2008年9月21日日曜日

つくもノヲ”X="1≠ 400





秋空に入道雲、ロマンスカー後展望席から望む。


また修学旅行のシーズン到来でもある。



ここ半年程で我が家の5人目は、ここまで大きくなり
よく食べて、よく暴れて、よく眠る日々を過ごす。
時々新聞を読むのと、人のご飯を食べようとする癖があるけれども。


夜勤明けの眠い体でなぜか、






弟君となぜか、鎌倉駅周辺を散策した。
銭洗弁財天へ向かう入り口にこんな自然のトンネルがあることを
発見する。これだけみると、どこかの地下から地上へ出るトンネルに
見えなくもない。


また別の日の夜勤明け。
ピンクサロンへ行った後に飲みに地元の友達に誘われていたが
我が財政は思わしくない。できるならあまり使わずに済ませたいなと
その友達と落ち合ったその日。

ピンクサロンへ行く。
まずまず可愛い体操服&ブルマの子にあたった。
その子はまず上を脱いでブルマだけとなり、私のを銜え始める。
そしてしゃぶりだす。

そうしてしばらくして、持ってきたナイロン製の緑色パーカーを
着てくれるお願いに快く応えてくれた。
小さな頃からお琴を弾いていて、学生の頃は応援団の経歴があり
そしてアキハバラにも行くことがあるという小柄のその子に
とっては私が着せたそのパーカーはサイズが大きい。

両袖もブカブカ、そして裾もブルマをほぼ隠すほどだった。
だからソックスさえも脱いでもらえば、一見すると裸にパーカー
しか着ていないように見えて、個人的にかなり興奮してしまった。
だから30分の最初の10分でその子の口の中に射精した。
あと残りは体操服姿に戻ったその子と楽しくしばしのおしゃべり。

それまで妄想だけだった場面を現実に体験できることになった。
一応の形で私の夢はひとつ、叶ったことになる。

次に飲みに行く店が開くまでの1時間ばかり。
近くのゲームセンターで時間を潰す。
久々にメダルゲームに手を出してみる。
1000円150枚。「ファンタジックフィーバー3」で遊んでみた。
最初の1時間ばかりは枚数を現状維持していたが、
スロットがよく当たるようになり、手持ちが増えてくる。
そして店が開く時間となるので、そろそろゲームセンターを
後にしようとした所で、まさかの「JACKPOT」。

これでさらに1時間、計2時間はゲームセンターに居続けることに
なった。お陰で高い金を払って飲み行かずに済んだ。

小田急線で地元に帰り、駅前の居酒屋で軽く飲もうとしたが、
ここでもタイミングよく強く雨が降り始めたために、
その場で解散となった。

まさに行く先々で起こった「神」タイミング。
そんな日もあった。
あるいはこれは家でじっと待つ愛娘、ピンキー娘のさっちんが
仕掛けた魔法だろうか?
という妄想に耽けている今日この頃。

2008年9月15日月曜日

つくもノヲ”X="1≠ 399


【4日目 『飯田線、2抜け、そして・・』】






なんとか、5時過ぎに起きることができた。
これなら兼ねてからの飯田線に乗ることができる。
朝飯のパンを食べながら、出発の準備をする。
5時30分過ぎ、豊橋駅に向かう。

1日目の「ながら」で訪れたホームは列車も人もいなくて
ひっそりと静かだったが、今は乗ろうとしている
6:00発の天竜峡行きがすでにホームで待っていた。

6:00発、501M天竜峡行きは9:14に天竜峡に到着する。
実に3時間以上走る各駅停車である。
ただしトイレはあるのでその心配はない。






豊橋の朝日を天竜峡行きの車窓から見ながら、
ゆっくりと走っていく。
のどかな路線だが、車内もゆっくりした時間が流れる。
寝台特急とは違った流れがここにはある。
途中から乗り合わせたそばのおばちゃん連中の聞こえてくる
会話では一人旅はつまらんと全力で否定されるが、
向かいの席のおばちゃんが一人旅は仲間の気を遣うことが
ないから疲れなくていいと全力でフォロー。ナイスフォロー。
















天竜峡9:14着。
ここからは9:17発、1425M飯田行きに乗り換え。
飯田までは30分程と短いが、この辺からポツポツと人家が
見えたり、また見えなくなったりを繰り返す。
時々蛇行する天竜川の景色はご自分の目で確かめて頂きたい。







飯田着9:43着。
飯田線乗り買え最後の列車も2時間半近くと長い。
9:45発、237M上諏訪行きは、途中の辰野から中央本線に合流。
駅名板もそれまでの東海カラーから東日本カラーの緑色に変わる。
この辺りまで来ると、飯田線らしいのどかな風景は無くなり、
だんだんと市街地に近づく雰囲気になる。
線路もそれまでの正真正銘の枕木から、コンクリート道床に
なったりとそれは顕著になってくる。






上諏訪12:07着。
次の列車までは少々時間がある。立ち食いそば屋に寄れる
くらいの時間だが、改札を出て駅前を歩き回っても適当な
食事どころがない。
仕方が無いので、次の列車で食べる駅弁を買ってホームで待つ。
このままやって来る列車で乗っていけば、夜の早い時間帯に
自宅に着けるが、それでは面白くない。
たっぷりとある飯田線の乗車時間を使って時刻表と相談。
途中の小淵沢で降り、途中の小海まで小海線に乗って戻って
くることにした。この路線も何かと気になっていた路線である。






駅弁を携えて、やってきた12:36発、440M甲府行きに乗る。
シーズンなのか、すでに席は埋まっている。
しばらく待っていると通路側の席が空いたので、座って
駅弁を広げる。向かいにも隣にも人がいるので、ゆったりと
景色を楽しみながらというものには程遠かったが、
ロングシートで食べるよりははるかにましである。

小淵沢で下車。13:11発、229D小諸行き。ハイブリット車輌。
帰りにも乗れるかと思ったが、このタイプの車輌は数が少ない
ようで帰りには乗れず。ラッキーだった。






JR駅最高地点の野辺山駅に向かう頃には標高が高いだけに
天気が変わりやすいのだろう、突然雨が振り出す。
標高1345.67メートル。宮脇俊三の言うところの「2抜け」だ。
時折曲がりくねる単線の線路は周りと山々と空と入道雲に
囲まれた向こうに続いている。
九州の阿蘇高原線とは違った「風景画」が続く。

小海14:24着。バックに入道雲とハイブリット車輌。
駅舎もなかなか洒落たデザインになっている。
予算があれば、小諸まで行って一泊して、ゆっくりと帰って
くるのもいいだろう。時間はあっても、金はないのだ。
今日のうちに帰ってくるには小海からまた小淵沢に戻って
こなければならない。

小諸から先、かつて軽井沢まで国鉄として路線が続いて
いたが、今は私鉄に分断されてしまっている。
今もJR線だったら、軽井沢経由での乗車が楽しめるのに
残念なところである。






帰りは14:46発、232D小淵沢行きに乗っていく。
今度は前面展望を楽しむことために運賃箱すぐ横に
陣取るが、これが結果として良かったようだ。
野辺沢を過ぎたあたりのJR最高地点の踏切、最高地点の
景色にカメラを向けた後はしばし眺めを楽しんでいたが、
清里からいきなり満員電車になってしまった。
どうやら観光施設の帰りの観光客らしい。
2両のワンマンカーはすぐにギュウギュウづめとなって
しまったが、立っていたポジションがドア寄りではなく、
運賃箱のすぐ横、つまり車輌の正中線に立っていたので
後から乗って来る人たちを気にしなくて済んだ。

小淵沢15:54着。
小淵沢ではホームに人が溢れんばかりに幅一杯に列を成す。
見な新宿方面に行く、特急を待っているらしい。






私はここから新宿まで臨時の快速列車に乗ることにした。
運転日限定の「ホリデー快速ビューやまなし号」である。
この小淵沢16:17発の快速 9592Mは新宿に18:53に到着する。
当初はこうした行程は予定していなかったが、思いつきで
時刻表を捲ったら、面白い列車に乗ることができた。

この快速はオール2階建て車輌で運転されるから、ある程度
席はあるだろうが、すでに自由席狙いの行列を見ると
座れるだろうかと不安になる。
待っている間に特急あずさ24号と、横浜線経由で横浜に行く
臨時の特急はまかいじ号が相次いで走り去っていった。

目的の列車がやってきた。
横須賀線の2階建てグリーン車で構成されている感じか。
乗り込んで空いている席に迷わず座る。


ボックス席ですでに窓側に人が座っていたが、
他の席が空いているとも限らない。
しばし目を合わせないように、リュックの中に残っている
煎餅やチョコクッキーを食べながらしばし車窓を見る。






最後まで遅延なく順調に行くかと思われたが、
外は雷が時折光り、激しい雨が降っているようだ。
嫌な予感だ。案の定、甲府のすこし前でゆっくりと走行
しはじめた。大雨で速度規制との車内アナウンス。

その後、トンネルでは安全確認が取れたために
なんとか飛ばせるだけ速度を上げていたが、それも
大幅な遅延の回復には程遠い。

大月17:41着。
上野原17:56通過。
八王子18:37着。
立川18:48着。
三鷹19:01着。

そして20分程の遅延のまま、新宿には19:13に5番線到着。
遅延だが、なかなか乗れない列車に乗れたのでよいだろう。






さて問題はその後で発生。新宿からは中央線で東京へ。
東京からは19:48発、3769M快速アクティー 小田原行きで
帰る事にしたが、ホームの電光掲示板に流れる小田急線
運転見合わせの文字・・・。

落雷の影響だろう、新松田から先で停電事故が発生
秦野から小田原まで運転見合わせとの文字情報が流れる。
当初は地茅ヶ崎から相模線で厚木、厚木から小田急線で
帰る事にしていたが、これではその予定も変更しないと
いけなくなった。

小田急の運転見合わせは長い。
障害回復に時間が掛かりすぎるのだ。
小田原へ向かうアクティーの車内で、ドア上の文字情報
を注意していたが、他のJRや私鉄でも遅延や運転見合わせが
の文字情報が流れていtが、回復までの時間は小田急の
比ではない。現にアクティーに乗っている数十分の間に
小田急以外は運転見合わせの文字は無くなっていた。

携帯電話で小田急の運行情報を見たが、
運転再開の見込みは23時らしい。これでは途中駅で
打ち止めとされてしまう可能性がある。
どうやら今回は小田急はやる気がないように見える。

いよいよ茅ヶ崎だが、文字情報は依然として小田急の
運転見合わせを流している。国府津まで乗っていく。






国府津20:54着。
そして青春18きっぷの旅で乗る最後となる御殿場線。
21:08発、2567M御殿場行きは長い編成である。
313系と211系が連結した初めて見る編成である。
そして向かいにはこれも初めて見る湘南色の郵便車。
これも小田急が運転見合わせをしたお陰で、
予定変更したために見られたと思えばよいか。

212系と並ぶ郵便車。なかなか貴重な絵である。
やがて郵便車は静々と走り去ってしまった。



旅最後の下車駅は相模金子。
ひっそりと静かな駅で降りる。21:17着。

相模金子は自宅の最寄り駅ではない。
列車以外は交通費をかけない。
これが青春18きっぷを遣った旅の私なりのポリシー。
そう真っ暗な県道を延々、2時間かけて歩くのである。
この辺の県道は山が多いため、山登りをしているような
そんな感覚だ。

汗を掻きながらも、無事家にたどり着いた今回の旅。
まさか最後の最後で歩くことになるとは・・・orz 

時刻表の数字では決して分からない色々な事が
景色がまだデジカメのスライドショーのように
頭の中で蘇っている。よき旅であった。