2011年12月18日日曜日

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陸上自衛隊が毎年8月に開催している富士総合火力演習。
その名の通り、富士の裾野にある演習場で戦車やアパッチと呼ばれる
戦闘ヘリなどによる実弾発射を間近で見せてくれる貴重な機会である。

演習場はJR御殿場線の御殿場駅からバスでさらに30分ばかりの場所。
富士登山で一緒だった父の友人が応募の抽選に当選して入場券が
手に入ったため、富士登山のメンバーに加えて、父の仕事関係の
友人とその奥さんも一緒に行く事になった。

小田急線の混み具合はいつもの通りだが、松田から乗り換えた
御殿場線は普段はこれほどの人が乗らないだろうというくらいに
混んでいる。小田急線よりも混んでいて身動きが取れない程だ。
これほど混雑しているのは他でもない、火力演習の見学客だからだ。
つまり、あと30分はこの状態を我慢しないといけない。

普段の利用客からしたら、迷惑もいいところだ。
楽に乗れるはずの列車が乗れないくらいに混雑しているのだ。
毎年開催しているのだから、JR東海側も考慮して欲しいところだが
新幹線のように金になる事業でない限り、やる気もないだろう。

この分では無料の送迎バスも立ったままを覚悟していたが、
乗るまでにだいぶ長い列に並ぶ事にはなったが、座る事は出来た。

富士登山で通った道を今回はバスで走り抜ける。
道は富士山の裾野の地形に縫う形なので、左や右にカーブする。

五合目の途中にある開けたところが、演習場である。
演習場のそばには駐車スペースがあり、先着の送迎バスが何台も
止まっている。マイカーの人は駐車場の指定券が付いた入場券に
抽選で当選した人たちのようだ。

バスから降りてから歩道橋を渡って、演習場に向かうと
観客席のスタンドが幾つも横並びに設置されており、通路を挟んで
すでに露店を出して、焼きとうもろこしだの、ビールだの、焼きそば、
そして火力演習のお土産とすでに逞しい商売魂を披露している。

入場券にはどのスタンドに行けばよいかを指定されているが、
定員制のため、スタンドに座れない場合はその奥に敷かれた
シートに体育座りする事になる。早い者勝ちのようだ。

火力演習は動画でもリアルタイムで配信されたようだ。
だが、数台の戦車から次々に実弾が発射される時の爆音と
ターゲットに命中した時の光景は間近で見る迫力は全く違うだろう。
爆音が響いた瞬間は大げさでなく、心臓が止まりそうだった。
心臓の弱い人は絶対入場禁止にした方がいいのに、不思議とそれは
入場券にも後で調べたサイトにも明記されていない。

映画やテレビなど映像の中でしか知らなかったが、
実弾が発射されてターゲットに命中した光景を見たら、
恐ろしい武器である事を理解するのに時間はかからなかった。
本気を出したら自衛隊はどの国も負けない、そんな気がした。

戦車や戦闘ヘリは全く分からないが、戦地の状況に柔軟に対応できる
ようにヘリにもバリエーションがある事、ヘリからジープをワイヤーに
吊るしたまま、着陸させる技術はただ驚くしかない。

一番驚いたのは、富士山の形に次々に実弾を発射した光景だ。
発射後の煙が見事に富士山の輪郭を描いていたのだ。

残念だったのは、天候の影響でヘリからのパラシュート実演が
中止になってしまった事だ。自衛隊員の華麗な着陸光景を楽しみに
していたが、今回はお預けになってしまった。

日差しが強いので、じっとしていると日焼けしそうだ。
日焼けクリームは塗って来たが、少々日焼けするだろう。

ヘリが編隊で飛び去って行く光景は何故か鳥肌が立った。

一番残念だったのは、帰りのバス手配が上手くなかった事。
自衛隊がバスの手配をしているのだが、御殿場駅行きを待つ人の
行列が他の行き先の行列よりも多いのに、御殿場線行きのバスが
ほとんど来ない。強い日差しで2時間以上も立たされていたら
倒れる人がいてもおかしくない。事実、一人は担架で運ばれていた。

待ち客からのブーイングが功を奏したのか、急病人を出してしまった
負い目からか、ようやく待機していたバスが御殿場駅行きになって
動く事になった。火力演習がとても格好良かっただけに残念だった。

そんなこんなで行きよりも帰りが疲れてしまった火力演習だった。

2011年12月17日土曜日

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前回のニッキで書いた富士山登山。

仕事に行くのが嫌で無断欠勤し、何もかも嫌になって自殺するつもりで
北海道へ放浪した。死に場所と決めていた秘境駅で有名な室蘭本線の
小幌で、ホームから海に続く道の途中にある木の枝にズボンのベルトを
掛けてそれで吊ろうとぶら下がったが、苦しいばかりで死ねない。

血の止まって行くような感覚さえ麻痺すれば、気にしなくて済むならば
きっとそのまま死ねただろう。でも体はそれに反して抵抗する。
やはり駄目だった。これで今回4回目だ。行く宛てなどなく、
これからやって来る列車で移動した。列車を乗り継いで札幌へ。

札幌で宿泊したホテルでも死にきれず、鉄道警察隊から家に電話
してもらい、家族に飛行機で迎えに来てもらうまで牢屋に入れられる
という初めての経験をした。 警察に「保護」される事を理解した。

富士山登山は家出して戻ってきた直後のことだった。
再び登れた達成感は嬉しかったが、何だか複雑な気分である。

そして富士山登山の後、5年務めた前の会社を退職。
無断欠勤してそのまま有給休暇を消化する形での強引な退職だったが
辞めて正解だったと自分では思っている。

同じ職種に絞って転職活動して見ると分かったが、
所属する会社が契約する他の会社の現場に請負として働く場合は
請負先の会社が与える仕事よりも上のレベルを目指す事はできない。
与えられた仕事からスキルアップをするのは難しい。

それでも上のレベルを目指す為に与えられた仕事をこなす事に満足せず
その仕事ぶりが評価されて、直接の責任を負う派遣契約で他の会社の
現場に異動した人が数人いた。

それに対して私は与えられた仕事をこなす事で満足してしまい、
今後どういう自分になりたいのか、将来像も持てないままだった。
ただ学校と家を往復するだけでは4年かけても進路など見つからない。
それは大学生で経験したはずなのに、またも5年間を職場と家を往復
するだけの毎日を過ごしてしまった。

そんな大学生が卒業前後にまともな就職活動をしているはずはない。
アルバイトや派遣社員としての工場勤務を転々としながら、
仕事を探している時にパソコンで見つけたのが、5年間務める事に
なる仕事だった。パソコンが好きだからそれが生かせればいいなと
特に後先考えずに応募して採用されただけだ。

採用された当初は正直私でも簡単に就職できるのだと思ったが
会社の採用基準が曖昧らしく、大卒であれば誰でも雇うようだった。
事実、後から同じ現場に入ってきた新人はパソコンすら殆ど触った
事がなく、現場前研修も名ばかりで何もさせずに現場に押し込む。

他の異動先案件も幾つもあるよと個人面談のたびに話は聞くが、
単価も請負よりは高いので、会社としてもリスクに慎重にならざるを
得ない。不思議なのは派遣として異動させた人間が異動先のクライ
アントから不要な人員として追い出されても、クビにならずに
元の現場に出戻っている人が数人いた事だ。

2年も3年もいれば、人材育成する気もない適当な会社だと
嫌でも分かっていた。辞職したところで次の仕事がすぐ決まるとは
限らない。不規則な勤務の合間を縫って、ひそかに転職活動して
次の就職先が決まった上で退職した人間もいる。

私はそこまでのやる気と勇気がなかったのだ。
だからぬるま湯の環境と承知しつつも5年間ダラダラと働いたのだ。

だから不本意ながらも転職活動する事になった。

しかし、同じ職種でも今度こそは相手にされなかった。

面接した1社目。
前の会社と同様の職種で色んな現場案件を持っているという会社で、
この会社で前職からレベルアップした現場案件に入れて貰おうと
思ったが、面接途中で面接担当の社員が横浜方面の現場に携帯電話を
かけて話していたが、この案件への採用は頓挫に終わった。

業務改善で使うツール作成でmySQLに触れた経験はあるのだが、
チューニングの経験はない。基本的なコマンドを触っただけで、
クエリの高速化、テーブルの見直しなどデータベース設計に
関わった事がなかったからだ。この経験不足が致命的だったらしい。

案件が決まったら連絡する旨のメールももらったのだが、
それから2種間しても全くの音沙汰は無かった。

Webでの掲示板への書き込みを鵜呑みにする訳ではないが、
この企業名と「ブラック」で検索すると書き込みがヒットするのが
少々気になる。採用されなくて正解だったかもしれない。

面接した2社目。
某派遣会社には以前に地元で工場勤務する際に登録していたので、
この派遣会社から同様の職種で働ける会社を紹介してもらった。
勤務地のなるべく近い所を条件に面接した会社は新横浜駅近く。
現場の各リーダー3人と狭い応接間での面接となった。

同行した派遣会社の営業社員から私の簡単な紹介の後に
1社目と同じように職務経歴書を見せながら説明した。
ここは面接途中で反応は良くないなとは感じたが、
案の定後日派遣会社からは不採用の連絡が来た。
保持する基本的なスキルは問題ないが、今後のステップアップの
具体的なビジョンが伝わってこないのが懸念点だという。

2社続けて面接して分かったのは
端末に24時間シフト交代で張り付くインフラ監視・オペレーションと
いう職種に限っては基本的なスキルは問題ないのが共通点だろう。
ただそこからのスキルアップをどうするのかが具体的に見えないと
スキルアップするための不足スキルもぼんやりしたままだ。

だが貯金はほとんどない。
無職のまま、ずっと転職活動するわけにもいかない。
滞納している市県民税や国民年金も払っていかねばならない。

そこで3社目。
これが働いて3ヶ月目になる工場勤務だが、
2社目とは違う派遣会社に登録して紹介してもらった仕事だ。
この派遣会社も掲示板の書き込みを見て知ったのだが、
例の秋葉原事件で逮捕された若者が所属する会社と同じようだ。

入社1ヶ月までは時給950円。その後は1050円。
勤務地が今までよりも近く、駅から無料の送迎バスがあり、
年金や保険等の福利厚生が十分ならば、仕事を選り好みしている
余裕はない。工場見学を兼ねた面接から1週間待っても連絡がなく、
他に工場見学した人たちがいたらしいので、他の人が採用された
のかなと思い始めたが、2週間になる直前で採用の電話連絡をもらった。

面接で工場勤務の経験があってモノづくりに興味がある、という点を
伝えたのが良かったのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。

コピー機のドラムカートリッジをライン生産する工場は部品の組立
人員のほとんどが女性である。子持ちのお母さんだったり、
結婚歴の浅い若い女性、孫がいる女性と元々女性だけを雇っていたが、
人員的に男性も雇わざるを得ない状況になり、男性しか入れない所
として、流れてきたドラムカートリッジをダンボール箱に箱詰めして
機械でテープの封緘する作業を担当する事になった。

この作業はやってしばらくすると几帳面な人間でないと出来ないなと
感じるようになる。コツがわかれば几帳面である必要はないのだが、
テープ封緘の基準や、箱詰めの際に入れる同梱品を欠品が内容に
確実に確認しながら、それでいて十数秒に1つ流れてくる製品の
リズムに合わせて作業しないといけない。

箱詰めする製品によって箱詰め方法も同梱品等が異なるので、
品種毎に切り替え作業がある。封緘テープの有無、日付捺印の有無や
位置、センサーや読取バーコードの設定などを間違いないように
素早く確実にこなさないといけない。

切り替え毎にラインが止まれば楽なのだが、
製品組立の工程でトラブルがない限りはどんどん製品が流れる。
切り替え作業で時間がかかると、箱詰めする製品がどんどん溜まる。
すると次の切り替え作業がもっと忙しくなってしまうのだ。

その為に予め生産予定表で生産品種を確認して
切り替え作業を効率的に出来るように準備しておく事が大事だ。

一番嫌いなパターンは定時ギリギリで生産終了する日の場合。

翌日の切り替え作業の準備をするのだが、準備には生産終了後から
定時まで少し時間が必要になる。定時ギリギリの生産日なら、
その日に準備する分もまとめて準備したり、休憩や組立工程のトラブル
でライン一時停止のタイミングで準備したりする必要がある。

また翌日に今まで作業した事がない品種を生産するなら、
不明点を予めラインのリーダーに確認しておかなくてはならない。
出荷検査用に出す製品のために、品種切り替え前後でリーダーが
必ず来るが、切り替え時に確認しながらでは切り替えに時間がかかる。

封緘テープも海外製の質を落としたもので、薄くて切れやすい。
巻き取りが雑なのかロットによっては歪んでいたりするので、
油断すると曲がって箱に封緘されたりするので、テープ交換直後は
憂鬱になる。何か拍子でカッターで切ったように切れたりするので
ライン中に2度も屈んで設定作業するハメになったりする。

テープ一巻きでどれくらいの生産数が持つかも把握する必要がある。
翌日に交換しそうだと思えば、すぐに交換できるようにテープを
箱から出して準備しておく必要もある。

こうした事を念頭に置かないと、残業計算が30分単位なので、
翌日の準備で定時から10分だけのサービス残業をするハメになって
しまうのだ。それだけは避けたい。

たかが封緘作業でも説明するとこれだけ長くなってしまうのだが、
几帳面でないと出来ない作業だと思うのだ。そうでないと長く続かず
途中で別の作業に変わりたくなるか、辞めたくなるに違いない。

現在の職場までは家から徒歩2時間。
自転車だと行きは1時間だが、帰りは2時間。ずっと下り坂だからだ。
節約のために歩いて通勤しようと入社前にウォーキングをしてみたが、
特に仕事帰りではとてもそんな体力はないなと思った。
だから素直に小田急線で通勤している。自転車よりは遅いが楽である。

今は昼食代を浮かす為に母に弁当を作ってもらっている。
弁当仲間は健康診断後に仲良くなった40代の元美容師である。

結婚相手の借金問題でバツイチとなった人だが、
青春時代はサッカー一筋で黙っていてもバレンタインチョコが
100個ばかりは貰えたそうだ。(どんな魔法を使ったのだろう?)
怪我して入院すると、黙っていても色んな女の子が見舞いに来たそうで
それとは別にとあるバスで乗り合わせた女の子との偶然な出会いから
恋愛に発展したが、その女の子が交通事故で亡くなったそうだ。
その時は23歳。その喪失感からビルからの飛び降りを図ったところを
友人に殴られて止められた。立ち直るのに半年間を経た後に美容師に
なり、マンションに住み、そして結婚した相手に裏切られたのは
先述の通り。マンションを畳み、相手とも仲を清算して今は工場近くの
アパートに引っ越して一人暮らしをしている。

一人で弁当を食べていた私に声を掛けてくれたのは何となく、
自分と同じタイプだったからだと誘って頂いた居酒屋の席で赤裸々に
日本酒の徳利を傾けながら話して頂いた。
過去の経験から人の気持ちを裏切る者を心の底から許せない。
新人さんがそうした悪い者に利用されるのを見過ごせない。
だから同じラインで要注意人物を3人ばかり教えて頂いた。

後、哲学者カントの「理性」を信条としているとのこと。
何かするには理由がある。それが良かろうと悪かろうと理性と呼ぶ。
仕事するラインとは別の部屋にカントの本を置いて読んでいるそうだ。

サッカー一筋の青春時代は地方遠征の試合で何百人もの人を纏める
キャプテンを担当していた。それぞれの人がどんな事を考えている
人間なのか、そうしないと何も始まらない。

私が入社して2ヶ月目でリーダーは変わったが、
前のリーダーは他のリーダーとの話し合っている場面でどこか浮いて
いる印象があったが、元美容師の観察したところでは大きな組織で
リーダーシップをした社会経験がないからだろうと見ている。

有能だが人に指示するのは下手くそだ。中々指示がないので
不安になってくる。しかも都合の悪い事は忘れるご都合主義だから
なおさら不安になる。その点、今のリーダーは言った事は忘れずに
実行してくれるし、丁寧に人の話は聞いてくれるし、何より仕事に
対して誠実さを感じて好印象なので安心できる。

人間観察の経験が浅い私ですら、こんな印象だから
前のリーダーの評判の悪さはかなりのものだろう。
露骨にではないが、周囲は煙たがっている印象は拭えない。

転職活動では自分の愚かさに少し凹んでいたが、
今の職場は今までの時給制から月給制に変わる事になった。
これでゴールデンウイークやお盆休みなど日数計算に一喜一憂する
必要がなくなったのは幸運だった。良いタイミングで入社したようだ。
ただ元美容師の情報では来年から新規で立ち上げたラインに吸収され、
今のラインは生産数が減っていき消滅するだろうという。

ラインが消滅すれば人数が余る。すると他のラインに移動となるが、
それはそのラインを担当する他の派遣会社に吸収される事でもある。
つまり、今の派遣会社の月給制がそのまま維持されるかはわからない。
その意味で働き続けるのは来年が限度と考えた方がよいだろう。

転職活動の1社目と2社目の帰りに少しラッキーだった事。

今年の9月末で東京都の広告条例に違反したとかで運行中止になった
「FーTrain」。登戸に9月にオープンした藤子・F・不二雄ミュージアム
を記念したラッピング電車を新宿から乗り合わせる機会に恵まれた。
どこでもドアが開くと、最寄り駅に着いたよ。ドラえもん。

そして渋谷からの帰りに田園都市線に乗って長津田で下車。
するとそのタイミングを図ったが如く、横浜線の八王子方面から
見慣れぬディーゼル機関車が何やら車両を引いてゆっくりと来た。

凸型のDE10が牽くのはみなとみらい線用の車両。
ここ長津田には東急線と横浜線と繋がっている甲種輸送用の線路があり
その線路上でみなとみらい線とホームに停車する横浜線が並ぶ光景。
1時間近くは停車したのちに、再び八王子方面に向けてゆっくりと
走り去って行った。どういう運用か詳しくは分からないが、折り返し
設備がないために長津田まで往復する運用なのかもしれない。

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目が覚めると雨は止んでいた。
夜中に目が覚めてトイレに行ったついでに食堂へ行くと、
入口の外では雨が止むのを待っている夜行登山者が雨宿りをしていた。

父と友人も夜中に見たときには星空が見えたらしく、
夜の内に嵐は過ぎ去ったようだ。朝日もぼんやりと差し込み、
どうやら無事に頂上へ向けて出発できる。

昨日に比べたら頂上までは時間がかからないはずだが、
頂上の目印となる白い鳥居が見え始めても中々辿り着かない。
砂漠のオアシスのように、鳥居は蜃気楼のような気分になる。

男の子連れの若いお父さんに出会った。
八合目の山小屋から出発したらしく、見るからに男の子はヘトヘトだ。
お父さんに発破をかけられて何とかここまで登って来た様子。
お父さんの趣味に付き合わせれる子供の構図だったが、
男なら富士山くらい登らないという気持ちはあったかもしれない。
我々もそのつもりで応援して、先に進むことにした。

九合五勺。胸突山荘。
頂上前の最後の山小屋を通り過ぎるが、頂上はまだ遠い。

頂上までの鳥居は直線距離ならそれほどないが、急な岩場のために
左へ右へと蛇行する形なので、なかなか到達しない。
たまに後ろを振り返ると、ダメかなと思っていた先程の親子の姿が
少し離れた下に見えた。こちらが手を振ると向こうも振り返す。
男の子はきっと諦めないだろう、そう確信して頂上を目指す。

息も絶え絶え、ようやく白い鳥居を潜る。
左手には日本で一番高い宿泊施設である頂上山頂館。
その奥にはこれも日本一高い郵便局があり、そして正面奥には
これも日本一高い神社がその本殿を構えている

郵便局ではここからハガキを出すことも出来る。
友人の方はここから台湾人の妻へハガキを出すらしい。
私はトイレに行くために小銭に崩すため、富士山山頂と書かれた
原価は安そうな木の札を購入した。

本殿で頂上の焼印をしてもらい、ようやく焼印が揃った。
これは下山する際に活躍する杖だけでなく、すれ違う登山者に
頂上まで登った事を見せびらかす証明にもなる。

左奥にはお鉢と呼ばれるお腕型の火山口が出迎え、
3776メートルである剣ケ峰と呼ばれる小さな岩山が聳え立つ。
前回はここまで登ったが、今回は見るだけにした。

頂上からの眺めに昼ごはん。
カップラーメンや宿泊した山小屋で作ってもらった弁当だとしても
この味は何物にも替え難いのだ。これも登山者のみが経験できる特典。

この後しばらく休憩した後にひたすら下山するのだが、
写真がないのは日焼けによる軽い脱水症状で下山する事だけで
とても撮影する余裕がなかったからだ。何とか無事下山はできたが。
今回は夏山に対する日焼け対策を怠るな、というのが教訓だろう。