、最初はすぐそばにいた中国か
韓国あたりと思しき人の話をしていたのかと思って、
眠気もあって曖昧にうなずいていたが、どうやら私のことを
聞いたらしい。あわてて「自分は日本です」と答えたが、
同じ日本にいて、外国人と思われたのははじめてである。
それより、私のどこをみて外国人と思ったのだろうか?
その辺がちょっと気になったが。
快速列車は定刻どおり、駅に停車していく。
池田に停車。初めての北海道旅行で乗った特急列車でも停車
したが、池田といえば「バナナ饅頭」しか思いつかない。
特急列車の車内販売で買った覚えがあるからだが、
今回は普通列車である。ここでは8分ほど停車するが
中学生か高校生と思しき者たちが乗り込んで賑やかになる。
下校時間なのかもしれない。
特急列車ではこうした生活風景は見えてこない。
またもや、意識がなくなっていた。
池田からしばらくは起きていたが、目が覚めると白糠。
どこから乗ってきたのか、斜め左後ろのボックス席から
学生と思しき2人の会話が聞こえてくる。
特に片方は声が大きく、あれを食べると気持ち悪くなるだの、
こうすれば食べられるだの、聞きたくない食物アレルギーの
話が耳に入ってくる。
普通列車を乗り継ぐ旅は疲れる。体力がいる旅である。
新幹線や特急列車を使えば、もっと効率よく短時間で
巡ることができる。だがそれは始発と終点という点と点の
旅となり、その途中に存在する景色は高速で通り過ぎていく
車窓からも見ることはできない。
そして特急列車で見た景色は見ているようで、なぜか記憶に
残らないことが多い。
疲れることが分かっているのに、また同じように
鈍行列車で旅をしたくなるのは、さまざまな景色をゆっくりと
感じたり、見たりすることができるのが楽しみだからだろう。
家には今回手にしている時刻表を含めて8冊目になる。
旅する前に必ず出発月の時刻表を買うようにしているので、
過去7回旅をしていることになる。
1年少しで7回。1~2ヶ月の割合で1回は列車の旅をしてる計算だ。
それほど旅をしているとは思っていなかったが、
いくら乗ってもまた乗りたくなるから、不思議なものだ。
鉄道の旅は止め時がわからない。恐ろしい趣味だ。
きっといつかの次回も二段窓からの景色を眠い目を擦りながら
車窓からの景色を楽しんでいることだろう。
そして何度と意識が飛んで、目が覚めてまた同じ気持ち、
同じ考えに浸っている自分がその車内にいるのだろう。
池田では見えなかった海の地平線が見えている。
その手前に立つ家々の屋根は雪国ならでは独特の形をして
暖房用の煙突が聳え立つ。あれほど小さな穴で細い煙突では
サンタクロースが訪問するには難がありそうだ(笑)
そんな屋根と煙突を見ると、初めての北海道旅行で根室まで
行った思い出が甦る。今回は夜行列車を2度乗り継いで、
東京は新宿からはるばるやってきたが、目覚めたばかりで
そんなことを放心状態に近い状態で思い起こす。
特急とは違って、各駅に停まっていく普通列車。
単線区間が多いゆえに、対向列車を待つために12分程停車。
「東庶路信号場」の木の板が掲げられた小屋が見えた。
特急列車ではこうした小屋も見過ごしていたに違いない。
12分の間に左隣の線路にも普通列車がやってきた。
帯広方面への普通列車だが、運転士は女性。
こちらの男性運転士としばし会話を交わしている。
そして我が列車を揺らして、右隣を同じ方向へ向かう
特急列車が高速で抜かしていった。
その特急列車を追い抜くときに、先ほどのアレルギー氏は
未だにドキッとする相変わらず大きな声で話している。
このアレルギー氏は釧路の一つ手前、新富士で降りていった。
きっとその声量なら、東京の山手線なら目立つことだろう。
もし彼の友人だったら、私はまずそのことを教えてあげたい。
そのときは恐らく、彼と同じ地元に住んでいるだろうから、
そうした事情を教えることはできないだろう。
釧路から今日最後の普通列車に乗り換え。
網走へ行く最終列車でもある。
まず時間帯を失敗したことに気づく。
GPSで位置を確認すると、走っている列車は有名な釧路湿原を
横切っているようだが、夜の車窓からはそれは望むことは
できない。車内から漏れる灯りの先はまったく見えない。
私の前びボックス席、正確には「ボックスにした席」には
には男女が向かい合って座っている。
地元なのだろうか、肌の感じや顔のつくりが特徴的であり
お世辞にも東京のようには洗練されていない。
お互いの会話を聞いていると、どちらも口が悪い。
周りを気にする風でなく、大声で「あの馬鹿女」だの
「馬鹿じゃねぇ」だのと会話の中で聞こえるが、
会話よりもこちらに背中を向けて座っている男性が
使っているものに少々驚いた。
デジタル全盛のこの時代、イヤホンの先はipodなどに
代表されるデジタルプレーヤーが主流だが、
この男性が使っているのは、カセットテープである。
自分も前に使っていた時期があったから、
ちょっと懐かしい。「WALKMAN」などのCMが流れていたが
今思い起こすと、もうだいぶ昔の気がする。
この北海道で、タイムスリップしたような妙な感覚に
襲われたが、今年は間違いなく2009年である。
塘路を発車した後、前方に何か居たのだろうか
警笛の後に急停車した。そしてゆっくり走り出してまた停車。
これを2,3度繰り返していたが、根室本線では見られなかった
鹿が飛び出してきたのだろうか。
前に見に行きたいが、運転士の邪魔になるので止めておく。
夜の闇に気動車特有のエンジン音。
線路のつなぎ目を拾う車輪のリズム。
ひたすら闇の中で奏でる宗谷本線の音楽は、
停車駅が続く限り、続いていくようだ
苫小牧を早朝に出発し、普通列車と特急列車を乗り継いで
12時間が過ぎた。しかしまだ網走には到着しない。
特急列車に乗っていると強く感じたのは、首都近郊では
考えれないほどの駅間距離である。
神奈川県に住む私からすれば、この駅間距離は快速列車や
特急列車でちょっとした旅をしているようなものだ。
川崎から小田原まで行くようなものだろうか。
各駅停車の旅もそのスケールは遥かに大きいのである。
観光客という立場から、こんな風に感激できるが
生活者という立場なら、これほど大変なことはない。
駅は2駅や3駅でも、乗車時間だけで平気で2時間近くになる。
列車の本数も札幌や旭川などの主要都市近郊で無い限り、
1時間に一本あるか、ないかだ。
だから生活しなければ、死ぬまでその大変さは分からない。
今まで乗ってきた列車も含めて、北海道に入ってからも
外見がかわいい女の子(中身は知る由もない(笑))で
セーラー服やジャージ姿の中学生や高校生と思しき格好だが
首都圏の「汚れ」があまり影響していないように感じる。
言葉で旨く説明できないが、そこには「女の子」という
原石がまだ生きているように見えたのである。
黒髪の子が多い。それも新鮮に見えたのかもしれない。
逆にそういう子がいると妙にうれしくなり、変態な考えも
角を現すが、理性で何とか抑えているのである。
夜の小さな駅舎へ女の子たちは少しずつ降りていく。
そうした子達を窓越しに見ていると、東京なんぞに
行ってくれるなよと思ってしまう。
向こうの悪い影響で、何か「女の子」であったものが
奪われていくのではという、娘が結婚する父親の気持ちも
きっとこんな感じなのかなとふと考えてしまった。
今のところ、父親ではないのでそんな気持ちなのかは
全く根拠はないけれど。
川湯温泉を出てしばらくすると、携帯電話は圏外となる。
「女の子」だけでなく、現代文明の機器までも拒否している
地域があろうとは!いや、単にアンテナが設置されていない
エリア外なのであろう。
このままずっと圏外なのだろうかと見ていたが、
次の駅へ近づく頃には、ようやく電波が戻ってきた。
地下鉄ではないのに地上でこれほど圏外が続く区間も
北海道ならではなのだろうか。
緑着。駅名版はひらがなで「みどり」。
「井川さくら」のように、まるで女の子の名前みたいである。
上り列車とホームですれ違いながら、網走に向けて気動車は
向こうが見えない夜の闇をゆっくりと走っていく。
昼間なら対照的に車窓から目が離せないことだろう。
次回は是非、明るいうちに車窓を楽しみたいものである。
鱒浦着。ウィンドーブレーカーを着た女の子が降りていく。
上にウィンドブレーカー、下はミニスカート。
肩には高校生が使うよく見かけるかばん。
男として、下には何も履いていない絵を想像してしまう。
実際にそんなことを強要すれば、私が向かうのは
網走駅でなく、網走刑務所だろう。
変な考えが思わず浮かぶのも列車旅ならではの魅力(笑)
もちろん理性で抑えながら乗っているのだけど。
宿に落ち着いて、フロントに教えてもらったラーメン屋へ。
ラーメン屋のおばちゃんにも利いてみたが、フロントと
同じ返答だった。流氷はもう流れてしまったらしい。
3月は3~4日間くらいしか、鑑賞することはできなかった
ようである。
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