2010年4月2日金曜日

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【青春18きっぷの旅 2日目】絶景にて駅弁、赤福の大いなる罠

直江津
8:10発

↓ 344M 信越本線

9:53着
長野
10:11発

↓ 440M 信越本線~篠ノ井線

10:46着
姨捨 ※駅の撮影、駅弁
11:52発

↓ 3524M 篠ノ井線
  快速 みすず

12:48着
塩尻
13:05発

↓ 1828M 中央本線

14:56着
中津川
15:13発

↓ 2730M 中央本線
  快速

16:27着
名古屋
16:44発

↓ 1317M 関西本線

18:04着
亀山
18:38発

↓ 259D 関西本線

19:55着
加茂
20:07発

↓ 479Y 関西本線
  区間快速

20:14着
木津
20:25発

↓ 5535M 片町線

21:22着
京橋
21:25発

↓ 4197M 大阪環状線

21:32着
大阪 



暑過ぎるほどの暖房が利いた部屋で、のどの渇き故に目が覚めた。朝6時過ぎ。
ここで起きれば予定の列車に余裕で間に合ったのだが、どうにも起き上がる気分が
せずに二度寝。起きたのは7:40。あと3分以内で身支度して列車に乗り込むなど
不可能である。だが予定の次の列車を逃してしまうと、特急列車を使わざるを
得なくなりそうだ。そうなればゆっくりとこれから向かうスイッチバックの駅すら
拝むことはできなくなってしまう。予定ではこの7:43発の列車に乗る予定だった。
この列車は都合よくこれから通るスイッチバック駅である二本木止まり。
その33分後に二本木にやってくる列車が予定の次の列車である。行程の途中で下車し
しかもあまり待ち時間もなく、次にやってくる列車を撮影して乗車できる機会は
この時間帯以外ではないのである。





急いで身支度をして、駅へと向かう。
115系長野色の車内、そのボックスシートはすでに先客があった。しばらくは
ロングシートで席が空くのを伺うことにする。列車が発車する。車窓には白く雪が
残っている。通学時間帯だけに制服姿の学生が多い。そういえば、直江津の駅舎へ
ちょっと急ぎ目に向かうときも学生数人とすれ違った。彼らは途中の高田、南高田で
下車していったところを見ると、このあたりまでが通学圏になっているようだ。


ようやくボックスシートが空く。これから向かう二本木はスイッチバック駅である。
都合よく進行方向右側のボックスシートが空いていたので、進行方向とは逆向きの
シートにすわり、二段窓を空けてその時を待つ。やがて列車は減速しはじめた。
どうやら引込み線に入ったようだ。列車は進行方向を変えて、開けた窓から覗いて
みると列車の車体は左へと曲がり、今まで走ってきた線路が右へ離れていく。
そして再び減速し始めた。二本木に到着。ここで列車の待ち合わせでもあればよいが
どうやらそうしたものはなく、すぐにホームを離れていってしまう。
一つ前の新井で10分近くも停車していたのは、この二本木のスイッチバック構造故に
反対列車とすれ違うための時間調整だったようだ。
持参のJR時刻表を眺めてみると、この二本木はそのために運行上の壁になっていて
新井止まりの列車が多いのである。
車内は暖房が利いているためか、上着を着て座っている暑く感じる。窓を申し訳程度に
少し開けてみると冷たい風が初めは心地よいのだが、次第に冷たく感じてくる。
しかし再び閉めると少し暑く感じる。

妙高高原で「妙高号」の白地に緑帯を配したかつて横川~軽井沢も走っていた
特急「あさま」に使われた車両とすれ違い。この189系はあさまカラーと呼ばれている。
「妙高号」はそのすべてが快速列車なのかと思ったら、妙高2号以外はすべて普通列車。
特急列車としては使われてなくなったが、車両運用の事情のためなのだろうか。
青春18きっぷの旅では、乗り得車両ということになるのだろう。

妙高号が停車して扉が開くと同時に、こちらが先に発車。
列車は山々の間を縫うように走っていく。
窓の外はほとんどが白い。雪と空がそろって白く、白いカーテンに透けるようにして
太陽のぼんやりした光が差している。眠くなってくる風景である。
黒姫から乗り込んできた乗客によって、席はそれなりに埋まってくる。









長野で乗り換え。このまま「姨捨」まではひたすら勾配を上っていくのかと思ったが
稲荷山を出てしばらく走ってから減速して停車。そしてゆっくりと反対方向に列車は
進んだかと思ったら、また停車する。女性車掌の車内アナウンスによると反対列車が
行き違うために3分ほど停車するとのこと。しばらくして窓右手を特急列車が右から
左へと走り去るのが見えた。ここは桑ノ原信号場。姨捨まで一気に上ることは
できないのである。高低差のある山の中を列車は姨捨まで2回スイッチバックを使い
高度を徐々に稼いでいることになる。日本三大と数えられる風景がすでに右手に
見えてはじめていたので、姨捨を通り過ぎたのかとちょっと焦る。

しばらく走り続けると、今度は右手上に架線と架線中、そして姨捨駅のホーム。
列車はそのまま通り過ぎて、一旦引込み線で停車する。
先ほどの信号所と同じように、進行方向を変えて列車はホームへと近づいていく。
車掌はアナウンスで出口は左側と案内していたが、一時的にせよ進行方向が変わる
のだから右側と案内してほしかった。確かに間違いではないのだが。


姨捨のホームに足を踏み入れたのは私一人。誰も降りてくる者はいなかった。
列車を私を残して、ホームを離れていった。

別名、善光寺平と呼ばれるこの長野盆地の絶景を前に観賞用として絶景に向いて
設置された椅子に座って早速駅弁でも良いのだが、まだ時間はある。
ゆっくりとホームや景色、そして駅舎を覗いてみることにしたい。






線路を挟んだ隣のホームは長野方面行きが停車する。このホームからなら駅名票、
ベンチ、その向こうの善光寺平を背景に撮影ができる。
すぐ後ろの駅舎には、簡単ながらもこの姨捨の名前の由来となった歴史について
説明された文が壁に掲示されている。駅ノートがフックにぶら下っている。
駅ノートを繰ってみると、青春18きっぷ以外にシーズンではそれほど書き込みがない
と思っていたが、書き込まれた日付を見る限り、ほぼ毎日誰かが訪問している。
最近の日付は昨日だった。もしかしたら他の訪問客が偶然同じホームで降りるという
ことがあったかもしれない。それが若い女の子一人なら、確実にあり得ない事だが
そんな状況があれば気まずくもあり、何だかうれしくなる。という妄想もできる。

全く一人というわけではなかった。黄色いヘルメットを被ったおにいちゃんたちと
一緒であった。彼らはこの駅の車止め付近でなにやら工事らしき作業をやっている。
他にカップルが降りていたらまた違った事情が込み入ってくるのだが、
そうしたことは気にせずに駅弁を食べながら、缶ビールで気持ちよく酔えそうである。




季節としてはすでに桜が開花してもおかしくないのだが、まだ上着が手放せない。
雨でなくて良かったが、よく晴れたこれからの季節なら白く霞んで見えない向こう側も
きっとよく見えるのだろう。缶ビールも何故か旨く感じる。






他にすることがなく、あとは列車が来るまでゆっくりと待つだけである。
列車到着の少し前に中年女性が一人、階段を下りたところで待つ。
続いて若いカップルが一組。先ほどの列車と同じでなくて本当に良かった。
昨夜お邪魔した直江津のらーめん屋とはまた違ったところで気を遣わないといけない
ところである。カップルが来るだけでこちらはお邪魔虫にならざるを得ないからだ。

松本方面からの115系長野色がやってきた。
これから私が乗る快速「みすず」とすれ違うために少々停車する。
しばらくしてホームのすぐしたの線路からJR東海の個人的には残念な車両がそのまま
奥の引き上げ線へと通り過ぎていった。再び方向転換してこちらのホームへと入線。






先ほど出会った妙高号のような車両を期待していたが、もう少し先はJR東海管轄区。
ドル箱路線とばかりに新幹線に注力を注いでいるところだから、仕方がない。
後方展望を楽しみながら、長野方面へと発車を待っている115系に別れを告げる。
御殿場線の長野版に乗っている気分である。車両のせいである。





坂北~西条は山は潜り抜けるようになっているためか、トンネルばかり。
田沢でようやく席に座ることができた。信越本線同様に篠ノ井線もそれなりに
利用はありそうな印象だが、長野新幹線が長野から金沢へ延伸するに伴い、
信越本線の長野~直江津、つまり先ほどの二本木をスイッチバックを楽しんだ区間は
第三セクター化するらしい。2014年度予定だからそれほど先の話ではないのだが、
そうなると第三セクター化を機に二本木のスイッチバック構造も消える可能性が
ありそうだ。鉄道関連の雑誌によれば、貨物列車によるスイッチバック運用は不要
になっているため、その可能性は高そうである。

特急乗り換えだろう、大半の客は松本で降りていった。




塩尻から中津川行きに乗り換える。ここから中央本線になる。
JR東海管轄がしばらく続く。もちろん車両は先ほどと同じである。
席も姨捨で乗ったとき同様にすでに席は埋まっている。しばらくは立ち見で景色を
楽しむことになりそうである。こちらはすでにないと思ったが、まだ白いのが見える。
贄川(にえかわ)を渡ると単線になる。木曽平沢へ向かう途中、直前で横断する人間・・
ではなく、数匹のサル集団。今の人間と同じである。待てない点は一緒だ。

各駅に停車していくが、なかなか席は空かない。
少し早めに昼ごはんにしたためか、少々眠くなってくる。
木曽福島で10分程停車する。学生さんの集団が乗り込んでくる。
席に座っていたが、ここで意識がなくなってしまったらしい。

目が覚めると野尻。学生さん達が降りる準備してドア付近で並んで待っている。
駅前の自転車置き場に向かったり、そのまま離れていったり、という光景を見て
列車は次の駅を目指すべく、ホームを離れていく。

十二兼で学生の男子2人が降りていく。先ほど降りていった彼らもそうだったが、
髪こそ黒くしているが、引きずるように歩きながらトロンとした視線を投げてくるのは
見られる側としては決して気分がよいものではない。馬鹿にされている気になる。
「類は友を呼ぶ」とはこのことを言うのだろうか。
省エネが叫ばれながらも彼らはお互いが疎外感を味わう恐怖から逃れるために
日々周りの空気を読みながら、電波の向こうにもリアルタイムで気を配るという
超エネルギー消費時代に突入しているようだ。なんとも皮肉な時代である。





中津川で快速名古屋行きに乗り換え。もう少しでJR東海の残念な車両とお別れである。
始発では空席も目立つ6両編成だが、これから名古屋に近づくにつれて混むのだろう。
席を確保してから発車までのちょっと間を、どんな客層が乗っているのかを観察。
年齢層は半分強が外見からすると10代~20代のようである。
案の定、何駅もしないうちに車内の席は埋まり始める。

古虎渓、定光寺は通過するが、先ほど同様に山の中をくぐりぬけるためか
トンネルがやたらと多い。

高蔵寺で後続の特急列車が追い抜くために少々停車する。24分遅れのその特急列車の為
この列車も定刻から6分遅れて出発することになった。
当初は名古屋からすぐに乗り換えて大阪へ向かう行程を組んでいたが、それでは
頼まれた「赤福」が買えそうにないなと思い、名古屋でおみやげを買う時間を確保
する行程に変更した矢先だったので、特に問題はない。

春日井に着くころには雨。名古屋圏に近くなるにつれて、ホームで待つ人の数は
先程と比較するまでもない。それまで山と川と時々トンネルが続いていた景色は
住宅や雑居ビル程の高さの建物が沿線に見られるようになってくる。
名古屋には定刻より6分遅れで到着。

次に乗る予定の列車まで30分ある。ゆっくりとおみやげを見るには十分だ。
といっても、すでに買うものは決まっている。「なごやん」と「赤福」である。
さてこれを宅配でお願いしようとしたところで大きな誤算が生じたのである。

「赤福」だが、宅配は受付できないという。賞味期限は製造日を含めて3日間。
つまり明後日までということだが、宅配する地域によってはこの賞味期限を過ぎる
場合があり、食品衛生上受付はできないということらしい。
(らしい、としているのは店員からそのように説明を受けていないからだ。
理由を尋ねてもおそらく同じような回答が待っているのがわかったので、こちらから
質問はしなかっただけである)
ここで素直に言うことを聞かずに、何が何でも宅配させるように交渉するのが
賢い人として賞賛されるのかもしれないが、そんなエネルギーを使わなくてもよいかと
いう算段があった。リュックに余裕で入るだろうと考えていたからである。

ここで2つめの誤算が生じた。リュックに入れるのに思わず難儀するのだ。
前のリュックより少しだけ大き目のものを買いなおしたものを使っているが、
そのピンク色の箱の幅がもう少し小さいならば、余裕でファスナーも閉められるのだが
他の荷物との入れ方を考えないとちゃんと閉まらないのである。
しかもなるべく平らを維持しないといけない。厄介な代物を抱えてしまった・・。
東京駅で売っているのならいいのだが、確か売っていない記憶がある。
もしかしたら大丸あたりで扱っているのかもしれないが、生もの故に扱っている
可能性は低そうだ。


小腹を満たすために、チョコクリームのパンとカレーパンを買った袋をぶら下げて
すでにホームに待っている亀山行きに乗り込む。
何人か並んでいたが、何とか席を確保。あまり客が乗ってこないうちにパンの袋を
少し開けて食べ始めるが、発車時間間際ともなると相席になってしまった。
申し訳なさそうに体を縮めるように食べ終えると、定刻に列車は発車した。

この快速列車の最初の停車駅である桑名で大半の乗客が降りていく。
ここでまた意識がなくなってしまったらしい。記憶がないのだ。
結構な時間を居眠りしていたらしく、目が覚めると終点の亀山の手前であった。
窓の外はすっかりと暗い。居眠りしようにも眠くない。そうなると聞きたくもない
他人の会話を聞こえない振りをするしかない。




亀山から乗り換えた加茂行きが全車ロングシートなら尚更である。
折り戸方式の洒落た乗降扉は要らないので、せめてクロスシートにしてほしいものだ。
始発から立ち客が少々の乗車率だが見るからに地元の雰囲気。途中で降りていって
ガラガラの車内になるだろう、そして大阪に近づくに連れて少し混んでくるだろう
と予想する。何とか座れた身なのでこんな予想をしなくてもよいのだが、ロングシート
で窓の外が暗いとなれば、居眠りするしかなくなる。本当に少し眠いのである。
無駄に想像力を働かせて、睡眠信号妨害作成をかくも実施するのである。

時刻表の索引地図では分からないが、加太から柘植はけっこう駅間が長い。
柘植で乗客が入れ替わる。立ち客がなくなり、席にところどころ隙間が見える程度に
落ち着く。向かいの中年男性のように人目をあまり気にせずにカップ酒とおつまみで
堂々と即席晩酌ができるくらいになれば、この先50歳でも70歳でも生きていけるような
そんな気がした。2日目にしてこんな事を考えていたら残りの旅が楽しめなくなりそう
なので、やめておこう。




加茂から大阪環状線で見かけるオレンジ色の車両に乗り換える。
2日目の最後は気が緩んでくる。うっかりとこの区間快速に乗ってしまうと、危うく
片町線を乗り潰せずに大阪まで行ってしまう罠(?)が待っている。

片町線から東西線直通の快速列車を待つ。
やってきた列車は通称神戸線、京都線の「普通」で使われている車両である。
快速や新快速は運行区間が長いためかクロスシートが使われているが、
普通はロングシートが使われているからだ。祝園(ほうその)や下狛は道路脇に無理やり
造られた感じでホームが狭い。京田辺で3分停車。列車は夜の単線を走っていく。
松井山手で2分停車。車内は先ほどの加茂行きとは違ってガラガラである。
時間帯のせいだろうか、学研都市線という愛称がついてはいるが、10代~20代で賑やかな
車内をイメージしていたが、もう少し早い時間なら賑やかなのかもしれない。




単線ではあるが、時刻表を見ればわかるように運転頻度は高い。
2駅~3駅進むと反対列車とすれ違うという感じである。
ずっと単線かと思っていたが、「快速」がその名の通り、快速運転区間に突入すると
複線になっている。四条畷で急に客が増え、ガラガラのロングシートは埋まり始める。
中央本線に乗っているときから雨が降っているのは認識していたが、大阪に近づくに
つれてその雨足は強くなるばかり。大雨が降る雨の中でラーメン屋探しは厳しそうである。

大阪到着は21時半。ホテルにチェックインした後、パソコンを借りる。
今はホテルでもパソコンを借りて、インターネットに接続できる時代になった。
検索して見つけた1件のラーメン屋。24時まで営業しているようだ。しかもあまり濡れずに
済む地下通路が使えるようだ。と思って店まで来ると、この時間まで仕事だったのだろう
スーツ姿の人が多い。しかもさらに3人ほど並んでいる。こういう光景を見ると、日本人は
つくづく仕事との付き合い方が下手糞だと思ってしまう。早く帰りたくても周りの雰囲気に
なかなか帰れないので、明日できるのに今日手をつけて結局気づいたら日付が代わる
ころになっていたり、作業を先延ばしにした結果が残業するというツケになったり、
国で大型休暇を設けない限り、なかなか進んで休暇をとらないところ(一部には自分が
こなす仕事や作業がきちんと出来てうまく取得している人もいるだろう)なんかは日本人は
一億総マゾヒストの民族なのかと思うときがある。

いつからか日本に限ってみると、サービスの24時間化が求められるようになった。
病院だけでなく、コンビニエンス、インターネット接続、携帯電話など・・・。
こうしたサービスが24時間提供するためには彼らも24時間仕事の事を考えていないと
いけなくなった。何かあれば電話やメールで呼び出しを食らう。寝ているときも旅行に
出かけているときも。誰かとデートしているときも。オ●ニーしているときも。

だから休みが長くなればなるほど、仕事を忘れることができなくなってくる。
休日に感じる恐怖は休日1日毎にきっと1.25倍で比例するに違いない(?)

休暇を取得することが仕事に対する怠惰に受け取られないかという不安もあるのだろう。
周囲からの自分の評価がどうなっているのか、ということがしっかりと把握できない事も
休暇取得に積極的になれない原因にも思える。
ならば、あまり休みを取らずに職場に出かけていた方が気が楽だ、という考え方が
暗黙の了解のようになっているのではないだろうか。

小学校や中学校、あるいは高校などテストや体力テストを通して点数で自分の成績が
評価されるという経験をしてきた。休暇も条件付き方式で取得できるようにすれば
安心なのだろうか。何点以上取得できたから、休暇取得OKです、のような。

この条件付き方式の休暇取得システムでは安心できないだろう。
休暇中もそれこそ前日の夜まで、いや翌朝職場に到着するまできれいに仕事のことを
忘れることができる画期的なシステムができて、初めて日本人は自分の意思で休暇を
取得する喜びを感じることができるだろう。今は一部の仕事が出来る人間だけに
限定されているが、このシステムが日本人の大好きな文化、「暗黙の了解」で広まれば
時間はそうかからないだろう。

と、強く雨が降りしきる大阪の街を歩きながら考えていたわけではない。
最初に調べたそのラーメン屋以外は見つからず、何故かそうした事情を知っているか如く
一軒の餃子専門店の看板だけが煌々と目立つ。こちらも人待ちがあるならと思ったが
旨い具合にカウンター席が空いていた。ここでラーメンも食べらればと文句もないがと
思ったが、もう雨の中をすでに濡れたズボンで歩き回る気にはなれなかった。

ラーメンと餃子と瓶ビールを頼むよりも少し割高な夕食になってしまったが、
餃子もとろろご飯も汁物もおつまみに頼んだ和え物も外がまだ冷たい雨のせいだろうか
とても旨かった。ビールだけではどうにも飲み足りず、JINROの水割りも飲んでいる途中で
同じように雨の中を逃げるようにやってきた風に客が数人入ってくる。カウンター席は
瞬く間に埋まってしまった。客層はどうやら先ほど通り過ぎたスナックやらクラブやらで
入り口で客を待っている若いホストらしい。タバコを吹かしながら、女の子の話しか
聞こえてこない。よい雰囲気ではないし、濡れたズボンも少しは乾いた気がしたので
まだ少し雨が降る外へその店を後にした。

そのまま寝ればよいものも、観光客であるこちらも24時間化の意識が根付きつつある。
借りてあるパソコンで「調べもの」をしていたら、夜中の2時になっていた。
窓から見下ろすと、正面にらーめんの大きな看板が煌々と光っていた。まだ営業している
らしいが、ちゃんと確認すればものの数分歩くだけだったと後悔しても遅かった・・・。

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