2006年8月21日月曜日

つくもノヲ”X="1≠ 038

08/21 今日で早起き宣言して21日が経ちました。
その間、石川県の白山連峰に登りに父と父の友人の方たちと出かけたり
昨日も地元の丹沢へ父と7時間かけて登って降りてきたを除けば
1日も欠かすことなく、やってきました。

まだ母の協力が必要ですが、
なんとか起きてウォーキングから始まる1日を過ごしています。

たかが、早起きですが、実際にやると
頭の回転が少し早くなるようです。とくに今まで埋もれていた記憶が
すぐに出るようになった感じです。また、滑らかに話せるようになったようです。
今まで、たまに呂律が回らないときがあって、気になっていたのでこれは一歩前進したかな
と感じています。

当たり前ですが、早起きする分時間に余裕が生まれます。
普段できないことが少しですが、できるようになります。

そして、一番大きいのは行動に自然とメリハリがついてくることです。
早起きしてもオナニーだけは相変わらずしていますが・・・・・・。

前向きな気持ちになったのは手ごたえとして感じています。

夜勤明けも以前はそのまま家に帰らずにアキハバラに寄ってから帰るようなことを
していましたが、これはあまり体によくないので
よほど用事がない限りは、家にまっすぐ帰ってすこし寝るようにしています。

疲れたらできるかぎり寝る、これもまあ当たり前のことですが。

さてこの間、とうとう5年も使っているデスクトップのOSが立ち上がらなくなってしまいました。
問題は立ち上がらないことではなく、ハードディスクに入っているデータの救出でした。

それまで、リカバリCDの修復機能を使って、OSを立ち上げて
だましだまし使っていたのですが、これをやってもとうとうエラー画面が出て、
立ち上がらなくなってしまいました。

xpのリカバリCDは修復のためのコンソール機能がありますが、
なぜかデータを別のメディアに写そうとしてもアクセスが拒否されてだめでした。
何度か考えれることを試しましたが、あきらめるしかありませんでした。

そんなわけで一部のデータは救出できないまま、フォーマットしてOSの再インストールを
余儀なくされた次第です。あぁ、苦労して探した私の宝が(二次元のエロ画像)

現在OSは問題なく動いていますが、また再発しないとも限りません。
ですので、xcopyを使ったバックアップのバッチファイルを作ろうかと考えているところです。

長年、Windowsを使っていて感じるのは、何かエラーメッセージが出たり、エラーが発生した際は
ほとんどの場合は回避できた試しはないなということです。

OSのAPIがきっと複雑怪奇だったり、何が原因かはわかりませんが。

パソコン本体のハードウェアもだいぶ使い込まれているので
劣化してきているというのも原因かもしれません。

無線LANを使っていますが、刺しているLANアダプタの電波状況が不安定の時があるので
ネットワークアダプターあたりのハードウェアがすこし壊れ始めてきたのかなと
怪しい感じです。

気になっているので「ゲド戦記」を見に行こうと思います。あまりいい評判ではないようですが。

予告でテルーが言っている「生きるのを大切しないやつはきらいだ」というセリフは
最近、自殺しようかと考えて家出した僕にとってはすこし響くものがありましたので。

テルー役の手嶌葵はそのまま、実写にしたら出られるじゃないかと思うくらい
キャラがかぶっているなと思っています。

ハウルの動く城の荒地の魔女役の美輪明宏もキャラそのままだなと思いましたが。

それで今日、見てきました。
まず龍は話にほとんどかかわってきません。
むしろいらないくらいです。

話の構成からすると、主人公が人質を助けにいくというありがちなものなので
その目で観れば、批判があるのはわかる気がします。

たとえば、冒頭でなぜアレンは父を殺したのか
それは最後まで謎でした。だから、そういう風に構えて観てしまうと
ほかにも突っ込みたくなるようなシーンはいくつもあります。
しかし、その目ではおそらく、何も感じることはできないと思います。

セリフをよく聞いたほうがよいです。
それはどんなことを言おうとしているのか、感じようとすることです。

印象に残っているのは、アレンのセリフです。

「死ぬのが怖いんじゃない、生きるのが怖いんだ」
「いつか終わる命を大事にすることなんてできるのかな」

アレン少年は現在の私に重なる部分がかなりあったので、共感したという
こともあったとは思います。
短時間でアレン少年があそこまで、
立ち直っていくのは少し無理があるかなとは感じましたが。

セリフの一つ一つに現代社会の今を代弁するような意味が含まれて
いるというと大げさな表現でしょうか。

映画のキーワードは「限りある命」です。
人間は映画の世界では奴隷として扱われています。

重要なのは、人間が奴隷であるということではなくて、
かつて「人間」であった彼らが人間であることを捨て
奴隷に堕ちてしまったということです。

生きることに意味を見出せなくなった人間が
奴隷となっていく・・・・・・・

それは現代のわれわれを現しているのではと考えています。

生きるということは、いずれは死ぬことを見つめながら
その限りある時間でどれだけ精一杯輝くかということだと考えています。
だから、いま大事なのは生きることを逃げて、死を急ぐことではなく
苦しいけれど、すぐには輝きを見出せないけど
目の前のできることから、ゆっくりとその階段を登るようにすることでは
ないかなと思います。

僕は、今でもあまり人が好きではありません。
接することにかなり苦しいのと、不安を感じています。
だから、朝の通勤の電車の中で、今日は仕事に行きたくないなと
吐き気のようなもやもやした不安でいっぱいになります。

アレン少年がおびえていたのは、そんな不安かなと思います。

しかし、ここで逃げていてはずっとこのままです。
だから少しでもその目の前の階段を登るために、踏ん張っています。
逃げてはいけないと。ここで逃げたら、僕はもう僕を捨てるしかない。

アレン少年がなりかけたような奴隷にはなりたくない。

主題歌は「テルーの歌」よりエンディングに流れる「時の歌」がよかったです。
映画の帰り道に勢いでサウンドトラックを買いました。

じっくりと家で聴いているところです。 

0 件のコメント: