2008年7月26日土曜日

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【多摩川の旅 2日目】

目覚めは悪くなかった。あまりの疲れに身体を横にしてから眠りに
つくまで時間はかからなかっただろう。
寝始めたときの姿勢で目が覚めたからあっというまに爆睡モードへ
と落ちたのだろう。

だが日焼けした腕と足はヒリヒリと痛む。夏の暑さを甘く見ていた。
雲が多く、日差しもそれほど強くないだろうと初日から半袖半ズボン
は大きな失敗だった。蒸し暑くても長袖長ズボンにすべきだったと
後悔しても時すでに遅し。



宿泊者専用の無料券でホテル内の店で朝食が食べられる。
道に面したガラスから覗いた限り、今日も雨は降らなさそうだ。
ヒリヒリする足には長ズボンを履きたくてもはけない。
擦れる度に発する鈍い痛みを気にするのが嫌で、無謀にも今回も
半ズボン。これがこの後の行程で、地獄になろうとは思いもよらず。






出発したホテルから多摩川までは少し歩くことになってしまうので
体力温存の意味で、立川北駅から途中まで多摩モノレールに乗る。
立川北駅だが、乗ってきた南武線の立川駅のすぐそば。
ここから2駅先、5分ほどの柴崎体育館という駅で下車。
この駅からモノレール沿いにしばらく歩くと多摩川に出る。






しばらくささやかな小道を歩いていき、ようやく多摩川の支流に。
支流から橋を渡って歩いていくと、今日のスタート地点である
多摩川が姿を現す。初日同様にサイクリングロードとして整備
されている。10分毎に横切っていく多摩モノレールを背にして、
目指すは拝島駅である。



2日目は青梅がゴールだが、丁度半分10kmの地点に拝島駅がある。
ホテルで貸し出していたPCを使って今朝調べていたら、
本日の全行程の半分でなおかつ昼飯の時間帯に到達できるだろう
と思われる地点が拝島駅前だった。
日焼けでヒリヒリするが、住むなら申し分ない環境(友人談)で
よく休んだので、ペース配分をうまくやれば、青梅まで行ける
だろうと今日も半袖半ズボン。日差しが強いことは昨日歩いて
いるなかで、よくわかったので日射病を防ぐために帽子をかぶる。
これ以上の日焼けを防ぐためにも長袖長ズボンにすればよい
だろうが、とにかく触れて擦れるとまだ痛いのだ。






歩いていると多摩川に面する形で野球グラウンドやテニスコート。
野球の千本ノック(?)のボールをとり損ねて、罵声を受けながらも
練習に講じる少年たち、サッカーもボールを追っかけ、奪い合う
男の子達。見守る父母さんや仲間。
テニスコートも麗しき少年少女・・ではないが、楽しそうな雰囲気。

サイクリングロードに面した民家の前にテーブルと貼紙があった。
食器類が載せられたそのテーブルには「ご自由にお持ちください」。
一瞬持っていこうかと思ったが、これ以上リュックには何も入ら
ない、というより荷物を増やすことになってしまう。すぐ止める。

途中で中央線や八高線の鉄橋を潜る。
中央線ではしばし待っていると、立川方面から115系が鉄橋を渡る。
この辺りで海から40kmほど。標識を見るとスタートからかなり
離れたことをヒリヒリする日焼けとともに実感する。

少し河原で一休み。日陰になるところが良かったが探してもない様
なので、目の前を穏やかに流れる多摩川をしばし楽しむ。
よく見るとスタート地点で見た川よりも綺麗に澄んでいる。
上流に行けば行くほど川は綺麗になっていく。
ちょっと理科の課外授業の気分。






荷物の重さに身体が慣れ始めたころには、昭島市に入ってきた。
前に2,3度歩いたことがある拝島橋にはスタート地点から2時間少し
で到達。本来はこのまま拝島橋の下を潜って、一路拝島まで
目指す筈だったが・・。
友人のライフがこの灼熱の下で0に近づいているのが雰囲気で明らか。
これはやばい。私のライフも少ないが、まだ0には近づいていない。



昭島駅でご飯を食べよう。昭島駅から拝島駅までは電車を使おう。





そう話してくる友人に私は拝島駅までの短絡ルートを提示。
ここで拝島橋から拝島駅まで歩いた地理の勘が役に立つことになる。
歩いても1時間もかからないだろう。






足の裏も痛いらしい。
そんな友人を私なりに励ましならがら少しペースをあげて歩く。
八高線の踏切を渡り、さらに歩いていく。
正面に中央線の踏切が見えてくれば、向かって右側に昭島駅。
ここまでくれば、あとは線路沿いに歩いていって30分ほどで拝島駅。


スタートから3時間少し。中間地点の拝島駅に到着。
駅前で昼飯とするべく探し歩くが、適当な店がない。
ラーメン屋があったが、個人的に冷たいものを食べたい。





焼肉のノボリを見つけた友人についていくと、残念ながら店には
シャッター。本日は閉店なり。しかしその奥に喫茶店が営業しており
そうめんが食べられることを見つけるや、ドアを開ける。
店は駅前の暑さや、喧騒が遮断するように暗めの照明で静かだった。
扇風機が目の前にあるテーブルを選んで腰を下ろす。

出された水で渇ききった喉を潤すためにしばらくかぶ飲みし、
2人ともそうめんを注文。ようやく生きた心地になる。
落ち着いたところで店内を見回す。まずテーブルには中央に
ガラスの蓋がされており、ネックレスや時計などが置かれている。
よく見ると値札が付いていて販売されているものらしい。

出されたそうめんがとても旨かった。氷が入っている配慮も
うれしかったが、ただのそうめんでなく、上に載っている具との
味のバランスが素晴らしい。またたく間に汁まで飲み干してしまった。
ただただ、「おいしい!」としか表現できない。本当にうまかった。

アイスコーヒーも凝った器で出される。
嫌いではないが、好きでもない。
この店の趣向なのだろうが、壁にこぶし大のおかめの面が掲げられ
ワイングラスみたいな食器やガラス玉を配置するのはいかがだろう?
統一感の無さを最も具体化していたのは、勘定後に入ったトイレだ。
入ると足元全体に敷かれた黒光りする小石。
一瞬和風かと思いきや、洋式の便器に鏡。アバンギャルドというのか。

アバンギャルドな店を出ると地獄だった。
西日だったが依然として日差しが強く、日焼けした足と腕に当たる
だけで針を刺したように痛い。ドラキュラが日の光を浴びるときは
きっとこんな痛みを伴って消えていくんだろうな。
このときは一刻でも早く駅の中へ太陽の当たらない所へ避難することで
そんなことを考えている余裕などまったく無かったが。




拝島からは青梅線で青梅へ。
初日の立川のホテルで見たテレビでは青梅商店街のことを流しており、
それを見てからというもの、かなり楽しみにしていた。








駅のホームからすでに昭和。発車ベルもひみつのアッコちゃん。
それだけではない。ホームはもとより、改札へ出るまでに当時は
どこでも見られた映画看板が歓迎してくれる。









改札を出てからもすごい。駅前からコンビニなどの現代的なものが
混じってはいるものの、殆どが見るからに古い建造物が軒を連ねる。
決して映画のセットではない。本当に昭和がこの街には残っている。




さてもうひとつ楽しみしているのは、これから向かう旅館である。
知る人ぞ知るディープな旅館として、とある著者の本でも紹介されて
いるのが今回お世話になるその名も「橋本屋旅館」。
気になったのでサイトやブログで情報を探してみたが、あまりに
ディープなのか不思議と写真が少ない。
玄関らしい写真しか見つからない。

青梅駅からすぐそばを通る旧青梅街道沿いに歩くこと10分。
白い「旅館橋本屋」の看板と、写真で見た玄関が見えてきた。
まずはもうチェックインできるか、友人が玄関の扉を開けて確認。
チェックインできるとのことで、玄関を撮影。
ディープ故ににこうして写真を公開するのは、何かいけないことを
している気もするが、気にしないことにしよう。











感じの良いおばさんが、部屋まで案内してくれる。
風呂場、食堂。食事の時間は18時で、準備できたら呼んでくれる。
風呂の用意ができるまで、荷物を下ろして部屋で寛ぐ。
部屋も正当な(という表現もおかしいか)和室。入り口が障子である。










風呂の用意ができたとのことで、先に私が風呂場に行くことに。
行きながら旅館の中を探検。部分で現代風に改築されていたら
がっかりだが、そういう部分は見当たらない。
窓や玄関などアルミサッシになっているところはあるが、
全体としてディープな感じは崩れていない。
2階建てですべて歩き回ってみるうちに、「となりのトトロ」の
『お化け屋敷』(失礼)を連想する。人の家に上がりこんでしまった
そんな気分になる。
特に2階の窓から覗くとすぐ隣が民家という立地なので、
他人の生活をこっそりと覗くことができてしまう。
都会と違ってこの身体と身体が触れ合うほどの距離感は新鮮だ。



風呂場に行くことにしよう。バスタオル類はないことが発覚。
ただシャンプーやボディソープ、石鹸は用意されている。
部屋に戻ってタオルを持ってくる。
温度調整ができるシャワーやカランがあって本当に助かった。
日焼けでヒリヒリする肌には30度ほどのぬるま湯でないともう
針のムシロである。焼けたところは擦らないように気をつけながら、
丹念に汚れを落とす。湯船に浸かりたいところだが言わずもがな。
交代で入りにいった友人は入ろうと頑張ったようだが、
その試みは失敗に終わったそうだ。
ちなみに風呂場や部屋に貴重品を預けるロッカーは一切ない。
貴重品は常に身につけておくことを注意しておこう。

我々が泊まった「松の間」からは隣の民家が邪魔で青梅線が見えず。
隣の「桜の間」からなら鑑賞可能。




楽しみな夕ご飯の時間がやって来た。
下からお母さんの如くご飯の準備ができた声が聞くと、我々は
食堂と書かれたガラス戸を開ける。
ちゃぶ台よろしく低めのテーブルには2人分の食事が待っていた。

胡坐をかこうとするとヒリヒリする足が痛いので、
中途半端な行儀の悪い姿勢で食事をすることになった。
話好きそうなさきほどのおばさんが話をしに来たらと心配だったが、
一切来る気配がなくて助かった。
テレビを見ながら今日一日の旅をまずは瓶ビール(1本600円)で乾杯。
こうして旅をしながらのビールは格別の味である。

アバンギャルドな店のそうめんに負けず、お世辞でなく美味しい。
お袋の味、本当に他人の家で食事をしているようだ。
壁を見ると貼紙。「夕食は午後8時までに~」。
夕食は18時~20時までらしい。





お腹が一杯になったところで部屋に戻る。明日の行程を確認。
青梅から奥多摩まで多摩川沿いの街道を歩く予定を大幅変更。
今日と明日は青梅の街をゆっくりして、奥多摩へ向かう予定とした。
そして私と友人とは明日は別行動で奥多摩の旅館でまた合流する。
友人は明日、青梅線沿いの街道を奥多摩まで歩いてみるそうだ。
私は気になっていた「青梅鉄道公園」に寄り、青梅線で奥多摩へ
向かうことにしよう。







そのままテレビを見ながらすぐに寝てしまってもいいが、
楽しみにしていた街である。そうそう来られるものでもない。
夜の青梅の街を駅前まで散策することにしよう。




テレビで流していた青梅商店街は駅前を通り過ぎて、
ちょっといったところまで伸びている旧青梅街道の両側にある。
ここがメインロードであり、橋本屋旅館もこの街道に面しているが、
あの有名な赤塚不二夫の原画が見られる会館もあり、
「赤塚不二夫シネマチックロード」と冠されている。






会館の隣には「昭和レトロ商品博物館」やその蓮向かいには
「昭和幻燈館」も。これは明日のお楽しみである。






今夜は至る所で飾られている映画看板を鑑賞することにしよう。
これらの看板はイベント限定ではなく、ずっと飾られている。
町おこしの意味もあるのだろう、当時こうした映画看板を
生業にしていた板観氏がその腕を買われて、依頼されて作成した
作品である。いわば街全体が板観氏の美術館でもあるのだ。
このアイディアは大変すばらしいと思う。

さてシャッターが閉まっている店をふと見ると近くで盆踊りを
開催しているという貼紙が見つける。行ってみよう。
書かれている地図が超地元仕様のため、30分くらい下に
降りたところにある青梅街道を中心に歩き回ることになりにけり。
盆踊りらしき音楽が時折吹いてくる風に乗って聞こえてくるが、
方向を定めようとすると途切れてしまう繰り返しで、なかなか
場所がわからず。


地元の方には大変失礼だが、期待はみごとに裏切られた。
盆踊りの舞台と周りを囲むように音楽に合わせて踊っていただけ。
ぽつぽつと露店が出ているが、地元の井戸端会議レベルであった。
きっと毎年こうして地元の人たちが顔を合わせて、近況報告を
したり、親睦を深めたりするのだろう。







盆踊りを後にして、さっきのメインロードに戻り青梅駅前まで
ゆっくりと歩いていく。メインロードからひとつ青梅線側に
外れた細い通りも歩いてみる。
映画看板はないが、抜け道にはこんな味のある案内があって
目を楽しませる。
その上の電灯が点いていれば、一層昭和の時間に浸れるだろう。
こうして駅前を通り過ぎてちょっと先まで歩いてみたが、
町全体がイベントのように一過性ではなく、映画看板などで
昭和の文化を町おこしとともに伝えていこうとする意思が
強く感じられ、うれしくも楽しい。



駅前のコンビニで夜食を買って旅館に戻る。
部屋に戻ると、テレビでは劇場アニメの「時をかける少女」を
放映していた。そういえば今日だったと思い出す。
見ている間も時々電車の音が聞こえるが、劇中で無音で劇中に
踏み切りに電車が差し掛かると同時に、電車の音が聞こえた時は
とんでもないタイミングだ!と思わず鳥肌が立ってしまった

少女はテレビの中で、何日も前にタイムリープを繰り返すが、
我々はすでに青梅の街で、昭和にタイムリープしていた。

ところで夜のトイレはお勧めしない。
それはなぜか?電灯が一切点かないからだ。特に大は要注意・・。

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