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【青春18きっぷの旅 1日目】直江津の夜、歌うラーメン屋
八王子
11:38発
↓ 1165E 八高線
12:17着
高麗川
13:02発
↓ 239D 八高線
14:33着
高崎
15:22発
↓ 741M 上越線
16:28着
水上
16:33発
↓ 8747M 上越線
(越後中里から1747M)
17:31着
六日町
18:05発
↓ 846M 北越急行~信越本線
19:15着
直江津
今回でおそらく最後の列車旅になるだろう。
夜勤明けの眠い体は横浜線に揺られている。
本当は有楽町のいつもの店まで足を運びたいところだが、
行程の都合により、中央林間の箱根そばでちょっと侘しい昼ごはんになってしまった。
横浜線の快速列車は日曜日のためか、程々に混雑している。
八王子からは東京近郊のローカル線と思っている八高線に乗っていく。
高麗川で次の列車まで40分程時間が空くのだが、駅前は何もない。
かなり前に臨時列車に乗りに行く旅で、駅前に唯一ある食事処はそのチャーシューメンが
不味いことは身をもって実証済みである。
喫茶店でもあればと見回すのだが、あるのは居酒屋の看板だけ。
ホームに戻って仕方なく車内でしばらく時間を潰すしかない。
高麗川から高崎は列車番号が示すとおり、気動車に揺られること1時間半。
エンジンのうなり音を聞いていると、ようやく列車旅が始まったという実感が沸く。
湘南新宿ラインを使えば、昼ご飯のために有楽町に寄っても今回の行程にあまり影響ない。
けれども同じ高崎ならなるべくロングシートは避けたい、というポリシーがある。
2両編成のキハ110系は、のどかな風景をゆっくりと走っているように感じる。
明覚から小川町へ向かう途中で、沿線で手を振る親子に運転士が小さな汽笛で挨拶する。
隣のボックスシートに座るおじいちゃんは、昭和時代の雰囲気をバリバリ前面に
押し出し携帯電話で話す声の大きいこと。話している相手は留守を預かっている
家人だろう。どうやら持っていくはずの列車の乗り換え行程か何かを書いたメモを
忘れたようで自分が悪いことを自覚しつつも、状差しにあるはずのメモの内容を
早く伝えろと怒った口調で話している。一旦切られた電話に再び着信音が聞こえてくる。
電話の相手もその点は心得ているようで、きっと状差しにはなくて、
別の場所に置いてあったメモの内容を再びかけた電話で伝えているようだ。
間違っても、あなた行程表を忘れたんでしょう?とは問いかけてはいけない。
「こだま」という言葉が聞こえたから、はじめは東海道新幹線に乗るのに
なぜ反対方向の列車に乗っているのだろう?と思ったが、「児玉」のことらしい。
「たいしょう」という言葉も聞こえたが、そんな駅はこのあたりにはないぞ?と
思ったが、「たいしょう」ではなく「丹荘」で、待ち合わせだか何だかは不明だが
このおじいさんが降りようとしている駅がどうやら「丹荘」のようだ。
その前の駅が「児玉」だということを電話の相手に確認していた様子だった。
斜め前のボックスシートに座る少年3人組。彼らは三脚にすえられたビデオカメラを
真ん中に向かいあわせに座って興奮気味におしゃべりをしている。
高崎で列車の走行シーンでも撮影するのだろうか。
上越新幹線の高架が右側から寄り添い、頭上を跨ぐころにはもうすぐ高崎である。
高崎線との線路とも右側から合流する。高崎定刻着。
高崎から数分後に発車する水上ゆきは水上から長岡ゆきに接続していない。
この列車を見送り、次の列車まで30分ほど。コンコースの文房具店でメモ書きや
記念スタンプを押すのに丁度よい文庫本サイズの白地のノートとボールペンを購入。
目的の列車は湘南色の115系。しばらくはクロスシートの旅が続けられるはずである。
相席のおじいさんは窓から差し込んでくる日差しがまぶしいようで、ブラインドを
半分降ろす。普段利用している者にとっては流れる風景にさほど
興味など沸かないだろう。このおじいさんが座っている間はこちらも少し我慢をして
ブラインドを下まで降ろす。
夕方の日差しにしてはじっとしている汗ばむような陽気である。
青春18きっぷの販売案内のポスターに書かれたコピーが思い浮かんだ。
「一駅一駅、春になっていきます」を今、実感している気がした。
かなり前のポスターに「もう三日もテレビを見ていません」というコピーがあったが
駅寝でもしない限り、テレビを三日も見ないことはないのだろう。
よほど無人駅でもない限り、駅寝をさせてくれる駅はあるのだろうか。
ブラインド越しに気の早い春の陽気を感じながら、夜勤明け故に風呂に入りたい気持ち
ではあるが、今回の宿泊地である直江津まで待たねばならない。
旅の第1日目はこれまで中途半端に乗ってきた上越線をきちんと普通列車で行きたい事、
北越急行こと、ほくほく線に乗り潰すことである。
高崎で一緒に買っておいた缶コーヒーを飲みながら、板チョコと歌舞伎揚を食べる。
水上はまだ白く雪が残っているのだろうか。
長岡行きはさらに乗客が少ないガラガラの車内。
水上を出るとしばらくしてトンネルに入り、土合よりは有名度が低い湯檜曽に停車。
雰囲気から察するに地元の人たちだろうか。何人か降りていく。
前に来たときは私以外は誰も降りてこなかったが、駅があるということは一部例外は
あっても人が住んでいる、ということが分かる瞬間でもある。
土合ではすでにホームでカメラを構えている人たちが数名。
若い男性ばかりで女性はいない。かつてのホームが拡張され、発着時に使われていた
線路は剥がされて、枕木だけになっている。拡張されたホームは蛍光灯の間隔を
増やし、乗り場以外のスペースはフェンスを設けたために明るくなった。
拡張前の足元さえ暗かったホームは臨時の快速列車「一村一山号」以外は短い編成の
普通列車しか停車しない。普段は長すぎるホームだったが、トンネルの壁で灯る
蛍光灯だけではホームの端まではその光が十分に届かないために全体として暗かった。
それが日本一のモグラ駅としては一段と良い雰囲気になっていただけに今の明るい
土合駅はちょっと残念ではある。
列車はホーム後方でカメラのフラッシュを浴びながら、まだ長いトンネルを進む。
土合で乗り込んできたスノーボードを持った何人かはトンネルを抜けると雪国、いや
次の土樽で降りていった。替わりにスキー板を抱えた中年夫婦が乗って来る。
再び二段窓の下を開けてみると、汗ばむほどの日差しがあった陽気ではなく
ひんやりとした風が入ってくる。こちらはまだ上着がないと少し寒い。
越後中里は駅前がすでにスキー場の雰囲気である。小さな子供もスキーウェアを着て
廃車になってロッジかなにかに転用されているらしい青い客車の前で雪に戯れている。
スキーヤーと一般客が混在した車内は白い上越線をゆっくりと走ってゆく。
越後湯沢から新幹線で帰るのだろう。列車は越後湯沢に到着すると、一斉に彼らは
降りていく。石打~大沢間で右手の視界が拓けてくる。山々にはまだ白く斑模様。
上越国際スキー場前でも上り列車がやってくる線路を挟んだ反対側のホームには
同じように越後湯沢から新幹線で帰るのであろうそのほとんどがスキーヤーであろう
人たちがトランクケースを脇に抱えて大勢待っていた。
シーズンが過ぎれば、このホームは嘘のように静かになるのだ。
塩沢で上り方面のホーム端にカメラを構える中年と思しき男性が一人。
六日町からほくほく線に乗り換える。発車までは30分ほど時間があったので
駅前のショッピングセンターをぶらぶらしながら、デジカメ用の電池と大判焼きを
2個買う。始発の越後湯沢から乗れば良かったが、すでに席は埋まっていた。
ここは都合よく前面展望を楽しむことになる。そろそろ外は夜になろうとしている。
車内の灯りが反射してよく見えなくなってくる。上り列車の発車を待ってから発車。
美佐島。特急はくたかが物凄いスピードで通過するため、危険のために列車降車後は
2分以内にホームから出ないといけないことで有名なトンネル駅である。
降りてみたいが、直江津での夜を楽しむ時間が短くなってしまう。
次回行く機会があれば、ゆっくりと探訪することにしたいと思う。
しんざはトンネルを出るとすぐホームが迎える。この赤倉トンネルはJRを除くと
最長の10472m、つまり大人の足で歩いて2時間かかる長さらしい。
十日町では反対列車と特急列車と待ち合わせ。時間限定で1日2本運行している
「あおぞら号」は車体が青帯ではなく、赤帯になっている。
この列車が反対側のホームから発車すると、こちらもいよいよ発車する。
発車直前に左手を特急はくたかがすごいスピードで走りすぎていった。
ほくほく線を走る普通列車はすべてワンマンカー。トイレがないので注意だ。
トイレ休憩をするなら、十日町のような長時間停車を有効に使いたい。
全体として山岳地帯を通りぬけるようになっているためだろう、
赤倉トンネル以降もトンネルの壁ばかり。特急はくたかでもこの区間はあまり
車窓は期待できなさそうである。トンネルがこれだけある、ということはそれだけ
山が多いのだということが当たり前だが実感する。
横がだめなら、前面展望を楽しむしかない。
夜の高規格路線を普通列車は100km越えの軽快なスピードで走っていく。
普通列車だけなら、東京の赤い走り屋(?)の京急と互角な走行スピードだろう。
小田急ユーザとしてはどれに乗っても基本的にノロイ小田急に比べると、
軽快なスピード故に憂鬱しない。通勤路線としてもこれくらいスピードを出してくれる
ともう少し小田急に乗るのが楽しくなるのだが。
まつだいで女子高校生の黄色い声が2両目後方から響いてくる。
前面展望も飽きてきて、2両目のボックスシートに落ち着くが窓の外はトンネルの壁。
轟音ばかりが響く車内で、反射した窓越しに斜め向かいのボックスシートにこちら側に
向いて座る女の子を見る。そのめがねをはずすと何とか・・というタイプだろう。
コミックを読んでいる。ほくほく大島で降りていく先輩格と思しき女の子に挨拶した
後は文学少女よろしく活字に切り替え、めがねもはずしている。あまりかわいくないか。
直江津では駅前の予約したホテルにチェックインを済ます。
それから早速夜の街を散策に部屋を出る。といってもいつものラーメン屋探しであるが。
しばらく歩いて見つけた「ら~めん」の暖簾。もう少し先にも見つかるかもしれないと
思い、周辺をぐるっと歩いていたが結局その後は見つけることができず、先ほどの
暖簾のところに着くまでに1時間は歩き続けていた。
昔ながらの食堂スタイルでついでにラーメンもはじめました、かと想像していたが
全く想定していなかった時間を過ごすことになった。
この店に次回訪れるときはもしかしたら「らーめんレストラン」を屋号の冠に掲げて
いるかもしれない。それは常連の2人のおじさまとの思いかげない交流からである。
―――――――――――店に入ると、静かでテレビの音だけが聞こえるものと思って
暖簾をくぐると、カウンターの店員であろう中年女性は常連客と思われるこれもまた
中年と思われる客たちと親しげにおしゃべりをしている。すでに酔いが回って、
出来上がっている風であるが、カウンターに座る白髪のおじさまとこちら側の座敷に
座るおじ様はその中でも地元同士で特に仲が良いのだろう。彼らのやりとりから
白髪の方がギターで一曲歌うことになったようだ。
家がすぐ近くらしく、白髪は一旦店を出てしまうと、しばらくしてギターを持ち込んで
戻ってきた。テレビは消され、白髪の即興ギター演奏会が始まることになった。
ギターの指は少々覚束ない部分があったが、それでもその歌声はよく通っていた。
地元の友人が趣味で始めたが、まだまだ音すら満足に出せていなかった。
それと比べるのは失礼を承知だが、かなり練習していることは素人目にも分かった。
らーめん屋に来て、地元の親しげな空気が流れているところを邪魔した気がして
演奏が終わったら申し訳ない気持ちですぐに拍手した。
それを賞賛と受け取ったらしいギター氏は、酒の酔いもあったのだろうが、すこぶる
機嫌が良くなったらしく、2曲目が披露されることになった。
有名な坂本九は昭和末期生まれの私でも知っている曲だったが、
この直江津から近い日本海をテーマにした「潮騒」という曲は知らなかった。
そして演奏会の後は、このギター氏の人生についての講義が始まる。
そのほとんどは私がギター氏の話すことにひたすら相槌を打つ形ではあったが、
彼の夢は抱えているギターで世界を特にアジアを演奏しながら渡り歩きたいそうだ。
世界版の琵琶法師ならぬ、ギター法師を想像すればよいのだろうか。
その夢をかなえるために2つの事に打ち込んでいるという。
ひとつは週1ペースで受けているギターのレッスン。
もうひとつが「ライブ」で、これはその後の話の流れから地元の仲間が集まる前で
今回のように弾いて聴かせることを表現しているようだ。
英会話などの外国語などを日常会話レベルにするにはガールフレンドを持つこと、
と力説する。海外の友達とその友達の母国語で会話するようになるのが一番の練習
であるということを言いたかったらしい。それは当たり前だろう。金をかけて外国語
教室に行くよりは上達の早さも違ってくるだろうとは突っ込まなかった。
話をまとめると、ギターも外国語の習得も何度も練習するよりも本番を大事にしろ、
ということらしい。練習はいくら練習しても本番ではない。練習するなら、常に
本番の心意気で取り組め、それはオリンピックの選手が本番でミスしないことや
人生を学ぶことでも通ずることだと。
一介の観光客が偶然入った店で出会ったこのギター氏がどこまで本気なのかは
全く知る由もないし、知る気もないが、本気なら勢いでこの「やおき食堂」は
その屋号に「らーめんレストラン」を冠にしているかもしれない。
明日の事を考えたら、ホテルの部屋に戻って寝たい。
このギター氏よりも前に店を出たかったが、このギター氏が気持ちよく店を出てからに
しようともう少し辛抱して話を聞くことにした。
店の閉店時間がいつなのかは分からないが、日付が変わる30分ほど前にギター氏が
店を出るのを見届けてから、私もこの店を後にした。
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