2011年12月10日土曜日

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【北海道&東日本パスの旅 5日目】 元気甲斐、そして横軽を歩く 









































 
甲府  
10:25発

↓ 531M 中央本線

11:04着
小淵沢
11:19発

↓ 227D 小海線

13:30着
小諸
14:24発

↓ 2648M しなの鉄道

14:49着
軽井沢

※徒歩またはバス

横川
18:30発

↓ 160M 信越本線

19:01着
高崎
19:44発

↓ 248D 八高線

21:00着
高麗川
21:02発

↓ 2072E 八高線

21:51着
八王子
22:00発

↓ 2212K 横浜線

22:12着
橋本
22:19発

↓ 2264F 相模線

22:51着
厚木
 


旅の1日目は特急列車で通り過ぎたが、大糸線、北陸本線を経由し、   
信越本線〜上越線〜高崎線〜武蔵野線を経て、ぐるっと1周する形で
甲府に戻ってきた。  

昨夜はこのまま、小淵沢まで行きたいところだったが、
駅前には安い宿は無いようだ。
過去に2度ほど駅前周辺を歩き回った事があり、ネットカフェで
一夜を過ごす覚悟だったが   事前にネットで探して、見つけた手頃な
ビジネスホテルで一夜を過ごした。

安いなりに立地もアレなところなのは知っていたが、 
意外だったのは舞鶴城公園を見下ろせる事であった。最近の旅では
城を眺めていると妙にほっとする時がある。 
きっと城めぐりが実はピッタリの趣味になっていくのだろう。
舞鶴城には行かなかったけど。

今日中に帰る事を考え、少し早い時間に出ないといけないかなと
思ったが、甲府を朝10時過ぎに出発してもギリギリ終電前の小田急線で帰れる事が分かった。

甲府のホームに降りると、驚いた事に(調べれば驚く事ではないか)
昨夜乗ってきた青い客車を茶色い電気機関車が連結したまま、
ヘッドライトを灯して留置線に停車中だった。
回送列車なので、ヘッドマークは外されていると思っていたが、
それもそのままだった。
ホームにカメラマンの姿は見かけなかったが、あるいは引き払った
後かもしれない。

まるで私が撮影するのを待つかのようなタイミングで、
元横須賀線で使われた塗装からスカ色と呼ばれる塗装の115系や
白いE257系と呼ばれる特急列車との並びを撮影し終えた後に
その茶色い電気機関車は青い客車と共にゆっくりと新宿方面に
走り去って行った。 

普通列車でまずは小淵沢へ。 小淵沢から小海線。
乗り込んだ車両は残念ながらハイブリット車両ではなく、キハ110系。
最新の車両より窮屈さを感じないのは八高線で乗り慣れているせい
なのかもしれない。

2両編成の車両は席が埋まっている。
だが、途中の小海で客が入れ替わるだろう。
野辺山はJR最高地点の駅ということで記念碑的に訪れる客でホームは
賑わっている。 この辺りで進行方向右側の席が空いたので、さっそく
腰を降ろす。

小海を出ると、客層は地元の利用客だけになる。
これなら小諸までの1時間ばかりをゆっくりと駅弁が味わえる。

故人、宮脇俊三氏の娘さんである宮脇灯子氏も絶賛していた
「元気甲斐」である。小淵沢で購入したのだが、小海線ではなく
中央本線のホームには売店があった。販売戦略としては至極当然で
中央本線からの乗り換え客、乗る客が小海線の利用客よりも多いの
だろうから、客の多い場所に売店があるべきだ。

私のように小海線に乗って駅弁を食べようとしている客は他の客も
同じ考えだろうとどうしても視野が狭くなりがちだ。

自分中心で考えてしまう。人に読ませる文章が書けないのは、
作家と違って周囲の観察がいい加減なのだろう。
観察した事をそのまま書くのではなく、読んで疲れる表現や部分を
削ぎ落とし、疑問に思った事は出来る限り、調べて思い込みで
書かない事なのかもしれない。

駅弁の中身だが、2種類のご飯を楽しめる2段構成。
1300円と高いが、2段構成になっていてちょっとお得に贅沢な気分に
なれるのがよい。

すぐ食べるとお腹一杯にはならないので、ゆっくりと良く噛んで
食べるのがコツだ。高原列車を観光の売りにしているだけあって、
野辺山から下ってきても車窓の景色はゆったりとしており、
気持ちが落ち着いてくる。よい時間である。

食後30分くらいすると、小諸へ向かうしなの鉄道の線路が並走する。
小諸はもうすぐだ。こちらは左カーブしながら、元は信越本線だった
線路に合流する。丁度並走して来た車両は塗装は変わったが、
JR東日本から譲渡された元115系。この線路にかつては、長野色の
あさま号や国鉄色のボンネット型特急列が疾駆した輝かしい時代が
あったのだろう。

小諸。良く観察すれば、そこかしこに国鉄の名残を見て取れるだろうが、西村京太郎のミステリー小説の中でようやく知った地名で
降りたのは初めてだ。

旧信越本線から引き継いだ当時から赤字経営らしいから、
ホームはほぼそのままだろう。変更したのは駅名票くらいだろう。
停車している列車はどこか寂しい雰囲気である。

ワンマン運転の列車は軽井沢に到着した。このままもしかしたら、
横川まで走らないだろうか。そんな妄想も虚しく列車は停車した。
乗って来た折り返しの列車は「小諸行」の行き先表示になっていた。

ここから今回の旅最後のメインとなる。
ほとんどの人が真似をしないだろう。3時間かけて軽井沢駅から
横川駅まで歩き通すのだ。国道18号線をひたすら歩くのだが、
この道沿いに今も残る勾配のきつい線路には碓氷峠を越えるべく、
峠のシェルパと呼ばれたEF63形が重連となって列車の乗客を運んだ
時代があった。出来ればスタンドバイ・ミーのようにかつての
走り抜けた線路をずっと歩いて行きたいが、現在は進展がないが、
数年前に観光鉄道による復活計画があったらしく、この碓氷峠を
通り抜ける線路は廃線扱いではなく、立ち入り禁止になっている。

横川駅側からは途中の3km程は旧信越本線の上り線だけを舗装して
遊歩道として整備されている。アプトの道として歩きながら間近に
かつての下り線を観察する事が出来る。
架線も柱も信号機も蔦に絡まるに任せたままだが、ほぼ当時のままに
なっている。横川駅そばの碓氷峠鉄道文化むらから遊歩道が終わる
温泉施設である峠の湯までは、下り線を使ってトロッコ列車が
季節運行しているが、それを除けば営業列車が走っていた頃には
出来なかったスタンドバイ・ミーのような体験が出来る。

歩くルートはその遊歩道に入るために旧信越本線第三橋梁、
俗称「めがね橋」まではひたすらカーブの続く国道18号線を下って
行くことになる。まだまだ夏の暑さが残る中、しばらく歩けば汗が
流れてくる。汗の臭いに執拗に飛んでくる虫が気になるが、タオルで
払ってもキリがないので気にしないようにする。

どれくらい歩いたか覚えていないが、道路沿いを良くみると
木々の奥に架線が見えてくる。かつての信越本線だろう、斜めに
傾いているところからも勾配がいかにキツイか分かる。

途中後ろからやって来た車から、大丈夫ですか?乗せましょうかと
声を掛けられた。群馬のナンバーから地元の人だろう。

そういえば、前回遊歩道を歩いて横川駅へ向かう途中も散歩中の
おばさんに雨だから乗せましょうかと声を掛けられた事を思い出す。
群馬の人たちはかくも優しい。今回の旅の目的を達成するべく、
お気持ちだけ頂戴した。

今回3時間かけて歩いたルートだが、碓氷峠をひたすら下るだけに
道がカーブするだけの単調な風景が続くので、正直途中から
飽きてくる。横川〜軽井沢の昔に思いを馳せるという殊勝な目的が
無いなら、無理に歩くことはオススメしない。

途中の旧熊ノ平構内の線路が覗く、熊の平トンネルは現在は立ち入り
禁止になっている。
現役の頃の個人が撮影した写真をWebで見かけたが、今なら警察に
通報されそうだ。列車の走っているすぐそばに人が立っている。
明らかに線路内立入だろうが、今よりも大目に見ていたのだろう。

トンネルを塞ぐ黄色い柵は乗り越えようと思えば出来るだろう。
だが強引に撮影するのはいかがなものだろう。
それは他人の家に勝手に上がり込むのと同じだ。熊の平トンネルに

カメラを向けていると一台の車が停まった。
降りて撮影するのかと思ったが、後部座席に座る男の子に見せる
ために一旦停車だけらしく、しばらくして走り去った。

2時間くらい歩いただろうか。駐車場が見えてくる。
めがね橋駐車場という名前らしい。しばらく歩いていると正面に
アーチ橋が見えてくる。めがね橋だ。旧線時代に使われていた表面が
煉瓦造りの橋だが、少し離れている新線の白いアーチ橋と比べると
偉容さは雲泥の差だ。技術力云々よりその仕事への誇りが差に
出ているような気がする。

ここまで来れば後1時間くらいで横川駅には到着するだろう。
しかし汗を流したい。そのつもりで峠の湯に寄りながら遊歩道を下る
ルートを選んだのだ。

2時間以上歩いたので、湯船に浸かるとゆっくりと疲れが溶けて
行くのが心地よい。さっぱりした心地で再び遊歩道に出るとすっかり
夕方である。もう少しで暗くなるだろう。

すでに旅客列車が走らなくなって14年が経過している。
列車の走らない線路はそれだけでも寂しいが、見上げてみると
そのままの架線柱の電線は3本のうちの1本が切れている。
信号機も錆びて蔦が絡まっている。

数年前の観光鉄道としての復活計画は今のところ凍結状態のようだ。
今見ている風景がまさにそれを物語っていると感じるのは気のせい
ではないかもしれない。

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