2007年3月30日金曜日

つくもノヲ”X="1≠ 119


休みのひと時の楽しい時間は過ぎていく。

金曜日の夜だというのに、空を見上げたおぼろ月のように、
いまの気分ははっきりとせず、落ち込んでいる。

いつものギリギリの電車に乗り込む。同じ事を考えている自分が
いる。

4月から忙しい。それだけは分かっている。
ずっと連絡がなかった知り合いから突然近々飲みに行かないと
メールが来た。

原因は分からないけど一時的な気分の落ち込みのせいだろう、
正直鬱陶しい。

メールには当たり障りのない返信をする。
例の「仮説」の本を読んでからは一人一人が違う仮説の下で生きて
いるだと少しだけ思えるようになったけど、それも著者が持って
いる仮説が少なからず反映されているだろうから、本当のところは
誰にも分からない。

寄り掛かるところがどこにないこの世界で、また不安に揺れる。

また即興の「不安詩人」になってきた。不安をこうした形で詠まず
にはいられなくなって来ている。

その度に携帯電話を弄ることになるわけだか
「ケータイ依存症」の気持ちが少し分かった気がする。

電車で座って目を閉じても不安の波が収まることがないので、
よほど眠くないかぎりはこうして携帯電話に感じていることを
文章にしてみる。

それで幾らか波は収まるみたいだ。
以前のニッキにも同じようなことを書いたと思う。

はたまた、ウォークマンで音楽を聴きながら好きな本を読んでいる
いれば大丈夫だ。

いつまで、刹那主義を保っていられるのか。
それは30歳を目前にして限界が来るのかはまだわからない。

後ろを振り向くけれど、でも時間のベルトコンベヤーは速さを
変えることなく動き続けている。

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