2008年9月15日月曜日

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【4日目 『飯田線、2抜け、そして・・』】






なんとか、5時過ぎに起きることができた。
これなら兼ねてからの飯田線に乗ることができる。
朝飯のパンを食べながら、出発の準備をする。
5時30分過ぎ、豊橋駅に向かう。

1日目の「ながら」で訪れたホームは列車も人もいなくて
ひっそりと静かだったが、今は乗ろうとしている
6:00発の天竜峡行きがすでにホームで待っていた。

6:00発、501M天竜峡行きは9:14に天竜峡に到着する。
実に3時間以上走る各駅停車である。
ただしトイレはあるのでその心配はない。






豊橋の朝日を天竜峡行きの車窓から見ながら、
ゆっくりと走っていく。
のどかな路線だが、車内もゆっくりした時間が流れる。
寝台特急とは違った流れがここにはある。
途中から乗り合わせたそばのおばちゃん連中の聞こえてくる
会話では一人旅はつまらんと全力で否定されるが、
向かいの席のおばちゃんが一人旅は仲間の気を遣うことが
ないから疲れなくていいと全力でフォロー。ナイスフォロー。
















天竜峡9:14着。
ここからは9:17発、1425M飯田行きに乗り換え。
飯田までは30分程と短いが、この辺からポツポツと人家が
見えたり、また見えなくなったりを繰り返す。
時々蛇行する天竜川の景色はご自分の目で確かめて頂きたい。







飯田着9:43着。
飯田線乗り買え最後の列車も2時間半近くと長い。
9:45発、237M上諏訪行きは、途中の辰野から中央本線に合流。
駅名板もそれまでの東海カラーから東日本カラーの緑色に変わる。
この辺りまで来ると、飯田線らしいのどかな風景は無くなり、
だんだんと市街地に近づく雰囲気になる。
線路もそれまでの正真正銘の枕木から、コンクリート道床に
なったりとそれは顕著になってくる。






上諏訪12:07着。
次の列車までは少々時間がある。立ち食いそば屋に寄れる
くらいの時間だが、改札を出て駅前を歩き回っても適当な
食事どころがない。
仕方が無いので、次の列車で食べる駅弁を買ってホームで待つ。
このままやって来る列車で乗っていけば、夜の早い時間帯に
自宅に着けるが、それでは面白くない。
たっぷりとある飯田線の乗車時間を使って時刻表と相談。
途中の小淵沢で降り、途中の小海まで小海線に乗って戻って
くることにした。この路線も何かと気になっていた路線である。






駅弁を携えて、やってきた12:36発、440M甲府行きに乗る。
シーズンなのか、すでに席は埋まっている。
しばらく待っていると通路側の席が空いたので、座って
駅弁を広げる。向かいにも隣にも人がいるので、ゆったりと
景色を楽しみながらというものには程遠かったが、
ロングシートで食べるよりははるかにましである。

小淵沢で下車。13:11発、229D小諸行き。ハイブリット車輌。
帰りにも乗れるかと思ったが、このタイプの車輌は数が少ない
ようで帰りには乗れず。ラッキーだった。






JR駅最高地点の野辺山駅に向かう頃には標高が高いだけに
天気が変わりやすいのだろう、突然雨が振り出す。
標高1345.67メートル。宮脇俊三の言うところの「2抜け」だ。
時折曲がりくねる単線の線路は周りと山々と空と入道雲に
囲まれた向こうに続いている。
九州の阿蘇高原線とは違った「風景画」が続く。

小海14:24着。バックに入道雲とハイブリット車輌。
駅舎もなかなか洒落たデザインになっている。
予算があれば、小諸まで行って一泊して、ゆっくりと帰って
くるのもいいだろう。時間はあっても、金はないのだ。
今日のうちに帰ってくるには小海からまた小淵沢に戻って
こなければならない。

小諸から先、かつて軽井沢まで国鉄として路線が続いて
いたが、今は私鉄に分断されてしまっている。
今もJR線だったら、軽井沢経由での乗車が楽しめるのに
残念なところである。






帰りは14:46発、232D小淵沢行きに乗っていく。
今度は前面展望を楽しむことために運賃箱すぐ横に
陣取るが、これが結果として良かったようだ。
野辺沢を過ぎたあたりのJR最高地点の踏切、最高地点の
景色にカメラを向けた後はしばし眺めを楽しんでいたが、
清里からいきなり満員電車になってしまった。
どうやら観光施設の帰りの観光客らしい。
2両のワンマンカーはすぐにギュウギュウづめとなって
しまったが、立っていたポジションがドア寄りではなく、
運賃箱のすぐ横、つまり車輌の正中線に立っていたので
後から乗って来る人たちを気にしなくて済んだ。

小淵沢15:54着。
小淵沢ではホームに人が溢れんばかりに幅一杯に列を成す。
見な新宿方面に行く、特急を待っているらしい。






私はここから新宿まで臨時の快速列車に乗ることにした。
運転日限定の「ホリデー快速ビューやまなし号」である。
この小淵沢16:17発の快速 9592Mは新宿に18:53に到着する。
当初はこうした行程は予定していなかったが、思いつきで
時刻表を捲ったら、面白い列車に乗ることができた。

この快速はオール2階建て車輌で運転されるから、ある程度
席はあるだろうが、すでに自由席狙いの行列を見ると
座れるだろうかと不安になる。
待っている間に特急あずさ24号と、横浜線経由で横浜に行く
臨時の特急はまかいじ号が相次いで走り去っていった。

目的の列車がやってきた。
横須賀線の2階建てグリーン車で構成されている感じか。
乗り込んで空いている席に迷わず座る。


ボックス席ですでに窓側に人が座っていたが、
他の席が空いているとも限らない。
しばし目を合わせないように、リュックの中に残っている
煎餅やチョコクッキーを食べながらしばし車窓を見る。






最後まで遅延なく順調に行くかと思われたが、
外は雷が時折光り、激しい雨が降っているようだ。
嫌な予感だ。案の定、甲府のすこし前でゆっくりと走行
しはじめた。大雨で速度規制との車内アナウンス。

その後、トンネルでは安全確認が取れたために
なんとか飛ばせるだけ速度を上げていたが、それも
大幅な遅延の回復には程遠い。

大月17:41着。
上野原17:56通過。
八王子18:37着。
立川18:48着。
三鷹19:01着。

そして20分程の遅延のまま、新宿には19:13に5番線到着。
遅延だが、なかなか乗れない列車に乗れたのでよいだろう。






さて問題はその後で発生。新宿からは中央線で東京へ。
東京からは19:48発、3769M快速アクティー 小田原行きで
帰る事にしたが、ホームの電光掲示板に流れる小田急線
運転見合わせの文字・・・。

落雷の影響だろう、新松田から先で停電事故が発生
秦野から小田原まで運転見合わせとの文字情報が流れる。
当初は地茅ヶ崎から相模線で厚木、厚木から小田急線で
帰る事にしていたが、これではその予定も変更しないと
いけなくなった。

小田急の運転見合わせは長い。
障害回復に時間が掛かりすぎるのだ。
小田原へ向かうアクティーの車内で、ドア上の文字情報
を注意していたが、他のJRや私鉄でも遅延や運転見合わせが
の文字情報が流れていtが、回復までの時間は小田急の
比ではない。現にアクティーに乗っている数十分の間に
小田急以外は運転見合わせの文字は無くなっていた。

携帯電話で小田急の運行情報を見たが、
運転再開の見込みは23時らしい。これでは途中駅で
打ち止めとされてしまう可能性がある。
どうやら今回は小田急はやる気がないように見える。

いよいよ茅ヶ崎だが、文字情報は依然として小田急の
運転見合わせを流している。国府津まで乗っていく。






国府津20:54着。
そして青春18きっぷの旅で乗る最後となる御殿場線。
21:08発、2567M御殿場行きは長い編成である。
313系と211系が連結した初めて見る編成である。
そして向かいにはこれも初めて見る湘南色の郵便車。
これも小田急が運転見合わせをしたお陰で、
予定変更したために見られたと思えばよいか。

212系と並ぶ郵便車。なかなか貴重な絵である。
やがて郵便車は静々と走り去ってしまった。



旅最後の下車駅は相模金子。
ひっそりと静かな駅で降りる。21:17着。

相模金子は自宅の最寄り駅ではない。
列車以外は交通費をかけない。
これが青春18きっぷを遣った旅の私なりのポリシー。
そう真っ暗な県道を延々、2時間かけて歩くのである。
この辺の県道は山が多いため、山登りをしているような
そんな感覚だ。

汗を掻きながらも、無事家にたどり着いた今回の旅。
まさか最後の最後で歩くことになるとは・・・orz 

時刻表の数字では決して分からない色々な事が
景色がまだデジカメのスライドショーのように
頭の中で蘇っている。よき旅であった。

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